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新婚旅行に行ってきました【ラオス編】

さばいでぃー!

みなさんこんにちは、ラオスのラオ子です。

前回の記事に引き続きまして、今日は新婚旅行ラオス編を書いていきたいと思います。

タイ編(済)
1月27日 夕方に日本発→28日夜中バンコク着
28日 アユタヤ観光
29日 メークロン市場観光
30日 バンコク市内観光、寝台特急でノーンカーイへ

ラオス編(この記事)
31日 朝6時ノーンカーイ着、鉄道でメコン川を渡りラオスへ
2月1日 ビエンチャン市内観光
2日 村で結婚式
3日 配属先やカウンターパートをまわりビエンチャンへ
4日 ラオス中国鉄道でルアンパバーンへ
5日 ルアンパバーン市内観光
6日 飛行機でハノイへ

ベトナム編(多分写真貼って終わる)
7日 ハノイ市内観光
8日 ハノイ市内観光、深夜便で日本へ
9日 朝に日本着

こんな感じでお届けしていく予定です。ラオスはJICA青年海外協力隊として活動した場所で、この3か国の中でも特別思い入れがあり、そして現地の人たちや現地で頑張っている隊員さんやOVたちと、濃い~~~時間を過ごしてきました。そんなところも書いていけたらと思います。

では、どうぞ!

ラオス1日目:陸路で入国、市内観光

前日の夜8時半ごろ、バンコクのクルンテープアピワット中央駅から寝台特急に乗りこみ、真っ白でシワのないシーツが敷かれたフルフラットの席に気持ちよく寝転がりました。発車後しばらくは、タイ撮影分のデータのバックアップを取って過ごそうと、久しぶりにPCを開きましたが、如何せん電波が悪くずっと3G。それでいてぶつぶつ切れてしまい、Lightroomもまともに使えなかっために、特にすることがなくなってしまいました。Spotifyも使えなくなるし、、、なんでもオンラインやクラウドで済ませるのも考え物ですね。

あー退屈だなあとスマホを触ろうにも電波がない。スマホに入っている書籍は読み飽きた。ギガめちゃめちゃ余ってるのにバックアップできひんの勿体ないなー…そういえば、タイ語の教科書、行きの飛行機以来1回も開かんかった…なあ….. なんて思っているうちに、いつしか眠りについていました。ありがたいことに、周りの乗客も静かだったため、蒸気でホットアイマスクを出すまでもなく爆睡です。

「Miss, 起きて」とやさしくカーテンを揺らされて起きると、まわりの乗客のフラットシートはすでに畳まれ、丸まったシーツと枕がそこらに転がっていました。

まだノンカイまでは時間がありそうだったので、眠い目を擦りながら最低限の化粧をして、最後のタイの景色を楽しみます。

約10時間の電車の旅は本当に快適でした。体が痛くなることもなく、トイレもわりかし綺麗なほうで、この値段でこのクオリティならケチのつけようがありません。ちなみにバンコクからノーンカーイまでは、寝台車の下のほうの席でひとり999B。1バーツは3.9円前後なので、タイバーツは4をかけたら日本円になります。

さて、ノーンカーイ到着後は、早朝の寒さに震えながらラオス側に渡る電車を待ちます。「7時にイミグレが開くからもう少しここで待っていなさい」と駅員さんが教えてくれました。しばらくすると、開いたのはラオスからのアライバル側のイミグレ。しかしそこに居るのはラオスに向かう人のみ。大切なのはパスポートにスタンプをもらう事だからね、どっちのカウンターを使うかなんてどうだっていいよね。マイペンライ(タイ語で「大丈夫」)でボーペンニャン(ラオス語で「大丈夫」)なこのゆるゆる感がなんともいえず。

「なんで日本人なのにラオ語を喋るんだ?」「なんで日本人なのにイサーン語(タイ北部の、ラオ族の人たちが話す方言)をしゃべるんだ?」と言われるのも、おそらくこのイミグレが最後です。タイの人たち、私のほぼラオ語のナンチャッテてへぺろ残念タイ語を聞きとってくれてありがとうございました。いつかは「タイ語が上手だね」って言ってもらえるように頑張ります。

そうそう。アユタヤについた時、トイレットペーパーを買っておこうと思って商店に行き、店のおじさんに「チアアナマイ、ミーマイカ?」と聞いてみたのですが、「わからん」「なんのことや」という顔のあと、生理用品を持ってきてくれるということがありました。先に画像を見せたらよかったのですがもう一押し試みて、「ティッス↑ゥ↓ホンナム」でようやく伝わり、それでもロールタイプでなく箱型のものを持ってきてくれたので、最終的に画像を見せてロールタイプを持ってきてもらいました。

タイ語でトイレットペーパーは「クロダ チャムラ」。チャムラはあとから調べたら「支払う、綺麗にする」とか色々な意味があります。タイ語やラオ語は共通して、被修飾語が先に来るという性質があります。「クロダ」が「紙」という意味ですので、「綺麗にする紙」で「トイレットペーパー」になるのです。

わたしはこの「クロダ」に聞き覚えがありました。10年前に住んでいたカンボジアで同じ単語が使われていたからです。「プカークロダ」は、「プカー(花)」+「クロダ(紙)」で「紙の花」、ブーゲンビリアのことを指します。動詞などの基本的な1音節語だけで見るとカンボジア語とタイ語は遠い親戚、タイ語とラオ語は兄弟みたいな距離感かなと感じていますが、サンスクリット語からきている言葉は割と共通している部分が多いので、カンボジア語の習得にもじりじり近づいていけると信じてタイ語の勉強をしてみたいと思います。

話が逸れましたが、無事にノーンカーイを出発した電車は、静かに静かにまっすぐな線路をすすみ、メコン川を渡りました。橋を渡っている途中、タイの国旗が等間隔にたてられているのですが、それが1本だけ黄色い旗になり、そのあとラオスの旗に変わります。それが国境を越えた証。赤白青、同じ配色で作られた国旗ですが、それがラオスの国旗になった瞬間、「ただいま」と胸が高鳴ります。

ラオスに!10か月ぶりに!かえってキターーーーー!

ラオス!ラオス!ラオス!ラオス!!!

ラオス側のターナレーン駅から首都ビエンチャンの中心部までは、乗り合いバンで向かいます。しかし、乗り合いバンに乗り合ってくれる外国人が一人もいなかったため、全額わたしたちで負担することに。その額600バーツ。正直「高い!!」と思ったのですが、この場に一人しか居ないドライバーの言い値に高いだのなんだのケチをつけるのも野暮だと思い、交渉は特にせずバンに乗り込みます。聞けば、ラオスのガソリンは今や20000KIP越え。わたしが居たころ10000KIP前後だったことを思い出し戦慄しました。レートで見ても、生活費をドル支給してもらっていた隊員時代は1ドル=9000キープを超えたらうきうきしながら多めに現地通貨に変えていましたが、私が知るなかでは、再赴任されたころの街中両替所で1ドル=17500キープまであがっていました。

そりゃ物価もあがるわけだし、この人だって600B欲しいに決まってる。私だったら700バーツ欲しい。

その後私たちは、タートダム近くのおいしいカオピヤックを食べ、大使館近くのおいしい日本食レストランで久しぶりの日本の味に昇天し、タートルアンでお参り・・・と、THE☆観光客なコースでビエンチャン市内を散策しました。

昼から、ずっといきたかった「Lily Spa」にハーバルボールマッサージを受けに行ってきたのですが、お値段は他に比べれば高いものの、その期待値をはるかに超えてくる素晴らしいサービスと技術でした。タイでは連日、重いリュックを担いで歩きっぱなし。実は、タイを去る日にも街中スパでハーバルボールを受けてきたのですが、ダチョウ倶楽部かよっていうぐらい「あちあちあちあち!!!」とリアクションさせられ、リラックスどころではありませんでした。ガーゼに薬草をパンッパンに包んで蒸したものを体にじんわりと押し当てるのですが、びちゃびちゃのハーバルボールから熱湯がジュワッとあふれ出してくるのです。がんもを直置きされている感じです。私は膝裏を見事に負傷し、あせものようなブツブツが大量にできてしまいました。平たく言うと火傷です。そんな平均以下の施術の翌日ということもあったせいか、余計にクオリティが高く感じられました。ああー、幸せだったなあ。とろけるような1時間半でした。これからは、他の費用をケチッてでも、ラオス行くたびに行くと思います。

夜は、ずっと会いたかった現役隊員さんとナダオでフレンチ。私が10か月前ラオスを去るときに、活動が軌道に乗り始めていた彼女は、ゴールを目前に最後のラオス生活を噛みしめているところでした。貴重な残りのラオス時間で会ってくれてありがとう!

まだまだがらんとしたビエンチャンですが、それでも渦中だったあのころと比べればずいぶんと活気が戻りました。1年前のビエンチャンは、ワットインペン前のバス通りを夜一人で歩くのも怖いぐらいでしたが、川沿いのナイトマーケットも再開され、Angoさんの前の通りは端から端まで屋台が並ぶ歩行者天国、おかず横丁も人でにぎわっていて、アフターコロナの中でふんばっている様子が垣間見えました。

ラオス2日目:結婚式後撮り、市内観光

ラオス2日目、午前中は結婚式の後撮り。ラオスの民族衣装を着ての撮影で、ヘアメイク+衣装+撮影1,000,000KIPでした。8000円弱でこんな体験ができるなんて、ラオス最高。

このときでないと絶対に着れない色がいい!という強い思いがあったので、金色を選びました。以前参加したラオス人の友人の結婚式で、花婿と花嫁が全身金色の衣装を着ていたからです。

夫は出演NGなのでソロショットを…。着つけてくれたお姉さんによると、このシンはアルアンパバーンスタイルだそうで、織りの上に立体的な刺繍が施されています。実物を見るととても高価に見えます。

印刷は要らないからデータだけちょうだいと伝えると、それならもう取りに来てもらう必要もないから、Whatsappだけ教えて~と言われて連絡先を交換。夕方ごろに「できたよ~」というメッセージと共にGoogle Driveの共有リンクが届きました。なんという簡単受け取り。開いてみると80枚の写真が。

日本人は良い人多いから撮影楽しいわ~といいながら色んなポーズを指示してくれたクールなお兄さん、「じゃあ最後にフリーポーズで」と言ってくれたので夫が持っていた短剣を鞘から抜き、上段の構えで夫に切りかかるポーズを撮ったのですが、その時ばかりはケラケラ笑っていました。うけてよかった。

すっかりお腹がすいた私たちはJICA事務所近くのおいしいカオマンガイを食べ、ビエンチャンで一番渋くて好きな寺「ワットシーサケ」、バーシーしている様子が見られる「ワットシームアン」、そしてコロナのせいで数年間「カミングスーン」だった待望のスターバックス1号店へとひたすら歩きました。

スターバックスでデミタスカップとベアリスタを買う予定だったのですが、デミタスカップが売り切れで普通のマグに。か、かさばるー!ですが、接客はさすがといったところで、タイで数年OJT受けてきたかな?と思うぐらいスムーズなオペレーションでした。7か月だけ働いたナンチャッテスタババイトの私など足元にも及びません。

その後は、お土産屋さんやショッピングモールをだらだらとまわりながら、煙がのぼりはじめたおかず横丁で焼き鳥をつまんで夕飯へ。以前、ラオス料理に精通している方に連れていっていただいた「スックヴィマーンレストラン」で、現役隊員さんたちとキンカオ。村で食べ慣れたラオス料理とは違う上品なお味。清潔なレストランでおいしいラオス料理が食べられるので、初めてラオスに行く人を連れていくのにちょうど良いお店です。

ラオス3日目:村で結婚式

ラオス入国3日目は、わたしが活動していた村への移動日です。いま一緒にブランドの製品開発を頑張っているお母さん(ブランドのロゴの女性です)の村へは、お母さんの車で移動しました。わざわざ首都まで迎えにきてくれた妹は、車の中で藤井風の音源をかけ、「この歌の意味何なん?」と聞いてきます。よく売れているアーティストだということは知っていましたが、藤井風をちゃんと聴いたのはこの日が初めて。「死ぬのがいいわ」をラオス語で説明しろというのは、まだまだラオ語ビギナーの私には難しすぎました。ざっくり意味を説明したら「え、危ない歌やなw」と笑っていました。多分伝え間違っている、ごめん。

村について、しばらく近所をぶらぶらしました。よく買い物にきていた市場には、色とりどりの野菜、川魚、しめたてのお肉がずらりと並んでいます。そのなかに、日本では絶対見ないであろうアリのタマゴが。私は食べなれたものですが、夫はもちろん初めまして。見ているだけで体がかゆくなりそうです。

その後私たちは、村の美容室でメイクをしてもらい、生産者さんが用意してくれた民族衣装に着替えました。ハネムーンでラオスを訪れたわたしたちに、生産者さんと家族親戚、村の人たちがバーシースークワンという儀式をしてくれたのです。

バーシースークワンとは、バーシー(吉祥のお供え物)をクワン(魂)へ、という意味であり(スー=~へ)、人の体に宿る32個の魂を体につなぎ留めておくための儀式で、それらの魂が出ていってしまうのが人生の節目だと言われています。そのためバーシースークワンは、旧正月のようなラオスの人たちにとっての大切な行事の際にはもちろん、出産、上棟式、留学、協力隊でいえば活動を終えて日本に帰るときなどに、このバーシースークワンが開かれます。

祭壇の中央から伸びた白い糸は「ຝ້າຍຜູກແຂນ ファーイプックケーン」、腕に巻く綿の糸という意味です。ラオ族の人たちは、白色は純粋さ、新鮮さ、無垢さを表すと考えており、バーシースークワンの際はこの真っ白な綿糸が用意されます。

お正月の場合は、祭壇から伸びるファーイプックケーンを参加者皆で持ってご祈祷が始まりましたが、今回は私たちがお祝いをしていただく立場だったため、ファーイプックケーンは私と夫に一本ずつ結ばれました。

バーシーに来てくださった方は、着席の際や儀式中に、祭壇のマリーゴールドの間にお金を挟んでくださいます。活動期間中お世話になった方からも、この日のために来賓として来てくださった方からもいただきました。ガソリン5リッター分。決して安い金額ではありません。ありがたいことです…。

儀式を執り行うのは「ໝໍ­ພອນ / モーポーン」と呼ばれる祈祷師で、辞書で見てみるとこのバーシースークワンで祈りを捧げる方のことを指すのだそうで、広義のシャーマンには別の言い方がありそうです。​モーポーンが祈りを捧げてくださっているあいだ、私たちはこの祭壇に手を添え、私たちの後ろに座っている参列者の方々は私たちに手を添えて、皆でお祈りをします。モーポーンが何を話しているのかは私にはわかりません。こちらも後で調べてみると、仏教と「ສາ­ສະ­ໜາ​ພາມ / サーサナーパーム」、パーム教という宗教の混ざったものだという風にラオ語のウィキには書かれていました。サンスクリットとパーリということなのでしょうか?サーサナーパームが気になって夜も眠れません…。

ちなみに「モーポーン」は、「モー / 医師、祈祷師など」と「ポーン / 祝福」を組み合わせた言葉です。人の人生の節目を祝福する祈祷師…、なんだか名前だけでもありがたい感じがします。

さて、20分以上にわたるお祈りの間、たまに参加者で「あーーー」と声を上げる場面があったり、後ろのほうからマリーゴールドの花びらが飛んできたり、マリーゴールドを酒に浸して手のひらを清められたり、最後は固めの杯といいますか、シャーマンが最初にショットグラスでお酒をぐいっと飲み、そして夫へ妻へとグラスが渡っていきます。

今回、私たちはお土産に日本酒を2本持って行ったので、日本酒を注いでくれました。(ラオスのお酒は度数が高く下戸には辛いので、ありがたいです)

それが終わったあとは、モーポーンから順に、私たちの手首にひもを結んでくださいます。モーポーンは、黄色とオレンジの色付きのファイプックケーン。そのあとは白のファイプックケーンを、みんな代わる代わる両手首に結んでお祈りをしてくれます。

また来てくれてありがとう。結婚おめでとう。悪い魂が出て行って、良い魂が入ってきますように。健康な子供がたくさんできますように。互いに永遠の愛で結ばれますように。お金に困らず暮らせますように。この旅が良いものになりますように。無事に日本に帰れますように。

皆の気持ちが、私たちの両手首に結ばれていきます。その間、私たちのてのひらには、茹でた丸鶏がのせられています。場合によって、ゆでたまごだったり、お米だったり、お金だったり、お菓子だったり、いろんなものを握らせてもらいましたが、活動を終えて本帰国するときに開いてもらった3回のバーシーはどれも同じように茹でた丸鶏でした。主賓は鶏、とか決まりがあるのでしょうか。

マリーゴールドがたくさん飾られた祭壇は「ພາ ຂວັນ / パー クワン」と呼ばれています。クワンは魂ですが、被修飾語の「パー」は何でしょうか。辞書で引いてみると、「ピラミッド型の祭壇」とでてきたので、このまま固有名詞として受け取ってもよいのでしょうが、動詞だと「導く、連れていく」という意味を持ち、名詞になると「お皿」、パーリ語由来の言葉としてみると「太陽、光線」といった意味も出てきました。どの言葉もこの儀式にぴったりなものだと思いました。明るい未来へ導いてくれるような儀式だと思うし、1本の糸で繋がったみんなの想いが集まる受け皿のような役割をこの祭壇が担っているような気もするし、幸せを願って糸を結び合うあの空間は陽だまりのような温かさを感じるし….。

手首に紐を結んでもらうのがひと段落ついたとき、入口のほうから男性が5人ぞろぞろと入ってこられるのが見えました。額装された賞状を持った方は、私が隊員だったころに2度ほどお会いした副県知事。日本に留学されていたことがあり、流ちょうな日本語で話しかけてくださったので今でもはっきりと覚えていました。活動に対する「表彰状」と、表彰状授与にあたって行政内でやりとりされた許可証のようなもの(ラオスっぽい!)、カゴに盛られたたくさんのODOP(一村一品)商品をいただいたのですが、急なことでびっくりして終始ポカンとしてしまいました。村の人たちにバーシースークワンをしていただいただけで胸いっぱいだったのに、10か月ごしにこんなご褒美までいただいて、幸せがキャパオーバーして処理が追いつきません。

この表彰状をいただくために、JICAラオスに派遣期間についての問い合わせがあったり、いつも多忙なカウンターパートが書類作成してくれたりと、色んな方が動いてくれていたことを後から知りました。そして、表彰を受けるきっかけになったのは、県知事がとある調印で生産グループを訪れた際に私も同席しており、その時に活動の話や日本に帰ってからも自分のライフワークとして活動を続けていきたいことなどをお話させていただいたことだったそうです。あの時のちょっとした会話を覚えていてもらえただけでも光栄です。

そんなこんなで、バーシースークワンが終わった後は、皆でおいしいラオス料理を囲って食事会がはじまりました。食事中に新しいゲストがお祝いにきてくださったら夫婦で祭壇の前に移動して紐を結んでもらい、祝福の言葉を受ける。以後繰り返し・・・というのがしばらく続きました。大好きな村の人たちや、すでにどこかの会食でできあがってきた同僚たち、元上司、配属先の他の課の人たち… たくさんの、本当にたくさんの人たちがお祝いしにきてくれました。

夫はひたすらビアラオとラオカオ(ラオスのお米でつくられた蒸留酒)をちゃんぽん、私は日本から持ってきたサケをついでまわり、アラシックス世代の方が集まってくださったにもかかわらず4合瓶2本があっというまにカラになりました。隊員時代、80歳を超える生産者さんが昼間の儀式でハイネケンをキメていたのを二度見したのを覚えていますが、今回もみんなすごい。

日本のパデーク研究家を唸らせた、村のパデーク名人のゲーンノーマイ(たけのこスープ)、牛のラープ、ナマズの丸焼き、ドークゲー(何かの花)とコブミカンの葉の揚げ物、サラダ… 他にもたくさんの食事が並びました。主食はもちろんカオニャオ(蒸したもち米)。私は、茹で鶏のつけダレだけでカオニャオ3合いけるぞってなもんで、ブライダルダイエットで6㎏落としたのはここで何の憂いもなく満腹太郎になるためだったんだと信じて疑いませんでした。

夜は近くのゲストハウスに泊まりましたが、この旅最安の1泊250,000KIP。せっかくの新婚旅行だからと、ホテルステイする時間が少ないにもかかわらず夫はラグジュアリーなホテルばかり選んでくれていましたが、村にはそういう場所もありません。ちゃんと休んでもらえるかなあと少々不安でしたが、はち切れんばかりに食べ、サケとラオカオとビアラオをちゃんぽんした夫には関係なかったようでした。あっぱれ、村の人たち。

ラオス4日目:元同僚たちとキンカオ、キンビア

翌日は、村から少し離れたナムグムダムとダム湖に連れていってもらい、しばしこの景色を楽しんでから、元配属先である県庁機関へ。各部屋を回って挨拶し、「ハネムーンに来たら旦那さんをつれてくるのよ!!」と帰国前に何度も何度も何度も言われた約束を果たしました。

そのあとは、私が住んでいた家の隣にある大家さんちを尋ねました。私の話をするたびに涙ぐむという、隣の仕立て屋さんも呼んでもらい、みんなにお土産を渡して、今回は滞在時間が短くて村に滞在できなくてごめんね、今度また来たときは皆でごはん食べようね、と約束。そのあとは私が「お姉さん」と呼ぶ隊員時代のカウンターパートの家で昼食をいただきました。焼いた豚肉にピア(胆汁)のディップ、ピアのスープ、ラープと、本格的なラオスの家庭料理。10か月前はこの家でトカゲと蟻の卵のラープをいただきましたが、その前も山間部の出張帰りにでっかいトカゲのようなイグアナのようなものを買っていたり、この家にお邪魔させてもらうと、「そろそろラオス料理も慣れてきたなー」っていう自分が外国人だったことを思い出させてくれる料理が出てきます。大好き。

「庭の景色、たくさん写真に撮っておくのよ。そしたら私と家族のことが恋しくなっても写真を見て村を思い出せるでしょ」というお姉さん。当たり前のように愛してくれて、私も同じように愛していると信じてくれている、そんな言葉に感じられました。つらくてしんどくて何度も自分の無力さを悲観した隊員時代、あなたの優しい言葉になんどもなんども支えられたよ。本当にありがとう。

そのあと夫はお姉さんの息子と汗だくになりながらサッカーをし、くたびれたKEENのサンダルが壊れるのを恐れた私は撮影係を理由に見守りました。そのあと子どもは水浴びへ、私が帰国したあとに生まれた娘ちゃんはカオニャオとかぼちゃの離乳食を食べ、あれこれ用事を終えてから、同じ課で働いていた職員の弟の家の上棟式へ。飲む、食べる、踊る、飲む、食べる、踊る。隊員時代は辛さすら感じていた「キンビア(飲み会)」がこれほどいとおしく思ったことはありません。

カウンターパートに、生産者さんの家まで送ってもらい、そこで仕事の話や頼んでいた商品の検品、日本での販売実績や商品のフィードバックなど仕事の話をちゃちゃっと済ませて、私たちはまた妹の車で首都のホテルまで送ってもらいました。

今回1泊あたりの値段が一番高かった「ダバラブティックホテル」の最上階のスイートルーム。最上階は1部屋しかありません。玄関を入ってすぐ大きなキッチンが目に飛び込んできます。

3部屋あり、キングベッドの寝室ーリビングーキングベッドの寝室と繋がっています。なんて豪華…。7時前にチェックインして、翌日もゆっくりできないなんて勿体なすぎる。

そのあとは隊員時代に大変お世話になった2人と合流して、鍋と焼き肉のハイブリット「シンダード」で満腹に。なんかこの日の写真少ないなあと自分で写真を見返しながら思ったのですが、旅も折り返し地点を超えて相当疲れていたのか、ラオスが「日常」に戻ってきて「ふつう」にカメラをむける機会が減ったのかはわかりません。多分、どっちもです。

ラオス5日目:初ラオス中国鉄道!ルアンパバーンへ

この日はルアンパバーンへの移動日でしたが、ルアンパバーンへの電車は午後の便。午前中はホテルでゆっくり充電して、パトゥーサイに出かけました。その前に、パトゥーサイの近くの釣具屋さんへ。釣り好きな方へのお土産に「ASHINO」のリールと、夫はバレットシンカーを購入。

バレットシンカーの棚にはキリが置いてあって、自分で穴があいているか確認するスタイル。可能な限りの不純物を混ぜに混ぜたような、柔らかくしっとりとした質感のバレットシンカーたち。そりゃ日本のタングステン製に比べれば10分の1ほどで買えるかもしれませんが、何に使うの…。

DAIWAのクルセイダーが420バーツで売られていたのは、、、何事!ほんまもんなんですかねえ。この価格ですしそうであってほしいですけど。

そういえば!円安で日本経済が大打撃を受けているのと同じように、ラオスキープも一時に比べれば落ち着きはしましたがまだまだキープ安。この店、前に訪れたときはキープで言ってくれていたような気がしますが、店頭表示がバーツに変わっていたのが気になりました。ホテルも、レストランも。ドルやバーツで提示があって、「ラオスキープならいくら」と聞いてはじめて自国通貨が提示される状態。金融素人にもラオス経済の大変さが伝わってきました。頑張ってくれラオス…!

そのあとはパトゥーサイを見学して、町をぶらぶら、ラオス南部の名物「カオピヤックパー」を首都で食べてみたり、スムージー飲んだり、スーパーでお土産買ったりしてビエンチャンでの時間は終了。

このパトゥーサイの真下から覗き込んだ写真、行くたびに撮っている気がします。絵になるなあ。綺麗だなあ。美しいなあ。

さて、ここからいよいよ、ラオスでのバーシーに次ぐイベント、「ラオス中国鉄道でルアンパバーンに行く!」です。

開通当初、買い占めや転売が横行して全くチケットが買えなかった時期がありました。(私のFacebookでも何度もチケットの写真を見ました)今はそれは無くなったようですが、決められた場所に並びに行かないと買えなかったり、外国人はパスポートの提示が必要らしかったり、なんだか煩雑そうです。アプリも一応できたみたいですが、日本からは購入できず、現地に行ってからできるかどうかも怪しかったので、今回は現地の旅行会社に頼みました。ラオス国立大学内のLJIで1か月だけラオ語を勉強したときに、ホームステイ先の人に連れて行ってもらった出家式で同じ席にいたお姉さんの旅行会社です。向こうが覚えてくれているかも定かではありませんが、Whatsappでやりとり→BCELoneで振込という手順で何度か航空券を頼んだことがありました。「〇月〇日からのスペシャルプロモーション!!」とラオス航空が告知したときも、「あれ取れたら取っといて~」でちゃんと用意してくれていたので、私はこの会社をめちゃめちゃ信頼しています(笑)

10か月前の帰国の際、隊員は銀行口座を閉じなければならない規則になっていて、今回はBCELoneが使えませんでした。現金手渡しするから、ホテルまでチケット持ってきて~とロケーションを送っておいたら、当日朝にきちんとホテルまでデリバリーしてくれました。毎度お世話になります。

ちなみに発券手数料は、1枚あたり150,000KIPでした。それでチケットを取ってホテルまでデリバリーしてくれるなら安いものです。

ダバラブティックホテルからタラートサオ横の中央バスターミナルまでトゥクトゥクで移動し、そこからバスで駅まで行こうと思っていたのですが、どうやら私がネットで見つけた情報が古かったらしく、「その時間のバスはないよー」と言われてしまいました。流しのトゥクトゥクを捕まえたら100,000KIPで行ってくれるというので、最後はLoca(ラオスのタクシー配車アプリ)を使わずトゥクトゥクでビエンチャンの風を切って駅まで向かうことに。

注意書きや案内に英語が見当たらなかったところに、なんともいえない中国資本感を感じました。

入口でパスポートとチケットチェック、そのあと荷物のX線検査と、厳重な警備のもと中へ。特に時間をつぶせるような場所があるわけではないですし、座席も指定席なので、張りきって早めに行く必要はなかったかもしれません。

発車時間の少し前まで、ホームへのゲートは閉まったままになっていますが、ゲートが開く少し前から長蛇の列ができました。お坊さんや、特別なサポートが必要な乗客とその家族が先に通され、ついに私たちの番です。

ホームに出て見渡してみると、ルアンパバーンに向かうこの電車は16両編成で、日本の新幹線より少し短いぐらい。コンコースに居た人たちを見渡して「こんなたくさんの人みんな入れるんかな」と思っていたのですが、なるほどこれなら。

座駅は指定で、2席ー通路ー3席。座席は回転させたりできないので、車両の中央あたりに謎のテーブル席があって、そのテーブルに向って両側から座席が向いています。

Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ テーブル 」」」」」」」」」」」」」」」」」 こんな感じ。

車両の半分の人は進行方向と逆側を向くことになります。

ラオスの原風景ともいえる、こんな素敵な景色を見ながら過ごす2時間弱。単線のため、反対側からくる電車の通過待ちなどで途中の駅で待機する時間も何度かありましたが、足元広々、コンセントもついていて、快適に過ごすことができました。倍ほどの値段になりますが、次はフルフラットのビジネスシートに乗ってみたいです。

そんなわけでルアンパバーン駅に到着。駅を出ると乗り合いバンが所狭しと並んでいます。しかし聞いてみると、ここに並んでいるバンはすべて北部の地方に行くもので、ルアンパバン市街地には行かないとのこと。駅の出口を出たところは地上階から1段あがっているのですが、この階はすべてそういうバンが停まっているよーと駅員さんが教えてくれました。

地上階に降りるエレベーターかその隣の階段で地上階に行き、テントで市街地行きのチケット(35000KIP)を購入すると、その奥にとまっているラオス中国鉄道カラーのバンのおじさんたちが声をかけてくれました。

このロットゥでホテルまで送ってもらいます。後部座席もあいているのに、なぜか運転席横のシートを案内された私たち。ま、景色が見れてありがたいからいいやーと思って乗りこむと、市街地へ向かいながら「明日の予定は決まってるんか?」と。なるほどそういうことか。「日本人やろ?JICAか?おっちゃん昔、JICAに月給もろて運転手してたことあんねん」「私もJICAのボランティアやってん」ということでおっちゃんを簡単に信頼し、旅程を伝えてソンテウドライバーの弟さんを紹介してもらいました。街についてから良さげなドライバー探しする時間が短縮できて助かりました。

夕飯は、隊員時代の戦友(?)たちとピザ!旅が始まってから初めてのピザでおいしさは10万倍、当時の懐かしい話に花が咲きました。

ラオス6日目:ゾウで森散歩、市内観光

この日、朝6時ごろに目が覚めたので、カメラを持ってルアンパバーンの街散歩に出かけました。お目当てはもちろん托鉢。ルアンパバーンは4回目ですが、まだこの風景を見たことがなかったので、ちょっと感動。明日は自分も托鉢させてもらうぞーとわくわくしながら、街中をぶらぶらします。

日中のうだるような暑さからは想像できない澄んだ空気に、輪郭が揺れているように見える、ラオスの朝夕のとくべつな時間が大好きです。ルアンパバーン、バンビエン、ビエンチャン県の自分の村も。ボリカムサイで見たメコン川の夕日も忘れられないなあ。パクセーの夕焼けもでかくてとっても素敵だった。ラオスも日本のように縦に長い国なので、北と南で景色も植物も野良犬の足の長さの平均値(当社調べ)も違っています。

あと2日しか見られないこの景色をかみしめて、Saffron Coffeeで朝カフェ。アーモンドプードルが贅沢に使われているであろう、しっとりどっしりとしたレモンケーキがあって、ここに来るたびに食べています。唾液が少ない日本人が美味しく食べられるしっとり生地、そしてアイシングがこれほどたっぷりかかっていてもなお丁度良い甘さ。これになかなか出会えないんですよねー。

そして私たちは、前日に予約したソンテウのお兄ちゃんに迎えにきてもらってルアンパバーン観光へ。まずはゾウ乗りです。

ひとり2000円ほどで30分間、ルアンパバーンの森の中をひたすら散歩してくれます。「川には入らへんの?」と聞くと「この時期は寒いから無理なんよな~」とのこと。この像さんは40歳ぐらいだそうで、お腹がすいたのか好奇心旺盛なのか、時折草むらに頭をつっこんでバキバキと音をたてていました。

受付のお兄ちゃんにスマホを渡し、動画と写真適当に撮って~と頼んだのですが、いろんなアングルからあの手この手で、つきっきりで撮影してくれました。

撮影してくれたお兄さんにはお礼のチップを、乗せてくれたゾウにもお礼の餌を・・ということで、サトウキビやカボチャ、バナナがてんこもり入ったかごを50000KIPで買い、小屋のゾウさんたちにエサやり体験をしました。動物が大好きな甥姪とLINEでテレビ電話を繋いで、いまゾウさんにごはんあげてるよ~なんて話をしながら、メスが4頭、オスが2頭の合計6頭にえさやりしました。

そのあとはクアンシーの滝へ。何度来てもいいですね。泳ぐこともできますが、私たちは水辺のアクティビティは釣り以外あまり興味がないので、魚見つけては魚種がどうとか、こないだ食べた魚の稚魚じゃないのかとかそんなことばっかり話していました。

日本には生えていない植物、日本では聞こえない鳥や虫の声、五感で楽しみながら森の中を歩いて、滝をぼーっと見て、飽きたらだらだら引き返してごはん。川のそばで、昼間っからビアラオ頼んで、ハーブたっぷりのルアンパバーンソーセージと、レモングラスの束にひき肉をつけて焼いたやつ(名前忘れました)をキメる。私はソーダウォーターで十分。

そのあとはバッファローファームで水牛アイスを食べ、街に戻ってスーパーで買い物して、ソンテウのお兄さんに支払ったのは60万キープでした。指定時間には待っててくれてて、おだやかで、嫌な顔せず待ってくれて、とても心地いい人だったので、翌日の空港送迎もお願いしました。

ちなみにスーパーで買ったのは、タイコスメ(タイで買え)、カピ(タイで買え)、ビアラオのルアンパバーンバージョンなどなど。

そのあとは市内でラオス料理を食べ、ナイトマーケットを回りました。ナイトマーケットは、以前よりお店の数は減っていたものの、ルアンパバーンらしいナイトマーケットといいますか、めっちゃゆるい刺繍小物や年間100日ぐらい着たくなるTシャツ、ご先祖のデフォルメ神様「ぷにゅにゃにゅ」の置物など、ここでしか買えないお土産がたくさんあって目移りしてしまいました。

ラオス7日目:托鉢、カオソーイ、そしてハノイへ

朝いちばんは托鉢。5時40分にティップカオ(もち米が入った竹かご)をホテルで受け取り、ホテル前に準備されている茣蓙に座って、お坊さんが托鉢に来られるのを待ちました。私はラオスの民族衣装の正装、夫も結婚式でもらった肩掛け布を巻いて待機です。隣にいらっしゃった老夫婦が話しかけてくださると、数十年アメリカに住んでいるとのことで英語ぺらぺら。英語で話してくださるのですが、寝起きの頭で英語スイッチが入らず(入ったとて残念なレベル)結局ラオ語に戻る、というのを繰り返しました(笑)「もうすぐ回ってくるから」「お寺は10あるからね、お坊さんの行列も10個通るから調節しなさいね」と色々教えてくれました。また、JICA隊員あるあるだと思うのですが、「〇十年前に〇〇に配属されていた〇〇さんは元気なの?」と知らない先輩隊員のお名前が。こういう会話になるたびに、わたしもそうやって、何十年先にふと思い出してもらえるぐらい関係を深められていたらいいなあと思います。

托鉢が終わったら、二度寝、朝カフェを済ませて、荷物をまとめてチェックアウト。飛行機の時間まで町ぶらです。

世界遺産の街ルアンパバーンの、ナムカーン川とメコン川の半島の丁度先端あたりに位置する、ワットシェントーン。何度行ってもこの外観の美しさ、とりわけ屋根の渋さにはぐっときますね。一枚上の写真が本堂の中の様子なのですが、細部にも装飾が施されていて本当に綺麗です。

お昼ご飯はルアンパバーン名物の「カオソーイ」。ぴり辛トマト肉みそ麺です。肉のダシ感ががつんと効いたスープに平たい麺がよく合います。ルアンパバーンに来たらこれを食べないと始まらないし、終われないですね。

ルアンパバーンは、ハーブたっぷりのソーセージ「サイウア」や、川海苔の味付け海苔「カイペーン」など、私の好みのものが多くて魅力的です。前日の晩にちょっとお高めのラオス料理レストランで食べた「オ」という料理も、うまく言語化できないのですがビエンチャンの「オ」と違っていて、香り豊かでとてもおいしかったです。(オとオラームが違う食べ物なのか、大きく分けると何種類ぐらいのオがラオスに存在するのかとか気になり出してしまいました…ラオス行かなくては笑)

町の中心部にある市場。これはフアパン県サムヌア地方の本気のシンだと思いますが、この色とりどりの細かい織り、浮き織りや絣を駆使した唯一無二の美しさ、もし私がお金もちだったら「ここからここまで」って全部買い占めているところですが、そうではないので今回は何も買わずに帰りました。私のブランドtheobaanは、ブランドストーリーに「暮らしに寄り添う」という言葉を使っていて、がしがし洗って着てもらえるような布地を選んでいますが、もう少し在庫を持てる力がついてきたら、こういう布も扱っていきたいなあと思っています。

そのあとは、私の次の隊次でやってきた協力隊員たちが立ち上げたお店「LuLaLao」さんを訪ねました。突然の一時帰国やコロナ禍での活動、色々な困難を乗り越えてまたラオスに自分たちの力で戻ってきた、バイタリティーあふれる二人とは、話がとまらん!そしてコーヒーが美味しすぎる!ラオスのコーヒー豆のポテンシャルって、やりようによってはこんなに高まるんだなあと感動しました。またコーヒー飲みにいくね~。

つづく

は~~~これでようやくラオス編が終わりました。滞在が長く内容も濃かったので、書くのになかなか時間がかかりました。1月27日に日本を発ってここまでで11日!ラオスでの一週間は、隊員に戻ったときのような「村のキンビア」もあり、首都と村とルアンパバーンそれぞれの雰囲気も楽しんでもらいつつ、精神的に満たされた時間になりました。

さて、ここからまだハノイ編が続きます。最後までお付き合いいただけますと幸いです!

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隔離と引越し終了、ついに活動開始しました!

さばいでぃー!

どうもこんにちは、ラオスのラオ子です。任地に到着して3日間の隔離・・・というところで前回のブログの更新をしましたが、ついに隔離を終えて、前に住んでいた家と同じ家に引越しました。

 

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ああ、懐かしの我が家。そう、このピンクのベッドこそが、私の帰るべき場所。

 

じっくり街を歩いてみると、街の中は変わったり、変わらなかったり・・・正直に言うと、全体的に減ったもののほうが多くて、バイクもない、首都にも簡単にあがれない、という中でどうやって生きていこうかと思っているところです。

 

家をとるか、移動をとるか・・・

何で前回赴任したとき、このゲストハウスで1か月耐えられたんだろう・・・とふと考えたのですが、答えはひとつ、「こういうものなんだなあ・・・」と思っていたからです。あのころは、毎日市場までぶらぶら歩いて蒸したもち米を買い、炭火の焼き鳥屋台の前で串にかぶりつきながらもち米食べて帰る、という習慣ができていました。

 

しかし今回は事情が違います。屋台も出ておらず、加えて、ロックダウンで閉店・休業した店が多いので、食べ物を手に入れること自体が困難というなかなか危機的状況。3日間の隔離期間を含む5日間のゲストハウス滞在は、朝は食べない、隣の店でお昼を食べる、フライドポテトを持ち帰って夕方ぐらいにだらだらたべる、お腹がすいたら持ってきた非常食か市場で買ったもち米にふりかけをかけて食べる、という方法で乗り切りました。なかなか辛い5泊6日でした。

 

そんなわけで、バイクがあったころはさほど不便に感じていなかったけど、今戻ったら絶対に不便と分かっていてもなお、元の家に戻りました。おかげさまで配属先までは往復10キロ、いちばん深くかかわる生産者さんとは往復20キロ、あいだは結構なアップダウンが続く道となっており、物理的に山あり谷ありな任地です。相変わらず噛み応えがあるな、やれやれだぜ!!

 

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正直なところ、家選びは自分の責任ですし、今いる家は配属先やJICAに強制されたわけではありません。生産者さんの居る村か配属先に近いところで新しく家を探せたらよかったのですが、そうするとまた家探し、申請、セキュリティチェックに数週間要することになります。私がいたゲストハウスは、セキュリティ面で不安があったうえに、ベッドとバスルームだけのものすごくシンプルなところで、机も湯わかしもない、しかも隣にある唯一のレストランも土日はクローズ、まわりでご飯食べれるようなところもほぼない・・・と、まさに「何があるというんですか」状態。これであと数週間耐えれる気がしなかったので、もう交通手段ぐらい何とかなれっ!!と、勢いで前の家に飛び込んだのであります。

 

もう一つの理由は、前いたときに使っていた家財道具で、買いなおすとそこそこ高いものがそのままになっていたので、それを使いたかった、ということ。日本に緊急帰国した数か月後、JICAのスタッフさんが荷物の引き上げに行ってくれたのですが、その時点で何がどこにあったかなんて全部忘れてしまっていたので、後になって「あ、あれ引き上げてもらうの忘れてたな・・・」「あ、これも残しといてほしかったな・・・」とぽつぽつ思い出して。

 

私が日本に帰っている間に一組別の国の人が住んだらしいので、それが無事そのままになっているかは、入居した時点では分かりませんでしたが、家に行ってみたら「あ~これ!これがほしかったのよ!!」というものが残っていて、家の中に見当たらなかったものも大家さんに聞いたら出てきて、結果ほぼ回収成功しました。

 

元セネガル隊員がうちまでハンドキャリーしてくれたティファールの28㎝のフライパン(大迷惑)に、ハリオのケトル、スケール、coiさんの大判タオル・・・ありがたいことに色々残っていて、私のQOLが良いかんじにぶち上がりました。感謝!!

 

ただ、間に住んだ人に電子レンジを壊されていたのはものすごく痛手・・・。どうやったらこんな簡素な作りの電子レンジ壊れるんだよ!!こんな短期間の契約じゃ新しいの買ってもらえないよ!!自分で買ってやろうか!!!(誰かとめて)

 

思い出の場所もある

さて、こんな「ぼーみーにゃん(何もない)」づくしの住環境ですが、家の近くで唯一誇れたのは、めちゃめちゃ美味しいカオピヤック屋さんがあることです。

 

www.laoko.net

 

そして最後はこれ。 市場の近くにあるフォーやさんのフォー。 しっかりダシの出た黄金色のスープがたまらなく美味しかった・・・! 良いお店を見つけられて大満足の週末でした。 家はちゃんと借りれたの? キッチンないのにどうやって生活してるの? と色々気遣ってくれる優しいおっちゃん。 「3か月の勉強でそんなにラオ語が話せるんだね! たくさん勉強したんでしょう。 ラオスでボランティアするために いっぱい勉強してくれてありがとう!」 と帰り際に言われて、帰り道ちょっとだけ泣いた3連休でした。

お腹壊した。でも人が恋しくて外に出た。 – ラオスのラオ子。

 

任地に戻って隔離があけたら、一番にここのカオピヤック屋さんに行くって心に決めてたんですよ。そして隔離があけ行ってみたら、休業。翌日も休業。時間をずらしてもう一度、休業・・・。

 

テーブルの上は綺麗なのになーと思いながら周りの家の方に聞いてみると、「最近やってないよ」と。あー、そうですか・・・私の思い出のカオピヤック屋さん・・・。やってないんだ・・・。

 

そして市場で鶏とアヒルの卵を買って帰宅途中、カオピヤック屋さんの門の奥にいるお兄さんと目が合いました。そう、あの、くしゃっとわらう笑顔が素敵な、世話焼きの、お兄さんと。お兄さんは半裸で、両手を胸にあててちょっと恥ずかしがりながら、わたしのほうへと近づいてきました。

 

兄:おー!しばらく見んかったなあ!

私:覚えてくれてるん??

兄:覚えてるよー!あれやろ?農業局で働いてた日本人・・・

私:そうそう!産業商業局やけどな!

兄:あーそれな、それな!でも何しに戻ってきたん?

  仕事終わって日本帰ったって聞いたけど

私:誰に聞いたんや!終わってないよ、コロナで突然帰らなあかんくなって

兄:そうか、大変やったな~ こんどはいつまで居るんや?

私:1か月か、長くて3か月!1年半も待ったのに、首都で1か月半も動けんくてな~

兄:待ってる間ラオス恋しかったかー?

私:そらもう!!毎日ラオスのこと考えてたよ。あとこの店のカオピヤックもな

兄:おぉぉぉぉおおおお~~~い

  そんなことないよ、普通のカオピヤックしか作れへん

私:いやいや、ここのカオピヤックが県内で一番おいしいやろ間違いなく

兄:アアァァッヒャアヒャァヒャァヒャァwwww恥ずかしいわー おーい恥ずかしいわ~~~

私:いや、服着てないのもだいぶ恥ずかしいから大丈夫やって。

兄:お~~アアァッヒャァヒャァヒャァヒャァヒャァヒャアアアア~~wwwww

(ほんとにこんな笑い方)

私:店あけへんの?

兄:店は来月からの予定やで。今モノ買いにいったり調味料作ったり、準備中や

私:そしたらまた来るわ。服着て作ってな。

兄:アアッァアァァアッヒャァヒャァヒャァヒャァwwwwwww着る着るゥ!!

 

よかった、来月から美味しいカオピヤック食べられるゥ!!!!!

 

ここ数日の活動のこと

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さてさて、前置きはこのへんにして。2回目の活動の目標をどこに設定して、どう活動していこうか、配属先のカウンターパートと一緒に作戦会議しました。

 

日本で待機していた1年半の間とラオスに来てからの隔離期間中、ラオス語のマンツーレッスンを受けていました。間違いなくそのおかげなんですが、前よりも聞きたいことが聞けて、伝えたいことも伝えられて、自分の成長をちょっとだけ噛み締めました。とはいえまだまだ語彙力の引き出しも中身も足りていないので、踏み込んだ話をした瞬間に頭がぱっぱらぱーになってしまいました。悔しいです。一度分からなくなったらそこから先すべてがわからなくなる不治の病にかかってるんですけど、これどうやったら治療できるんでしょうかね。毎日少しずつでも勉強する、分からない単語はちゃんと聞いてあとから調べる、と、自分より後の隊次の隊員さんにえらそうに言ったので、まずは自分がちゃんとやらないとダメですね。

 

というわけで、まず最初に話したのは、この状況下で、活動範囲をどれぐらいに設定するかということ。前回赴任時に何度も訪問していた村がレッドゾーンに指定されて行けなくなっていたり、その最新情報を私が持っていなかったりで、計画に赤が入ることもしばしば。こっちは行けるけどこっちは無理とか、近いけどまだ行ってないよね?っていう生産者さんを視野に入れてみたりとか、安全に活動できて、かつ何かで手伝えることがありそうな場所を探して、なんとか柔軟にやってみようぜ、という姿勢。

 

また、活動内容についても、今の状況が続くと想定して国内外向けに行動していくのか、観光が戻ってきたときのために準備するのかとか、どこに焦点をあててマーケティングするのがいいかあれこれ話し合い・・・色々決まったことを活動計画に反映させて・・・あとはこの活動計画をラオ語にして配属先に共有して、というところまでやって、ようやく本題に入っていけそうな感じです。

 

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前に赴任していたときは、先輩たちが楽しそうに掛け算の活動をしているのを見ていて、職種も隊次も関係なく、やろう!いいね!ってわいわい取り組める人と何かすることで活動が加速度的にぶち上がっていくのっていいなあと思っていました。今回はそういう活動は現実的に厳しいところがあって、なかなか実現には至らないと思うのですが、だからといってそれが目的になってしまうのもまた違うよなあ、と思ったり。目標がたまたま同じ方向にあったとか、誰かの力を借りたら成し遂げられそうだったとか、活動の中でそういうものが見えてきたときに「ここ!!」というタイミングでやれるのが理想なのかなとか。

 

どちらにしても今回は、物理的な往来を積極的に増やすタイミングではないので、任地にどっぷりたっぷり浸かります。ビエンチャン県というところに、もう無理知り尽くした!!っていうぐらいびたびたに浸かります。

 

ないないって文句ばっかり冒頭で言った人のセリフとは思えないかもしれませんが、こんな時だからこそ楽しめるラオスが目の前に広がっていて、毎日いろんなことにワクワクしながら過ごせているので、この感じで毎日過ごせたらなと思っています。活動についても日常についても、不定期で更新していきますので、引き続きお読みいただけると嬉しいです!

 

では今日はこのへんで。ぽっぷかんまーい!(またお会いしましょう)

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中国のコスパ最強食べるラー油”ラオガンマ”にドはまりした話。

さばいでぃー!

こんにちは、ラオスのラオ子です。日本はゴールデンウィーク10連休だそうですね。誰か来てくれてもよかったんちゃうんか?とプチ憤慨しつつ日々の活動に勤しんでいます、ラオスのラオ子です。

 

 

ビエンカムに来て2カ月が経ちました。このへんのブログを読み返して、なんてこった、あの頃のフレッシュな気持ちを返してくれ、と言いたくなるぐらい、任地に慣れてのんびり生活中です。任地に居る隊員は私ひとりだけ。外国人定住者は、話によるとあと2人~3人いる??らしいのですが、日本人は居ないみたいです。ビエンカムで検索してもらったらSEO対策ばっちりだぜイェーイ!と思ったのですが、ビエンカムって色んな場所にある地名で、しかもそっちのほうが有名みたいで、全然でした。残念無念・・・。

 

ラオガンマにハマりました。

首都に行けば日本の食材はある程度手に入りますが、なんせ割高。だばだば使えるものではありません。そこで私は、食べるラー油を自作して、せっせと野菜やご飯を食べるつもりでいました。そんな折に、訓練所で同じ生活班だった東ティモール隊員が、とってもナイスすぎるタイミングで教えてくれた「ラオガンマ」なる調味料。

 

 

bci.hatenablog.com

 

Twitterで流れてきたこちらのブログに詳しく書かれすぎているので、私からの説明は何も要らない・・・とにかく食べてみてください!!と言いたいぐらいの美味しさなんですが、せっかくなので少しだけ。(買うときめちゃめちゃ参考にさせていただきました!ありがとうございます。そしてこれからもお世話になります。)

 

ラオスのラオガンマ売り場

 

首都ビエンチャンのホームアイディアールのことはこれから「ラオガンマ売り場」と呼ぼうかなあと思っております。

中国のコスパ最強食べるラー油「ラオガンマ」は、ホームアイディアールの中華食材売り場のコーナーに、ぜいたくにフェイスを使って並べられています。 

 

 

リンクを貼らせていただいたページほどの種類は無いのですが、4種類ぐらい置いてあったように思います。

 

 

その中で私がチョイスしたのはこの2つ。

 

大瓶(左) 牛肉豆鼓辣油辣三丁油辣椒(三種ミックス辣油)

15000KIP(=192円)

小瓶(右) 油辣椒・牛肉豆鼓辣油

13000KIP (=166円)

 

え・・・安い。

 

大丈夫か?

 

と少し心配になりましたが、HACCP、ISO14001、緑色食品(中国の品質証明)取得済みなので、安心して食べられそうです。

 

特に途上国において、食品にハサップとISOがついてる安心感・・・すさまじい。すさまじい・・・!!「緑色食品」というのは初めて聞いたのですが、中国で生まれた品質証明商標で、今は日本をはじめ8つの国と地域で商標化されているみたいです。知らなんだ!!

 

ちなみに、パッケージの上からラオ語で貼られている小さな紙は「唐辛子の調味料(マックペット=唐辛子、ジェオ=つけダレのような調味料)」と書かれています。そうだよな、中国語のみのパッケージ、説明なかったらわからんわな。(私もわからん)・・・って、どっちも同じこと書いてるから結局違いは分からないんですけど(笑)

 

 

 

 

ちなみに、この、一見おっちゃんかと思ってしまう絵は、創始者の女性だそうです。

 

自分の名前が書けなかったという創始者の陶華碧さんが、田舎の町のさらに田舎で細々と始めた麺屋で提供していた自家製ラー油が美味しいと人気を呼び、ラー油工場を作るに至って、2018年の営業収入はなんと720億円。どういうこと。

 

”ケニアのHUAWEI食堂にもラオガンマが…”と書いてる記事を見つけたので、もしかしたらアフリカの隊員にもワンチャンある話かもしれません。あったらいいな。あったら、幸せになるよ。探してみてね。

 

さぁてさぁて。食べましょうかね。

 

牛肉豆鼓辣油辣三丁油辣椒(三種ミックス辣油)

 

 

ではまず、大瓶のほうから。

 

蓋を開けると、ザーサイの独特の香りが広がります。そして、かりかりした豆腐と、落花生が、これでもかとてんこ盛りに。

 

 

もっとオイリーなのかと思っていましたが、めちゃめちゃ具沢山です。

 

 

ご飯にのっけるとこんなかんじ。

 

ザーサイが好きな人はきっとドはまりすると思います!落花生だけぽりぽり食べるもよし、ご飯にかけるもよし、生野菜と和えるもよし。見た目ほど辛くないので、ばくばくいけちゃいます。やばいなこりゃ。

 

続きまして。

 

油辣椒・牛肉豆鼓辣油

 

おお、こっちはオイリー。

 

 

スプーンですくい上げると、こんな感じ。肉と味噌が、超こってり。こちらはごろごろの具材は入っていません。

 

 

ご飯に載せたところ。山椒の風味が華やかで、先に紹介したものよりもピリ辛です。とにかくご飯によく合う。めちゃめちゃ危険。これでカオニャオ(蒸したもち米)なんてあったら、もう、めっちゃめちゃ危険。永遠に食べちゃう。

 

活用方法

 

手始めに、たたきキュウリと和えてみました。こっちの太いキュウリ、ばんっと勢いよく叩いたら中から種が飛んで行って絶望しながら片付けたので、今度から気を付けようと思います・・・。でも包丁で切ってしまうとうまく絡まないから、たたきキュウリ推奨。

写真のものは具沢山のほうでやったものですが、どっちでやっても美味しかったです。軽く塩を振って揉んでから、かたく絞ってやると、水っぽくならず、ラオガンマも薄まらず、食べられます。これ、一生食べていられます。エターナルおやつ。

 

チャーハンにしたら美味しいという記事を見つけたので、それもやってみました。

 

 

あ、あァ、・・・・ (言葉を忘れた人)

 

このためだけに、チャーハン用にお米炊いちゃいましたよ。こっちのお米の、ハズレだったやつですが(笑)みりんとお塩とごま油ほんの少し入れて。離れもよくなるし、ごはんの味も多少よくなる。

具材はシンプルに卵のみ、味付けはもちろんラオガンマのみ。辛さだけだと思うなかれ、しっかり具材のコクが感じられます。卵とラオガンマのみで十分。他には、何も、いらない。これザーサイ入ってるほうでやっても絶対美味しいな。

 

 

そして調子に乗った私は、餃子につけても美味しいかな??と思いつき、それもやってみました。

 

 

皮から手づくり(売ってないから)。紫蘇がもっさもさで1束30円ぐらいだったので、これでもかと入れてみました。西日照り付けるトタン屋根の素敵なキッチンで、天井雨漏りしてる??ってぐらい汗ぼったぼたに垂らしながら、無心で2時間かかって包みましたよ。達成感だけで既に美味しいわ。

 

具材は、豚肉、紫蘇、玉葱、ひき肉、しょうが、大蒜、 貝柱スープ、創味シャンタン、塩、醤油、 砂糖、ごま油。

皮は、中力粉230g、餅粉20g、ぬるま湯160g、塩小さじ1ぐらいでやってみました。ひたすらこねるだけ。

麺棒無いので、ミニソーで買ったタンブラー使って生地を伸ばしたのですが、1枚伸ばしては包んで、とやっていたので結構時間がかかってしまいました。生地が乾燥する&具材が危ないので、次回はこの点を改善していきたいと思います。PDCAサイクル、回します。

 

こんがり焼けましたので、いざ!実食!

 

 

ウワアアアアアアアアアア!!!

 

いや、ほんとに美味しいです。やばい。紫蘇たっぷりの爽やかな具材ともっちもちの皮に、ぴりっとコクがあって山椒の華やかな香りが広がるラオガンマが、合う!!!!全世界の皆さん!餃子には!ラオガンマです!!!!!!!

 

残念だったのは、これがこっちの豚肉の限界なのか、結構混ぜたつもりだったのに具材が硬かったです。(脂身少ないところ選んだのが余計だったかな・・・。)次回は買った後自分でもう一回叩いてみようかな。そして、乾季の一番暑い時期の一番暑い時間に一人でやることではないです。苦行以外の何物でもありませんでした。

 

でも、それを上回る幸福を得られたのでヨシとします。

 

ということで

ラオガンマの良いところは、とにかく安くて、美味くて、汎用性が高いところです。これで肉焼いても美味しそう。テラピアにつけて食べてもよさそう。カオニャオにも合うし、生野菜もチャーハンも簡単に美味しくなるし、手間もかからんし・・・。ラオ子はこれから、ラオガンマ生活に突入します。今度首都に上がったら別のラオガンマも買いたいと思います。

 

2018-3次隊、ラオガンマ隊員 ラオスのラオ子がお送りしました。

 

ちょっと悔しいこと

 

なんとなく平成のうちにあげたくて4月30日に滑り込みセーフしたんですが、令和前夜で大盛り上がりとかいう事情を全く把握していなくて、思っていたほどアクセスが伸びませんでした・・・(悲)

自分が主張したいことはガンガンしていくスタンスで生きてるので、この食べ物記事に釣られてリンク踏んだ方にも是非読んで頂ければと思います。

 

そしてなんとなくで始めたみんなのリンク集も良い感じに数が増えて楽しくなってきました。世界中の隊員、海外在住さんのブログばかり集めているので、ぜひこちらもアクセスしてみてください。いや~~~・・・、みんな、みんな癖が強い!癖が強いんや!癖しか無いんや!!(褒めてます)

 

https://www.instagram.com/p/Bw7TNbmlQaY/

 

それから最近、お絵かきにはまりました。画材は、ノート、シャーペン、トイレットペーパーです(笑)

大家の孫ちゃん描いて、こないだこの写真見せたら「ちょっと母さん!ラオ子が描いたんだって!ちょっとちょっと!!」「なになに!まぁぁ~~~可愛い!!ワツァップに送って!!」と大喜びしてくれました。嬉。画用紙に描いて渡したいけど画用紙売ってない。ラオガンマと一緒に都会で仕入れなければ!

 

追記:

ラオガンマシリーズ(笑)

 

卵に混ぜて、豚の角煮で作った焼き飯くるんでみた。うまい。

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ときに「異文化理解」という言葉は凶器となる?

さばいでぃー!

皆さんこんにちは、ラオスのラオ子です。

旧正月に向けてお仕事モードからゆるゆると正月モードに入ったラオスは、新年を迎えると同時にブチ上がり、都会も田舎も関係なくそこかしこが爆音&ダンス&水かけ祭の会場と化しました。そして三が日が開けると、しーん・・・として街全体がお休みモードになり、この週末が明けたらいつものラオスに戻り始める・・・のかな?という感じです。

 

いつもラオス最高ー!ラオス楽しいー!という話ばかりしているので、たまには趣向を変えて、今までで一番悩み、落ち込んだことを、色々やんわりぼかしながら書いていきたいと思います。

 

 

ラオ子は酒が飲めない

 

本題の前に。前提条件として、私は酒が飲めません。もともと弱い体質なのだと思います。飲んだらすぐに頭が痛くなり、眠気に襲われ、そこで寝てしまうと夜中にとつぜん吐き気に襲われます。寝なかったら、ひたすら笑うか泣くかを繰り返すらしく、人としての尊厳を失い、まわりに迷惑をかけます。飲み会も全く好きではありません、安い席はご飯美味しくないしうるさいし、そうでなくても煙草くさい。それで、安くても3000円、多いと5000円、ポンと飛んでしまう。3000円あったらスイーツセットのハシゴ行けるし、5000円あるならファイブスターのランチかデザートバイキングにでも行きたい。

あ、味が好きだから辛いと思うときもあります。友人や彼氏とベルギービールウィークエンドに行っても、私だけ貰ったコインのほとんどを割高なツマミに費やする。みんなは色んなビールを楽しんでいるのに、私は一口飲んで限界を迎えたところでビールをあげてひたすらフレンチフライを食べる。食べ終わった後物足りなくて、ほろ酔いの友人たちをステラおばさんのクッキー食べ放題の店に連行する。(理解のある友人たちで本当に助かる)

小さいころ、じいちゃんが石油ストーブで酒粕を焼いておやつがわりに食べていたのをつまんでたから酒粕の味は好きだけど、未だにちょっと食べたら顔が真っ赤になって目がちかちか。日本酒やワインの味は好きだし、料理に合わせたら美味しいのも分かっているけど、たくさんは飲めない。夏フェスで背伸びしてビール買ってみても、にわか雨が降ったらコップから薄くなったビールがコップのふちから溢れてくる。ワイナリーで試飲させてもらったら、その後ワインを買ったことを覚えていない。オールで飲んだ帰りにセブンで烏龍茶6リットル買って帰ったことも覚えていない。

 

1本、2本とビールをがぶがぶ飲める人が心底うらやましい。きっとラオスも、カンボジアと同じようにお酒飲め飲め文化なんだろう。カンボジアでは逃げ続けていたけど、今回は最後のチャンスだと思って、その文化に揉まれて、私もお酒が飲めるようになって日本に帰ろう!!!

 

・・・って思っていたのですが、そもそも本当にそう思っているならカンボジアに2年住んだ時点で出来ているわけで。さっそくラオスでもその壁にぶち当たることになりました。

 

ちなみに、この写真のときも、ちびちび、ちびちびと飲んで、半分でギブアップ。でもこの時は「青春ごっこ」の名のもとにメコン川の向こうのタイの灯りを肴に訓練生活を語ることが目的だったので、雰囲気が味わえればそれでよいのです・・・。

 

ラオスの「キンビア」って何

「キン(食べる)ビア(ビール)」でキンビア、つまりビールを飲むこと、飲み会、のこと。

 

ラオスのキンビアは、本当にすさまじい。

 

始まったが最後、というか、終わらない。いつになったら終わるんだろう??と聞きたくなるぐらい、終わらないんです。それはもう、田舎も都会も関係ありません。何かのセレモニーの後、黄色いケースがドンと積まれたかと思うと、中のビール瓶が次々空になっていく。いつ休んでるの?と言いたくなるぐらい、飲み続ける。爆音で音楽を鳴らし、会話にならない会話をしながら、ひたすら飲み続ける。

 

ピーマイ(旧正月)などの行事になるとそれがエスカレートし、夕方になると「え、これ、何人で空けたんですか・・・?」と聞きたくなる量のビール瓶が転がっている。それでもペースが落ちない。

 

そしてだいたいのキンビアで、盛り上がるにつれて「イッキ」コールが始まり、激化していきます。・・・・悪夢が、始まって、しまうのです。

 

おもてなし文化の温かさの裏側に

先に誤解の無いように言っておきますと、私はこの記事を通じて「ラオ人はアルハラだ!」とか、「ラオ人との飲み会には気を付けろ!」とか、そういう事が言いたいわけではありません。(いや、実際、私のように体質的に飲めない人は本当に気を付けたほうがいいかもしれませんが・・笑)

ラオ人にはラオ人の楽しみ方があります。キンビアして、ラオミュージック&タイミュージックをかけて皆で踊って、辛い物、美味しい物いっぱい食べて、いっぱい話していっぱい笑って。すごく楽しそうなのです。シラフの私には入れない話のループができあがって、途中からずっと同じ話をして笑ってます。たぶんこのあたりは日本でも同じです。

 

そしてもちろん、ありがたいことに、同席する私にもお酒が振舞われます。ラオスの温かいおもてなし文化。「これは今朝うちで採れた野菜で作ったのよ!美味しいからいっぱい食べて!」「これは〇〇出身の私の義母が作ったの!食べてみて!!」と、お母さんたちは、おかずや、焼き立て・揚げたてのお肉や魚をたくさんすすめてくれます。どれも美味しい。「日本人でも食べれる?」と聞かれ「美味しいよ!」と答えると、「もっと食べてくれていいからね!!」と笑顔で返してくれます。これがまた本当に美味しい。最近は、ローカルレストランには並ばない「家庭の味」というものに魅力を感じています。だから、こういう場所に混ぜてもらえると、色々食べられて嬉しい。この暑さの中、ちょっとだけ飲むビアラオも、美味しいです。ビアラオは今まで飲んだビールの中で一番飲みやすい。苦くないし、つんとしないし。氷たくさん入れてキンキンに冷やした薄いビアラオでいいんです。ちびちび、ちびちび飲みたい。

 

しかし、「イッキ」が始まると、そういったものを楽しむ余裕がなくなります。

 

「ラオ子!イッキ!」

「ごめん、飲めないの。お酒弱いし、体調悪くて。」

「なんで!イッキ!」

「いやいや、ほんとに飲めないから。ごめん、ほんとに飲めないの。」

「じゃあ、半分!」

「いや、ほんとに無理だって。体調悪いんだって。」

「なんで!半分!半分!」

「できない、できない。ごめんね。」

「じゃあコップの柄のとこまで!第一関節分!!」

 

ずっとこのループが続きます。一人が何度も来ます。そして酔っ払いは大勢居ます。みんなと順番にこのやりとりをすることになり、2巡目がまわってきて、3巡目、4巡目・・・。断るのが苦手な日本人。私もできれば、断りたくありません。でも、飲めないものは、飲めない。体が受け付けないと言っている。1杯飲んで済むものではないのも、分かっている。「ちょっとだけ」が通用しないのも、もう、わかっている。(来てすぐに潰れるまで飲んでます・・・。氷入りで、コップ3杯。)

 

コップにしばらく口を付けて、飲まずにテーブルの上に置いても、横目でそれを見ていて、また「飲んでない!イッキ!」が始まります。 

 

そしてエスカレートしていくと、肩を組んでの飲ませ合いや、口にビンやコップをつっこんで無理やり飲ませるなんて光景も。本当に、すごい。それでも楽しく飲み続けるラオ人のキンビア、すさまじい。「ちょっとだけ」がききません。こちらがコップ一杯でやめたいと思っても関係なし。うまく断る術もなければ、強く断るメンタルも無い私は、まったく飲まずに場をシラけさせることに耐えるか、言われるがままに飲み続けるかの2択です。

 

私にとどめを刺した一言

活動先から帰る途中、レストランで顔見知りに来い来いと手を引かれて座ったキンビアの席。最初はわいわいやっていたのですが、どんどん「飲め飲め」が激しくなり、威圧的に、怒鳴るように言われても、コップを口に無理やりつけられても、水を飲んでいたコップの中身を捨てられてビールを注がれても、私はかたくなに断り続けました。ずっと飲んでいる薬との相性が良くないので、飲まないように日本の医者から言われている、だからお酒は殆ど飲んだことが無いし、弱いし、翌日の活動に響くから、とも言いました。

 

そして言われた、辛~~~~い一言。

 

「ラオスに住んでおきながら、ラオスの文化を理解しようともしないのか。」

 

「ラオ子が酒を飲まないから私たちは全然楽しくない」 

 

この言葉に、それまで頑なに断り続けたことや、自分が飲めないことでみんなの雰囲気をつまらなくしていないかと葛藤したこと、それを案じて1度無理やり飲んでみたけどすぐダメになったこと、翌日活動先でも気分悪くて1日ポンコツになったこと、それでも「もっと飲んだら強くなるから!」と言われて「飲めない体質だとは誰も理解してくれないんだな・・・」とストレスになっていた事などが、自分の中で溢れ返ってきました。溜めに溜めていた心のダムが決壊してしまったような気持ちになり、そして何も言えなくなり、黙り続けました。その後私は、皆が違う事に気をとられているうちに、すぅぅぅーーーーっっっっっ・・・とフェードアウトするように帰ったのでした。

 

― きっとあの人は私に言った事なんて覚えていないだろう。覚えていても、悪気もなかったかもしれない。いや、いっそ、いやがらせしようとして言ってもらったほうが、もう近づかなくていいからマシだ。でも、どっちにしても、どこの国の人とか関係なく、こんなこと言われたら辛い。

 

―でも今まで蓄積されていたものが今ちょっとダメになっただけで、全部あの人が悪いわけではない。失礼だし謝ったほうがいいのかな。 せっかく混ぜてくれたのに申し訳なかったな。とはいってもあの「飲め」の言い方は怖かったし、戻りたくはないな。

 

帰る途中、色んな気持ちが頭の中をかけめぐります。

 

ー なんで私はお酒が飲めないんだろう。それがそもそもいけないのか。私がお酒飲めたらこんな気持ちにならなかったのか。じゃあ飲んでやろう。飲めるようになるまで毎晩飲んでやろう。ドチクショー!

 

悔しさをどうにかする方法が分からなくなった私は、「じゃあ飲めるようになったるわ!!ヤケクソや!!」という、いたって短絡的な思考のもと、アルコール度数4.5%のアップルサイダーを買い、半べそかきながら家に帰ったのでした。

 

「異文化体験」は選べない?

ラオスに派遣が決まってから、ラオスを知らなかった私はたくさんの事を学ぼうとしました。ラオスの本を読んで、絶版しているものは図書館をはしごして探して。初めてラオ語を見たときは「なんだこれは、本当に文字なのか。」そう思いながら2か月半でラオ語の読み書きを覚え、皆に比べれば語彙も表現も少ないけれど現地に来てからも毎日勉強しました。同期隊員に比べたらまだまだ努力も語彙も足りないけれど、近づきたくて必死でした。

任地では毎日いろんな産地の巻きスカートを履いて働いて。日本では食べないものだって憶することなく食べたり飲んだり。そんな風に、私は、自分の中にある「ラオスを知りたい」という気持ちに正直に、文化に溶け込もうとしてきたつもりでした。

 

―でも目の前の人を不快な気持ちにしてしまった。溶け込もうとする姿勢があったら出来ないことがあっても相手にも理解してもらえるというのは私の勝手な思い込みだ。自分が興味あることだけを選択的に体験して分かった気になっていても、結局相手のコミュニティに溶け込む力がなかったら、理解してないのと同じことなのかも。

 

―そもそも私がカンボジアで2年楽しく過ごせたのは、他の日本人が社内外問わず築いてきた関係に便乗していたからで、そこには自分自身でいちから作った関係なんか無かったし、それを勘違いして驕っていた自分が恥ずかしい。

 

と、キンビアを断って言われた一言で色々考え始めたら、止まらなくなってしまって。

 

その後は、家や飲み会に誘ってもらっても、「ごめんね、体調が悪くて。」「今からテレビ電話で他の国の隊員と会議やから・・・。」と、せっかくのお誘いを受けても逃げるようになってしまいました。特に職場の人の場合、関係を崩したくないこともあり、断りまくるようになってしまいました。

 

そして、お正月目前になってもうまく整理できず、「うちでパーティーやるけど来る?」「家族で滝に遊びに行くけど一緒にどう?」「子どもたちが一緒に水遊びしたいって!」と、活動先のいろんな人が声を掛けてくれたにも関わらず、その先にキンビアがあるかと思うと怖くなり、家族の楽しい時間に水を差してしまうのではないかという気持ちも強まって、「ごめん、首都で隊員と遊ぶんだ!」と断っている自分が居ました。

 

水遊びしたかったな。お正月どんなご飯食べるのか気になるな。綺麗な滝も見に行きたかったな。雨ごいのロケット祭も、本当に、本当に行きたかった。でも、自分がやりたいと思ったことだけやるのは、アカンのかな。キンビアもできないと無理なんかな。首都行ってもやることないな、隊員誰か暇かな・・・。

 

自分から選んだ場所なのに、自分から人と関わることから遠ざかってる。日本では「ノミュニケーションなんて必要ない」と強く思っていたけど、こっちでは日本に居る以上に、「楽しい時間を一緒に過ごして親睦を深めるため」のツールとして必要なものかもしれない。

うまく躱す術も、アルコール耐性も身に付かず、ただただ相手の好意を無下にして自分のわがままを押し通そうとしている。こんなんじゃだめなのにな。どうしよう。どうしたらいいんやろう。

 

と、うじうじ、うじうじうじうじ、悩んだ結果、実際これで任地の家に籠って寝正月したらいよいよ本当に取り返しがつかないぐらい落ち込みそうだったので、何もプランを立てずにとりあえず上京する事に決めて、事務手続きをしたのでした。

 

そしてどうにもならないこの気持ちを誰かに聞いてほしくて、連絡を取ったり、インスタでみんなに意見を聞いてみたり、ここでやっと人に話を聞いてもらうという行動が取れたのでした。あの時悩んでいた私に温かい言葉をかけてくれたみんな、本当にありがとう・・・。

 

この件で学んだこと

キンビアに悩みはじめたのは3月初めの赴任後すぐですが、本当にダメになったのは4月に入ったぐらいのことでした。1か月半の自分の行動とキンビアとの関わり方を振り返って、いくつか気が付いたことがあります。

もちろん、分かってくれる人も居る

この件があった数日後の、職場の「ブンピーマイ(旧正月祭)」が私には苦痛で仕方ありませんでした。8歳の友達以外、全員敵だと思って臨む予定でした。(友達にも「どうしてラオ子はキンビアしないの?大人でしょ?」って言われたけど・・・。)

 

バーシーには行きたい。でも、みんなが1年で1番楽しいときに、自分がお酒を頑なに断ることで「楽しくない」と思わせたらどうしよう。でも飲めないし、飲み会は昼から夜までずっとだし、憂鬱だ・・・と思っていました。

 

しかし、バーシーの準備中にオカンたちと色々話をしているとき、自分が本当にお酒を飲めないと悩みを打ち明けると、「じゃあこの後のキンビアは私たちのテーブルに来なさい!」「水だけ飲んでればいいから!」と言ってくれて、実際その後の飲み会でオカンたちからお酒をすすめられることはありませんでした。もちろん、他の席から乾杯しにきた人たちにはすすめられましたが、この席の人たちは私が飲めなくても良いと思ってくれている、と逃げ場がひとつあるだけで、私の気持ちはずいぶん楽になりました。それに、手首を見たら皆からお願い事をしてもらったたくさんの糸。私の幸せを願ってくれる人が居ることを思い出してあったかい気持ちで乗り越えられました。

 

酔っ払いは万国共通

 

「ラオスのキンビア文化怖い・・・」と、あやうく一括りにしてしまうところでした。先週この内容を更新していたら、おそらくこの記事も「ラオスのキンビア文化なんて滅びろ!」というキャッチーなタイトルになっていたかと思います。

でも、よくよく考えたら日本人だって欧米人だって関係なく、酩酊した人とはまともに話は出来ません。日本だって、飲めなくても楽しめる席もあれば、そうでない場所もあり、年末年始なんて駅周辺吐しゃ物まみれで、その上に寝っ転がっている人も。そもそもお酒の強要をする人がいなければ「アルハラ」なんて言葉は生まれていないはず。

「酔っ払い」にまともに話して分かってもらおうとしていたのが間違いだったんだと思います。そして、飲めないなら飲めないで、(いろいろな機会や広がりを逃すことはあったとしても)飲み会自体断ったって活動に支障が出るわけではないので、飲まされること自体が苦痛なのに交流をはかりたいという使命感で積極的に飛び込んでいく場所ではなかったかなと。実際、子どもたちと遊んだり、おばあちゃんたちと話しているほうが、100倍楽しい。そして、国籍関係なく、べろべろに酔った人、酔って他人に迷惑をかける人が、本当に苦手です。(私もたくさん飲んだらもれなくそうなります。)

 

来月には必ずぶつかる課題だった

私は活動上、バイクの使用を許可されている隊員です。来週には3回目の教習と試験、来月にはタイカブが届きます。そうなると、今までのように配属先の人たちの送り迎えではなく、バイクでの活動が多くなります。

飲酒運転はもちろんできません。現地の人たちにはそれを言っても「関係ないよ」と言われるかもしれませんが、私は下戸だし、「公人」です。バイクを運転するなら酒は飲まない。法律が、JICAがそういっているなら、私はそれに従います。

よって酒は飲みません。コップを無理やり口につけられても、楽しくない・文化を理解する気が無い、と言われても、だめなものはだめ。無理なものは無理。そう強く言い続けるしかありません。バイクに乗っている時は、何を言われても公人としての義務を果たすべきです。

それに、酔ったらすぐ寝るか、楽しくなって記憶がどこかに行ってしまうような人間が、「外国人女性」として見られる場所で酩酊すること自体が、安全上よろしくなさすぎます。そう、私は、外国人なのです。そしてここは途上国。急性アルコール中毒になったり、酩酊して怪我したりしても、救急車を呼んでもらえるかわからないし、病院に行っても日本と同じような治療を受けられるとも限りません。自分の身は自分で守る。ひとりで任地に住んでいる隊員として大切な大前提を、あやうく忘れるところでした。

 

相談することは大切

キンビアのことを相談した他の国の隊員から「自分も同じ状況」と教えてもらって、私の気持ちはずいぶん軽くなりました。また、「お酒以外のラオス文化に博識となり、積極的に披露する」「任務で信頼を得る」といった、自分自身の努力が足りないこと、「ラオ子という人間を理解してもらうのは時間がかかる」という大先輩からの言葉に、背筋が伸びたのも事実でした。

言葉を覚えて自分の気持ちを一方的に伝えられるようになることと、本質的に分かってもらうのとは全く別のことで、それを考えずに「何で分かってくれないんだよ」とヤケのようになっていたことには、大反省会(キンビア無し)です。

 

見習いたい”共感力”の高さ

正直、「隣の国に2年居たし大丈夫~」って余裕ぶっこいていたので、彼の一言でここまで落ち込むとは当人も思っていませんでした。ですが、私がインスタで白旗を振ったとき、そこにコメントをしてくれた人も、直接連絡をくれた人も、どちらも私のなかに鉛のように溜まっていたものをすっと溶かしてくれました。私はそんな風に人の力になれているだろうかと考えると、足元にも及ばないなと。

青年海外協力隊という同じ括りの中で活動している人、数年、数十年かけてコミュニティの中に溶け込んだ人、色んな人が居て、いろんな方面から話を聞いてくれて、いろんなアドバイスをくれて。みんなきっと、多かれ少なかれ、活動自体にも、インフラにも、「お金ちょうだい問題」、「シノワ問題」などにも、国や地域によって違いはあるにせよ今まで感じたことのなかったストレスを抱えて活動しているわけで。自分で選んで飛び込んだ世界だとしても、どうにもならないぐらい辛くなるときは当然あると思います。そういう時に自分も「ラオ子~!話きいてくれ~!」って思ってもらえるような人になりたいです。

 

自分も無意識にやってしまっていないだろうか

カンボジア人、トルコ人、スコットランド人。今まで私の家に遊びに来た人たちです。そして、日本国内で「大人数の日本人の中に外国人が一人もしくは数人」というコミュニティにも居合わせたことも何度もあります。英会話カフェ、ゲストハウス、職場、などなど・・・。その中で、相手が出来ないことを「文化だから」と無理やりやらせていたことがもしあったら、と、考えました。こちらは楽しんでほしくて精いっぱいもてなしているつもりでも、相手からしたらやりたくない事で、文化だと言われるから無理に合わせていただけ、なんてことがあったら・・・、どっちも得しません。無意識に、悪意なくやってしまうことほど相手を傷つけることはない。自分もこれから気を付けようと思いました。

それから、「文化」という大きな概念を理解する前に、目の前に居る相手を理解する必要があるし、それは自分がマジョリティでもマイノリティでも関係ないのかもしれない、という事を、今まであまり考えたことがなかったなと。目の前で起きたことがその「文化」のすべてではないことが大前提、捉え方も表現も伝え方も何もかもが人それぞれで、自分が経験した事だけで100を理解した気持ちになるのは本当に危険。実際に同じラオスの他の隊員からは「そんなに強要する人も居るんだ」と驚かれましたし、「あるある。辛いよね。」という言葉をくれた人もいます。集団の中の一人であることに変わりは無いとしても、それがすべてに当てはまると考えてしまうことは避けたいです。

 

発信するという行為に対する責任

これはカンボジアから帰って小学校、高校、大学と色々なところで講演させてもらったときにも思ったことですが、自分が「これがラオスの文化」だと捉えて発信することで、ラオスの間違ったイメージを与えることにも繋がってしまう危険性があるんだということを忘れてはいけないなと。

特に、今私は「青年海外協力隊」として「ラオス」で活動している人間です。その「ラオ子」が、ブログやSNSで発信することで、国際協力に興味がある人の手助けになったり、ラオスに来たい人の情報源になれば嬉しいし、自分がどっぷり漬かっているラオスという異国の面白さ、すばらしさを伝えていけたらという思いで書いています。しかし、私という一人の人間のバイアスがかかることで、捻じ曲げて発信してしまうという危険性があることを十分に考えて発信していく必要があります。

 

「したい」と「させられる」

まとまらないまとめです。

その後の首都滞在で、同期隊員と一緒に、路地裏にテントをたててキンビアしていたおじさんたち(多分そこそこ偉い人)に混ぜてもらいました。ゆるーく踊ったり、写真とったり、「〇〇君(JOCVの先輩)を知っているよ!彼にはお世話になったから君たちがもし旅行に行くなら僕の車で連れてってあげるよ!」なんて嬉しいことを言ってもらったり。

それ以外にも、旧正月で同じく上京中の同期隊員たちから「昼から飲む」という未踏の飲み方を経験させてもらったり、夜ドミに戻ってからも寝る前にビン1本飲んでみたり。「ちょっと飲んでみる?」「大丈夫?」「無理してない?」と、練習に付き合ってくれて心配もしてくれて。

お互いの任地での生活や活動の話なんかをしながら、メコン川沿いでゆっくり飲むビアラオ、うめぇ。ちょっと飲んだら眠くなるけど、昼間のうだるような暑さの中飲むビアラオも、うめぇ。

 

結局のところ、私が今回ここまで拒絶反応を示したのは、

①「文化だからと断りにくい環境を作り、何度もイッキを強要される」という事自体に強いアレルギー反応を起こしキンビア自体受け付けなくなっている(7割)

②「ラオスを理解しようとしていない、楽しくない」と否定されたことに純粋にショックを受けた(2割)

③無理やりやれと言われたことをやりたくない意地(1割)

かなあ、と、首都滞在を終えて思ったのでした。

 

自分の習慣に無いものを強要されるというのは結構苦痛ですが、もし逆の立場でそうなった場合に拒絶反応を示してしまうというのは、きっとラオスの人も同じこと。活動の上で自分がそうしないように、自分が28年間でつくってきた「普通」は一旦捨てて、時間がかかるとしてもひとつひとつの事を丁寧に確認しながら活動していきたいと思いました。

 

ちなみに、ヤケ買いしたアルコール入りのアップルサイダー

 

 

キンキンに冷えてます。だって1本もよう飲まんもん・・・。

隣の醤油のほうがよっぽど美味しそうや。

 

余談。

自分の時間がたくさん持てて、読書や情報発信に時間をつくりやすい今の生活。せっかくなら読書と文章づくりの質をあげる練習をしてみようと、「東大読書」「東大作文」なる本を買ってみました。いつもはだいたい2000文字ぐらいで力尽きるのですが、1万文字ぐらいのボリュームで書いたらどれぐらいの内容になるんだろうというちょっとした好奇心で、旧正月最終日を使って、写真少な目・文多めの1万文字記事を書いてみました。結構文章書くのって体力が要るんですけれども、写真に頼ってばかりではいつまで経っても文章が書けるようにならないので、今後も不定期でやっていく予定です。大した内容ではありませんが、また次回もお付き合いください。

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ラオス旧正月!バーシースークワン初体験で、ちょっと泣いた話。

さばいでぃー!

 

さばいでぃーぴーまい!(あけましておめでとうございます!)

皆さんこんにちは、ラオスのラオ子です。

1月1日のインターナショナルニューイヤー、2月の中国旧正月に続き、4月15日、ラオスは今年3回目の新年を迎えました。私の活動先である産業商業局は、11日が新年のパーティー。12日は後片付けや余韻(皆あちこちで飲んでいて働くモードはどこへやら)で、私も局には行かなくて良いと言われたので家でたまっている報告書の作成や料理にあてました。

そして13日から17日まで5連休。活動先によってはもっと長期休暇のところもあるそう。逆に1月1日のインターナショナルニューイヤーは元旦だけが休みで2日からは普通に仕事なんだとか。いかにラオスで旧正月が大切にされているかが伺えます。

 

旧正月、どんなかんじ。

 

メコン流域の国々、本当に面白い。文化や宗教、言語など、過去の歴史の中で深いつながりがあったことを感じさせてくれます。4月になると、タイは「ソンクラン」、ミャンマーは「ティンジャン」、カンボジアは「チョール チュナム トメイ」と、周辺国は旧正月を迎えます。(ベトナムのテトだけが、ちょっと特殊かも。)

ここラオスも、ほぼ同じタイミングで「ピーマイ(ピー=年、マイ=新しい)」があり、今年は4月13日から17日までは旧正月の大型連休(当局の場合)。

正月1週間ほど前から事務所に来る人が少なくなり、各々買い物や、産業商業局とつながりのある省庁・企業などのパーティーに出席し、千鳥足で昼過ぎごろに局にやってきました。

それが正月に近づくにつれエスカレートし、水でびしょぬれ、ベビーパウダーで粉まみれのおじさんたち(といっても局の中では課長、部長クラスの方たち)が、私のデスクの前にあるソファにドンと腰かけてゆらゆら。

「ビール飲んできたの?」「うん」「どこで飲んでたの?」「〇〇局に呼ばれて」「いっぱい飲んだんでしょ」「うん」「クーラーあたって寝てて」「うん」「水飲む?」「いらない、ビール飲む」「無いよw」「買ってきて、お金あげないけど」「嫌だよwwww」と、私は千鳥足のおじさんたちとどうしようもない会話をして過ごしました。

そんな感じで、お正月が近づいてくると、家も会社も関係なく色んなところにぽつぽつとテントが張られ、爆音でラオミュージックが流れるなか、皆ゆる~く飲んだり食べたり踊ったりするようです。

 

産業商業局の正月祭で「バーシースークワン」初体験

 

 

4月10日夕方、いつも閉まっている「ほーん ぱすむ(会議室)」が珍しく開いていて、中から人の笑い声が。さっき水びたし&粉まみれですれ違った、完全に出来上がった課長が入っていくのが見えたので、私は見なかったことにして事務所へとこっそり戻りました。

 

 

その後、他の局員さんから「ラオ子!おいで!」と呼ばれたので、「キンビア(飲み会)やったら地獄やなあ・・・」と思いながら恐る恐る部屋を覗くと、コンクリの打ちっぱなしの床に茣蓙が敷かれて、翌日の「バーシースークワン」の準備をしている最中でした。

冗談なのか意味があるのかは定かではありませんが、ひょろひょろぐにゃぐにゃの長いロウソクを頭に巻かれ、顔の長さを測るかのように頭のてっぺんから顎までべたっと押し付けられ顔面をばしばし叩かれました。

 

 

それを、ロウソクを束にしてしめ縄のようになった塊に合体。「何したの?」って聞いたら「ぼーぺんにゃん!(大丈夫!)」と言われたので、大丈夫なんだと思います。

 

 

そして翌日、お酒が飲めない私には悲しいぐらい憂鬱な「大晦日前日」の11日、この日は産業商業局の仕事は1日中お休みで、息もしたくないような暑さの中、「ぶん ぴーまい(ぶん=祭)」つまり、お正月のパーティーが開かれました。

 

 

朝から皆せっせと「バーシースークワン」というラオスに伝わる儀の準備。家族が大きな病気をしたあと、新年、家族が留学や仕事で遠いところに行く前などに、幸せを願って行われるそうです。私は今回バーシースークワン初参加。派遣前訓練中に、ラオ人の先生が作ってくれたミサンガで隊員同士でバーシーの練習をしたことを思い出し、板書を見て何を言ったらいいのか復習。

 

 

家族だけで行うこともあるそうですが、お正月のバーシーは特別。お坊さん4人に来てもらい盛大に儀式が行われました。

 

 

運ばれてきたタライにはたくさんのピンカイ(焼き鳥)が入っていて、お姉さんたちが中華包丁を使って次々叩き切りしていきます。

 

 

 

そしていよいよ、儀式が始まりました。

各々持ってきた仏具(?)にロウソクを立てて黄色いお花を入れ、手を合わせてお坊さんのお経を聴きます。

 

 

田舎のお寺の保育園で育ててもらった私にはなじみ深い「ブッダンサラナンガッチャーミー」。カンボジアで初めて聴いたときは「本当に言うんやああ!!!」とものすごく感動しましたが、同じ上座部仏教のラオスでも同じお経を聴くことができました。その後には「ダルマンサラナンガッチャーミー、サンガンサラナンガッチャーミー」と続きます。「三帰依文」というもので、「ブッダ(仏)、ダルマ(法)、サンガ(僧)」に帰依するという意味だそう。

その後は「ドゥティヤンピ(ふたたび)」「タティヤンピ(三度)」を頭に付けてまた同じ言葉を繰り返します。

 

 

そして時折、水でふやかったもち米や、キャンディー、お花、小さく折られたお金などが飛んできました。

 

 

「よかったね、ラオ子!幸せがやってきたね」

 

なるほど、そういう意味なのね。

 

お坊さんが錫の器に入った聖水を、葉がたくさんついた木の枝をつかって全員にかけてまわり、またお米があちこちから飛んできて。結構、びちゃびちゃ。後半になると、床も、体も、頭も、米まみれ。もち米が撒かれるたび、「わぁ~~!!」と歓声があがります。

 

 

そして、結構長かったお経が終わり、お坊さんはこちらで用意したご飯を食べます。

 

お経を唱えている間火柱をあげていたロウソクと、残った水。このお水を体につけたり、ペットボトルに入れて持ち帰ったり。日本でいう、お寺に行ったときにお線香の煙を浴びるようなものでしょうか。

 

 

 

そしてお坊さんたちがお帰りになり、バーシーが始まりました。

「ラオ子、あなたは初めてだから一番前よ!」「でも写真撮りたくて・・・失礼じゃないかな」「大丈夫!手を合わせてる間は皆と一緒にお祈りしてね」と言ってもらえたので、一番前でバーシー式を体験させていただくことに。

 

 

真ん中に置いた祭壇のようなものから伸びる糸を皆で持ち、進行役の一人が何かをずっと唱えています。その村の長など、位のある人が、が口伝された祝詞のようなものを唱えるようです。(語学力の限界・・・。)

そして時折みんな「サーーー!」とこたえる。このタイミング覚えたいなあ。

 

 

終わったら、みんなで祭壇のオレンジや白の糸を分け合って、手首に結びます。卵や鶏肉を握らせて結ぶ人、お金を握らせてお願い事をする人、いろいろ。

 

私も上司・同じ課の人のところに結びに行きたいな、と、必死で覚えた言葉を思い出そうとしていたところ、「ラオ子!ラオ子!」とみんなが私のところに結びにきてくれました。

 

 

ビエンカムにきてくれてありがとう。

 

あなたと一緒に仕事ができて嬉しい。

 

2年間、健康で過ごせますように。

 

2年間、ここでの生活が安全でありますように。

 

たくさんのラオ人の友達ができますように。

 

ここが第2の故郷になりますように。

 

ビエンチャン県のODOP商品を、協力してたくさん売っていけますように。

 

あなたが笑顔で頑張れますように。

 

あなたと、日本にいるあなたの恋人や家族が健康でありますように。

 

2年後にはもっともっとラオ語でたくさん話ができますように。

 

日本とラオスがもっといい関係になれますように。

 

多分、もっとたくさんのことを言ってくれていたのですが、今の私に聴き取れるのはこれぐらいでした。

 

でも、十分でした。私の手を取り、ゆで卵やお金を手のひらに乗せて、私の目を見て、とびきりの笑顔で、私の2年間の活動や、ここでの生活が豊かになることを祈ってくれた。

もっと聴き取れたら、と、悔しい気持ちになりながらも、みんなの温かさに胸がいっぱいになって、喉の奥がぐっとなりました。こらえきれず涙が出てしまい、「どうして泣いてるの」と聞かれ、「嬉しいからだよ」と答えると、「その気持ちで、これから頑張ろうね」と。

 

 

こんな風に、温かい気持ちと真っ直ぐな言葉でお互いの幸せを願う儀式が、職場や家庭で当たり前のように行われる。なんて素敵な文化なんだろうと思いました。

日本に居たときは、「仕事は仕事」「プライベートはプライベート」と完全に分けた働き方しかした事がなかったし、それが当たり前で、普通なのだと思っていました。でもラオスは違っていて、もっともっと距離が近くて、皆がみんな親戚のような感じ。だからこそ理解し合えること、助け合えることもたくさんあるんだろうなと、ここに居た1か月半みんなの働き方を見て感じました。

 

 

この後引き続き行われた「ぶんぴーまい」の飲み会は、お酒が飲めない自分にとって結構辛いものでしたが(これはまた後日)、バーシーの儀式は「心があったかくなる素敵な時間」であるということを知った素敵なお正月となりました。

今度のバーシーでは、私がみんなの幸せを願って糸を結べるようになりたい。このモチベーションを語学の勉強にあてたいと思います。

 

 

ネットで調べると諸説あるのですが、結んでもらったバーシーの糸は3日~2週間ぐらい置いあと切るそうです。それまでにも結び目の甘いものが自然と取れていきましたが、糸がたくさんついていると炊事や入浴のあと重さを感じるぐらい水を含みます(笑)

 

取れてしまったものは家の鍵に結んで、残っているものはこのままにします。見るたびに皆に貰った温かい言葉を思い出せます。皆、ありがとう。

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肉塊を手に入れて、豚の角煮を作ってみました。

さばいでぃー!

みなさんこんにちは。青年海外協力隊2018年度3次隊コミュニティ開発隊員の、ラオスのラオ子です。何度でも言いますが暑いです。もうこの暑さは十分、今週末に控えたピーマイラオ、いわゆる旧正月仕様。そりゃこんな暑さが毎日続いたら、メコン一帯で「水かけ祭」なる文化が生まれるわけですわ・・・(たぶん違う)。

 

www.laoko.net

 

おかげさまで皆様から大好評のこの家に引っ越して、もう1週間が経ちました。ここ一週間は、掃除、掃除、掃除に明け暮れた日々。すべては、今から2年間、自分が快適に住む場所を確保するため。心を無にして、鬼にして、この乾季のピーマイ前の一番暑い時期に、大掃除しました。それでもまだまだ目につくところはありますが、おいおい・・・気が向いたら・・・やっていきます。たぶん。

そして、ぺっかぺかに磨いた床には翌朝たくさんのヤモリの糞。いたちごっこ。このやろー!でも、いいんです。あの子たちは可愛いから。夜中にエヘエヘエヘエヘッ!!って鳴く可愛いペット。だから、私のラブリーなベッドに糞が落ちてても、壁にくっついてても、朝起きたらスマホの上に3個転がってても、仏の心で許します。だから、横向きに寝かせてたスーツケースの下からぺしゃんこになったヤモリが出てきても、仏の心で許してほしい。

 

 活動終わりにふらっと立ち寄れる青空マーケット

 

産業商業局の隣の広場にできる、夕方限定の市場。その日のうちに採れた野菜や、まわりの沼やナムグム川で獲れたタウナギ、ナマズ、テラピアっぽい魚、そして屠殺したで新鮮と噂のお肉も、ここで買うことができます。

いろんな国が陸続きなので、産地がどこなのかは結構気になるところ。実際、不自然につやつやぺかぺかの外国産の果物もあったりして。ですが、「どこで育った野菜なの?」と尋ねると、だいたい返ってくるのは「すぐ近くの村だよ」「隣の郡だよ」という答え。そういえば、野菜はどれも、虫食いだらけ。すぐに痛むし、形もばらばら。でも、それが本当の「安心」なのかもしれません。祖父母が畑で育てていた野菜もこうだったなあ。実家のご近所さんからのおすそ分けもそう。「無農薬」「オーガニック」って良いことだけど、それに付加価値がつかないほど、このマーケットに並ぶのは「自然のもの」ばかり。「こんな重労働の野良仕事して穴ぼこのサツマイモ育ててんと、近所の八百屋で買ったらいいやん」と思っていた小学生の私よ、謝りなさい。

 

 

さて、お肉はこのように売られています。「薄切り」や「ミンチ」という概念は・・・ありません。(あったとしても、常温放置の断面多いお肉は危なくて買えませんが)この豚肉屋さんは、骨付きの豚肉で1kg35000KIP、骨なしの部位だと38000KIP。450円~490円ぐらいです。脂身たっぷりのほろほろの角煮はそこらで食べられるので、家ではあっさり食べられる角煮が食べたい。そんなわけで、骨無しの脂身が少ない部位を1キロ頼んで、いざ。

 

豚の角煮を作る。

 

 

まずはお肉の下処理から。15%の食塩水に生肉を浸すことで殺菌できるということを教えていただいたので、さっそくやってみることに。1kgの豚肉の肉塊をドンッと鍋に入れて、15%になるように塩と水を入れてよく溶かし、よ~~~く揉み洗いしました。

 

 

次に、油をひいた中華鍋で、表面を焼いていきます。脂身ほぼ無しの部位を買ってきたので、全然肉汁が出ません。めちゃめちゃ、くっつきます。余談ですが、中華鍋って炒めるときにすごい美味しい音がしますよね。

 

 

そして肉を食べやすい大きさに切り分け、1リットルの水、皮をむいた生姜2片と共に火にかけます。アクが大量に出てきますので、時折世話をしながら中火でことこと茹でること30分。脂身が多い部位の場合は、このまま放置して粗熱を取り、冷蔵庫で一旦冷やします。そうするとラードがスケートリンクのように表面を覆うので、それを全部剥がしてもう1度火にかけます。こうすることで、余分な油分を取ることができます。今日は全然脂が浮いていないので、アクだけ取ってそのまま調理を続けていきます。

 

 

 

醤油150cc、みりん100cc、砂糖100gを入れて、蓋をして中火で煮込んでいきます。煮汁がこれぐらいまで減ったらできあがり。

 

 

 

角煮、完成!いえーい!肉の形がいまいちすぎますが、味は美味しいです。

 

 

 

本当は生肉のまま冷凍できると良いんですけども、なかなかそうもいかないので、こうやって一度熱を通してアレンジ効きやすい味付けにしてから冷凍する訳です。手間暇かけて何か作った後にくる長期停電ほど悔しいものは無いので、停電しない事を祈って・・・。

ひとつはそのうち茹で卵と一緒に煮直して残った汁はスープと空心菜炒めに、もうひとつは炊き込みご飯かおこわになる予定です。楽しみ。

 

 

 

そしてお鍋に残った分で、肉じゃが風に。ごま油で玉ねぎ、じゃがいも、ササゲの順に炒めて、煮汁と角煮3個を入れ、材料がかぶるぐらいのお水を入れて煮てみました。

 

 

 

臭み消しに入れた生姜の味が強くて「肉じゃが」とはちょっと違う味がしますが、じゃがいもの甘みが強くて、ほくほくで、美味しい!じゃがいも3個で60円、ササゲ1束40円、玉ねぎ3個で60円。野菜安くて、栄養もばっちりとれて、いう事なしです。

 

 

 

肉じゃがの汁と、じゃがいも以外の具で、炊き込みご飯も作ってみました。煮汁の量が少なかったので、お出汁と醤油少しずつ足して味を調整。

 

 

 

テフロン加工じゃないから洗うの大変だけど、おこげいっぱい~~~!最高か~~~!!

 

 

 

3合炊いて、冷凍冷凍~!

 

自炊、楽しい~

ここ1か月分のカロリーを取り戻すかのように自炊しています。(体重戻る前になんとか手を打たねば、と、思ってはいる。)でも、やっぱり自炊は楽しいです。めっちゃ辛いラオス料理がずっと続いていて胃が疲れていたようです。体が喜んでいるのがよくわかる。

これから隊員になる方、もしこのブログを見ていただいていたら、現地調達できるものは最低限にして、日本の味がつくれる調味料を持っていくことを強く強くお勧めします・・・・!

www.laoko.net

↑私が買った調味料一覧。

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任地にあるものでシリーズ。例のアレでキャラメル作ってみた。

さばいでぃー!

こんにちは、ラオスのラオ子です。

暑いです。36度。蒸し暑い。とにかく、蒸し暑いです。

 

真冬の二本松訓練所で風呂上りから就寝まで

半そで半ズボンだった暑がりには耐えがたい暑さです。

代謝の良さが裏目に出ています。

 

でも、甘いものがあるから!

どんな暑い日も、

甘いものを食べて美味しいコーヒー飲んで一息ついたら

なんとなくチャラになるんですよね。人間って不思議。

 

 

パンを焼いてもつけるものがなかったら味気ない。

市場に行って練乳を買ってきました。

ひとつ6000KIP、日本円にすると80円弱です。

このままパンにつけてもいいんですが、ちょっとひと手間。

 

 

煮ます!!!

このときまだ鍋を買っていなかったので、中華鍋で。

なんと効率の悪い。

 

本当はかぶるぐらいの水の中でぐらぐらさせるんですが、

取っ手の付け根と中華鍋に隙間があり

そこから水がちょろちょろと漏れることが分かったので浅めに。

気付かず揚げ物したらとんでもないことになるところでした。

 

 

 

2時間ほど煮込んだら、そのまま室温で完全に冷めるまで待ちます。

コンデンスミルクが熱で膨張しているまま開けてしまうと

激熱キャラメルが飛び出すので注意。

あつあつ餡掛け対決どころの話では済みません。

 

 

 

2時間茹でたものがこちら。

もう少し煮ればよかったのですが、あまりに暑くて火を止めちゃいました(笑)

 

キャラメルというより、ミルクジャム、に近いかも。

これはこれで、フルーツにかけたり、パンに塗ったり、

パンを作るときの乳脂肪分+砂糖がわりに使ったり、

いろいろ使い道があるのでこのまま大切にとっておくとして。

 

 

 

 

鍋を手に入れたあと、リベンジ!

かぶるぐらいの高さまで水を張れる鍋でしっかりぐらぐら茹でること3時間。

黄金色のキャラメルが出来上がりました~~~!

 

 

 

あと1時間ぐらいいってもよかったかもしれない。

次は4時間でやってみます。

普通の練乳に比べるとぷるんとしてて、

食べた感じもちょっと大人な感じ。

甘めの生キャラメルに近いです。

 

 

 

さっそく試食。

先日のシナモンロールを冷凍保存していたものが残っていたので、

できたてキャラメルソースをたっぷり塗っていただきました。

 

あーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

幸せ・・・。

 

シナモンロール作ったときに、発酵時間が短かったので、

もっとパサパサになるかなあと思っていたのですが、

すぐ冷凍したからかふわふわのまま。

フライパンで温めたら外かり中ふわで最高でした。

 

キャラメルは、重めのドリップコーヒーに溶いたら、

カフェに行かなくても牛乳が手に入らなくても

キャラメルマキアート風のコーヒーが楽しめます。

これもたまらなく美味しい。

1缶6000KIPで手に入る幸せ。最高だ~。

 

踏んだり蹴ったり日曜日

 

そんな幸せな朝を過ごしたあとの話。

 

朝から暑かったので、ここぞとばかりに洗濯。

これでそろそろ引越しの大掃除も落ち着くと思ったら

最終日にメインディッシュを見つけてしまいました。

洗濯機のフィルターにかちかちにこびりついたヘドロを

2時間洗い続け、汚すぎて何も考えられなくなった結果、

たらいの水をそのまま洗面台に流してしまい

見事にヘドロが詰まって全く流れなくなり。

近所の商店にトイレのキュッポンを買いに行って

洗面台を無心でキュッポンし続け。

洗濯機をクリーニングモードで洗って。

朝洗って一度干した洗濯物と、

洗ってベッドにセットし直したラブリーなシーツ一式を

全部洗い直し、今に至ります。

要らない手間を自分で増やして、ほんと間抜け(笑)

 

その後一息ついていたら同期隊員から連絡が。

出張でうちから15キロほど北の街に来ているみたいなのですが

足がないため会いにいくこともできず。

そろそろ夕飯と思ったけど、色々触った手で料理する気にもならず。

日曜日だから店もやってないし。

 

 

 

どっと疲れた休日の夕飯は、

アボカドをぱかっと半分に割ったもののみでした(笑)

 

連休最終日にして、ちょっと心が折れた。

そんな日曜日でした。

 

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今日のラオ子ベーカリー。米粉のふわふわスフレパンケーキ

さばいでぃー!

今日は土曜日ですので産業商業局はお休み。

 

涼しいうちに、大家さんにおすそわけするパンを仕込もうかな~

何にしようかな~と、

ラブリーなベッドでぐだぐだ考えていたら、大家さんから電話。

 

「直ってない自転車持ってポンホーン郡いくから!取りにいくよ!」

「えっ、今から?」

「30分後!!」

 

えっ!!(笑)

 

「私も行っていい?」

「いいよ!じゃあ30分後ね!」

 

 

車の荷台に私の自転車を積み込んで、

札束で遊ぶ可愛いお孫さん、ノッちゃんと共に出発。

 

 

 

買ったときに気が付けなかった私のミスなのですが、

ペダルの根っこ部分に片方だけ何もついてなくて

漕ぐたびにペダルの軸がガタガタと揺れる謎仕様・・・。

もう片方にはちゃんとパッキンみたいなのはまってるのに。

 

お父さん、そこバイク屋だし、同じ規格の部品なんて手に入らないだろうし、

いったいどうするの??

 

絶縁テープぐるぐる巻きぐらいしか思いつかない私。

 

 

サイズも測らず奥の方に消えてったバイク修理屋のおっちゃん。

どこから持ってきたかよくわからない

切り口ジャミジャミの謎の輪っかを、

ガンガンガン!!!ぐりぐりぐりぐりぐりぐり!!

とはめ込んで、「はい!直った!!」

 

いやいや結局ペダルの根っこ部分むき出しやし、

嘘やろ~と思って試しに乗ってみたら、

さっきまでの不快なガタつきが無くなっておりました。

どゆこと???

ついでにハンドルのゆがみも見てもらって、帰宅。

大家さん、ありがと~!

 

そして我、ご機嫌で夕飯を作る

お昼ご飯に近所のカオピヤックを食べたのですが、

え?!どうした?!?!って言いたくなるほど味が濃くて。

いつも美味しいのに、なんで?!?!って思うほど濃くて。

食べたら分かる、塩分過多。

唇がひりひりするぐらいの塩辛さ。

 

だったので。

 

その足で市場にお買い物に出かけ、

いろいろ調達してさっそく調理開始。

 

荷物の重量制限があるから最後の最後まで持ってくるか悩みましたが、

最低限の調理器具はやはり持ってきて正解でした!!

はかり、計量カップ、軽量スプーン、泡だて器、スパチュラ、

ドレッジ、シルパッド。

こんだけあったら、作れるものの幅が広がる~!

 

 

 

卵黄 3個分
ミルクジャム 30g

(なければ、砂糖10g 牛乳20gとか、練乳とかで適当に代用)

 

を混ぜ混ぜ。

 

 

米粉 40g

を入れてさらに混ぜ混ぜ。

 

小麦粉しかなかったら30gぐらいでいいかも。

強力粉だともちもち、薄力粉だとしゅわしゅわになります。

 

小麦粉は値段もカロリーも高いので米粉で作ってます。

もち米の粉ではなく、普通の米粉。

 

 

卵白3個分

を、油分・水分の無い清潔なボウルに入れてほぐします。

 

卵黄の世話をしている間、ボウルごと冷蔵庫に放り込んでおくと

泡立ちがよくなります。

 

 

 

塩、ひとつまみ

を入れてメレンゲを作ります。ひたすら混ぜ混ぜ。

しっかり角が立つまで混ぜたら、

大きく全体をゆっくり混ぜて泡のきめを整えます。

泡立てすぎると分離するので注意。

 

 

 

卵白1/3を卵黄のほうに入れて、生地をゆるくします。

底のほうからしっかり混ぜてあげましょう。

 

 

 

それを卵白のほうに静かに流し入れて、

底の方からすくい上げるように、泡を消さないように、

手早く混ぜます。

 

 

 

油をなじませたフライパンに流し入れて、蓋をして

ごく弱火でじっくり火を入れます。

お腹に自信がある人は、このまま半分にぺたんと折ってスフレ風に。

 

私は念のため、裏返して両面しっかり火を通しました。

(卵黄と卵白を分けるときに、卵の殻を使ってしまったので・・・笑)

 

できました。

 

 

もらいものの採れたて完熟マンゴーと

ミルクジャムを添えて!

(パン切り包丁が無いから断面がざくざくだ~)

 

 

 

きめ細かいしゅわしゅわのスフレパンケーキになりました!

米粉を使っているので食べた感じも軽くて、

1枚ぺろっと頂いてしまいました。

米粉使ったら何でも0キロカロリー!!

 

コーヒーを一緒に楽しみたかったのに、

作る前に2杯分飲んでしまったために手がガタガタ震えて断念。

次はちゃんとするぞ!!(?)

 

これなら大家さん喜んでくれるかな~。

明日は朝からパンケーキマシンのごとく焼きまくる予定です。

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ボジ子ベーカリーあらためラオ子ベーカリー!爆誕!

さばいでぃー!

みなさまこんにちは。

ラオスのラオ子です。

 

引越しがひと段落し、キッチンが使えることに

テンションをあげきった結果、

さっそくコーヒーを飲みまくっています。

1日で70g減ってちょっとヤバいと思ってます。

 

でもせっかくコーヒー淹れるなら

美味しいお菓子が欲しいところ。

こっちのお菓子じゃなくて、洋風の、食べ慣れた、あれ。

 

某コーヒーチェーンでバイトしてたときに、

いちばん大好きだった、アレ。

 

オーブン無いし、乳製品も無いけど、

無いなら無いで、無いなりに、あるもので作ってみました。

 

シナモンロール

https://cookpad.com/recipe/4778931

分量はここから頂きました。

ポイントは、バターと乳製品が買えない環境で作れるレシピであること。

LL牛乳やパックの豆乳、常温で保存できる

真っ黄色のマーガリンは手に入るのですが、

高いしよくわからないし(笑)、

使わなくていいレシピがあるならそれに越したことはない・・・。

 

この量で作ると独り暮らしには多すぎるので半量で。

うまくできたら大家さんにもっていこう。

 

 

まず買ってきたばかりの中華鍋に材料を全部入れまして。

 

 

 

最初から手で混ぜるとねばねばして大変なので

菜箸である程度まとめまして。

 

 

日本から持ってきたシルパッドの上でバッチンバッチンと叩いて捏ねて、

油を薄く塗ったフライパンにまとめます。

 

 

夕方5時ごろから始めたのですが、

忘れてたけどここはラオス。さすがの湿度&温度です。

冷蔵庫でちょっと冷やした水でやっても

捏ねはじめてすぐ発酵が始まってしまって、

1次発酵に入って30分もしたら生地がだるだるに(笑

 

私がパンをガンガン捏ねている間、

大家さんのとこの息子さんたちが外でセパタクローを始めました。

そして私も初セパタクロー。

そもそもサッカーできない、リフティングも2回が限界、

シャトルコックやっても「へたくそ!!!」と言われる私には

セパタクローなど出来るはずがありませんでした。悲しみ。

 

 

 

汗だくすぎて作業が出来ない間にもどんどん発酵がすすんでいきます。

過発酵。そう、まぎれもない過発酵。

 

1回丸め直してガス抜きし、15分置いているあいだにフィリング作り。

といってもシナモンと砂糖を混ぜるだけです。

 

 

 

本来ならここで、ちょっと小洒落たエンボス加工の

くっつきにくい麺棒なんてあればいいんですが、

あるわけないので菜箸と手で無理やり伸ばしてフィリングをのせます。

上の数センチは巻き終わりのノリシロ分に取っておきます。

 

 

2次発酵で切り口がダルダルにならないように、

きゅっきゅっと生地を巻き込みながら巻いていきます。

巻き終わったら、適当な大きさに切り分けます。

 

 

 

炊飯器の中に並べました。

成型後すぐでこれぐらいの大きさ。

乾燥しないようにラップをかけて、炊飯器に入れて2次発酵させます。

 

 

途中で開けたら窮屈そうだったので間隔を広げました。

30分後、これぐらいの大きさになりました!

うん、いい感じ。

あとは炊飯器がちゃんと仕事してくれれば・・・!!

 

 

じゃーん。

 

炊飯器は、あんまりちゃんと仕事してくれませんでした。

半生まではいかないけれど、

もうちょっと火入れてほしかった。

あと、フィリングが底で焦げ付いて、パン取るのも洗うのも大変!

何のためにくっつきにくいアルミホイルを買ったのか。

 

そして作った後にハッと閃いたんですが、

ラオスの一家に一台な調理器具、通称「赤鍋」のほうが

オーブンがわりに使えるかも?!

・・・よし、買うもの決まった。

 

とはいえ、焼き立てはふわふわ。もちもち。

パン屋さんが無い街でも焼き立てのシナモンロールが食べられて

幸せ、幸せ、幸せすぎました~。

砕いたナッツやドライフルーツ入れても美味しいやろうな~。

首都に行ったときにドライフルーツ買ってくるか~。

 

2つ食べて残りは即座に冷凍。

解凍するときにフライパンで火入れれば

焼成足りない感は解消される・・・はず?!

 

納得いかないので大家さんには次回!

 

・・・というか、カンボジアに居た時に

シナモンを使ったお菓子渡したら

「これはお菓子に入れるものではなくて薬です!!!」と

言われたことを思い出し、

ラオスもそんな気がするので、違うフィリングでやろうと思います。

 

というわけでQOLぶち上げ大作戦(今決めた)の次の課題は、

  • 赤鍋を手に入れる
  • 読書用のハンモックを手に入れる

以上の2つです!

 

ラオ子ベーカリー。

f:id:candyman0618:20190405235358j:plain

 

カンボジアに住んでいたとき、無い知恵絞りだして

お菓子やパンを作りまくっていたのが

良いストレス発散になりまして、

今回も自分のために「コレだけはやろう!」と

心に決めていたのが、音楽と料理でした。

 

もちろん自分で決断して飛び込んできた場所なので

楽しく活動したいし、前向きに居たいと思っています。

ただ、知らない土地、慣れない環境、日本にはない様々な危険、

目の前でラオ語で何か話してるけど頭がざらざらして何にも分からない感じ、

いろんな事が知らない間に負荷になる事を考えて

うまくコントロールしていくのも大切なのかなと。

スポーツや飲み会で発散するもよし、

部屋に引きこもって映画や本の世界に没頭するもよし、

隊員によってその方法は様々ですが、

私にとってのベストは今のところコレです。

 

カンボジアでは友人・ご近所さんに食べてもらって

「美味しい!」の言葉をもらうまでが

1セットだったのですが、

いかんせん任地は独りぼっちなので、

ラオスの人たちの口に合うものを考えて

キンソム(おやつにすっぱいフルーツを食べる文化)に

新風を吹かせようというところまでが算段です。

みんな優しいから、よっぽど奇抜なもの作らない限り

セーブ(美味しい)ってすぐ言ってくれる気がしますが・・(笑)

本当のセーブが聴けるまで!頑張るぞ!

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ついに引越し!コンセプト不明の大きなお家に引っ越しました。

さばいでぃー!

 

みなさんこんんちは。ラオスのラオ子です。

ついに1か月過ごしたゲストハウスとお別れし、

約2年間お世話になる家に引っ越してきました。

 

やっと定住や。

9月後半からここまで、

荷物作って、広げて、しばらく住んではまた荷物まとめて、

という事を延々繰り返してきました。

 

9月21日~25日 技術補完研修/東京

9月26日~10月2日 旅行/長崎、関東、あちこち

10月3日~12月12日 二輪研修&派遣前訓練/関東、福島

12月13日~1月28日 実家/滋賀、大阪、あちこち

1月29日~3月3日 現地語学訓練/ビエンチャン特別市

3月4日~4月4日 任地のゲストハウス/ビエンカム郡

 

あっちへこっちへ、いったりきたり、

「定住」という言葉から遠ざかりつつあった半年間でしたが、

これから1年10か月お世話になる(あくまで予定)家に

ようやく引っ越すことができました~~~!

もう引っ越さないぞ~~~~!!!(あくまで予定)

 

ラオスのインフラ事情

カンボジアのシェムリアップに住んでいたとき、

「インターネットあるの?」「電気・水道あるの?」

とよく聞かれましたが、全部あります!(ただし都市部に限る)

ここ10年以内に石炭火力や水力による発電所ができ、

消費電力は増加傾向にあるもののその増加分は輸入に頼らず

賄えている模様。

停電断水は首都田舎関係なくありますが、

インターネットがさくさく使えてどこもWi-Fi天国なので、

長期停電・断水したときはジェネレーター(自家発電)がある

ホテルを探して心のオアシスにしつつ

そこまでストレスをためずに生活できました。(ただし都市部に限る)

 

ラオスの生活は、今のところとても快適。

シェムリアップより停電・断水の頻度も少ない気がします。

・・・今のところ。ね。

 

首都で2泊3日のホームステイをしたときは

計画停電で半日停電、断水も1日数時間ありましたが、

任地のゲストハウスでは雷で停電してもすぐに戻るし

断水もここ1か月で1度だけでした。とても平和!!

新しい家もそうであることを願うばかりです。

 

協力隊ってどんな家に住むの???

「協力隊」というと、

赤土でガッタガタの道を進んだところにある大草原のど真ん中に

打ちっぱなしの箱みたいな家を借りて

井戸水のみのサバイバル生活・・・

というイメージを持たれることが非常に多かったです。 

 

実際、私も自分が途上国に住むまでは

そういうイメージを持っていました。

 

そして、実際、イメージそのまんまの場所に住んでいる

同期隊員も居ます。

 

 

 

家や風呂場の写真が送られてきたとき

「古墳やんwwwwwww」と

思いっきり草生やしてしまったことは

仲たがいが起きるまえに謝ったほうが良いでしょうか??

ごめんなさい。本当にごめんなさい。

これからもスパイシーなアフリカ情報待ってます。

 

さて、各国のJICAによって順序は様々ですが、

ラオスの場合は任地に派遣されたら一旦ゲストハウスに入り

活動をしながら家を探します。

私の場合は課長が候補をいくつか見つけてくれていたので、

その数件を内見させてもらって決めました。

住みたい家が見つかったら、諸々の手続きをして、

安全確認が取れたらその家に引っ越すことができます。

塀の高さや種類、鍵の数、窓の鉄格子の有無、立地など、

かなり細かく規定されていて、

それをクリアしていないと住むことはできません。

ここまで大げさにやらなくてもいいのでは??と思うのは

きっと私がラオスの隊員だからです。

首都では最近ひったくりが多発しているようですが、

凶悪な犯罪や強盗といった被害はあまり聞きません。

バイク隊員の私からすれば

交通事故発生率が日本の6倍という事実のほうがよっぽど怖い。

とはいえ、どこの国に居ても同じことですが

いつなんどき何があるかは分からないので、

就寝前は施錠を2周確認しました。

 

支給される家賃は国によって異なり、その国の中でも地方によって様々。

首都はもちろんですが、外国人が多く住んでいる地方都市や観光都市は、

その他の地域に比べて高めの設定になります。

私のところはもちろんどれにも該当しないので一番低い家賃設定。

それでも、細かく定められたセキュリティの条件を

クリアできる家となると、結構、ご立派。

 

我が家をご紹介します。

さてさて、ここからは、私が住んでいる家の内部です。

 

 

 

まず玄関入ってすぐ広がるこの景色。

え、何?舞踏会?

と言いたくなるような広さ。とにかく、だだっ広い。

何する?サークルモッシュ?ズンバ?体力テスト??

 

 

 

右奥に写っているリビングの壁面は1面ぜんぶ収納。

ただし、全部中身丸見えの。

一番目立つ、というか、テレビを置く場所を

菊松君入れにしました。

 

そして内見のときにあった「最後の晩餐」が出来そうな

拭くのも嫌になるぐらいの大きな机は

「こんなんあっても邪魔やろ」という至極真っ当な理由により

撤去されていました。

  

 

 

そのかわりと言ってはなんですが、すっからかんだった空き部屋は

「応接室か」とつっこみたくなるような部屋に様変わり。

 

どこ拭いても黄色くなるしべとべとしてるし、

ガラスも全部曇っているから

きっと今まで住んでいたどなたかは喫煙者だったのでしょう・・・。

もう掃除が大変。セスキシートが一瞬でなくなりました。

倍ぐらい買っておけばよかった。

 

まだまだ掃除終わりません、キッチン。

 

 

キッチンにもこんな立派な机が。あざす。

キッチン全体、とにかくデカい。何する?炊き出し?エアロビ?

西日があたる方向なので夕方は暑すぎてテンキンボダイ(料理できひん)

 

 

 

もともと別の国のボランティア関係の方が住んでいた家なので、

最初から冷蔵庫、電子レンジつきです。ありがたい。

大家さんが1升炊きの炊飯器もくれました。本当にありがたい!

 

ただしこの写真に写ってない壁一面の棚は悲惨で、

ザルやボウルと一緒にトイレのキュッポンとブラシが入っていたので

そっ閉じしました。たぶん2度と開けません。

 

 

 

前の住人が出てからしばらく経っていたようですが

冷蔵庫はずっと稼働したままになっていて、

庫内はこぼれた色々&ニオイ&カビでものすごいことに。

プラグ抜いて開けっ放しにして外せるものは全部外して洗い、

薄めた中性洗剤でごしごししてから水拭き→セスキ、

パッキンはアルコール消毒・・・とフルコースでお掃除。

これだけで半日終わってしまいました。

今は臭いが取れそうなコーヒーの豆かすやライムの皮を入れて

更に脱臭を試みているところです。

まだまだ時間がかかりそう。

 

1回冷蔵庫をからっからに乾燥させてカビとさよならしたいので

しばらくはこのまま冷蔵庫無し生活続行です。

 

寝室の破壊力。

 

 

そして寝室は、2部屋ございます。

うち一部屋はバスルームつき。

シャワーは冷水のみです。でも夕方に水を出すと結構熱い!

自然のエネルギーで温かいシャワーにするなんて素敵!

 

ちなみにFB・インスタグラムではすでにお披露目済みですが、

大家さんのベッドカバーのチョイスがとんでもなくイケてます。

 

 

表側も地獄。

 

 

 

裏側はもっと地獄。

 

 

 

心が温かくなりすぎて泣きそうになるほど

ピースフルかつハートフル。

大家さんのチョイスが流石すぎて言葉になりません。

 

 

 

あー悔しい・・・ちょっと笑ってもた・・・。

笑ったあとイラっとした・・・。

 

 

もう一部屋がこちら。

お客様用です。いつでも遊びにきてください。

 

 

 

サンタさんと雪だるまが、

 

 

 

全力であなたをお迎えいたします!!!!!!!!!!!!!!!!

 

もうほんと、SNSにあげたらあっちでもこっちでも草生やされて

嬉し悔しい限りなんですが、

アラサー女子として言わせてもらいますけど、

私だって選べるならアマンサラみたいな

大人カジュアルかつシックなベッドシーツがよかったわ!!

まあ、アマン行ったことないけどな!!!!!!!!!!!!!

 

バスルーム

 

 

取り乱しました。すいません。

こちらお風呂兼トイレ兼洗濯機です。

シャワーはなぜか2つついてて、

ひとつは水道水がそのまま、もう一つは温シャワーが出ます。

温シャワーは一度止めるとヒューズを入れ直さないといけない仕組みで

ON/OFFするたび火花が飛び散ってとても楽しいし

温度調節がよくわからなくてめちゃめちゃ熱いので、

大きい桶に溜めてちょっと冷ましてから使っています。

 

ちなみに洗濯機から出てる排水ホースは根本から千切れていて、

そのまま洗濯機の裏から排水じゃじゃ流し。

トイレまわりの床をきれいに掃除して

とびっきりの良い香りを漂わせながら

排水溝へと流れてくれます!こーぷちゃいらいらい!!

(洗濯したあとトイレまわりがつるつるで本当に危ない。)

 

もう終わりにしよう。

 

 

ということで、私の家の紹介でした。

お気に入りのリビングは、夜はこんな感じで、

軽めの化け物ぐらいなら召喚できそうな

不思議空間へと様変わり。

 

隣は笑福亭笑瓶似の大家さん宅、

裏も笑福亭笑瓶似の大家さん家族宅、

道を挟んだ斜め前の商店も

笑福亭笑瓶似の大家さんのお子さんの店なので、

とってもセキュア。ありがとう。

 

家はツッコミどころ満載で面白おかしく書きましたが、

大家さんも奥さんも、とてもよくしてくださっています。

これからもお世話になります!よろしくお願いいたします。

 

掃除嫌いにはつらい。

ご覧の通り、家、とんでもなく大きいです。

手軽に掃除できない。体育館用のモップ欲しい。

首都で買ったクイックルワイパーが霞む。

ほんまに要らんかった。

このクイックルワイパーが使えるのは寝室だけでしょう。

そう思うぐらいの大きさです。

 

とはいえせっかく広い家を貸してもらえたのですから

是非たくさんの人に来ていただければと思う次第です。

本当に、シンプルに、何もない所ですが、

ラオスの皆様、日本から来てくれる皆様、

お待ちしております~~~!!