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新婚旅行に行ってきました【ラオス編】

さばいでぃー!

みなさんこんにちは、ラオスのラオ子です。

前回の記事に引き続きまして、今日は新婚旅行ラオス編を書いていきたいと思います。

タイ編(済)
1月27日 夕方に日本発→28日夜中バンコク着
28日 アユタヤ観光
29日 メークロン市場観光
30日 バンコク市内観光、寝台特急でノーンカーイへ

ラオス編(この記事)
31日 朝6時ノーンカーイ着、鉄道でメコン川を渡りラオスへ
2月1日 ビエンチャン市内観光
2日 村で結婚式
3日 配属先やカウンターパートをまわりビエンチャンへ
4日 ラオス中国鉄道でルアンパバーンへ
5日 ルアンパバーン市内観光
6日 飛行機でハノイへ

ベトナム編(多分写真貼って終わる)
7日 ハノイ市内観光
8日 ハノイ市内観光、深夜便で日本へ
9日 朝に日本着

こんな感じでお届けしていく予定です。ラオスはJICA青年海外協力隊として活動した場所で、この3か国の中でも特別思い入れがあり、そして現地の人たちや現地で頑張っている隊員さんやOVたちと、濃い~~~時間を過ごしてきました。そんなところも書いていけたらと思います。

では、どうぞ!

ラオス1日目:陸路で入国、市内観光

前日の夜8時半ごろ、バンコクのクルンテープアピワット中央駅から寝台特急に乗りこみ、真っ白でシワのないシーツが敷かれたフルフラットの席に気持ちよく寝転がりました。発車後しばらくは、タイ撮影分のデータのバックアップを取って過ごそうと、久しぶりにPCを開きましたが、如何せん電波が悪くずっと3G。それでいてぶつぶつ切れてしまい、Lightroomもまともに使えなかっために、特にすることがなくなってしまいました。Spotifyも使えなくなるし、、、なんでもオンラインやクラウドで済ませるのも考え物ですね。

あー退屈だなあとスマホを触ろうにも電波がない。スマホに入っている書籍は読み飽きた。ギガめちゃめちゃ余ってるのにバックアップできひんの勿体ないなー…そういえば、タイ語の教科書、行きの飛行機以来1回も開かんかった…なあ….. なんて思っているうちに、いつしか眠りについていました。ありがたいことに、周りの乗客も静かだったため、蒸気でホットアイマスクを出すまでもなく爆睡です。

「Miss, 起きて」とやさしくカーテンを揺らされて起きると、まわりの乗客のフラットシートはすでに畳まれ、丸まったシーツと枕がそこらに転がっていました。

まだノンカイまでは時間がありそうだったので、眠い目を擦りながら最低限の化粧をして、最後のタイの景色を楽しみます。

約10時間の電車の旅は本当に快適でした。体が痛くなることもなく、トイレもわりかし綺麗なほうで、この値段でこのクオリティならケチのつけようがありません。ちなみにバンコクからノーンカーイまでは、寝台車の下のほうの席でひとり999B。1バーツは3.9円前後なので、タイバーツは4をかけたら日本円になります。

さて、ノーンカーイ到着後は、早朝の寒さに震えながらラオス側に渡る電車を待ちます。「7時にイミグレが開くからもう少しここで待っていなさい」と駅員さんが教えてくれました。しばらくすると、開いたのはラオスからのアライバル側のイミグレ。しかしそこに居るのはラオスに向かう人のみ。大切なのはパスポートにスタンプをもらう事だからね、どっちのカウンターを使うかなんてどうだっていいよね。マイペンライ(タイ語で「大丈夫」)でボーペンニャン(ラオス語で「大丈夫」)なこのゆるゆる感がなんともいえず。

「なんで日本人なのにラオ語を喋るんだ?」「なんで日本人なのにイサーン語(タイ北部の、ラオ族の人たちが話す方言)をしゃべるんだ?」と言われるのも、おそらくこのイミグレが最後です。タイの人たち、私のほぼラオ語のナンチャッテてへぺろ残念タイ語を聞きとってくれてありがとうございました。いつかは「タイ語が上手だね」って言ってもらえるように頑張ります。

そうそう。アユタヤについた時、トイレットペーパーを買っておこうと思って商店に行き、店のおじさんに「チアアナマイ、ミーマイカ?」と聞いてみたのですが、「わからん」「なんのことや」という顔のあと、生理用品を持ってきてくれるということがありました。先に画像を見せたらよかったのですがもう一押し試みて、「ティッス↑ゥ↓ホンナム」でようやく伝わり、それでもロールタイプでなく箱型のものを持ってきてくれたので、最終的に画像を見せてロールタイプを持ってきてもらいました。

タイ語でトイレットペーパーは「クロダ チャムラ」。チャムラはあとから調べたら「支払う、綺麗にする」とか色々な意味があります。タイ語やラオ語は共通して、被修飾語が先に来るという性質があります。「クロダ」が「紙」という意味ですので、「綺麗にする紙」で「トイレットペーパー」になるのです。

わたしはこの「クロダ」に聞き覚えがありました。10年前に住んでいたカンボジアで同じ単語が使われていたからです。「プカークロダ」は、「プカー(花)」+「クロダ(紙)」で「紙の花」、ブーゲンビリアのことを指します。動詞などの基本的な1音節語だけで見るとカンボジア語とタイ語は遠い親戚、タイ語とラオ語は兄弟みたいな距離感かなと感じていますが、サンスクリット語からきている言葉は割と共通している部分が多いので、カンボジア語の習得にもじりじり近づいていけると信じてタイ語の勉強をしてみたいと思います。

話が逸れましたが、無事にノーンカーイを出発した電車は、静かに静かにまっすぐな線路をすすみ、メコン川を渡りました。橋を渡っている途中、タイの国旗が等間隔にたてられているのですが、それが1本だけ黄色い旗になり、そのあとラオスの旗に変わります。それが国境を越えた証。赤白青、同じ配色で作られた国旗ですが、それがラオスの国旗になった瞬間、「ただいま」と胸が高鳴ります。

ラオスに!10か月ぶりに!かえってキターーーーー!

ラオス!ラオス!ラオス!ラオス!!!

ラオス側のターナレーン駅から首都ビエンチャンの中心部までは、乗り合いバンで向かいます。しかし、乗り合いバンに乗り合ってくれる外国人が一人もいなかったため、全額わたしたちで負担することに。その額600バーツ。正直「高い!!」と思ったのですが、この場に一人しか居ないドライバーの言い値に高いだのなんだのケチをつけるのも野暮だと思い、交渉は特にせずバンに乗り込みます。聞けば、ラオスのガソリンは今や20000KIP越え。わたしが居たころ10000KIP前後だったことを思い出し戦慄しました。レートで見ても、生活費をドル支給してもらっていた隊員時代は1ドル=9000キープを超えたらうきうきしながら多めに現地通貨に変えていましたが、私が知るなかでは、再赴任されたころの街中両替所で1ドル=17500キープまであがっていました。

そりゃ物価もあがるわけだし、この人だって600B欲しいに決まってる。私だったら700バーツ欲しい。

その後私たちは、タートダム近くのおいしいカオピヤックを食べ、大使館近くのおいしい日本食レストランで久しぶりの日本の味に昇天し、タートルアンでお参り・・・と、THE☆観光客なコースでビエンチャン市内を散策しました。

昼から、ずっといきたかった「Lily Spa」にハーバルボールマッサージを受けに行ってきたのですが、お値段は他に比べれば高いものの、その期待値をはるかに超えてくる素晴らしいサービスと技術でした。タイでは連日、重いリュックを担いで歩きっぱなし。実は、タイを去る日にも街中スパでハーバルボールを受けてきたのですが、ダチョウ倶楽部かよっていうぐらい「あちあちあちあち!!!」とリアクションさせられ、リラックスどころではありませんでした。ガーゼに薬草をパンッパンに包んで蒸したものを体にじんわりと押し当てるのですが、びちゃびちゃのハーバルボールから熱湯がジュワッとあふれ出してくるのです。がんもを直置きされている感じです。私は膝裏を見事に負傷し、あせものようなブツブツが大量にできてしまいました。平たく言うと火傷です。そんな平均以下の施術の翌日ということもあったせいか、余計にクオリティが高く感じられました。ああー、幸せだったなあ。とろけるような1時間半でした。これからは、他の費用をケチッてでも、ラオス行くたびに行くと思います。

夜は、ずっと会いたかった現役隊員さんとナダオでフレンチ。私が10か月前ラオスを去るときに、活動が軌道に乗り始めていた彼女は、ゴールを目前に最後のラオス生活を噛みしめているところでした。貴重な残りのラオス時間で会ってくれてありがとう!

まだまだがらんとしたビエンチャンですが、それでも渦中だったあのころと比べればずいぶんと活気が戻りました。1年前のビエンチャンは、ワットインペン前のバス通りを夜一人で歩くのも怖いぐらいでしたが、川沿いのナイトマーケットも再開され、Angoさんの前の通りは端から端まで屋台が並ぶ歩行者天国、おかず横丁も人でにぎわっていて、アフターコロナの中でふんばっている様子が垣間見えました。

ラオス2日目:結婚式後撮り、市内観光

ラオス2日目、午前中は結婚式の後撮り。ラオスの民族衣装を着ての撮影で、ヘアメイク+衣装+撮影1,000,000KIPでした。8000円弱でこんな体験ができるなんて、ラオス最高。

このときでないと絶対に着れない色がいい!という強い思いがあったので、金色を選びました。以前参加したラオス人の友人の結婚式で、花婿と花嫁が全身金色の衣装を着ていたからです。

夫は出演NGなのでソロショットを…。着つけてくれたお姉さんによると、このシンはアルアンパバーンスタイルだそうで、織りの上に立体的な刺繍が施されています。実物を見るととても高価に見えます。

印刷は要らないからデータだけちょうだいと伝えると、それならもう取りに来てもらう必要もないから、Whatsappだけ教えて~と言われて連絡先を交換。夕方ごろに「できたよ~」というメッセージと共にGoogle Driveの共有リンクが届きました。なんという簡単受け取り。開いてみると80枚の写真が。

日本人は良い人多いから撮影楽しいわ~といいながら色んなポーズを指示してくれたクールなお兄さん、「じゃあ最後にフリーポーズで」と言ってくれたので夫が持っていた短剣を鞘から抜き、上段の構えで夫に切りかかるポーズを撮ったのですが、その時ばかりはケラケラ笑っていました。うけてよかった。

すっかりお腹がすいた私たちはJICA事務所近くのおいしいカオマンガイを食べ、ビエンチャンで一番渋くて好きな寺「ワットシーサケ」、バーシーしている様子が見られる「ワットシームアン」、そしてコロナのせいで数年間「カミングスーン」だった待望のスターバックス1号店へとひたすら歩きました。

スターバックスでデミタスカップとベアリスタを買う予定だったのですが、デミタスカップが売り切れで普通のマグに。か、かさばるー!ですが、接客はさすがといったところで、タイで数年OJT受けてきたかな?と思うぐらいスムーズなオペレーションでした。7か月だけ働いたナンチャッテスタババイトの私など足元にも及びません。

その後は、お土産屋さんやショッピングモールをだらだらとまわりながら、煙がのぼりはじめたおかず横丁で焼き鳥をつまんで夕飯へ。以前、ラオス料理に精通している方に連れていっていただいた「スックヴィマーンレストラン」で、現役隊員さんたちとキンカオ。村で食べ慣れたラオス料理とは違う上品なお味。清潔なレストランでおいしいラオス料理が食べられるので、初めてラオスに行く人を連れていくのにちょうど良いお店です。

ラオス3日目:村で結婚式

ラオス入国3日目は、わたしが活動していた村への移動日です。いま一緒にブランドの製品開発を頑張っているお母さん(ブランドのロゴの女性です)の村へは、お母さんの車で移動しました。わざわざ首都まで迎えにきてくれた妹は、車の中で藤井風の音源をかけ、「この歌の意味何なん?」と聞いてきます。よく売れているアーティストだということは知っていましたが、藤井風をちゃんと聴いたのはこの日が初めて。「死ぬのがいいわ」をラオス語で説明しろというのは、まだまだラオ語ビギナーの私には難しすぎました。ざっくり意味を説明したら「え、危ない歌やなw」と笑っていました。多分伝え間違っている、ごめん。

村について、しばらく近所をぶらぶらしました。よく買い物にきていた市場には、色とりどりの野菜、川魚、しめたてのお肉がずらりと並んでいます。そのなかに、日本では絶対見ないであろうアリのタマゴが。私は食べなれたものですが、夫はもちろん初めまして。見ているだけで体がかゆくなりそうです。

その後私たちは、村の美容室でメイクをしてもらい、生産者さんが用意してくれた民族衣装に着替えました。ハネムーンでラオスを訪れたわたしたちに、生産者さんと家族親戚、村の人たちがバーシースークワンという儀式をしてくれたのです。

バーシースークワンとは、バーシー(吉祥のお供え物)をクワン(魂)へ、という意味であり(スー=~へ)、人の体に宿る32個の魂を体につなぎ留めておくための儀式で、それらの魂が出ていってしまうのが人生の節目だと言われています。そのためバーシースークワンは、旧正月のようなラオスの人たちにとっての大切な行事の際にはもちろん、出産、上棟式、留学、協力隊でいえば活動を終えて日本に帰るときなどに、このバーシースークワンが開かれます。

祭壇の中央から伸びた白い糸は「ຝ້າຍຜູກແຂນ ファーイプックケーン」、腕に巻く綿の糸という意味です。ラオ族の人たちは、白色は純粋さ、新鮮さ、無垢さを表すと考えており、バーシースークワンの際はこの真っ白な綿糸が用意されます。

お正月の場合は、祭壇から伸びるファーイプックケーンを参加者皆で持ってご祈祷が始まりましたが、今回は私たちがお祝いをしていただく立場だったため、ファーイプックケーンは私と夫に一本ずつ結ばれました。

バーシーに来てくださった方は、着席の際や儀式中に、祭壇のマリーゴールドの間にお金を挟んでくださいます。活動期間中お世話になった方からも、この日のために来賓として来てくださった方からもいただきました。ガソリン5リッター分。決して安い金額ではありません。ありがたいことです…。

儀式を執り行うのは「ໝໍ­ພອນ / モーポーン」と呼ばれる祈祷師で、辞書で見てみるとこのバーシースークワンで祈りを捧げる方のことを指すのだそうで、広義のシャーマンには別の言い方がありそうです。​モーポーンが祈りを捧げてくださっているあいだ、私たちはこの祭壇に手を添え、私たちの後ろに座っている参列者の方々は私たちに手を添えて、皆でお祈りをします。モーポーンが何を話しているのかは私にはわかりません。こちらも後で調べてみると、仏教と「ສາ­ສະ­ໜາ​ພາມ / サーサナーパーム」、パーム教という宗教の混ざったものだという風にラオ語のウィキには書かれていました。サンスクリットとパーリということなのでしょうか?サーサナーパームが気になって夜も眠れません…。

ちなみに「モーポーン」は、「モー / 医師、祈祷師など」と「ポーン / 祝福」を組み合わせた言葉です。人の人生の節目を祝福する祈祷師…、なんだか名前だけでもありがたい感じがします。

さて、20分以上にわたるお祈りの間、たまに参加者で「あーーー」と声を上げる場面があったり、後ろのほうからマリーゴールドの花びらが飛んできたり、マリーゴールドを酒に浸して手のひらを清められたり、最後は固めの杯といいますか、シャーマンが最初にショットグラスでお酒をぐいっと飲み、そして夫へ妻へとグラスが渡っていきます。

今回、私たちはお土産に日本酒を2本持って行ったので、日本酒を注いでくれました。(ラオスのお酒は度数が高く下戸には辛いので、ありがたいです)

それが終わったあとは、モーポーンから順に、私たちの手首にひもを結んでくださいます。モーポーンは、黄色とオレンジの色付きのファイプックケーン。そのあとは白のファイプックケーンを、みんな代わる代わる両手首に結んでお祈りをしてくれます。

また来てくれてありがとう。結婚おめでとう。悪い魂が出て行って、良い魂が入ってきますように。健康な子供がたくさんできますように。互いに永遠の愛で結ばれますように。お金に困らず暮らせますように。この旅が良いものになりますように。無事に日本に帰れますように。

皆の気持ちが、私たちの両手首に結ばれていきます。その間、私たちのてのひらには、茹でた丸鶏がのせられています。場合によって、ゆでたまごだったり、お米だったり、お金だったり、お菓子だったり、いろんなものを握らせてもらいましたが、活動を終えて本帰国するときに開いてもらった3回のバーシーはどれも同じように茹でた丸鶏でした。主賓は鶏、とか決まりがあるのでしょうか。

マリーゴールドがたくさん飾られた祭壇は「ພາ ຂວັນ / パー クワン」と呼ばれています。クワンは魂ですが、被修飾語の「パー」は何でしょうか。辞書で引いてみると、「ピラミッド型の祭壇」とでてきたので、このまま固有名詞として受け取ってもよいのでしょうが、動詞だと「導く、連れていく」という意味を持ち、名詞になると「お皿」、パーリ語由来の言葉としてみると「太陽、光線」といった意味も出てきました。どの言葉もこの儀式にぴったりなものだと思いました。明るい未来へ導いてくれるような儀式だと思うし、1本の糸で繋がったみんなの想いが集まる受け皿のような役割をこの祭壇が担っているような気もするし、幸せを願って糸を結び合うあの空間は陽だまりのような温かさを感じるし….。

手首に紐を結んでもらうのがひと段落ついたとき、入口のほうから男性が5人ぞろぞろと入ってこられるのが見えました。額装された賞状を持った方は、私が隊員だったころに2度ほどお会いした副県知事。日本に留学されていたことがあり、流ちょうな日本語で話しかけてくださったので今でもはっきりと覚えていました。活動に対する「表彰状」と、表彰状授与にあたって行政内でやりとりされた許可証のようなもの(ラオスっぽい!)、カゴに盛られたたくさんのODOP(一村一品)商品をいただいたのですが、急なことでびっくりして終始ポカンとしてしまいました。村の人たちにバーシースークワンをしていただいただけで胸いっぱいだったのに、10か月ごしにこんなご褒美までいただいて、幸せがキャパオーバーして処理が追いつきません。

この表彰状をいただくために、JICAラオスに派遣期間についての問い合わせがあったり、いつも多忙なカウンターパートが書類作成してくれたりと、色んな方が動いてくれていたことを後から知りました。そして、表彰を受けるきっかけになったのは、県知事がとある調印で生産グループを訪れた際に私も同席しており、その時に活動の話や日本に帰ってからも自分のライフワークとして活動を続けていきたいことなどをお話させていただいたことだったそうです。あの時のちょっとした会話を覚えていてもらえただけでも光栄です。

そんなこんなで、バーシースークワンが終わった後は、皆でおいしいラオス料理を囲って食事会がはじまりました。食事中に新しいゲストがお祝いにきてくださったら夫婦で祭壇の前に移動して紐を結んでもらい、祝福の言葉を受ける。以後繰り返し・・・というのがしばらく続きました。大好きな村の人たちや、すでにどこかの会食でできあがってきた同僚たち、元上司、配属先の他の課の人たち… たくさんの、本当にたくさんの人たちがお祝いしにきてくれました。

夫はひたすらビアラオとラオカオ(ラオスのお米でつくられた蒸留酒)をちゃんぽん、私は日本から持ってきたサケをついでまわり、アラシックス世代の方が集まってくださったにもかかわらず4合瓶2本があっというまにカラになりました。隊員時代、80歳を超える生産者さんが昼間の儀式でハイネケンをキメていたのを二度見したのを覚えていますが、今回もみんなすごい。

日本のパデーク研究家を唸らせた、村のパデーク名人のゲーンノーマイ(たけのこスープ)、牛のラープ、ナマズの丸焼き、ドークゲー(何かの花)とコブミカンの葉の揚げ物、サラダ… 他にもたくさんの食事が並びました。主食はもちろんカオニャオ(蒸したもち米)。私は、茹で鶏のつけダレだけでカオニャオ3合いけるぞってなもんで、ブライダルダイエットで6㎏落としたのはここで何の憂いもなく満腹太郎になるためだったんだと信じて疑いませんでした。

夜は近くのゲストハウスに泊まりましたが、この旅最安の1泊250,000KIP。せっかくの新婚旅行だからと、ホテルステイする時間が少ないにもかかわらず夫はラグジュアリーなホテルばかり選んでくれていましたが、村にはそういう場所もありません。ちゃんと休んでもらえるかなあと少々不安でしたが、はち切れんばかりに食べ、サケとラオカオとビアラオをちゃんぽんした夫には関係なかったようでした。あっぱれ、村の人たち。

ラオス4日目:元同僚たちとキンカオ、キンビア

翌日は、村から少し離れたナムグムダムとダム湖に連れていってもらい、しばしこの景色を楽しんでから、元配属先である県庁機関へ。各部屋を回って挨拶し、「ハネムーンに来たら旦那さんをつれてくるのよ!!」と帰国前に何度も何度も何度も言われた約束を果たしました。

そのあとは、私が住んでいた家の隣にある大家さんちを尋ねました。私の話をするたびに涙ぐむという、隣の仕立て屋さんも呼んでもらい、みんなにお土産を渡して、今回は滞在時間が短くて村に滞在できなくてごめんね、今度また来たときは皆でごはん食べようね、と約束。そのあとは私が「お姉さん」と呼ぶ隊員時代のカウンターパートの家で昼食をいただきました。焼いた豚肉にピア(胆汁)のディップ、ピアのスープ、ラープと、本格的なラオスの家庭料理。10か月前はこの家でトカゲと蟻の卵のラープをいただきましたが、その前も山間部の出張帰りにでっかいトカゲのようなイグアナのようなものを買っていたり、この家にお邪魔させてもらうと、「そろそろラオス料理も慣れてきたなー」っていう自分が外国人だったことを思い出させてくれる料理が出てきます。大好き。

「庭の景色、たくさん写真に撮っておくのよ。そしたら私と家族のことが恋しくなっても写真を見て村を思い出せるでしょ」というお姉さん。当たり前のように愛してくれて、私も同じように愛していると信じてくれている、そんな言葉に感じられました。つらくてしんどくて何度も自分の無力さを悲観した隊員時代、あなたの優しい言葉になんどもなんども支えられたよ。本当にありがとう。

そのあと夫はお姉さんの息子と汗だくになりながらサッカーをし、くたびれたKEENのサンダルが壊れるのを恐れた私は撮影係を理由に見守りました。そのあと子どもは水浴びへ、私が帰国したあとに生まれた娘ちゃんはカオニャオとかぼちゃの離乳食を食べ、あれこれ用事を終えてから、同じ課で働いていた職員の弟の家の上棟式へ。飲む、食べる、踊る、飲む、食べる、踊る。隊員時代は辛さすら感じていた「キンビア(飲み会)」がこれほどいとおしく思ったことはありません。

カウンターパートに、生産者さんの家まで送ってもらい、そこで仕事の話や頼んでいた商品の検品、日本での販売実績や商品のフィードバックなど仕事の話をちゃちゃっと済ませて、私たちはまた妹の車で首都のホテルまで送ってもらいました。

今回1泊あたりの値段が一番高かった「ダバラブティックホテル」の最上階のスイートルーム。最上階は1部屋しかありません。玄関を入ってすぐ大きなキッチンが目に飛び込んできます。

3部屋あり、キングベッドの寝室ーリビングーキングベッドの寝室と繋がっています。なんて豪華…。7時前にチェックインして、翌日もゆっくりできないなんて勿体なすぎる。

そのあとは隊員時代に大変お世話になった2人と合流して、鍋と焼き肉のハイブリット「シンダード」で満腹に。なんかこの日の写真少ないなあと自分で写真を見返しながら思ったのですが、旅も折り返し地点を超えて相当疲れていたのか、ラオスが「日常」に戻ってきて「ふつう」にカメラをむける機会が減ったのかはわかりません。多分、どっちもです。

ラオス5日目:初ラオス中国鉄道!ルアンパバーンへ

この日はルアンパバーンへの移動日でしたが、ルアンパバーンへの電車は午後の便。午前中はホテルでゆっくり充電して、パトゥーサイに出かけました。その前に、パトゥーサイの近くの釣具屋さんへ。釣り好きな方へのお土産に「ASHINO」のリールと、夫はバレットシンカーを購入。

バレットシンカーの棚にはキリが置いてあって、自分で穴があいているか確認するスタイル。可能な限りの不純物を混ぜに混ぜたような、柔らかくしっとりとした質感のバレットシンカーたち。そりゃ日本のタングステン製に比べれば10分の1ほどで買えるかもしれませんが、何に使うの…。

DAIWAのクルセイダーが420バーツで売られていたのは、、、何事!ほんまもんなんですかねえ。この価格ですしそうであってほしいですけど。

そういえば!円安で日本経済が大打撃を受けているのと同じように、ラオスキープも一時に比べれば落ち着きはしましたがまだまだキープ安。この店、前に訪れたときはキープで言ってくれていたような気がしますが、店頭表示がバーツに変わっていたのが気になりました。ホテルも、レストランも。ドルやバーツで提示があって、「ラオスキープならいくら」と聞いてはじめて自国通貨が提示される状態。金融素人にもラオス経済の大変さが伝わってきました。頑張ってくれラオス…!

そのあとはパトゥーサイを見学して、町をぶらぶら、ラオス南部の名物「カオピヤックパー」を首都で食べてみたり、スムージー飲んだり、スーパーでお土産買ったりしてビエンチャンでの時間は終了。

このパトゥーサイの真下から覗き込んだ写真、行くたびに撮っている気がします。絵になるなあ。綺麗だなあ。美しいなあ。

さて、ここからいよいよ、ラオスでのバーシーに次ぐイベント、「ラオス中国鉄道でルアンパバーンに行く!」です。

開通当初、買い占めや転売が横行して全くチケットが買えなかった時期がありました。(私のFacebookでも何度もチケットの写真を見ました)今はそれは無くなったようですが、決められた場所に並びに行かないと買えなかったり、外国人はパスポートの提示が必要らしかったり、なんだか煩雑そうです。アプリも一応できたみたいですが、日本からは購入できず、現地に行ってからできるかどうかも怪しかったので、今回は現地の旅行会社に頼みました。ラオス国立大学内のLJIで1か月だけラオ語を勉強したときに、ホームステイ先の人に連れて行ってもらった出家式で同じ席にいたお姉さんの旅行会社です。向こうが覚えてくれているかも定かではありませんが、Whatsappでやりとり→BCELoneで振込という手順で何度か航空券を頼んだことがありました。「〇月〇日からのスペシャルプロモーション!!」とラオス航空が告知したときも、「あれ取れたら取っといて~」でちゃんと用意してくれていたので、私はこの会社をめちゃめちゃ信頼しています(笑)

10か月前の帰国の際、隊員は銀行口座を閉じなければならない規則になっていて、今回はBCELoneが使えませんでした。現金手渡しするから、ホテルまでチケット持ってきて~とロケーションを送っておいたら、当日朝にきちんとホテルまでデリバリーしてくれました。毎度お世話になります。

ちなみに発券手数料は、1枚あたり150,000KIPでした。それでチケットを取ってホテルまでデリバリーしてくれるなら安いものです。

ダバラブティックホテルからタラートサオ横の中央バスターミナルまでトゥクトゥクで移動し、そこからバスで駅まで行こうと思っていたのですが、どうやら私がネットで見つけた情報が古かったらしく、「その時間のバスはないよー」と言われてしまいました。流しのトゥクトゥクを捕まえたら100,000KIPで行ってくれるというので、最後はLoca(ラオスのタクシー配車アプリ)を使わずトゥクトゥクでビエンチャンの風を切って駅まで向かうことに。

注意書きや案内に英語が見当たらなかったところに、なんともいえない中国資本感を感じました。

入口でパスポートとチケットチェック、そのあと荷物のX線検査と、厳重な警備のもと中へ。特に時間をつぶせるような場所があるわけではないですし、座席も指定席なので、張りきって早めに行く必要はなかったかもしれません。

発車時間の少し前まで、ホームへのゲートは閉まったままになっていますが、ゲートが開く少し前から長蛇の列ができました。お坊さんや、特別なサポートが必要な乗客とその家族が先に通され、ついに私たちの番です。

ホームに出て見渡してみると、ルアンパバーンに向かうこの電車は16両編成で、日本の新幹線より少し短いぐらい。コンコースに居た人たちを見渡して「こんなたくさんの人みんな入れるんかな」と思っていたのですが、なるほどこれなら。

座駅は指定で、2席ー通路ー3席。座席は回転させたりできないので、車両の中央あたりに謎のテーブル席があって、そのテーブルに向って両側から座席が向いています。

Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ テーブル 」」」」」」」」」」」」」」」」」 こんな感じ。

車両の半分の人は進行方向と逆側を向くことになります。

ラオスの原風景ともいえる、こんな素敵な景色を見ながら過ごす2時間弱。単線のため、反対側からくる電車の通過待ちなどで途中の駅で待機する時間も何度かありましたが、足元広々、コンセントもついていて、快適に過ごすことができました。倍ほどの値段になりますが、次はフルフラットのビジネスシートに乗ってみたいです。

そんなわけでルアンパバーン駅に到着。駅を出ると乗り合いバンが所狭しと並んでいます。しかし聞いてみると、ここに並んでいるバンはすべて北部の地方に行くもので、ルアンパバン市街地には行かないとのこと。駅の出口を出たところは地上階から1段あがっているのですが、この階はすべてそういうバンが停まっているよーと駅員さんが教えてくれました。

地上階に降りるエレベーターかその隣の階段で地上階に行き、テントで市街地行きのチケット(35000KIP)を購入すると、その奥にとまっているラオス中国鉄道カラーのバンのおじさんたちが声をかけてくれました。

このロットゥでホテルまで送ってもらいます。後部座席もあいているのに、なぜか運転席横のシートを案内された私たち。ま、景色が見れてありがたいからいいやーと思って乗りこむと、市街地へ向かいながら「明日の予定は決まってるんか?」と。なるほどそういうことか。「日本人やろ?JICAか?おっちゃん昔、JICAに月給もろて運転手してたことあんねん」「私もJICAのボランティアやってん」ということでおっちゃんを簡単に信頼し、旅程を伝えてソンテウドライバーの弟さんを紹介してもらいました。街についてから良さげなドライバー探しする時間が短縮できて助かりました。

夕飯は、隊員時代の戦友(?)たちとピザ!旅が始まってから初めてのピザでおいしさは10万倍、当時の懐かしい話に花が咲きました。

ラオス6日目:ゾウで森散歩、市内観光

この日、朝6時ごろに目が覚めたので、カメラを持ってルアンパバーンの街散歩に出かけました。お目当てはもちろん托鉢。ルアンパバーンは4回目ですが、まだこの風景を見たことがなかったので、ちょっと感動。明日は自分も托鉢させてもらうぞーとわくわくしながら、街中をぶらぶらします。

日中のうだるような暑さからは想像できない澄んだ空気に、輪郭が揺れているように見える、ラオスの朝夕のとくべつな時間が大好きです。ルアンパバーン、バンビエン、ビエンチャン県の自分の村も。ボリカムサイで見たメコン川の夕日も忘れられないなあ。パクセーの夕焼けもでかくてとっても素敵だった。ラオスも日本のように縦に長い国なので、北と南で景色も植物も野良犬の足の長さの平均値(当社調べ)も違っています。

あと2日しか見られないこの景色をかみしめて、Saffron Coffeeで朝カフェ。アーモンドプードルが贅沢に使われているであろう、しっとりどっしりとしたレモンケーキがあって、ここに来るたびに食べています。唾液が少ない日本人が美味しく食べられるしっとり生地、そしてアイシングがこれほどたっぷりかかっていてもなお丁度良い甘さ。これになかなか出会えないんですよねー。

そして私たちは、前日に予約したソンテウのお兄ちゃんに迎えにきてもらってルアンパバーン観光へ。まずはゾウ乗りです。

ひとり2000円ほどで30分間、ルアンパバーンの森の中をひたすら散歩してくれます。「川には入らへんの?」と聞くと「この時期は寒いから無理なんよな~」とのこと。この像さんは40歳ぐらいだそうで、お腹がすいたのか好奇心旺盛なのか、時折草むらに頭をつっこんでバキバキと音をたてていました。

受付のお兄ちゃんにスマホを渡し、動画と写真適当に撮って~と頼んだのですが、いろんなアングルからあの手この手で、つきっきりで撮影してくれました。

撮影してくれたお兄さんにはお礼のチップを、乗せてくれたゾウにもお礼の餌を・・ということで、サトウキビやカボチャ、バナナがてんこもり入ったかごを50000KIPで買い、小屋のゾウさんたちにエサやり体験をしました。動物が大好きな甥姪とLINEでテレビ電話を繋いで、いまゾウさんにごはんあげてるよ~なんて話をしながら、メスが4頭、オスが2頭の合計6頭にえさやりしました。

そのあとはクアンシーの滝へ。何度来てもいいですね。泳ぐこともできますが、私たちは水辺のアクティビティは釣り以外あまり興味がないので、魚見つけては魚種がどうとか、こないだ食べた魚の稚魚じゃないのかとかそんなことばっかり話していました。

日本には生えていない植物、日本では聞こえない鳥や虫の声、五感で楽しみながら森の中を歩いて、滝をぼーっと見て、飽きたらだらだら引き返してごはん。川のそばで、昼間っからビアラオ頼んで、ハーブたっぷりのルアンパバーンソーセージと、レモングラスの束にひき肉をつけて焼いたやつ(名前忘れました)をキメる。私はソーダウォーターで十分。

そのあとはバッファローファームで水牛アイスを食べ、街に戻ってスーパーで買い物して、ソンテウのお兄さんに支払ったのは60万キープでした。指定時間には待っててくれてて、おだやかで、嫌な顔せず待ってくれて、とても心地いい人だったので、翌日の空港送迎もお願いしました。

ちなみにスーパーで買ったのは、タイコスメ(タイで買え)、カピ(タイで買え)、ビアラオのルアンパバーンバージョンなどなど。

そのあとは市内でラオス料理を食べ、ナイトマーケットを回りました。ナイトマーケットは、以前よりお店の数は減っていたものの、ルアンパバーンらしいナイトマーケットといいますか、めっちゃゆるい刺繍小物や年間100日ぐらい着たくなるTシャツ、ご先祖のデフォルメ神様「ぷにゅにゃにゅ」の置物など、ここでしか買えないお土産がたくさんあって目移りしてしまいました。

ラオス7日目:托鉢、カオソーイ、そしてハノイへ

朝いちばんは托鉢。5時40分にティップカオ(もち米が入った竹かご)をホテルで受け取り、ホテル前に準備されている茣蓙に座って、お坊さんが托鉢に来られるのを待ちました。私はラオスの民族衣装の正装、夫も結婚式でもらった肩掛け布を巻いて待機です。隣にいらっしゃった老夫婦が話しかけてくださると、数十年アメリカに住んでいるとのことで英語ぺらぺら。英語で話してくださるのですが、寝起きの頭で英語スイッチが入らず(入ったとて残念なレベル)結局ラオ語に戻る、というのを繰り返しました(笑)「もうすぐ回ってくるから」「お寺は10あるからね、お坊さんの行列も10個通るから調節しなさいね」と色々教えてくれました。また、JICA隊員あるあるだと思うのですが、「〇十年前に〇〇に配属されていた〇〇さんは元気なの?」と知らない先輩隊員のお名前が。こういう会話になるたびに、わたしもそうやって、何十年先にふと思い出してもらえるぐらい関係を深められていたらいいなあと思います。

托鉢が終わったら、二度寝、朝カフェを済ませて、荷物をまとめてチェックアウト。飛行機の時間まで町ぶらです。

世界遺産の街ルアンパバーンの、ナムカーン川とメコン川の半島の丁度先端あたりに位置する、ワットシェントーン。何度行ってもこの外観の美しさ、とりわけ屋根の渋さにはぐっときますね。一枚上の写真が本堂の中の様子なのですが、細部にも装飾が施されていて本当に綺麗です。

お昼ご飯はルアンパバーン名物の「カオソーイ」。ぴり辛トマト肉みそ麺です。肉のダシ感ががつんと効いたスープに平たい麺がよく合います。ルアンパバーンに来たらこれを食べないと始まらないし、終われないですね。

ルアンパバーンは、ハーブたっぷりのソーセージ「サイウア」や、川海苔の味付け海苔「カイペーン」など、私の好みのものが多くて魅力的です。前日の晩にちょっとお高めのラオス料理レストランで食べた「オ」という料理も、うまく言語化できないのですがビエンチャンの「オ」と違っていて、香り豊かでとてもおいしかったです。(オとオラームが違う食べ物なのか、大きく分けると何種類ぐらいのオがラオスに存在するのかとか気になり出してしまいました…ラオス行かなくては笑)

町の中心部にある市場。これはフアパン県サムヌア地方の本気のシンだと思いますが、この色とりどりの細かい織り、浮き織りや絣を駆使した唯一無二の美しさ、もし私がお金もちだったら「ここからここまで」って全部買い占めているところですが、そうではないので今回は何も買わずに帰りました。私のブランドtheobaanは、ブランドストーリーに「暮らしに寄り添う」という言葉を使っていて、がしがし洗って着てもらえるような布地を選んでいますが、もう少し在庫を持てる力がついてきたら、こういう布も扱っていきたいなあと思っています。

そのあとは、私の次の隊次でやってきた協力隊員たちが立ち上げたお店「LuLaLao」さんを訪ねました。突然の一時帰国やコロナ禍での活動、色々な困難を乗り越えてまたラオスに自分たちの力で戻ってきた、バイタリティーあふれる二人とは、話がとまらん!そしてコーヒーが美味しすぎる!ラオスのコーヒー豆のポテンシャルって、やりようによってはこんなに高まるんだなあと感動しました。またコーヒー飲みにいくね~。

つづく

は~~~これでようやくラオス編が終わりました。滞在が長く内容も濃かったので、書くのになかなか時間がかかりました。1月27日に日本を発ってここまでで11日!ラオスでの一週間は、隊員に戻ったときのような「村のキンビア」もあり、首都と村とルアンパバーンそれぞれの雰囲気も楽しんでもらいつつ、精神的に満たされた時間になりました。

さて、ここからまだハノイ編が続きます。最後までお付き合いいただけますと幸いです!

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タートルアン祭

さばいでぃー!

11月(旧暦12月)にラオスの首都ビエンチャンにて行われるお祭り、「タートルアン祭り」に行ってきました。

 

 

 

・・・の前に、見てください、かわいいラオスのねこ様。ああああああああああざとかわいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!わかっててやってるんだこの子は全部!分かっててやってる!!!!!!!!!!!!あああああああああでもかわいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!

 

触りたいけどガマンです、動物触ったあとが怖い(アレルギーとか、病気とか)。辛いです。猫カフェに行って猫様のクッションになりたい人生でした。

 

動物は家畜、動物は家畜・・・(ぶつぶつ

 

 

すみません乱れました。ちょっと落ち着きます。

 

タートルアン祭に行ってきた!

 

11月初旬、ラオスに来てはじめてのタートルアン祭に行ってきましたよ~!

 

タートルアンというのは、ビエンチャン市内にあるラオスで一番有名なお寺です。紀元前3世紀にインドから渡来したアショーカ王によって僧侶が派遣され、インド様式で創建されました。13世紀になるとクメール様式のお寺として再建されましたがその後廃墟となり、16世紀になってセタティラート王により再建されました。

 

釈迦の胸骨が収められているという塔は黄金に光り輝いています。その東西南北にお寺が建てられましたが、現在残っているお寺はそのうち2つのみ。

 

前回訪れたのは語学訓練中の2月中頃、夕方に行ったので夕日が差して中央の塔が黄金の光を放ち、とても美しかったのを覚えています。

 

 

そんなタートルアンで年に1度行われるラオスの仏教徒最大の行事が「タートルアン祭」。1週間前から周辺にたくさんのお店が立ち並び、人でごった返します。

 

 

タートルアン祭が行われるのは11月(旧暦12月)の満月の日。今年は月曜日がその日だったため、カレンダーには「祝日」と書かれていましたが、私の配属先は「普通に働くよ!」と。

 

どういうこと?と疑問に思ったのですが、どうやらこういう行事のとき市内だけがお休みになるパターンもあるようです。ラオス、難しい。

 

 

 

任地から首都への道は大渋滞、いつもの倍ほど時間をかけてくたくたで上京しました。そして日が傾いてからタートルアンに向かうと、ご覧の通りの、人、人、人。

 

タートルアンの門のところには青年同盟と思われるラオスの学生さんたちがずらり。男女に分かれて進んでいきます。

 

一人一人鞄の中身をチェック、そしてボディチェックもありました。(だから男女分かれていたんですね)

 

更に、門をくぐって中に入るには「シン」の着用が必須です。さすが、ラオスで一番大切とされる仏教行事です。シン(巻きスカート)にスア(シンに合わせるブラウスのようなもの)にパービヤン(托鉢のとき身に着ける肩掛け布)まで全て持って行きましたが、スアとパービヤンはあってもなくても大丈夫な雰囲気でした。(ただし肩は出ないほうが良いので、露出を避けたブラウスなどが無難かと思われます)

 

 

このお祭、満月の日の朝は盛大な読経と托鉢が行われるそうで、参加した人たちの様子をSNSで拝見して是非来年は行きたいなあと思いました・・・が、土曜日の晩も普段できない体験をすることができました。

 

タートルアンの内部に入ったら、まずはお供えものを購入します。それが、写真に写っている、花・ろうそく・お線香のセット。だいたい300円弱ぐらいでした。ろうそくとお線香に火をつけたら、願い事をしながらタートルアンのまわりを3周。最後はそれをお供えします。

 

 

たまたまタートルアン祭に行く前夜に親友からの嬉しい知らせを聞いたので、万事うまくいくようにとお願いしながら徳を積んできました。積めた・・・はずです。

 

https://www.instagram.com/p/B4r3DTKpVG5/

#タートルアン祭#laos #ラオス #vientiane #ビエンチャン#写真好きな人と繋がりたい

 

住めば都、という言葉があるように、本当に住んでしまえばどこでも「自分の家」になるしきっとそのうち「帰りたい場所」だと思うようになるけれど・・・

 

毎日が貴重で、毎日が特別で、そしてこの時間は有限であるということをついつい忘れてしまいがち。1回目のタートルアン祭を経験したということは、ぐるっと暦を一周して次のタートルアン祭に参加するころには、「あと2か月だなあ・・・」としみじみ考えているわけです(きっと。)

 

こういう行事を通して、自分がラオスで特別な時間を過ごしているということを思出して、日々丁寧に生きていくための栄養にしたいと思います。

 

でも物理的な栄養も必要

 

韻踏んでるわけではないですYEAH、

 

おかず横丁の通りにある1920sが本当に最高だったので二日連続で行っちゃいました。

 

 

何が美味しいって、このチーズケーキ!11月初旬の上京時、「Japanese Cheese Cake」とメニューに書いてあったのを見て、どんなもんじゃいと思って食べてみたところ想像をはるかに超える美味しさ。

 

ミルクレープも、クランブルチーズケーキも、甘さ控えめで、とてもとても、とても美味しい!!!

 

 

2日目に行ったとき、ケーキは売り切れよ!と言われてしまい落胆の表情を浮かべながらコーヒーを淹れてくれるのを見つめていたところ、ケーキ屋さんのお兄さんができたてを仕入れてくれました!

 

「日本のチーズケーキ何処で習ったの?」と聞くと、「ユーチューブだよ!」と。すごいなYoutube…ありがとう通信技術…

 

私ら日本人でな、あなたのケーキ食べるために2日連続で来てん!!ほんまに日本で食べるやつみたい!スフレチーズケーキ最高!!

 

とお伝えすると、すごくディーチャイ(嬉しい)な様子でした。それでもしモチベーションあげてクオリティ上げてくれたら、私たちもディーチャイ。お互いディーチャイで、Win-Winですね。

 

ふわふわのジャパニーズチーズケーキが食べたい方、1920sへ是非!

 

そういう休日もよい

 

首都でラオスの正装を着る機会なんて首相表敬ぐらいだと思っていたので、みんなで正装してお出かけできて楽しかったし、人ごみや爆音のどつき合いはつらかったけど来年も絶対行きたいと思いました。

 

帰任は相変わらずひとりぼっちなんですが、今回はちょっとしたアクシデントで、近くの任地の隊員が私のバス降り場まで来てくれました。笑

 

タートルアン祭の大渋滞でいつもより遅く到着した任地で私を待っていたのはこの美しい爆焼け。燃えるようなナムグム川で少し黄昏て、LINEにどんどんあがってくる写真見て、あ~楽しかったな~と2日間のことを振り返る、そんな時間も含めて全部、いいな~と思いました。

 

ラオス最高だ~~~まだまだ好きになるぞ~~~~~~~!!!!

 

・・・ちなみに

「月曜日働くよ!」をそのままの意味に受け取って月曜日に配属先に行ったところ、タートルアン祭、タートルアン祭、結婚式、研修、と殆ど誰もいませんでした。ラオス、難しい!

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ルアンパバーン旅行 前編

さばいでぃー!

皆さんこんにちは、ラオスのラオ子です。

9月21日から24日まで、ラオスの古都ルアンパバーンに行ってきました。

 

 

ルアンパバーンはラオスで最も有名な観光地。世界遺産に指定されている古都の街並みとエコツーリズムが楽しめる、欧米人にもアジア人にも大変人気のある街です。

 

ルアンパバーン国際空港はラオス国営航空やエアアジア、シルクエア、中国東方などが就航していて、アジアの主要都市からのアクセスが可能です。日本は今年11月に熊本から・・・という発表がありましたが、飛ぶでしょうか??(シェムリアップの直行便がずっと飛んでいないだけになんとなく信じきれない自分が居ます)

 

<旅程>

1日目 同期の活動先見学

2日目 織り・紙漉きの村見学、ユートピア、市内散策

3日目 クアンシーの滝、水牛ファーム、モン族の村、プーシ―の滝

4日目 ワットシェントーン、市内散策

 

同行者は、大学の同級生3名!日本とベトナムから遊びにきてくれました。嬉しい~!

この記事では、ルアンパバーン旅行1日目・2日目について書きたいと思います。

 

ルアンパバーン 1日目

 

ルアンパバーン到着後、まずはカオソーイで腹ごしらえ。カオソーイはラオス北部で食べられる麺料理で、お米の平麺にトマトベースのスープを絡めて食べます。このお店のカオソーイは辛さと塩加減がほどよく、とても食べやすかったです。お値段も15,000KIPとローカル価格で食べられました。

 

 

そして同期隊員の活動先へ。ラオスに来てから3週間の語学訓練中、JICA隊員専用のドミトリーの同じ部屋で過ごした同期。読んで字のごとく寝食を共にした彼女と久しぶりにゆっくり会えるルアンパバーン旅行とあって、私は行く前から任地でそわそわしていました(笑)

 

 

彼女は今、ルアンパバンのCCCという施設で活動しています。義務教育では教わらない情操教育を行う場所で、日本でいうと児童館のようなイメージでしょうか。

 

私が見学させてもらったときは、たまたま日本のお月見について教えていました。まずスライドを使って日本のお月見を紹介したあと、手の洗い方を皆で確認して、手を綺麗に洗ってから実際にお団子づくり。ラオスの上座部仏教も月の満ち欠けで仏日が決まるため満月は特別な日とされていますが、日本も同じよな文化がある事を知ったら子どもたちはちょっとだけ日本を近くに感じてくれるでしょうか。

 

子どもたちと同期の自然なやりとり、笑顔、距離感を見ていたら、同期がどれだけ子どもたちのことを思っていて、子どもたちもそれを感じているかというのが伝わってきました。活動は、子どもと自分だけではなく、それを取り巻く環境、そこで働く先生たちとも関係を作りながら行うものなので、そちらのケアもしつつ子どもたちとの時間を大切に丁寧に過ごしていて、すごいなあと思いました。

 

先月パクセ―の同期隊員を訪れたときも感じましたが、首都で会った時に話を聞くだけでは感じられない活動の様子が知れるので、隊員同士の任地訪問って本当に刺激になります。活動先で撮らせてもらった写真をあとから見返しても、同期と子どもたちの自然な笑顔のぜんぶから愛情が伝わってくるようで、1対多じゃなくて、1対1の関係をたくさん築いたんだなあと、温かい気持ちにさせてもらいました。

 

短い時間の滞在でしたが、活動先を覗かせてもらってよかったなあと心から思いました。ありがとう!せっかくラオスに居るんだから、行けるときに行けるだけ行って、その分自分の活動の栄養にしていきたいなあ。

 

 

と、活動の話もそこそこに!

近くのおしゃれカフェでメコンの雄大な流れを楽しんでちょっと休憩。

 

 

その後は、メコン川クルーズでサンセットを楽しみました!!!ゆったりと日が落ちていく時間を静かに楽しめて、大満足でした。

 

 

思わず手を合わせたくなるような夕焼け。今年の雨季には豪雨で川が氾濫して民家が多数流されたルアンパバーンですが、ここ最近雨が降らなかったからかメコン川の流れはとても穏やか。また違う季節に来たいです。

 

 

船着き場から市内をうろうろしながら、ルアンパバーン隊員おすすめのラオス料理屋さんへ。

 

 

まずはルアンパバーンソーセージ。ルアンパバーンに来たら絶対に食べたかった料理です。

 

ラオ語では「サイ・ウア・ルアンパバーン」と言います。ごろごろ粗びきの豚肉にたっぷりの香草が入っていて、その味はお店によって異なります。もち米にもビールにも合う、最高のおつまみ!

 

 

こちらはラープ。鶏、牛、魚、アヒルの血など種類は色々ありますが、こんなにお肉が多いラープは初めて食べたような気がします。外国人向けのレストランだからでしょうか。普段任地で食べているものは8割ぐらいハーブなような・・・。

 

 

こちらもルアンパバーン名物、カイペン。川海苔をニンニクやゴマ、トマトなどで味付けしたものです。ルアンパバーンに来る前から、大家さんと配属先へのお土産はこれと決めていました!

 

 

と、他にも色々料理が並び、楽しい初日のディナーでした。

 

 

私は同期隊員宅に泊めてもらいましたが、遊びに来てくれた友人3人が泊っていたホテルがこちら。

 

 

ナイトマーケットやレストラン、川沿い、プーシ―の丘へも徒歩圏内で、トゥクのおじさんたちもだいたいホテル名を言ったら場所を分かってくれます。ありがたい。

 

ルアンパバーン 2日目

 

この日はルアンパバーンの先輩隊員・新隊員さんと合流して、紙漉きと織りの村めぐり。

 

まずは紙漉きの村に行ってきました。

 

 

作業場では丁度、紙漉きの真っ最中。私たちも見学させてもらいました。

 

 

そして、私たちも1枚作らせてもらうことに。

 

の前に、篭を持って店の裏に行き、好きな花を摘んできます。集まったのは、ハイビスカス、マリーゴールド、バタフライピーの花と葉っぱ。

 

それを散りばめれば、協調性ゼロの4人による紙漉きの完成!

 

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その後、織りの村にも。養蚕しているところや、藍を発酵させているところも見せてもらいました。

 

観光コンテンツ化されている場所だったので織り機も「見せるため」という感じでしたが、村に入り込んだら本当に作業しているところも見れるんだろうな。隊員が開拓してくれたらまた見に行きたい。(他力本願)

 

その後のお昼ごはんは、織りの村の近くでルアンパバーンに来て2杯目のカオソーイ。写真を撮るのを失念しました。このお店は1日目に食べたものよりピリっと辛みがきいていて、シーシーいいながら食べる感じのカオソーイでした。うだるような暑さの中食べるピリ麺ってなんであんなに美味しいのかな。ピリ辛カオソーイのあとに飲む、今が旬のオレンジジュースも、とっても美味しかったです。

 

 

ルアンパバーン隊員と別れて観光組でやってきたのは、ルアンパバーンに来たら絶対に訪れたいと思っていた「ユートピア」というレストラン。

 

 

メコン川沿いに寝っ転がってシェイクやカクテルをいただける空間。誰がユートピアって名前つけたんでしょうか。まさにやん!

 

何もかもを忘れて「ゆーららー(何もしないでそこに居る)」をしたくなる場所でした。

 

うとうと2時間程眠ったあと、また別のカフェに行ってみました。

 

 

Indigo Cafeというメインの通りのカフェ。真っ青なバタフライピーティーが飲めます。私はカフェイン注入。

 

その後ナイトマーケットを通りながらレストランに向かったのですが、もう本当にやってしまいました。あらぶって、色々買いすぎてしまいました。反省。

 

 

モン族のぬいぐるみとか。

 

 

完全なるおのぼりさん仕様の「ルアンパバーンTシャツ」とか。

 

 

このシリーズもまた買ってしまって。大2個、小3個増えました。

 

 

これは買わなかったことを後悔したモン族の刺繍のポーチ。なんで買わなかったんだ??ほんとに。

 

前半戦終了

あっという間に最初の2日間の振り返りが終わってしまいました。

 

ルアンパバーン、私の想像をはるかに超える観光地でした(笑)ここは本当にラオスなのか・・・?と、久々に海外旅行にでも来たような気持ちで楽しく観光できました。

 

残りの2日間については、後半に続きます!

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ラオス南部の町「パクセ―」4泊5日の旅 後編

さばいでぃー!

こんにちは、ラオスのラオ子です。

 

www.laoko.net

 

前回更新したこちらの記事の後半戦です!!

 

8月12日 

この日は朝からボラベン高原、滝、とガッツリ観光、の予定。

 

 

 

とりあえず腹ごしらえが大切だと聞きましたので、ワッフルと唐揚げを交互に食べてみました。カロリー不足で、途中で倒れてはいけないので・・・。

 

 

そしてドライバーつきのレンタカーでほとんどカロリーを消費せず向かったのは山本ファームさん。

 

 

このあとコーヒー飲むとビタミンが壊れるんだよなァ・・・と、いちごスムージーを摂取。

 

めっちゃ濃い!!ちゃんと甘酸っぱい!!いちごの味!!!!!!!!最高!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

同期が頼んだあったかい苺ラテも美味、そしてトマトジュースも大変美味でした。乾季であれば、イチゴ狩りができるんだそうです。12月~1月ごろ・・・もう一度・・・行きたいなあ。

 

山本ファームさんのコーヒー豆、カトゥアイ種のものも買って帰りました。お豆が粒ぞろいで、ふっくらまるくて、可愛い。ハンドピッキングが丁寧なのが素人目でもよくわかりました。レビューはまたそのうち別記事で・・・。

 

 

そしてパクソンハイランドでコーヒーノキを見ながらコーヒーを頂きました。その場にあった一番高いコーヒー豆を頂いてきました。コーヒー好きにはたまらないなあパクセ―。パクセ―に住んだらやばかっただろうなあ。

 

 

そして我々は滝へ。パクセ―で有名な滝といえば、ラオスいちの落差のタッドファーンと、ラオスいちの滝幅のタッドニュアン。こちらはタッドファーンです。

 

雨期中盤ということもあり、こんなに遠くに居ても「ドドドド」と水音が轟いて地響きがしてきそうな程。カメラを準備している間にあっというまにモヤがかかったと思ったら、すぐに晴れて綺麗な虹が。

 

落差200mの神聖な滝、観光客がほとんどいない静かな空間で、大自然の力強さを感じられる、素敵な場所でした!

 

 

 

街へ帰る途中、道ばたに竹製品がたくさん並んでいるのを見つけました。私の任地にも竹製品が有名な村がありますが、ティップカオ(蒸した糯米を入れるための竹のおひつ)のデザインや、ザルの形状も、なんとなく違うような。

 

シンと同じように、竹製品にも地域差があるようです。

 

 

街に戻ったわたしたちは、カニ入りのカオピヤック屋さんへ。

 

とろみのついたおだしはしっかりとカニの風味。麺にしっかり絡むスープがたまりません。はぁ~~・・・残ったスープ、タンブラーに入れて持って帰りたいぃぃ…

 

 

その後、織物の村へも足をのばしました。

 

 

街の中心地から十数キロ離れた、サパイ村手工芸センター。

 

 

トキメク布には出会えず、見学だけさせてもらって帰りました。

 

パクセ―の大きな市場を見たときも感じたのですが、もっといろいろな、南部の織りに出会えるかと思いきや、あまり「おぉぉお!!」と思うものがなく・・・。タイ、ベトナムに囲まれた地形がそうしたのか、もともとの文化なのか、織りが有名な場所がないのか??そのあたりは、8月から新しくチャンパサック県に赴任したコミュニティ開発隊員が今後教えてくれるとして・・・。

 

 

結局、滝のまわりのお土産屋さんで買ったコットンのシン1枚にとどまったため、シンを買おうと思っていた分の予算で贅沢してみました。任地では食べられない、牛肉。食べたくても売ってない、牛肉。ああ・・・うめぇ・・・。

8月13日

 

13日は、日本から団体で見学に来られていた先生方に同行させて頂いて、チャンパサック県病院で働く同期隊員とTTC(教員養成校)に居る先輩隊員の見学を。とはいえ一日見学となるとカロリーを使うので、まずは腹ごしらえから。

 

クロワッサンと・・・

 

 

ベーグル♡

 

正直「どっちかでよかった」感はありますが、クリームチーズとブルーベリージャムなんて最高の組み合わせ、ラオスに来てはじめて食べたので、泣きそうでした。

 

 

そして県病院へ。同期隊員はここで5SやKYT、BLSの普及をしています。

 

え?なんのこと?何それ?・・・って協力隊になるまでは何も知らなかったのに、色んな人と色んな話を聞いてるうちにいろんな職種の事を知れるのが協力隊の素敵なところだなって思います。

 

詳しいことは私もよく分かりませんが、院内環境の整備やサービスの向上、救命措置の講習など、直接的な医療行為以外にも患者さんのために必要とされる事はたくさんあるようです。それを現地語で・・・。すごいなあ。

 

 

「デングがアウトブレイクして、このフロア一面踏み場がないぐらい患者さんが居た」と淡々と話す同期に一同震え上がりましたが、それが収まった今もデング患者専用の部屋にはたくさんの患者さんが。

 

向こうから挨拶してくださったラオ人の方にお話を伺っていると、「孫が入院してて、いま診察中だから待ってるのよ」「お母さんに会いに来たの」と、自分の治療以外で来られている方も多く、ラオスの医療は家族が支えているのかなあと感じました。

 

日本では助かる命も途上国ではその限りではなく、助かったとしても治療費が払えなければ治療が続けられないというもどかしさの中活動する隊員の葛藤を、色んな国の色んな隊員から聞きます。死生観も医療の制度も自分たちには変えられないことで、その中で自分にできる事を探してやっていくというのは、とてつもなくタフだよなあ・・・。人が生まれる場所、そして亡くなっていく場所で働くというのは、自分には想像ができない事で、今まで一緒に訓練を受けていた同期がこんな風に自分と全然違う場所で活動しているのは、とても刺激になりました。そして、他の同期がどんな風に活動しているのかも、見に行ってみたくなりました。貴重な機会をありがとう。

 

 

夜はカルダモンたっぷりのトルココーヒーをキメたあと、見学に同行させていただいた先生方と一緒にイタリアン。この滞在中2回目の、チーズとサラミの美味しいお店です。

 

カンボジアから帰ったあと小学校~大学でお話させていただく機会が4回ありましたので、ラオスで何を見てどう感じたか、それを生徒さんにどう伝えていかれるのか等、色んなことを話していただけました。この旅でご一緒させて頂けて嬉しかったです。ありがとうございました。

 

8月14日

 

さーて最終日。朝イチの便で帰る最北端隊員を見送りに、みんなで空港へ!そして朝カフェ!

 

 

また空港で要らんもん買ってもうた・・・。かわいい・・。

 

った後、街歩き。 

 

 

せっかくコーヒーの街に来たのにフルーティーなコーヒーが恋しくなって、イェルガチェフのプアオーバーを注文しちゃいました。

 

 

このカフェのお豆は、以前同期が首都にきたときにお土産にくれたのですが、ハンドピッキングが丁寧でとっても美味しかったのです。

 

今回もたくさん買って帰りたくて、前日に一旦寄っていたのですが、「明日きてくれたら煎りたてを渡せるよ!」と言ってくれたので、最終日にもう一度来ることになりました。

 

美味しいイェルガチェフ飲みながら「夕方また来るからね!」ともう一度確認して、プーサラオという山の上のお寺へ。

 

 

見たらわかる、降りれへんやつや! 

 

高いところがダメな私には絶対に降りれない階段。車で上までのぼるまわり道もあるそうなので、プラスで料金を払ってでもトゥクトゥクに上で待っていてもらえばよかった・・・。後悔先に立たずですが、なんなら次回はのぼりもトゥクトゥクにします。膝ががくがく笑ってまともにのぼれない。

 

 

ほら見て。階段の途中が見えない。意味がわからない。どうやって登ってきたの??登山よりきついんだけど。

 

ここまで登り切ってやっと半分ぐらい。階段はゆるやかになりましたが、まだまだ山を登ります!

 

 

彼も頑張ってのぼります。あとで虫博士の隊員に確認したところ、毒はないけどめっちゃクサい模様。

 

カンボジアで働いてた時に同僚がこいつを見て「刺されたら死にます!!」ってヒーヒー言ってたけど、死なないみたいだよって教えてあげたい。

 

 

カラフルなイモちゃんも。今の同僚に確認したところ、これは食べないそう。多分毒があるし、そもそも美味しくなさそうとのこと。

 

この、日本人には無い「食材のライン」を越えてくるかどうかという、虫に対しての感覚。最近それを覚えたくて、積極的に食虫してます。

 

 

そして到着!!こちらがワットプーサラオからのメコン川の眺め!

 

 

その眺めを年中無休で独り占めするゴールデンブッダ。でけぇ・・・。

 

 

もう少し歩いていくと、小さなゴールデンブッダがみんな街のほうを見下ろしています。

 

 

その奥にあった寺院。この色彩感覚。かっこよすぎる。

 

その後、お参りに来ていた政府ナンバーの方たちが快くピックアップトラックに乗せてくれて、私は快適に下山することができたのでした。

 

 

 

街に戻ってきた私たちは最後の食事。結局アタらなかったのでよかったのですが、中身まっピンクのパテがもりもり挟まったハンバーガーを食べました。せっかく大きいのを頼んだのに、肉の生具合を見て食欲がどこかに行ってしまい、1/4ぐらい残しました。ごめんなさい、お肉の神様。

 

 

いよいよ私たちも空港へ!朝に行ったカフェを再度訪れると、ちょうど焙煎中でした。ビエンチャン市内にあるような大きな焙煎機が見当たらなかったので、どこかで焙煎したものを持ってくるのかと思いきや・・・こんなかっこいい機械使って焙煎するんですね。

 

 

自分用とお土産用で、このコーヒー屋さんのものだけで10袋買って帰りました(笑)

 

他のコーヒーと合わせて3キロオーバー。

 

 

ビエンチャン到着後に、飛行機からターミナルまでのバスの中でコーヒー豆のシルバーパックを大量に持っている欧米人男性を発見。ほかにも美味しいお豆がどこかにあるという事なのかな。もしそうならあと1回は行かなきゃならんな。

 

 

最後はビエンチャンで、胃にすとんと落ち着く日本食を食べて、パクセ―3泊4日の旅、これにて終了!

 

まとめ

パクセ―の街のいいところをあえて3つに凝縮するなら、

 

①街の規模がほどよい!

 

②おしゃカフェ・おいしいレストラン多数!!

 

③観光できる場所が豊富でしばらく飽きない!!!

 

でした。

 

パクセ―から更に南に下ったカンボジアとの国境のあたり、「シーパンドン(4000の島)」のメコン川が絶景、かつ川イルカも見れるとのことで、次回はパクセ―を経由してシーパンドンにも足を延ばしてみたいと思いました。

 

任期中にあと1回ぐらい行けたらいいなあ・・・。

 

泊めてくれた同期隊員ありがとう!またおじゃまします♡

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ラオス南部の町「パクセ―」4泊5日の旅 前編

さばいでぃー!

ご無沙汰しております、ラオスのラオ子です。8月10日~14日まで、ラオス南部の「パクセ―」という町で活動する同期隊員を尋ねて、4泊5日の旅行に行ってきました。

 

 

私の任地からは700キロほど離れているため、今回は首都ビエンチャンから飛行機でひとっ飛び。隊員にとってビエンチャンからパクセ―へのチケットは定価だと決して安い買い物ではありません。

 

ところが!ちょうど旅行を計画していたおり、唯一国内での使用が許されている「ラオス国営航空」がとんでもない価格でプロモーションを出してくれた!!「アリガトウゴザイマアアアアアス!!!」と言わんばかりに飛びついて、秒速でチケットを取りました。

 

さてさて、そんなパクセ―旅行のレポートですが、写真たっぷりになってしまったので、前編・後編に分けてお送りいたします!まず前半から。

 

8月10日

同期隊員と一緒にパクセ―へ!ルアンナムターからの同期隊員は前日にフライングパクセ―していたため、私と同期の2人でパクセ―に飛ぶことになりました。

 

 

パクセ―についてまず驚いた、挨拶がわりのサソリ。(死んでます)あったかいところに・・・南に来たんだなァ・・・。と、しみじみ。

 

 

現地で合流してまず向かったのはカオピヤック屋さん!

 

日本のうどんと同じように、具も麺の形状もダシも地方によって異なるのがラオスの麺料理の楽しいところ。南部のカオピヤックは魚のほぐし身がたっぷり。魚から出た美味しいおだし、しみる~~~~~~!

 

 

そして街中のオシャカフェへ。こんなに可愛いデザートが食べられるなんて… 幸せ….

 

来て早々食べすぎでは?と思われたかもしれませんが、この後結構な運動が待っていますので、大丈夫です!0kcalです!

 

 

さて!観光にうつりましょう。

 

腹ごしらえを終えて向かったのは、世界遺産の「プラサート・ワットプー」。中心地から約50kmのこちらの遺跡まで、同期の大家さんが送ってくださいました。あああコープチャイ・・・。

 

入り口にはナーガの頭。クメール様式の寺院は入り口にナーガの頭があり、参道の両側にナーガの胴体が続いているところがたくさんあります。ここのナーガの頭の数は7個、アンコールワットと同じです。天空の城ラピュタに似ていると言われているベンメリア遺跡は5つ、コンポンクダイは9つと、時期(王様?)によって頭の数が異なります。

 

 

参道に立ったときに、「帰ってきたぁ・・・」という感覚になりました。何故ならここ、クメール様式の遺跡なのです。2年住んだカンボジア。人がくるたびあちこちの遺跡をまわりました。それになんとなく似ている。ここはプレアヴィヒアかな??と錯覚しました。

 

両脇にはリンガ。こちらも修復した形跡なく綺麗なまま残されていて、驚きました。

 

 

参道から本堂までは、ゆっくり歩いて20~30分ぐらいかかります。手を使わないと、登り下りが難しいような場所もあります。歩きやすい靴と水分を忘れずに!

 

 

空港に着いたときは雨、遺跡に着いたときもまだ少し降っていて、川みたいに雨水が流れている中を歩きました。はあ~、結構来たね!と、来た道を振り返って、「ああ、雨期に来てよかった!」と心の底から思いました。鮮やかな緑がどこまでも続いているこの光景を同期と一緒に見に来れてよかったです。

 

 

途中の仏様にお参りしつつ、本堂までたどり着きました。レリーフもやっぱり、どことなく「ただいま」感。天女アプサラ―、アンコールワットのものより豊満な気が・・・?

 

 

この仏像がいつのものかは調べてみてもよくわかりませんでしたが、ちゃんと頭が4つとも残っているのを見て思わず「おお!!!」と声が出ました。カンボジアの遺跡のものは、盗掘されたり宗教の廃止のために破壊されたりと、首から上が無いものが多いのです。

 

ちなみにこの本殿内にはシヴァ伸に奉納されたリンガとヨニがセットで置いてあったそうですが、今は博物館に移されているそうです。

 

 

 

ワットプーは、2001年にユネスコの世界遺産に登録されています。ワットプーが最初に建てられたのは5世紀後半、このあたりの街が王都だったころ。はじめはシヴァ神を祀ったヒンドゥー教寺院として創られましたが、11世紀、カンボジアでジャヤヴァルマン4世が「コ・ケー」遺跡群のプラサット・トムを創建していたころに建て直され、クメール王朝が滅んだあとこの寺院はラオ族に引き渡されました。今は上座部仏教の寺院として機能しています。 

 

仏像にしてもレリーフにしても、修復の手があまり入っていないように見受けられましたが、それでもかなり保存状態が良いように感じられました。

 

 

雨期に来てよかった!と言いましたが、きっと乾季は乾季で違った美しさがあるに違いない。高所恐怖症には辛い帰り道でしたが、また来ることにしましょう。ありがとうワットプー。

 

 

さて、今日は初日ということで、ワットプーから市内へ戻る途中のホテルにお泊りです。ワットプーからここに到着するまでの間に某ホテル予約サイトから予約したので、当日料金でめちゃめちゃお得に泊まることができました!

 

 

客室棟は上下で別の部屋になっていて、メコン川沿いにずらりと並んでいるので、どの部屋からもメコン川を一望できます。

 

 

全面ガラス張りの部屋から、こーんな雄大な景色を眺めて、ゆったりとした時間を過ごしました。 

8月11日

 

ホテルのバイキングを楽しんだあとは、ホテルに荷物を預けてレンタサイクルで田舎の景色を堪能。

 

 

汗だくでたどり着いたのは「チャンパサックwith love」という素敵な名前のカフェ。

 

 

 

 

ここでもメコンビューを楽しみながら、お茶して、スイーツ食べて、ポテト食べて・・・。

 

食べすぎ?いやいや、自転車漕いだから0kcalです!

 

 

おじゃましました。

 

 

パクセ―の街に戻って、街歩き。この感じ、プノンペンなんだよなあ・・・。

 

 

そしてここで、おやつタイム。美味しいアイスコーヒーとパウンドケーキ。幸せだー。

 

 

夕飯は、隊員おすすめのイタリアンで。

 

 

 

 

 

チーズとサラミの盛り合わせがとにかく最高でした。ラビオリもペンネもピザも、もちろん美味。現地語で「ピッザァー」と書かれた看板がうちの近所にひとつだけありますが、カオピヤック食べてる人しか見た事がありません。やはりパクセ―、大都会です。経済特区がある場所は違うなァ・・・。

 

というわけで、後半に続きます!

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『Made in Laos 2019』に行ってきました

さばいでぃー!

こんにちは、ラオスのラオ子です。

 

「●●さんは元気にしてるの?」と、以前出張に同行してもらった同期についてカウンターパートが訪ねてきました。「楽しそうにカメムシ捕まえて食べてたよ、ホラ」と写真を見せると、「美味しそうね~!!ラオ子は食べたことある??ないなら、今度カメムシ持ってきて皆で食べましょうね!」と。

 

私、食虫は全然抵抗ありませんが、カメムシは素揚げがいい。ヂェオ(すりつぶしたペースト)は、無理かも・・・。「日本ではこの虫のこと『ヘコキ虫』とも言って、良い匂いじゃなくて臭く感じるんだよ~。だからジェオじゃなくて揚げカメムシでよろしく!」と言うと、「ラオスにも『ヘコキ虫』っていう名前の虫居るけど、別の種類だしめっちゃ危ないから絶対食べないよ」と上司。

 

調べても何も出てこないので、「臭い虫」で画像検索をかけて「この中に居る?」と聞いてみると、居ました居ました。ほんま便利な世の中やな。

 

どうやら『ゴミムシ』という虫のことをラオスではແມງ(虫)ຕົດ(おなら)というんだそうです。日本でもへっぴり虫って言ってたかな、そういえば。

 

この虫、見た事あっても特に気にとめたことは無かったのですが、どうやらカエルに丸飲みされたときに有毒かつ100度以上の高温のガスを噴射することで吐き出させて生き延びることができるというなかなか危ない虫らしく、いろんな虫を普通の食糧として考えているラオスの人も絶対に食べないみたい。いろんな虫を食べるけど、あらゆる虫を食べるわけではないんだな。奥が深い。

 

この虫の出すおならは「ກິ່ນ(臭い)」で、カメムシは「ຫອມ(いい香り)」、本当にわけがわからんな。ラオスおもしろーい!

 

 

そんな私は、日曜日にこの記事を書きながら、鈴鹿サーキットで行われた『鈴鹿8耐』という、読んで字のごとく8時間走り続けるバイクレースに夢中になっておりました。最後の数分で起きたトラブルの数々と、それによって1位独走だったKawasakiがリタイア扱いになるという暫定結果に微塵も納得がいかず、Instaのストーリーに恐ろしい量の殴り書きを投稿し、現地や中継でレースを見ていた兄妹、某バイク会社に勤める友人、南アに居るシニアボランティア隊員さんに悔しさをぶつけ、悶々。結局、翌日の公式の発表で暫定結果が覆ってKawasakiが一位になりましたが、・・・来年は頼むで!

 

その翌日の月曜日、なんとか2号計画書を出し終え、これからは自分の任地での活動と並行して次のイベントに向けて動き出します。ラオスはコミュニティ開発・デザイン隊員6名(+8月後半に任地に配属される新隊員2名)の大所帯で動くイベントが年に何回かあるので、8月は主にそちらのイベント準備をメインに活動することになるワケです。配属先の巻き込み方がわからないまま半年過ぎてしまってこのままだと完全に「何やってるか分からん人」になるので、Facebookでいっぱい繋がって活動のこと書いていくとか、ワツァップで課のグループ作って活動写真送りつけていくとか、ラオ人向け情報発信もがんばるぞー。

 

Made in Laos 2019

 

ラオスの食品や手工芸に関わる活動をしていくにあたって、情報収集というのはとても大切です。しかし、インターネットから得られる情報はあまりに少なく、何か調べたいことがあればFacebookで血眼になって探す日々。ですので、任地に居ても入ってこない商品がぎゅっと詰まっているエキシビジョンやイベントはとっても貴重な機会。

 

7月最初の総会の時は、たまたまビエンチャンカレッジという大学で行われたイベントに参加しました。このイベントでは、若いクリエイターさんやNGO・NPOが運営するクラフトショップの商品、クラフトビール、そして美味しいチーズの盛り合わせなどが並んでいました(後半関係ないけど幸せでしたありがとうございました)。

 

今回行ったのは『Made in Laos 2019』。首都ビエンチャンですと、こういった大きい展示会は「ITECC」という商業施設で開催されます。ラオス各地の布、手工芸品、食品、医薬品などを一度に見ることができます。生産者さんのFacebookでこのイベントのことを知って、行きたいと思っていたところ、ちょうど新規隊員さんの歓迎会と日が重なっていました!!ラッキー!!上京だ上京だ~~~!!!

 

自分の任地の商品に足りないものは何か、ラオス国内の企業がどのレベルのものを生産できているか、どの地方にどんな特産物があるか、どんなパッケージングを使っているかなど、色んなことを考えながらMR。MRという名の、お買い物。

 

 

こんな風に生産者さんがブースを出しています。

 

24日の生産者視察の後上京して、25日に先輩隊員と一緒にITECCへ。張り切って10時前に着いたら「10時までは入れないよ!」と。そして律義に10時まで待って入ってみると、中のブースは1/3ほどしか開いていませんでした。そういうとこや!!好きやラオス!!!!!

 

職種は全く違う先輩なのですが、ラオスのこと、布のこと、たくさん教えてもらえて、一人で行くより断然収穫が多い見学になりました。「この縦のラインに南部を感じるんだよなぁ・・」は名言だと思います。ありがとうございました!

 

そしてその日の晩イベントの事を話したら、たまたま上京していた同期が行ってみたいと言ってくれたので、翌日26日ももう1度行くことに。前日先輩に教えてもらったことをあたかも自分で勉強したかのようにドヤ顔で話しながらお買い物。

 

二日間でかなり使いましたが、「これは自己投資だ。他県の良い商品を購入して、自分自身で試して、活動に活かしていくんだ。」と言い聞かせました。

 

そんなわけで、ITECCで出会ったいくつかの商品をご紹介します。

 

 

こちら、私の配属先のビエンチャン県は『ケオウドム』という村のODOP商品生産者グループのブース。マルベリー(桑)の実を使った、ワインやシロップ、桑の葉のお茶などを生産しています。

 

写真左の小さいペットボトルがマルベリーのエキスなのですが、これ、ソーダで割って飲むと本当に美味しいんです!!

 

 

フルーツビネガーを想像していただくと味が分かり易いかと思いますが、そのまま原液で飲むと結構つーーーんとすっぱい!酸味に負けないぐらい甘みも強いので、私はマルベリーエキス薄めで、ライムをたっぷり絞ってソーダウォーターで割って飲むのが好きです。ライムのビタミンやクエン酸もたっぷり摂れて疲労回復!うだるような暑さの日にぐびぐび飲みたくなる味です。

 

マルベリーといえば、カリウムやビタミンCがとっても豊富です。この国の食べ物、基本的に味付けがとっても濃いので、カリウムたっぷりのマルベリーはとてもありがたい存在。亜鉛や鉄、抗酸化作用のあるポリフェノールも含まれていて、更にはアミノ酸組成のバランスも良いので、特に女性に嬉しい果物なんですよね。

 

桑の葉は、日本でも中国でも漢方として重宝されてきた生薬でもあります。日本薬局方(厚生労働省が、医薬品の品質や薬効を適正に確保するために定めた規格、基準)によると、日本では桑の根の部分の表皮を剥いだものが「桑白皮」という漢方薬として流通しているようで、抗菌作用が認められています。そのほかの実、枝、幹などは健康食品として売られているようです。血糖値や血圧を下げる効果もあり、生活習慣病の予防やダイエットの補助にもなるとのこと。

 

今度伝統療法士のおばあちゃんが事務所に来たらラオスではどういう風に処方されてるのか聞いてみよう。

 

 

 

他にも、値段を聞くことすら躊躇う『フアパン県サムヌア地方』のパービヤンやシンに大興奮したり(任地での1か月の生活費が余裕で飛びます)、

 

 

水道菅で作られた、民族楽器を吹く置物に愛着が涌いてみたり、

 

 

タイル―族のケミカルな織物に心奪われたり(何で買わなかったんだろう・・・)。

 

 

ラオスの南部はコーヒー栽培、北部ではお茶の栽培も盛んで、ボラベン高原のコーヒーやポンサリーのお茶なども並んでいました。

 

 

 

やってしまったのがここ。シンがたくさん並んでいるなかに、私の任地では見かけない可愛い模様を見つけてしまい、斜め前のポンサリーのお茶やさんのお母さんが「ええやんええやん!!」とちゃちゃを入れにきて、

 

 

えええ・・・・可愛い・・・・となった結果、

 

 

迷いに迷って1日目に1枚買って、

 

 

2日目におかわりしちゃいました(笑)結局どっちも買うんかーい。

  

なんてったってこれ、1枚2000円以下。裏地はもともとついているので、お仕立ては2着で900円ぐらいでした。いつも大家さんの親戚の仕立て屋さんに頼むのですが、最近とても安くしてくれます。でもものすごく丁寧に、そしてすぐに仕上げてくれるんです。ありがたい!

 

買った生地はせっかくなので、

 

 

 

1枚はシンに、

 

 

もう1枚はスカートにしました。

 

ちゃんと一番きれいなところがセンターに来るようにどちらも調節されています。お母さん・・・天才か?

 

 

ドミトリーに先輩が置いていってくださった藍染の絣布のスカートを持っていって、「これと同じ感じで、でも柄が切れないように長めに仕立てて!」とお願いしたのですが、言い忘れてたスリットを勝手に入れてくれるあたり、本当に天才か???

 

藍染のスカート、サイズはぴったりなんですが、大股の私には少し歩きにくかったので、スリットが入ってちょうどよくなりました(笑)

 

職場の同僚に聞いてみると、シェンクワンの低地ラオ族のものということには間違いなさそうなのですが、「ລາວພວນ族」「ໄທແດງ族」のどちらかだそうで、何族のものかは特定できずじまいでした。知ってる方、教えてください!どっちにせよ可愛すぎるわ。ベッドに広げて、一人でにんまり。幸せだー!

 

 

で、視察はと言いますと、いつも任地でお世話になってる生産者さんにも挨拶に行けたし、食品のパッケージングの参考になる会社も見つかったし、色々な県の布を使って商品を作っているラオス人のデザイナーさんにも出会えたし、なかなか収穫多き時間になりました。反省点があるとしたら、今度からはもう少し財布のお金を抜いていこうと思いました・・・。

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ラオスの酵母菌と遊ぶ日々。

サバイディー!

こんにちは、ラオスのラオ子です。途上国ごはんシリーズということで、ラオスでもできた「天然酵母でパン作り」について。

 

もしオーブンがあれば、クープがパカッと開いて、エッジの立ったクープがガバッと開いて、クラストはバリバリ、クラムはじゅわじゅわの理想のパンが焼けるように練習したいところですが、しっかり温度を上げるのは、オーブンが無いとなかなか難しい。

 

 

簡易オーブンを作ってやろうと思って、アルミ鍋の中に網を敷いて空焚きしてみたのですが、1回スイートポテトを作ったら鍋の底に穴があきました。ワロタ。

 

うまくできたら首都で皆で食べるつもりだったのですが、火加減が難しくて、焦げました。ワロタ・・・。

 

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これらはカンボジアで作ってたものなんですけど、こういう「ふわふわの白パン」とか「甘さ控えめのお菓子」とか、やっぱりこっちで食べられないものが食べたくなるんですよね。オーブン、カンボジアで預かってもらってるやつ持ってこようかな・・・。パン、ケーキ、焼きたいなあ・・・。

 

天然酵母を起こしてみた

オーブン問題は現時点ではどうしようもないので、ひとまず今あるもので作れる「パンケーキ」にチャレンジすることに。

 

 

といっても、天然酵母づくりってめんどくさくもなければ難しくもありません。たまに構って放っておくだけで大丈夫なんです。

 

用意するのは、煮沸できるビン、水、はちみつ、紅茶のみ。紅茶についた酵母に水(家)とはちみつ(餌)を与えれば、あとは勝手に増えてくれます。

 

まずはビンを煮沸消毒します。・・・が、そんなに長く継ぐつもり無かったし、開けたての炭酸水の瓶だったので、そこまでしっかり消毒せず使っちゃいました。シンクの中で溢れるまで熱湯注いで5分放置しただけ。

 

 

瓶を冷ましてから、水200ml、茶葉5g、はちみつ10gを入れて、20~30度ぐらいの室温で放置すると、酵母菌にもよりますが2日~3日ほどでこんな風にぶくぶくと泡が出てきます。

 

ポイントは、他の雑菌が湧きやすくなるのであまり高温になるところに放置しない事と、1日1回はビンの蓋やラップを外してふりふりして、空気を入れ替えてあげること。

 

今回は首都のカフェで買った国内産のお茶でやってみましたが、キッチンの気温の高さも手伝ってか2日目にはぶっくぶくになりました。かわいい。

 

3日目には茶葉が浮いて、紅茶リキュールみたいな匂いになってきました。これでもう酵母として使えます。これが「元種」という状態。

 

天然酵母の元種でパンケーキを焼いてみた

強力粉、薄力粉、砂糖、塩に、水、牛乳、卵、酵母液を混ぜたものを加え、なめらかになるまでひたすら混ぜます。最後にオリーブオイルを入れて艶を出して、室温放置

 

 

これが混ぜ終わった直後の生地です。

 

 

そして室温で6時間後。ちょっとお鍋を傾けると、しゅわしゅわと音がします。この気泡を見ても、元気に発酵したのがよく分かりますね。

 

え、卵と牛乳入れて6時間も室温放置すんの・・・?って最初に作ったときは思ったのですが、今のところあたったことはありません。ふしぎ。

 

 

泡をつぶさないようにやさしくすくって、フライパンで焼いていきます。ほんのり紅茶っぽい香りが漂います。

 

 

 

はい、できました!

 

 

メレンゲやベーキングパウダーに比べると高さは出ませんが、中央部分は結構ぷくっと膨らみます。

 

ふわふわ、というよりは、もちっ!じゅわっ!という感じの食感で、砂糖を少なくするとスクランブルエッグやベーコンに合わても美味なクランペット風になります。(全く無くしてしまうと、酵母君が増えるための餌がなくなってしまうので、多少の甘さは必要です。)

 

紅茶酵母の困るところは、紅茶の色自体の色が濃いので、白パンのように焼き色をつけないパンを焼いたりすると色が変になるところと、紅茶の風味、苦味がガツンと出てしまうところ。ずっと水に漬けてあった茶葉からエグみが出るのですが、パンケーキにするとそれがしっかり感じられます。対策としては、シナモンやココアパウダー、ドライフルーツなど、何か香りや味のするものを混ぜ込むといいのかもしれません。で、さっそく思いついてシナモンりんごジャムを作ってみたのですが、一緒に食べたら非常に美味でした。あざっす。

 

天然酵母の中種を起こしてみた

 

元種はどれだけ世話をしても2週間ぐらいで痛みます。ダメになってしまう前に、中種の状態にして冷凍することにしました。

 

といっても、清潔な容器の中で、強力粉と元種を1:1で混ぜるだけ。

 

 

これが混ぜ終わりの様子です。

 

 

夜に1回目を行い、朝まで室温放置して冷蔵庫へ。翌日の夜、これぐらい発酵していました。そして、また同量の強力粉と元種を加えて、室温で一晩発酵させます。

 

 

これが翌朝、二巡目を終えたところ。また冷蔵庫にしまって、夜になったら強力粉と元種を1:1で加えて朝まで室温で発酵させます。元気が無いと感じたら適宜はちみつを少量加えてあげると復活します。同じように3巡目の発酵を終わらせ、いつでもパンケーキを焼ける状態に!!

 

・・・といっても、このまま冷蔵庫に入れておいたら低温発酵がすすんでしまい、中種が傷みます。中種はそのまま冷凍ができると知り、使わない分はそのまま冷凍庫で眠ってもらうことに。

 

天然酵母の中種でパンケーキを焼いてみた

元種で作ったときと比較できるように、ほぼほぼ同じ分量になるようにして中種で発酵させたパンケーキを焼いてみました。

 

 

元種で作った生地よりも短い発酵時間で、ぶっくぶくになりました。これはすごい。か・・・可愛い・・・💛

 

 

焼き上がり。元種で作ったものよりもふわふわ、ふかふかです。

 

 

 

そして焼き上がりはこんな感じ。焼成中のふくらみ方が元種酵母パンケーキよりも強く、高さが出たような気がします。

 

天然酵母の冷凍中種でパンケーキを焼いてみたかった

つぎに、冷凍中種子でパンケーキを焼いてみます。一度冷凍すると酵母の発酵力が弱まるらしいので、「かけ継ぎ」を行いました。はちみつと水、強力粉を加えて、もう1度酵母菌を増やしてあげるのが、かけ継ぎです。中種をかけ継ぐことで、中種の中に住んでいる酵母くんを増やし、元種(酵母液)がなくてもパンを焼き続けることができるらしいです。なんてこった。酵母、可愛すぎか!!!!!!

 

・・・ って思ったいう感じで上手くいく予定でした!

 

ところがどっこい、半日経っても1日経っても酵母くん元気にならず。

 

煮沸消毒してないプラ容器を使ったために他の雑菌が多く繁殖してしまい、酵母くんの力が弱まったんでしょうか。それとも、酵母自体の力が弱いと、かけ継ぎする時に多少元種を入れなければ増えてくれないのか、うーん。なんだろか。

 

トライ&エラーの精神でまたやってみたいと思います。むーなーの(いつかね。)

 

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「おやき」は良いぞ。

さばいでぃー!

こんにちは、ラオスのラオ子です。視察の生地を一通り書き終えたので、今日は活動と関係ないマイブームを(笑)

 

SNSにアップしてたら「レシピ教えて~!」と何人かから言ってもらえたので、調子にのって世界一適当なおやきの作り方をご紹介したいと思います。

 

おやきってなんぞ。

ところで「おやき」ってご存知ですか。

 

おやきは、長野のソウルフード。小麦粉やそば粉で作った生地に、野沢菜やネギ味噌、きんぴらをはじめ、食べんでも分かる美味しいやつを「これでもか!」と包んだのが、そう、おやきです。

 

 

これを食べるためだけに長野に通いたいぐらい、おやきが大好きです。サービスエリアでも、草餅をぺたんこにして焼いたおやきを見つけたら必ずといっていいほど食べます。大学生のころは、京都の美山の道の駅に行って、具がみちみちに詰まったずっしりおやきと、美山の美味しい牛乳で休憩するのが至高でした。

 

おやき、美味しいです。食べたいです。ラオスでも、食べたいです。というわけで、作ります・・・!!

 

私の任地は電力がめちゃめちゃ安定しているので、大量につくって冷蔵庫で保存ができます。本当にありがたい。そうでない人はあんまりたくさん作ると食べるのが大変かもしれませんが、是非一度試してみてほしいです。

 

レンジでチンしてからフライパンかトースターで軽くあぶったら、それだけで朝食にも、おやつにも。おやきのポテンシャルの高さ、はんぱねえ。

 

おやきの作り方

まずは餡づくり

先に餡を作るのは、作ったあとに大きいフライパンやバットなどに広げて冷ますためです。扇風機をがーーーっとあてて水分を飛ばしてから冷蔵庫で冷やすと、餡が固くなるので、量が多くても包みやすくなります。

 

この作業を先にやってしまいましょう。

 

おやきの餡12個分=800gぐらいのなにか

 

具はこれでないといけない!!というのは特にありません。具の「できあがりの量」がだいたい生地と同じ(もしくは、うまく包める人は1.5~2倍)ぐらいだとどちらかが余ることなくうまく包めます。

 

いつも目分量で適当にやってしまいますが、だいたい皮50gに対して具70~90gぐらいでやっているような気がします。(具のやわらかさによる)

 

この日作ったのは、茄子とえのきを少量の塩で馴染ませて水分を出しやすくしてから油で炒め、ラオガンマと味噌で味付けしたもの。

 

 

いま家には4ガンマ(4種類のラオガンマ)あるのですが、肉みそっぽいのでやるとめちゃめちゃ良い感じでした。

 

 

どんな具にするにしても、ポイントは、しっかり水分を飛ばすことです。具は多少ごろごろしていても大丈夫。

 

ナス(30センチぐらいの長いやつ)1.5本、えのき1袋をたっぷり炒めて、800gぐらいの餡になりました。

 

他には、玉ねぎ3個、豚肉300gに、「つけてみそかけてみそ」で味付けしたものも美味しかったです。

 

多分、そのまま食べて美味しいものは包んでもだいたい美味しいので(笑)、野菜たっぷり炒めて適当に味付けして大丈夫です。

 

バットにうつすときに出来上がりの重さを量ってあげると、それに合わせて生地の量を調節できます。

生地は全部の重さを足せばいいので、餡の量に対しての割合を計算して量を変えればOK。だいたいで大丈夫です。

 

生地作り

そば粉や地粉が手に入るといいのですが、さすがにそういったものはなかなか手に入りません。一番買いやすい中力粉(All Purpose Flower)でやってみましょう。

 

といっても、混ぜるだけです。

中力粉450g、熱湯300g、砂糖大匙1、油大匙1、塩ひとつまみ、ぐらい。

 

粉によってまとまり方にばらつきがあるので、熱湯は100gぐらい調整用に残し、粉、砂糖、油、塩が入ったボウルに少しずつ入れながら菜箸でぐるぐる混ぜます。最初から全部入れてしまうと、ものによってはかなりベタつきます。

 

少し入れては混ぜ、を繰り返すと、最初はそぼろ状ですが、途中で一塊になってきます。そうしたら手で捏ね、底に残っている粉も全部まとめていきます。

 

粉っぽくてまとまらなかったら、残りの熱湯も少しずつ加えます。耳たぶぐらいの固さになればOK。べたつくと使いにくいので控えめにしましょう。

 

だいたいまとまったら手で3分ぐらいしっかり捏ねて、薄く油を塗った器に入れてラップでふわっと包み、30分ぐらい常温で寝かせます。

 

 

こっちはイーストを加えたバージョン。

上のイースト無しのレシピは「もっちり」とした生地ですが、イーストを入れるとふわふわ感も楽しめます。過発酵してしまうと美味しくなくなるので、上のレシピで何度か作って、手際が良くなってからチャレンジすると良いかもしれません。

 

中力粉400g、ドライイースト3g、砂糖大匙1.5、塩ひとつまみ、油大匙1を混ぜたボウルに、水260ccを少しずつ加えながら混ぜていきます。

 

こちらも上のレシピ同様、少し調整用に水を残してください。耳たぶぐらいの固さになるように調整します。ドライイーストを使う場合は、熱湯は絶対に使わないでください。イースト君が死んでしまいます。

 

2つ上の写真は実はイーストありのバージョン。30分ぐらい室温で発酵させると上の写真ぐらいまで膨らみます。だいたい1.5~2倍になるまで発酵させます。ちょっと休憩して、いったん台所を片付けて、次の準備をして・・・としているとあっという間。フィリングを包んで焼くまで発酵し続けるので、手際がよくないと最初と最後に包んだものの大きさや風味が変わります。不安な人は、包む前に半分ぐらいに切り分けて、冷蔵庫で保存して発酵を遅らせるとよいかもしれません。

 

 

餡の出来上がり量から何個ぐらいつくれるか計算して、生地を切り分け、くっつかないように打ち粉をします。

 

乾燥しないようにラップか濡れ布巾をかけておいて、一つずつ取り出して使うと扱いやすいです。乾燥してしまった面をいったん中に入れこんでくるくると丸めて綺麗な面を出してから広げ、餡を包みます。

 

イーストで作る場合、手のひらでくるくるすると空気が抜けてしぼんでいきますが、気にしなくて大丈夫です。むしろ、適度にガス抜きするために、手のひらでまな板などに軽く押し付けて全体的にガス抜きしたほうが、もさもさしない美味しい生地になります。

 

餡はきっちり分けなくても、スプーンで何回かすくって重さを量って”感じ”をつかんだら何とかなります。包むのが苦手な人は、あらかじめ丸めて冷凍しておくとかなり包みやすくなりますよ。

 

この写真は、50g前後のイーストありの生地に70g前後のフィリングを包んだ様子。

 

生地は、打ち粉をして手にくっつかないようにしてから、中央を厚めに、端の方を薄く延ばします。お椀を逆に持つように両手の形をつくって、生地の真ん中を指の先で押し上げて親指で生地のまわりを薄くしていきます。こうすると、平らに伸ばすよりも餡を包みやすくなります。

 

手のひらより一回り大きいぐらいの大きさに、おわん型に広げたら、中央に生地をのせ、スプーンでぐっと押し付けてからまわりの生地を引っ張ります。親指で餡を抑えながら対角同士をひっぱってきて真ん中で摘まむと、量が多くてもうまくいきます。

 

www.youtube.com

 

私は、これを目指してます。簡単そうにやってますが、こんなにうまく包めません。本当に憧れる・・・。

 

うちのフライパンは3個までしか乗らないので、全部包んでから焼いていると過発酵になってしまいます。3個作ってはせっせと焼いて、同時進行で作業をすすめます。

 

焼くときは薄く油をひいて、皮をつまんだ面を下にして焼いていきます。破裂しないように気を付けながら、上からぎゅっと抑えて焼き目が広くなるようにすると香ばしくて美味しく仕上がります。

 

蓋をしてしばらく弱~中火で茶色く焼き目がついたら、ひっくり返してまたぎゅっと抑えてあげます。

 

フライパンで蒸し焼きにする場合は、この状態でフライパンに1㎝ぐらい水を入れて蓋をし、そのまま中火で蒸し焼きにしていき、水分がなくなればOK。

 

ラオスの家庭の3種の神器(?)のひとつ「赤鍋」があるので、私はこちらを使って蒸しました。

 

 

フライパンで蒸すところまでやると、焼くたびに毎回洗わないとコゲがついて見た目が汚いので、6ついっぺんに蒸せる赤鍋はかなり重宝します・・・。

 

綺麗な面を上にして、だいたい20分ぐらいしっかり蒸しました。

 

 

というわけで、出来たおやきはこんな感じ。

冷凍保存する分は、あつあつのうちにラップに包んで粗熱をとり、ジップロックにまとめて冷凍庫に入れます。

 

できあがり!

 

皮が余ったら、そのまま平べったくして焼いてナンみたいにすれば、主食になります。

具が余ったら、そのままご飯にのっけて食べます。

どっちが余っても困らないので、分量は適当で大丈夫!

 

とにかく、1度仕込んだらしばらくは食べるものに困らないうえに、これひとつで主食もおかずも完結してなおかつ野菜もたっぷり摂れるところが本当に優秀!

 

 

これは、さつま芋+牛乳+バター+はちみつ+シナモン。デザート系おやきです。カボチャの餡を包んでも美味しいですね。(こっちにはホクホクしたカボチャは売ってないけど。。。)

 

 

菜の花とぶなしめじを、八方汁と顆粒出汁で味付けして、七味をたっぷり入れて風味付けしたもの。いやあ、ここで野沢菜漬けのおやきに近いものが食べられるなんて本当に最高・・・。菜の花一束40円しないぐらいのもので、こんなにたくさんの餡が作れます。

 

こちらで売られているのは茎が立派な菜の花なので、葉の部分は千切りに、茎の部分は細かく切り刻んで先にレンジで柔らかくしてから、ごま油で炒めてみました。ザルにあげるかぎゅーっと絞って、水気を抜き、だんご状にしておくと扱いやすいです。

 

 

え、もう、完全に自画自賛ですけど、売り物みたいじゃないですか?(調子のった)

 

 

 

これは、玉ねぎ、ジャガイモと、冷凍していたキーマカレーをあわせて、カレー粉、コリアンダー、クミンで味付けしたもの。腹もちがいいので主食がわりに食べてます。

玉ねぎとジャガイモは薄切りにしてふんわりラップで柔らかくなるまでチン。そのあとお鍋に移して、さいばし4本ぐらいでぐりぐり混ぜたら、だいたいこんな感じに粗めのマッシュポテトになります。

 

こういう固めの生地も菜の花同様、一つ分ずつに分けて丸めておくと包みやすいですよ。

 

おやき最高だ~💛

 

 

餡を作る日と、包んで焼く日を分けたら、3種類32個もできちゃいました。(笑)だんだん成型うまくなってて自分で笑ってしまう。職場でおすそ分けしたら喜んでもらえるかな~。

 

その日市場で手に入ったもので、たっぷり作って冷凍保存。レパートリー無限大で優秀すぎる長野のお焼き、是非途上国各地でもいろんな餡でお試しください。

 

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これで紹介されてる、べったべたの生地で包むおやきが作れるようになりたい・・・!!!!

 

 

豚肉やさんのミンサーが直ったら今度は551を目指して肉まんを極めます!

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視察②その4 ビエンカム周辺の生産者さんグループをめぐる

さばいでぃー!

さてさて、4日間の視察レポート最終回です。

 

5月28日

 

5月29日

 

5月29日ー5月30日

 

あちこち訪れてビエンチャン県のシン生産グループを見学する、なかなかハードなスケジュール。今日は30日の「バンビエンからビエンカム(任地)へ」、そして31日のPonhong郡の視察の様子を書いていきたいと思います。

 

 

5月30日 バンビエン市場

前回の記事に書いた「もりもりてんこもりバーガー」を食べた後、私たちはバンビエン郡の産業商業局へと向かい、局長と少しお話させていただきました。

 

そしてバンビエンで一番大きな市場に行き、ハンディクラフト製品やお土産の流通状況を調査。

 

こちらは「モン族」という山岳民族の刺繍です。(下の生地は機械織り)クロスステッチがあまりに細かくて「プリントしてあるんじゃないの?」と思ってしまいますが、全部手仕事です。

 

モン族の人たちの衣装も見つけました。綺麗な細工がついた帽子。この細工もどこかで手作りしているところがあるのかな。

 

 

この派手派手な帽子のクロスステッチも全部手縫い。もう、果てしないわ。本当に、すごいわ。

 

観光の中心部から若干外れるため、お土産物が置いてあるような雰囲気はなく、外国人観光客も見当たりませんでした。(午前中だから余計かもしれませんが)観光局にも話を聞いてみたいなあ。

 

帰り道に立ち寄った”魚の村”

ここはバンビエンとビエンカムの間にある「Taheua(タフア)」という村。大きなODOP商品生産グループがあり、この軒を連ねている店の殆どがODOP認証取得済みです。

 

ODOP商品としては、パデーク(魚醤のような、みそのようなもの)、ソムパー(魚のすっぱいハム)、干し魚や燻製、小魚を揚げたおやつなど、合計7種類が認証を受けています。

 

どのお店も同じように、干し魚・燻製が吊られ、発酵食品がテーブルに並んでいます。

 

「ジェオ」と呼ばれる調味料もたくさん種類がありました。ジェオは「辛み調味料」全般を指し、地域や家庭でそれぞれ色んな味があります。

 

タフアで見学させてもらって、このジャンルの食品に「外国人」が関わるのは、とても難しいと感じました。例えばこのソムパー、外国人向けにお土産にしてほしいと言われても、このままの状態では売ること自体が結構難しい。

 

現地の人向けに、といっても、例えば資材にお金をかけて見た目を綺麗にするにはコストがかかりますし、その「見た目」にコストがかかったものを、普段の食事として食べるラオスの人たちが選ぶのかどうか、と考えてしまいました。

 

食品、医薬品関係が多いビエンチャン県のODOP商品。バナナチップスやポテトチップスなどお土産にしやすいものもある一方で、本当に守っていきたい地域の味をODOP商品として出していくのはかなり難易度が高そうです。

 

この日はお昼すぎに私の家に着き、ほっと一息。往復500キロ弱の長旅は無事終了、翌日の近隣郡視察に向けて情報整理と、体力回復です。忘れないうちに、報告書も書き始めます。なんせたくさん回ったので、このテンションのまま書かないと中身が飛んでいきそう(笑)

 

5月31日 ポンホーン郡の生産者2グループをめぐる

まず初めに回ったのはチェンサワン村のシン生産グループ。約2800人の村人のうち160人がODOP認証を受けた織り手さんです。

 

こちらは3色とも自然の色。下から順に、藍、ラック、そして黄色いのは何かの木だと仰っていましたが、失念・・・。

ちょうど絣を織っている最中で、見せていただくことができました。

 

でました、手織りの絣です。この自然な艶感と柄、どれも手に取ると欲しくなってしまうものばかり。だめだだめだ。抑えろ抑えろ。

 

パービヤン(正装のときに身に付けるスカーフのようなもの)もこんなに鮮やか。金糸はどの村も輸入に頼っており、色は自然染めのものもあればきれいな色を出すために化学薬品をつかったものもあるそうです。

 

チェンサワン村では、村長さんとその奥様(シン生産グループを束ねている)、生産者さんなどたくさんのに招いていただいて、昼食をごちそうになりました。ラープもタケノコスープもポディー(丁度いい)な味加減で、もち米を蒸した主食「カオニャオ」がすすんですすんで・・・。ほんとにあぶない。

 

午後にお邪魔したチョンマニー村の生産グループは、「生産グループ」というよりもう、立派な立派な「会社」でした。織り場の中に所狭しと並べられた機織り機で織り上げられていくのは、金糸・銀糸をふんだんに使った、見たことも無いような美しい布ばかり。

 

織りの模様は今まで見た中で一番細かく、伝統衣装一式のセット(スカート、裾布、パービヤン、襟布)あわせて20万円を超えるものもあるんだそうです。それで買い手がつくほどの立派な会社、そして商品のクオリティ。すばらしいというか、すさまじいというか、とにかく普段見れない貴重なものを見せていただけました。視察というより、社会科見学でした。(笑)

 

ポンミー村の生産グループにもご挨拶

チョンマニーからの帰り、私はすでに何度か足を運んでいるポンミー村にも立ち寄りました。

 

いつお邪魔しても温かく迎えてくださるオーナーさんと、織り手さんたち。

 

私の配属先からも数キロで行けるところなので、活動先としては一番現実的。これから、モノづくりを楽しんでいけたらいいなー。

 

そしてこの日も、早めに夕食を終え、私は報告書や自分用のメモ、ブログの作成、そして同期隊員は商品作りで使うパーツをひたすら調べまくる、という有意義な時間を過ごしました。

 

まとめ:視察は同じ職種の人に同行してもらうの最高

そんなわけで、私たちの長い長い4日間の視察行脚、無事終了いたしました。その中で感じたのが、今後も視察はできれば同じような職種の人に同行してもらうのが良いということ。県や配属先は違っても、共通の課題や異なるバックグラウンドを持つJOCVの仲間に一緒に来てもらうことで、1回の視察で入ってくる情報量が2倍にも3倍にもなります。自分ひとりで訪問させてもらった第1回の視察よりも、圧倒的に有意義な時間でした。

 

 

今回同行願ったのは首都のホアイホンセンターに配属されている「デザイン」の職種の隊員ですが、私には無い視点からのフィードバックをこれでもかとくれました。

 

それに、レンタカー代や宿泊費も、1人増えたところで変わらないわけですし、そうであれば一緒に行かないと損だな、とも。

 

何より、自分は局の人や現地の人とのやりとりや調査票、撮影などのデータ集めに時間をつかってしまい、いっぱいいっぱいになる中、しっかりじっくり視察して情報を集め、アイデア出ししてもらえる存在が居るのは本当にありがたかったです。

 

遠いところありがとう!

 

そして翌日、小休憩 

その翌日の土曜日。隣の郡で活動している、唯一の同じ県の先輩隊員を尋ねました。同じナムグム川沿いですが私の任地よりも少し首都寄りで、乗り合いタクシーで行けば往復120円ぐらいで行けるところです。

 

こっちにきて何気に初めての「シンダート」をいただきました。空心菜、しそっぽい葉っぱ、名の知らぬハーブたちを鍋周辺の溝で茹でながら、真ん中の山になっている部分でお肉を焼いて食べるスタイルです。

 

カンボジアにも「カンボジアBBQ」と呼ばれる全く同じような食べ方の鍋料理がありますが、卵に絡めた肉をバターで焼いて食べてたイメージがあって、ラオスのシンダートのほうが「鍋」っぽいかも。こりこりとした食感の乳腺の部分が大変美味しく、付け合わせの軟骨の唐揚げもお持ち帰りしたいぐらい美味しかったです(笑)

 

こんだけ食べてひとり500円ぐらい。コスパ良すぎる~!バンクン、良き~~~~!

 

・・・と、病み上がりのアメーバアラサーは、視察と遊びで満喫し尽くした1週間を乗り越え、この翌日の日曜日は午前中泥のように眠り、その後鬼のように報告書を書いたのでした。

 

おまけ

今回の出張で私の家に連れて帰ってきた布たちをご紹介します。

 

青のシンに合わせて欲しいと思っていたパービヤン(スカーフ)。肩に斜めに掛けて使います。こちら初日に訪れたNapho村のもの。

 

同じNapho村のシン。柄が入っている部分が裾布、その上の赤い布が撒きスカートです。こういう暖色系がとにかく好きです、大好物です。これで4000円弱ぐらい。手縫いのシルクが、4000円弱です・・・。なんてこと。

 

そしてこちらはChensavang村のシン。普段履き用に。

 

日本に帰ったら着れなくなるから、今のうちに着たいもの買っていっぱい着るんだ~~~!!

 

って思ったあとに、日本でもラフに着れるデザインのシンを使った服を作れたら最高だなって思ったので、ホアイホンの同期に無茶ぶりしてみたいと思います。よろしく~!

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視察②その3 東南アジア最後の桃源郷バンビエンへ

さばいでぃー!

こんにちは、ラオスのラオ子です。

 

 

今日はこの記事の続きです。内容的に書けることが少ないので写真ばっかりになってしまいますが、ぼーっとスクロールして旅気分をお楽しみください!

 

 

さよならMaed郡

緑の外壁、赤い屋根と、ビビットOFビビットなゲストハウスを去り、我々ビエンチャン県ODOP探検隊一同はこれよりバンビエンへ向かいます。

 

 

GPSがちゃんと働かなかったので地図を見れず、BanTamからノーン郡までどっちの道で行ったか覚えていませんが、どっちかは大外れ(相当すごいみたい)で、どっちかは外れ(マシ)だそうです。カシ郡、ノーン郡、バンビエン郡を縦につっきっている道まで戻れば舗装されていますが、そこまでは車のサスも自分のサスもガタガタになって壊れるのではあるまいかというほどよく揺れ、よく跳ねます。

 

バンビエンはMaed郡に来る途中素通りしたところなので、一度通ったはずなんですが、やっぱりこの雄大な自然にはカメラを向けずにはいられません。

 

この切り立った山々、中国4000年の歴史感ある。中国行ったこと無いけど。

 

ハロン湾の山々にも似てますね!ハロン湾も行ったことないけど。

 

途中、賊に何度も囲まれながら、前日の大雨でぬかるんだ未舗装の道を50km引き返します。

 

神様や仙人が生活していても何ら違和感の無い、この大自然。自然と、「うわぁ~~~・・・」と声が出てしまいます。言葉にはならない。

 

「コミュニティ開発っていうぐらいだから、こういう山岳民族みたいな人たちと製品作りやるんだと思ってたわ~」と、モン族の村を抜けながら同期と話していましたが、こんなにも生活の難易度爆上がりしたら生きるのに精いっぱいで2年終わるわ、という結論に至りました。「大自然」のレベルが、私の知っているものではなかった・・・。

 

ラオスは内戦・ベトナム戦争などの被害を受けた歴史があり、その時にばら撒かれた不発弾処理に今もたくさんの方が尽力されている国です。それはつまり、未だその被害が起きているということ。早く100%クリーンな土地に戻りますようにと願いたい気持ちは変わりませんが、この山々を見てしまうと、それがどれほど果てしなく先の話なのかということを実感せざるを得ません。ラオスは8割が山。GoogleEarthで航空写真をご覧ください。本当に、国全体が、綺麗な緑色。

 

バンビエン着!

3時間以上がたがたと揺られ続け、ようやくたどり着きました!こちらがバンビエンです。さてこれから、その観光スポットを満喫すべくまずはレンタサイクルでブルーラグーンへ・・・!

 

というのは、観光で来たときの楽しみに取っておきます。4時前に到着したときにはひとつもテントが無かったのですが、少し部屋で休憩して外に出たら、夕方にはこの賑わい。

 

東南アジアを旅行されたことがある方はなんとなく既視感があるかもしれませんが、量産されているようなものはだいたい近隣国から入ってきている印象です。なにせラオスは、タイ、中国、ベトナム、カンボジア、ミャンマーの5か国に囲まれた内陸国。タイ、中国、ベトナムのように大量生産の基盤が整った国から流れてくるお土産はカンボジアでもラオスでもだいたい同じようなものになるんでしょうか。

 

せっかく素敵な手工芸が伝統として色濃く残っているのに、なんたる機会損失。と思ってしまいますが、大量生産すれば原価は安い。そして生活のためには稼がねばならぬ。

 

とはいっても、もっと”ラオス”のものが人の手で世界中を旅する未来があってほしいなあ。

 

写真がなんとも微妙ですが、こちらのカバンはラオスで手作りされたものだそうです。鞄じゃなくて、物入れにして部屋に置いておきたい。

 

ビンテージのシンを取り扱う布屋さんにもお話を伺うことが出来ました。外国人観光客向けのお土産を開発するのであれば、こういうお店の人からの情報はかなり大切です。

 

こちらはフアパン県サムヌア地方から来られた女性のお店。”サムヌア”はシンの一大生産地で、「織りといえば京都の西陣!」というぐらいのブランド力がある場所です。(いつか行ってみたい・・・)奥の方にかかっているのがサムヌアの織りです。綺麗すぎて触るのもためらう。

 

 

・・・という感じで、バンビエンのお土産屋さん巡りを終えました。(他にも色々まわりましたが割愛します。)

 

任地のハンディクラフト製品にはおしみなく生活費を使い還元しようと心に決め、Napho村ではお気に入りの色のシンを1枚購入したのですが、ここバンビエンでは素敵なシンに出会えなかったため、かわりにポーチを大量買いしてきました。

 

あら、ゆる~い刺繍でかわいい。

 

とかいうレベルじゃない、視点の定まらないネズミとがたがたな英語、

 

「I AM FAMOUS MANGO BOXER」と書かれたコンセプト不明のもの、

 

いや、オレンジじゃなくて桃やん、とつっこみたくなるハッピーな桃など、

 

たくさんのコンセプト迷子なゆるすぎポーチに出会ってしまい、ついつい8個も買ってしまいました。(同期も5個買った)

 

そして、重度のカフェイン中毒な私は、出張でコーヒーが飲めずカフェイン欠乏で頭痛がとまらなかったため、そのまま近くの病院(カフェ)へ。

 

ここで出てきたのが、普通の倍ぐらいあるんではないかと思われる大きなマグカップ!!同期は途中でギブ、私も1杯飲み切ったころには胃がムカムカ。ここに来る前に食べたロッティー(パンケーキみたいなもの)が胃に入っていなかったら、あやうく胃薬のお世話になるところでした。

 

ホテルに戻ったのが夜10時ごろ、そこから順番にシャワーを浴びて翌日の準備をして、日付が変わるころにはベッドに入ったのですが、二人ともカフェインで交感神経が刺激されつくしてハイになっていたため、全く眠れず。

 

買った商品や、視察で撮った写真を見返しながら、これからどんな形にしていくかのデザイン画を各々描いて見せあっているうちに、気づけば夜中2時。そこからは、なんとな~く浅い眠りにつけたような・・・ような。

 

5月30日朝 雨上がりのバンビエン

朝6時に起きてカフェ活しよう!と言っていたのですが、カーテンの向こうで雨がガラスにたたきつける音がしたのでそのまま二度寝。6時半ごろから国家やラジオ?が仰々しく鳴り始め、雨も小降りになってきたので、少し街中を散歩することに。

 

 

雨でしっとり濡れた橋の下には、昨晩より少し増水したナムソング川。

 

層雲に囲まれた山々とゆっくり流れるナムソング川、そして観光地と思えぬ静けさ。この独特の雰囲気、・・・大好物です。

 

この日は、郡の産業商業局局長へのご挨拶、タフア郡の魚製品生産グループ視察、グループ長への挨拶など、帰り道でいくつかの予定が入っていました。

 

腹が減っては戦は出来ぬ!と、30,000KIP(400円程度)のハンバーガーを朝から胃に叩き込むことに。

 

いやぁ・・・多すぎた・・・。完食も出来ませんでした。コーヒーは、近くのカフェでお持ち帰りしたのですが、ラオス南部のボラベン高原産のアラビカ種だそうです。ハンバーガーがきつすぎてコーヒーを味わう余裕はありませんでした(笑)

 

卵にパテにベーコンに、盛りだくさんのハンバーガー。バンビエンを訪れたら、朝食に是非お試しください!

 

続く

次回(で、まとまるかな・・・?)、バンビエンから任地への道中の視察レポートと、その翌日に行った近隣郡の生産者レポートをお送りします。