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2021年の振り返り

さばいでぃー!

皆さんこんにちは、ラオスのラオ子です。

 

ラオスの国内新規感染者は増える一方、2022年1月1日からは、トラベルエージェントを利用したツアーであれば観光目的での入国が許可されることになりました。そこにはもちろん日本も含まれています。

 

政府発表では、オミクロン株の国内感染者は確認されていないとのことですが、ワクチン接種の必要回数接種が完了した割合もまだまだ50%に届かない状況で、2022年には人の往来がどっと増えることになるので、これからどうなっていくのかなあと不安に思っているところです。

 

さて、いよいよ2021年も終わりということで、いつも「ああどうしよう何もしていない」と焦るだけの自己肯定感の低い人生なので、「できたこと」がちょっとでもあったらさも凄いことかのように書きながら、1年の振り返りをしておきたいと思います。

 

1月

今年の1月は、神社ご奉仕のアルバイトからスタートしました。もう、干支一周以上、滋賀で年末年始を過ごすときにお世話になっている神社です。ですが、こんなにも参拝客が少ないことがあるのかと思うほど静かな年越しで、毎年の戦場みたいな三が日は何だったんだと思うほどでした。

1月前半はずっと神社だったのですが、後半からオンラインのマンツーマンラオ語レッスンを再開しました。2020年いっぱいは報告書をひたすら書いてひたすらネイティブチェックしてもらうというライティング中心の勉強で、その時は書いた文章をほとんど直してもらうレベル。千本ノックを受けているような感じです。インプットがあまりに多くて、一旦アウトプットしないと次に行けない気がしたので、2019年のハンディクラフトフェスのときにコミュニティ開発隊員が書いた報告書をあらためて翻訳してみることにしました。この報告書は、コミュニティ開発隊員全員で来場者に向けて手工芸品の意識調査を行い、評価グリッド法という方法で分析したものを、M隊員がまとめてくれたものです。大学院卒業の人が書く論文調の文章の語彙がそもそも難しい、内容も抽象的な表現が多く難しい、辞書で引いてももちろん出てこない、と、明らかに翻訳の練習にする題材間違えたやろって思うぐらい、あらゆる方向からドツかれまくってのたうち回りながら翻訳しました。(そしてほとんど赤が入りました。)

 

  

こちらに書いた『みみタロウキャラバン隊』の報告書を書き終えていろんなことがひと段落ついた1月終盤、再派遣までの生活費をなんとかすべく、人生で初めて派遣会社の面接を受けました。

 


読んでね。

 

2月

無事、派遣の仕事開始!ドラッグストア通算7年目。そして3社目。管理者要件を満たしているので割とどこでも雇ってもらえてありがたいです。派遣社員なので、仕事はもちろんフルタイムで、月160時間+残業ちょびっと。コロナ渦でのドラッグの仕事、それまでに無かったいろんな難しさを感じながら働きました。コロナ渦だかららこそ軽傷のときは自分でなんとかしたい、こんな症状が出たけど病院にかかるのも怖い、と相談される事もあり、受診勧奨するタイミングかどうかとか今まで以上に考えながら接客対応して、これはこれで良い経験になったと思ってます。

 

そしてこの月も、1月に引き続きひたすらラオ語レッスン。午前中にラオ語レッスン受けて、午後は仕事行って、遅番で22時すぎに帰宅して、予習復習して、また朝からレッスン受けて、と、仕事とレッスンの2本立てでかなりメリハリのある生活をしました。(そのあと集中の糸がすべて切れる日がきます)

 

3月、4月

3月以降も引き続き、仕事に語学に、ひたすら繰り返しの日々。3月末に兄家族が実家に戻ってくることになり、私をHATEしてやまない可愛い甥っ子に激しく拒絶されながらも一方的に愛をぶつけるだけの人生でした。

語学レッスンは、報告書の翻訳を一旦終えるところまでやり切りました。その後、今まで習った単語をエクセルにまとめ始め、単語だけだと使い方を忘れてしまう恐れが大いにあったため用例を書き、それをひたすら先生に添削してもらうという新たな千本ノックを始めました。そしてこのタイミングで、次の隊次の訓練のために先生がオンラインレッスンできなくなり、私自身も一休みすることに。

 

5月

3月ごろに話し合いをして、私の再派遣予定は、6月末~12月までの6か月間になるはずでした。現隊員で唯一ハンディクラフトフェスでのブース出店を経験した身として、次の隊次の人たちに引継ぎをしたい!という気持ちがあり、10月末~11月初旬のハンディクラフトフェス2021に参加できるように、この期間を選んだわけです。

 

ところがどっこい、さて来月末にはラオス!!と思っていたら、ラオス側がロックダウンしてしまって公用旅券や入国許可などの諸々の手続きが進められない、とのことで一旦延期になりました。最低でも7月になるだろうと見通しが立たなくなり、6月20日付で退職予定だった私は派遣会社と派遣先に頼み込んで特例で1か月延長させてもらうことにしました。(本来は3か月更新)

 

6月

「ああ・・・今ごろ荷物詰めてたはずやったのに・・・」「ほんまやったらもう空港行ってるはずやったのに・・・」と、考えても仕方のないことを考えて落ち込む日々。そして7月の渡航も無理になり、ワクチンを打たないと渡航できないという新たなハードルも追加されて、「え?ここまで待ったのにもうハンディクラフトフェスできひんのちゃうん?」と、日本に帰ってから一番落ち込みました。

協力隊を一足先に卒業している同期と、こっそりご飯やドライブしたのですが、それがどれほど支えになったことか。

そして、ここで仕事がなくなるとまた生活面でのストレスが増える(そしてただでさえ無い貯金が減る)ので、派遣会社と店長に2回目の一生のお願いをして、8月末まで延ばしてもらうことになりました。感謝永遠に。

 

7月

ここで一気に急展開。7月20日に1本目のワクチンを打てることになり、そして派遣も最短で8月下旬になりそう、というところまで見通しが立ってきたのです。頭がついていかず、とりあえず3か月ほぼほぼさぼった(たまーに受けた)オンラインレッスンの予約を入れて、お買い物リストを作り始めました(笑)

 

 

出国に向けてテンションあげて、また延期になったらしんどいしな~と暗い気持ちを引きずるなか、こうやって先輩隊員から刺激を貰えたことが救いになりました。

 

8月

9月11日のフライトに決まりました、との事務所からの連絡に「どうしよう!!準備ができてない!!」と焦りだす私。2本目のワクチンを打ち、敦賀方面に何度か釣行し、あ、花王と資生堂のPAYPAY祭やってる!!とあっては必需品を爆買いし・・・と、特筆すべきことのない1か月でした。

ただ、7月に引き続き、この月も先輩隊員に会える機会があり、

20日に退職してから、オンラインレッスンの予約をぱんぱんに詰め、この1年半の待機中全くやってこなかったリスニングとスピーキングを強化すべく、ひたすら先生と喋りまくる日々を過ごしました。

 

9月から

ラオスに来てからのことは、気持ちが溢れてしまってダイジェストでお送りできません。ブログとnoteに、その時その時思ったことを何らかのタイミングでまとめていますので、時系列にすべて貼り付けてみます!

 

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任期を消費していくだけの首都待機もまた辛い日々でしたが、今はこうして任地に居て毎日活動できているので、やっぱりラオス戻ってきてよかった、戻ってこれてよかった、と心から思ってます。

 

そして今、ປີໃໝ່ສາກົນ(国際正月)の大晦日、思い出したかのように時折あがる花火の音を聞きながら、この記事を書いております。

 

活動のこと

さて、延長戦に入ってからの活動のことも少し触れておきたいと思います。

 

正直、未だ右肩上がりの感染拡大をみせるラオスのコロナ渦で、活動をどこまでやって大丈夫なのか探り探りだったこともあって、しばらくは思うように動けていませんでした。その後も、誰々が感染した・してないの情報に混乱したり、感染対策への意識や考え方の差を感じて単純に恐怖だったり、隔離施設に入ることを考えるとストレス感じることもあって、そういう時は「よし!無理せず家に帰ってできることをやろう」とその場を離れたりすることもありました。

 

ですが、やっぱり外に出て人と話すと楽しくて、新しい出会いや発見があって、ラオ語の勉強のモチベーションにもなって。そして、他の隊員が同じ状況下で頑張ってる様子をSNSで見て「私も負けてられん!」と、活動スイッチが入りました。

 

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郡内の生産グループでは、前回派遣時のクラッチバッグに引き続き、他の新商品開発や、すでにある商品のブラッシュアップを行っています。可愛い商品がいっぱいできてきたのに、これを売れる販路がないのが悔しい。国境あけるなら展示販売会や、イベント・お祭りのときのタラートナット(特設市みたいなもの)も再開してくれたっていいやん!と思う反面、生産者さん自身が店に立つので、それもまた感染リスクを高めるんだよなあと考えると控えてほしいなあと思ってしまいます。いやなもやもやだなあ。

 

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新たにODOP認証を受けた、バンビエンとルアンパバーンの間の山岳地帯にあるコーヒー農家さんは、とりあえず一度出張に行けるように企画書出して話をすすめながら、プロの視点から、コーヒーの感想や、栽培・加工の助言をもらえるように動いています。

 

また、隊員が派遣されている県内の紙布生産グループがODOP認証取得を受けられるように配属先と動きつつ、この村の和紙と、先に話した生産グループの竹編みの端材を再利用して何か作れないか、あれやこれや奮闘中・・・。

 

私が居る郡の周辺2郡にある食品関連の生産グループにも、新商品のアイデアやパッケージデザインの話をもっていけたらいいなーと思っていたらもう年が明けそうです。

 

それからこれは半分趣味なのですが、シンの縫製を2人の先生に習って、それを動画と資料にまとめて、どなたでも見ていただけるようにしてみようと思っています。今年中に1人目の先生から習い終えたところですが、難しくて頭が3回ほど爆ぜております。

 

私の任期は来年3月8日まで。その日には日本に居なければいけないので、フライトにもよりますが、実際に活動できるのは2月下旬までです。あと55日ぐらいですって、なんと恐ろしい。自分の能力の低さ、予定通りにいかない難しさ、おさまらないコロナの中、どこまでやれるか分からなくてちょっと焦ってますが、今やらなかったらもう一生やれないことだと思うので、あと1か月半全力で駆け抜けたいと思います。

 

最後に

この1年は本当に激動で、沈むとこまで沈んで、そのあとめちゃめちゃテンションあがって、感情の起伏が上にも下にもいけるとこまで行った1年間でした。今でも自分がここに居られることが信じられない時があるぐらいです。

 

いっそ隊員やめてやろうか、ラオス行くの諦めようかと何度も思った上半期の、しんどかったぶんのご褒美を、いま100倍返しで受け取っている気持ちで生活してます。こんな風に思えていることが本当に幸せですし、どこにも行けない(首都にも以前のように上京できない)からこそ任地にどっぷり浸かって今まで知らなかった任地を知れているのも事実なので、いまの状況に心から感謝して残りの任期を駆け抜けたいと思います。

 

このブログを読んでくださっている方、反応をくださる方も、いつもありがとうございます。とても励みになっております。自分がこの状況下でここに居ることは、もちろん活動のためでもありますが、ラオスが大好きなのにまだしばらくラオスに来れなさそうな方に、少しでも今のラオスをお届けできたらなあと思っています。来年も不定期で更新していきますので、引き続きご覧いただけますと幸いです。

 

ああ、花火がちょっとだけやかましくなってきた。もうすぐ2021年が終わるんだなあ。2022年はどんな年になるだろうか。任期を終えたらその先どんな生活が始まるんだろうか。あと15分、まっさらなスケジュール帳にやりたいことをいっぱい書きながら、2022年をスタートしたいと思います。

皆様も、よいお年をお迎えください。

 

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再赴任後はじめての生産者訪問

さばいでぃー!

みなさんこんにちは、絶賛ビエンチャンハイになっているラオスのラオ子です。ずっと飛んでます。

 

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ご覧ください、こちら文明の利器、電子レンジと申します。生産者さんに「このへんにマイクロウェーブ売ってるとこない~?」って聞いたらお店に連れて行ってくれたのですが、なんとTOSHIBA(ほんまもんかは謎)が1万円弱。2年居るなら買うけど、数か月だから・・・ごめんね・・・とお店を去ると、生産者さんが「そういえばうちにあるけど使ってないわ。貸してあげるから買わなくていいよ。もっていきなさい」って。いやいや、お父さんや娘さん使わないの?なくなったら不便じゃない?って一度は遠慮したのですが、「娘がたま~に使う程度だし、私たちはマイクロウェーブ嫌いだからいいのよ。炭火のほうが美味しいし体にいいから」って。

 

わ~~~~~~もう、負けた、負けたわ、完敗ですわ。ラオス人の生活力に負けたし便利さにも負けた!!!コーヒー豆のハンドピックと手焙煎に時間かけて丁寧なくらしを演出してみても、結局私はマイクロウェーブなしでは生きていけない体になっていた!

 

そう気づかされてもなお、借りてきたレンジで前日の晩の豚の生姜焼きの残りと冷凍ご飯をあっためて、あつあつの作り置きご飯を頂いたのでありました。マイクロウェーブ最高!

 

生産者さんとの再会

前回のブログに書いた、配属先との活動計画のすり合わせがひと段落ついた瞬間、わたしが次に取っていた行動は生産者さんへのアポとりでした。家から配属先まで4.8キロ、家から生産者さんのところまではおおよそその倍はあるので、どうやって行こうかと悩んだのですが、とにかく会いたいのでひとまず自転車で行ってから考えようと心に決め、往復20キロ覚悟で連絡をとりました。

 

どうやってくるの?前に居た家にいるんでしょう?聞かれ、チャリで行く!と元気に答えたのですが、迎えに行くから9時に待ってなさい、と。ええ~~~ガソリン代あがってるし申し訳ないよ、と思った反面、神~~~!!と心の中で拝みました。

 

そんなわけで、生産者さんが家まで迎えに来てくれて、感動の再会。長かったね、やっと会えたね、って言ってくれて、ちょっと泣きそうになりながらお家兼お店に向かいました。

 

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着いてすぐ渡されたのは、私が大好きなお米の揚げ菓子とカオニャオ、そしてアヒルの首とか足とかクルッとコンパクトに結んで茹でたやつ。え、わたし朝ごはん食べてきたよ・・・・?というと、「違う違う!」と笑いながら私の手にアヒルを持たせます。

 

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「ほんとはそのまま持たせたいけど、コロナ怖いからね!これはコロナ対策ね!」と笑いながら、サランラップに包まれたアヒルを私の手に持たせる生産者さん。この糸を出されたころにはもう、私の涙腺は瀕死状態でした。

 

生産者さんは、私の中から悪い魂が抜けて、幸福が訪れるようにと願いながら、手首に綿糸を結んでくれます。突然帰らなければならなくなったあの日、無事に日本に帰れますように、また戻ってきてくれますようにと願ってくれた生産者さんが、1年7か月ぶりにマッケン(手首に糸を結ぶラオスの風習)をして、今度は「ラオスで健康に過ごせますように、良い活動ができますように」の願いをこめて両手に1本ずつ結んでくれたのです。

 

ああ・・・待ってよかったなあ、って、やっと心の底から思えた気がしました。

 

 

この時も、

 

 

この時も、

 

 

この時も、

 

手首に巻いているのは、誰かがわたしの健康や幸せを願ってくれた証であり、何かの節目だったのですが、今回の「おかえりマッケン」は、今までとはどこか違う沁み方で、目に入るたびにニヤニヤしてしまうのでした。

 

今日はしっかりヒアリング!のはずが

さて、今日は、コロナ渦以降の市場の変化や売り上げ、生産者グループ内の雇用状況について・・・とか思っていたのに、生産者さんまでテンションぶちあがっちゃって、今日はあんまりそういう日にはなりませんでした。

 

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着てみて!めっちゃ着やすいから、試しに一回着て!!とか

 

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これ鞄作ったときの端切れなんやけど、何かできひんかな?!とか

 

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これポンソーン村で編んでもらってるやつなんやけど、鞄以外に何ができるかな?!

 

とかとか・・・・・まってまって、私も頭が追い付かないよ!っていうぐらいのペースで提案がどんどん湧いてでてきます。

 

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おかげさまで、夕方にはもう頭すかすか。生産者さんの家の近くにできた綺麗なお肉屋さんでミンチと牛乳を買い、隣の市場でちゃっかりバターを仕入れて、へとへとで帰宅しました。ちなみに、生産者さんにプレゼントした日本のお土産セットの中にワサビを6本入れていたので、生産者さんは冷凍サーモンと何らかの白身魚を買っていました。

 

家から10キロ地点にこんなに清潔そうなお肉が買える店ができたなんて、感動です。明治の牛乳も、ちゃんと冷蔵庫に入っています。(隣の市場で売られていたものは室温で売られていたので、いつも祈ってから1杯目を飲んでいました)

 

今までと変わったこと

前回赴任していたときは、生産者さんの家で1日過ごすときはみんなで食卓を囲んでお昼を食べていました。しかし、今回は「マスク外さないと食べられないからね、ラオ子はお店で食べてね。」と、食事は別になりました。

 

首都のホテルで待機していたころ、一人でご飯を食べていると、「何で一人で食べるの?」といろんな人から聞かれたぐらい、ラオスはみんなでご飯を食べる文化です。ですが生産者さんは、マッケンや私が大好きなお菓子を準備してくれている一方で、こうやってお互いの安全を確保しようとちゃんと境界線を作ってくれていました。

 

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またみんなで食卓を囲んで、生産者さん宅の畑でとれた無農薬のお野菜や、生産者さんの池で育った魚を食べられる日が来るといいなあと思いつつ、今はお互いフィジカルディスタンスをとり、それを感じさせないぐらいコミュニケーションをとって、残りの活動をより良い時間にしたいと思ったのでした。

 

ちなみにですが、この上の写真の”くちゃっ!”となった肉のかたまり、ほどいたらこうなりました。

 

 

 

 

 

 

 

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”やっほー、脳みそ食うか?”

 

 

という冗談は置いといて、前みたいに、週5で活動して金曜日の活動終わりに乗合バンに滑り込んで上京、土日は首都で美味しいもの食べ貯めて日曜日に任地へ!なんてことももちろんできませんし、そもそもまだ配属先も交代勤務中なので、私も1週間のルーティーンを作って、決まった日に家で作業するように整えなければと思っています。

 

生産者さんともその話をして、さきほど紹介した竹バッグや布の端切れを貰ったり、サンプル制作用のシンを自分用に買ってみたり、自宅で活動する時間もメリハリをつけてやっていきたいです。

 

とはいえ、またいつロックダウンして首都退避になるかわからないなかでの活動、できれば1日でも多く外に出て活動したいという気持ちのほうが強くてもやもやしますが、私もニューノーマルとかいうやつに適応していかないといけないんだと自分に言い聞かせます。

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退避のことと、これからのこと。

さばいでぃー!

みなさんこんにちは、ラオスのラオ子です。

 

一度筆を置いてしまうと、重くて重くてなかなか持ち上がらないのですが、

 

pt-riha.com

 

ヨガの先生が活動のことや一時帰国のことをめっちゃ丁寧にまとめてるのを見て、私も忘れないうちにやっておこうと思って、なんとか編集ページを開いた次第です。

 

というのも、昨日、JICA海外協力隊のオンライン最終面談がありました。まだ申請・手続き関連のことや、報告書、引き継ぎ書など、事務作業はもりもり残っていますが、11月30日をもって、JICA協力隊という肩書が外れることになりました。

 

www.laoko.net

 

こちらの記事にも書いた通り、私はこれでJICA海外協力隊を卒業する!ということではなく、また任地に戻れる権利をいただいたまま、一旦日本の社会で働くことを選択したわけです。

 

JICAの公式ウェブサイトでは既に、ラオスの再派遣の見通しが立ったこと、そして第1陣が12月にラオスに戻ることが発表されましたが、私はこの再派遣をポジティブに捉えることができませんでした。

 

その一番大きな理由というのが、「戻れたとしても任期は変わらない」ということです。つまり、私のもともとの任期である2021年1月28日をもって、派遣が終了してしまうのです。私はその先にまだ「いつから、何をする」という明確なビジョンがなく、とにかく今はラオスに戻って自分の活動と気持ちに区切りをつけたいという事以外、何も考えられていません。

 

そんなわけで、『特別登録制度を使って、任期を伸ばす!』という荒業に出るかわりに、私は11月30日をもってJICA海外協力隊の隊員ではなくなったわけです。そして、同じタイミングで、前回のブログに書いた多文化共生ボランティアも一旦終了となり、5月から隔週で続けてきたLiNK-TALKも区切りをつけることになりました。

 

人はすぐに忘れてしまう生き物です。でも、この数か月間、忘れるには惜しい事をたくさん経験させていただきました。これはブログに残すしかあるまい、というわけで、昨日で終了した”隊員として”の”待期期間”について、あれこれ思ったことを書きたいと思います。(前置きの長さ!!)

 

待機期間中の活動

こまごまとSNSにあげてはいましたが、あらためて書いておきたいと思います。

 

03月22日 緊急帰国・一時退避スタート

05月08日 LiNK-TALK スタート(11月末まで、のべ15回開催)

06月18日 全世界コミュ開同期有志でこっそり報告会

06月28日 JICA岐阜帰国隊員報告会 登壇

07月20日 多文化共生ボランティア 初参加(のべ40回ぐらい参加)

08月08日 因島フィールドワーク参加(9日間)

08月21日 ラオ語オンラインレッスン受講開始

10月04日 ”ら”おす ”お”おさか ”す”っきゃねん ラオス展(7日、11日と3回開催)

 

その他オンライン座談会やイベントなども含めると、後から見返したら「何もやってなくはなかったんだなあ・・・」って思うぐらいには何かしらやってはいたのですが、他の隊員があまりに攻めた待機生活を送ってくれるもんで、満足感なんて得られるわけがなく「自分なんてまだまだや・・・まだまだなんや・・・・・」とぶつぶつ言うだけの日々でした。

 

・・・私は一体誰と闘ってたんやろ。

 

終わってしまった…

上にあげた中で、今月で終了になったのが、LiNK-TALKと多文化共生ボランティアです。

 

LiNK-TALKはもともと、同じ大学だけど学部は違って、卒業後カンボジアに住んでいたときに大学の共通の友達の紹介で初めて会って1度ご飯に行っただけの人である、そうちゃんのお誘いではじまりました。(ひどい言いようだな)

 

LiNK-TALKは、「国際協力をもっと身近に、協力隊をキャリアの選択肢に」というイキなキャッチフレーズとともに、協力隊経験者の活動をらく~に聞いてもらう企画です。私が第1回目のゲストとなり、その後は協力隊仲間にゲストとして登壇してもらい、私はパーソナリティとして聴き手の役にまわりました。私が要領を得てだんだん雑になっていったことと、みんなオンライン会議・報告会に慣れたことが重なって、打ち合わせの回数は回を重ねるごとに減っていきましたが、どの会のアンケートも参加者の方から嬉しいフィードバックをいただき、本当にやりがいのあるイベントでした。

 

本番ももちろんのことながら、私はこのイベントのための打ち合わせが大好きでした。打ち合わせ、といっても、タイムテーブルやターゲットなどおおざっぱに共有したら、その後はお互いの身の上話をしたり、今なにしてるとか、これからどうするとか、活動中にこんなことがあったとかそういう話を、だいたい1時間から2時間ぐらいだらだらとやるだけです。でも、その中で、SNSからでは伺うことのできないみんなの生活や気持ち、葛藤を知れたり、思い出話で笑い泣きできたり、この8カ月間を支えてくれる柱になったことには間違いありません。

 

また、このイベントに参加してくださった方は、3歳から??歳まで、学生、社会人、JICA関係者、NTCで一緒だった同期隊員のみんな、派遣間際で待機となってしまった隊員の方などなど様々で、なかには何度も参加してくださる方もいらっしゃいました。この企画で、何かひとつでも興味の杭を打てていたら嬉しいなーと思いながら運営していましたが、15回も続けられたのはアンケートで嬉しい感想を寄せてくださったおかげです。

 

そして、このイベントを初回からずーーーっと運営&ちゃちゃ入れ担当してくれている、そうちゃん、本当にありがとう。この機会を貰わなかったら知ることのできなかった隊員のエピソードが、たくさんありました。そして、いつも隊員トーク終了後に綺麗に〆てくれるので、安心して任せることができました。コロナどっかいったら、打ち上げしましょう!!

 

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そしてもう一つ終わったのが、前のブログにも書いた多文化共生ボランティアです。

 

7月から、滋賀県国際課と滋賀県国際協会が立ちあげた「みみタロウキャラバン隊」の活動に参加させていただいて、滋賀県在住の外国人の方のサポートをしてきました。

 

活動にはいくつかパターンがあります。商業施設・公共施設にブースを設置し、施設利用者のなかから外国人と思われる人を探してひたすら啓発活動を行うのをメインに、周辺地域の外国人経営飲食店・スーパーや日本語教室を訪問したり、他にも外国人学校でのキャリア教育のお手伝いなども経験させてもらいました。

 

もともとは定額給付金の申請補助から始まった活動でしたが、その後は多言語対応相談窓口の周知や、各種助成金の案内、生活相談など、ニーズに応じて変化していきました。この未曽有の事態で、誰のサポートもなく外国に住み、そして仕事や生活、自分や子どもの教育、在留資格に不安や悩みを抱えながら生活する方々を少しでも支える手段のひとつになれば・・・と思いながら活動したのは、自分自身が外国に住み、他に外国人がいない村に住んだ経験を重ねているからだと思います。

 

カンボジアに住んだときは企業に、ラオスではJICAにそれぞれ属していたので、常に手厚いサポートがあり、何の不安もなく過ごさせてもらっていました。しかし、村でたったひとりの外国人としてびのび安心して過ごせたのは、配属先や近所の人々、市場のおばちゃんたちの強固なコミュニティーの中で、困ったときは誰かがすぐに手を差し伸べてくれるという大きすぎる安心感があったからです。あっちで自分がそうしてもらえて嬉しかったように、日本では誰かのそういう存在になりたいと思いながら、5カ月間活動しました。

 

一緒に活動したメンバーは、私と同じ境遇のJICA海外協力隊隊員現役・OVはじめ、外国からの留学生、外国語話者、外国にルーツがある若者などなど、様々なバックグラウンドがあります。よって対応言語は、日本語、英語、ポルトガル語、中国語、インドネシア語、クメール語、ネパール語、モンゴル語、タガログ語、ラオ語と多種多様。「ちょっとなら話せる」も含めると更に言語が増えます。私にとっては、メンバー間でのプチ異文化交流の時間も、とても楽しい時間でした。色々な立場にあるからこそ議論に花が咲き、色々な言語を使えるからこそたくさんの方に私たちの活動を届けることができたと思います。

 

メンバーは誰もこのブログを見ていないと思うので照れくささを捨てて書きますが、いざ活動が終わってみるとめちゃめちゃ悲しくて寂しくて、最終日の晩はアルバム整理しながら結構落ち込みました。(笑)

 

ちなみに、上のほうに貼った写真の花は、実は相談を受けた方からいただいたものです。仕事に必要な日本語をもっと勉強したいという実習生の方に、仕事のあいまに行けそうな日本語教室を探して紹介した後、わざわざブースに届けてくれた、思い出の花です。退避期間中、やりたいことをやれず、ラオスに帰りたいとTwitterで呟く無益なbotと化して家で腐っていただけの自分に、人から感謝の気持ちを受け取るような事をする機会を与えていただいたことに心からお礼を言いたいです・・・。

 

あと少し、座談会と報告書の作成が残っていますが、活動としては11月をもって終了です。この色々終わってしまった寂しさをどこにやっていいかわかりませんが、誰かの心に残る報告書が書けるように、みんなの頑張りをちゃんとまとめられるように、向き合いたいと思います。

 

はじまること

さて、ここまで終わることばかり書きましたが、12月から「無収入」「無職」という驚きのステータスに切り替わり、絵にかいたような無職生活が始まりました。

 

とはいえ、私は本当に貯金ができない性格で、現在の貯金残高は全口座全外国為替合わせても、福澤先生の人数なんと過疎地の1クラス分(どんな学校の規模かはご想像にお任せします)に満たないので、それなりに仕事をしなければなりません。

 

手始めに、年末年始は、高校生のころからお世話になっている神社の特別ご奉仕に明け暮れたいと思います。体力的に持つかどうかとても不安。その後は、ドラッグストアに戻って(なんと3社目!!)、医薬品登録販売者生活に戻ります。派遣の方とお話して初めて知ったのですが、薬事法改正で、責任者になれる要件が変わったんですってね。私は2015年から2年以上働いてるのでまだ大丈夫ですが、もう一度ラオス行って日本に戻ったときにはまた研修生からやり直しなんだそうな。そして薬事法だけでなく、売場の商品もあれこれ変わっているので、仕事がはじまる前にいろんなお店の中うろうろして勉強しておきたいと思います。(「知りません、分かりません」ってぜったい言いたくない生粋の負けず嫌いなのです。)

 

それから、JICAの特別登録の本当にありがたいところなんですけれど、今までと同じようにオンライン語学学習を受けられます。訓練所で教えてもらっていた先生なので、協力隊のことも活動のことも何でも分かってくれるから、本当にやりやすい!ここ3か月ほどは、配属先に提出する超大作の報告書(誰が読むんやアレ)をひたすら添削してもらいましたが、それもそろそろ終わりそう。今後やりたいことはある程度リストにまとめているのですが、戻ってからの活動で使うハンドアウトであったり、提案書や意見書であったり、あらゆる書類にネイティブチェックしてもらえるなんて最高すぎて無理です。先生、これからもよろしくお願いします。

 

 

 

頑張って生きよう

 

任地では、うまく活動できずにくよくよ悩んだり、忙しいカウンターパートとどれぐらいの距離感で仕事をしていいかわからなかったり、正直うまくいっていたとは言えませんでした。でも、それらをこの退避期間で一度俯瞰してみると、もっと自分からぐいぐい行ってもよかったのに何でこんなに遠慮していたんだろうと思うことがあまりに多かったように思います。

 

そして、日本に戻ってからは、現状を受け止められずにうなだれる日々を多く過ごしたことも事実で、ラオス帰りたいbotはまだまだ、まだまだ健在です。でも、昨日の最終面談で、JICAラオスの方から私にはもったいないような言葉をたくさんいただいて、日本に帰ったからこそできた経験がこんなにたくさんあったことにも気づけて、やっとエンジンがかかったような気持ちです。 

 

やりたいこと書き出したらあまりに一杯になりすぎたし、まだ一緒に活動したことのないコミュ開の人たちとの活動も楽しみすぎるから、1日も早く、1日も長くラオスに居たい。と、その前に、最終面談で「攻めの姿勢で戻ります」と宣言したので、有言実行できるように、向こう戻って実行しきれんぐらい準備していかねばと、気合を入れ直しました。

 

もう一度ラオスに戻ったら、こんどの活動期間は最長半年、泣いても笑ってもそれで隊員を卒業することになります。その時にやりたいことをやりたいだけやれるように、これからの半年間は「先の見えない未来」と「ラオスへの恋しさ」にめそめそするのをやめて、ラオスに帰ることだけを考えて生きてみたいと思います。

 

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待ってろラオス。

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第1回コーヒーロースト&ドリップワークショップ@ADDPみんなのカフェ

さばいでぃー!

みなさん、こんにちは!お久しぶりです、ラオスのラオ子です。ここ最近、ラオスも日本と同じく冬(?)で、ラオス中部のビエンチャン県でも朝夕は気温が一桁台に。バイクでの通勤やシャワーがなかなか辛い日々でした。

 

それでも長袖を着たくない私は、家の中で炭を焚いて暖をとっていました。おかげで自分の部屋とキッチンは灰だらけ&煙たくなりましたが、炭火のコーヒー焙煎というささやかなぜいたくを手に入れられて幸せです。

 

寒いと言っていられるのもあと少しなので、この寒さごと楽しみたいと思っています。

 

 

さてさて、相変わらずブログもノートも更新はさーさー(ゆっくり)な私ですが、最近は師走という言葉がぴったりな、普段のゆるゆるラオス生活とはかけ離れた日々を送っていました。というのも、国際ボランティアデーのブースの手伝いや、先輩隊員の最終報告会、新隊員さん&先輩の歓送迎会、語学フォローアップ、終わったらすぐ隣の県で先輩・同期隊員の活動の見学と、任地以外での予定が立て続けに。

 

その中でいちばんのハイライトとなったのが、とある日本のNGOさんと一緒にコラボで実施させていただいた、コーヒーのローストとドリップのワークショップでした。

 

note.com

 

コーヒーはメインの活動とは関係なく、完全に趣味の範囲でやっていることなのですが、まさかまさか、コーヒー好きの輪っかがこんなに拡がるなんて!

 

今日はこのワークショップについて、やったこと、思ったことをあれこれ書いていきたいと思います。

 

みんなのカフェとの初コラボ!

 

このワークショップは、12月14日、首都ビエンチャンにある「みんなのカフェ」というお店をお借りして行いました。対象は、『特定非営利活動法人NPOアジアの障がい者活動を支援する会(以下、ADDPさん)』の就労支援としてこのカフェで働かれている、聴覚障害のあるスタッフさんたちです。

 

www.addp.jp

 

今回はJICA協力隊の活動としてではなく、完全に個人的な趣味の延長で、こぢんま~り、数人でやる予定でした。が!強力すぎる先輩隊員のヘルプと、遊びにきてくれたたくさんの人たちのおかげで、あっちでおしゃべりに花が咲き、こっちではコーヒーの良い香りがして、何やってるの??と覗いてくれる人も居て。最後はみんなでコーヒーを飲んで、いつのまにかとてもほんわかした空間ができあがっていました。

 

あの場所で一番楽しませてもらったのは間違いなく私です。来てくださった皆様、ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。

 

・・・と、あまりに満足してしまって自分の言いたいことだけ言って終わりそうになりました。あぶないあぶない。

 

ワークショップ開催のきっかけ

 

今回このようなお話をいただいたのは、ADDPさんでパラスポーツを通じてラオスの障がいを持った人たちの自立支援をされている、Bさんと出会ったのがきっかけでした。

 

たまたま首都でのお食事会でご一緒したときに、ADDPさんのことや、Bさんの活動のこと、障がい者の就労支援のためのお店が市内にあることなどをざっくり教えていただきました。

 

 

ADDPさんが運営されている「みんなのカフェ」の1店舗目は、私の普段の生活圏内から少し離れたところにあります。

 

モーニングがアツいというのは先輩隊員から聞いていたものの、なかなか行く機会にありつけず。それからしばらく経った11月末の上京時、いつメン(死語?)で朝の予定がぴったり合ったので、皆でモーニングしにいくことにしました。

 

ふかふかのパンも、全部買いたくなってしまうクッキーもなにもかも美味しくて、そしてなにより、手話が分からないわたしたちにも伝わるようにオーダーシートと身振り手振りでうまく伝えてくれるスタッフさんたちの笑顔があまりに素敵で!!

 

初めてカフェに来た二日後には、

 

 

朝6時起きで、朝焼けの眩しいメコン川沿いを同任地隊員と一緒に40分ほどLSDトレーニングして、

 

 

モーニングセットと

 

 

美味しいコーヒーを、おかわりしに行っちゃいました。(笑)

 

そしてこの時、モーニングをいただきながらBさんと色々お話したあと、実際にパワーリフティングを体験させていただいて、パラ・スポーツのスゴさを目の当たりにすることになりました。

 

パラ・パワーリフティングは、下肢に障がいのある方たちのスポーツです。ベンチに横たわった状態で足をベンチの上で伸ばし、バーベルを持ち上げ、胸まで降ろして、もう一度持ち上げられれば成功、フォームが整っているか、左右対称に持ち上げられているかどうかも判定の材料になるシビアなスポーツです。現在ADDPさんで活躍されている選手の中には、男性で140キロ、女性で70キロを持ち上げられる方もいらっしゃるんだとか。

 

この日一緒にモーニングしに行った女性隊員と私は、パラどころかパワーリフティングすら初体験。25キロまではなんとか持てましたが、30キロのバーベルは胸まで降ろしたところで諦めました。実家で半俵(30㎏)の米を運んでいたので、それぐらいは持てるだろうと甘く見ていました。腕だけで支えるって、あんなにも力が必要で、そして自分で思っているよりもぜんぜん持ち上げられないものなんですね・・・。

 

LSDで消費したわずかなカロリーをはるかに超えるクッキーとフィナンシェを持って、みんなのカフェをあとにしました。

 

www.youtube.com

 

今回、自分たちがパワーリフティングを体験させてもらっただけでも色々考えるきっかけになったので、機会があれば次回ぜひ、実際の選手の練習風景を見せていただきたいなーなんて。なんて。

 

その後、私がインスタにのせていたコーヒー焙煎のストーリーを見て自分もローストに興味が湧いたと言ってくださり、もしよければ一緒にやってみませんか、じゃあ新しくオープンするカフェでやりましょう、どうせならいつもコーヒーを淹れているスタッフさんたちに体験してもらいましょう、と、トントン話が膨らみました。そして、今回のワークショップの企画を、ほくほく気分で任地に持ちかえったのでした。

 

ちなみにですが、パワーリフティングを体験した隊員と私は、翌日にバキバキの筋肉痛になりました。20キロ、25キロ、30キロと3回やっただけなのに、普段使わない筋肉だとあんなにダメージ受けるんですね・・・。「50キロぐらいいける」などと軽々しく言ってすみませんでした・・・。

 

ワークショップの準備

 

わたしはコーヒーを好きになってまだ浅いし、専門的に学んだわけでもありません。まずは、ルワンダに居るコーヒー隊員に色々尋ねながら、できる限り自分が今できる事で完結する範囲でやってみることにしました。

 

自分が何を伝えられるだろう、自分がカフェで働いたときどんなことを教えてもらっただろう、美味しいコーヒーってなんだろう、自分はどんなコーヒーが好きだろう、いつも何に気をつけているだろう、何にこだわっているだろう、いろんなことを考えながらつらつら書き出して、「はじめのいっぽ」にぴたっとはまるテーマと内容を探してみました。(殴り書きで字がお粗末につき、写真はぼやっとさせております。)

 

 

色々考えた結果たどり着いたのは、「まずはコーヒーを好きになってもらおう!」という小さな目標でした。

 

細かく挽いたコーヒーを煮出して、練乳であまあまにして飲むラオスのコーヒーとは全く違う文化の「ドリップコーヒー」。コーヒーの個性がストレートに表現される抽出方法だからこそ、新鮮でおいしいお豆をつかって、可能な限りの美味しさを引き出せる淹れ方で。淹れ方でまったく違う風味になる抽出方法だからこそ、せっかくなら美味しい一杯が淹れられるようになったらいいなあ、と、焙煎・抽出共に勉強中の私も一緒に学ぶ気持ちでやっていくことに。

 

ひとつひとつの内容をつきつめていくには半日では到底時間が足りないので、内容もかなり絞り込みました。まずは豆のローストとドリップの全体像を体験を体験してもらって、「コーヒーってこんなに面白いんや!」と思ってもらい、次につなげていくのが狙いです。

 

同任地のコーヒー大好き先輩隊員にこの話をしたところ、快く協力してもらえることになりました。職種が先生ということだけあって人に分かり易く説明することにも慣れてるし、コーヒーも詳しいし最強やん!!と、わたしはハイパー天下無双気分で資料の作成に取り掛かりました。

 

が!その後、あまりのラオ語のできなさ+今まで使ったことのない語彙+そもそも外から入ってきた文化でラオ語にどう当てはめていいのかわからない、という圧倒的力不足により即座に大敗。先輩隊員の手厚すぎるサポートと語学の先生のおかげで起死回生して、ぎりぎりまで資料の単語を直して、当日を迎えることとなりました。

 

まずはハンドピック

 

まずは豆を煎る工程を説明して、お豆をピッキングしていきます。いつも家で煎っているのは海外のお豆ばかりですが、せっかくなので今回はビエンチャン市内にあるカフェからラオスの生豆を購入してみました。

 

 

目の前にあるお豆をひとつぶひとつぶ選別しながら、欠点豆を取り除いていきます。

 

形が悪いお豆は均一に火が入らないほか、お豆が過成熟・未成熟だったりすると、それもまたコーヒーの雑味になってしまいます。また、虫食いのお豆も、虫食い穴の中がカビてしまって美味しさを損なう原因になるため、針であけたような小さな穴も見逃さずに除去していきます。

 

 

つづいてロースト

 

その後は、煎り方のお勉強。生豆からイタリアンローストまで、煎り具合によって味がどう変化するか、何で煎り具合を判断するかといった話を順に説明していきます。

 

私のつたないラオ語を、隣に座っている健聴者のスタッフさんがラオス手話で隣の女の子に伝えて、それを他のスタッフさんに詳しくラオス手話で伝えてもらう、という、私には大変ありがたいゆっくり進行。説明してもらっているあいだにカンペのラオ語をちらちら見つつ、そして私も簡単な手話をみんなから習いつつ。こちらが一方的に説明するだけではなく、徐々に皆からもいろんな質問が飛んでくるようになって、嬉しい。

 

 

資料をつくる段階でひとつ工夫が必要だったのは、通常、煎り具合は色と音で判断するという点でした。炭酸ガスが発生してはぜる、「ぱちぱち」という音と、その後焙煎をすすめていくことでコーヒーオイルが出たときの「ぴちぴち」という音、コーヒーの自家焙煎はこの二つを基準に深さを見極めていくのが一般的で、音が聴こえない場合に何で判断したらいいのかというのは皆目見当つかず。

 

そこで、イヤホンで耳をふさいでローストしてみました。実際に豆がはぜるのも火から外せば確認できるんだな、1ハゼのときはこんなにチャフが外れて煙が出ているんだな、2ハゼぐらいになると煙たい香りが強くなるな、と、耳以外から得られる情報って意外にたくさんあって、私にとって新しい学びになりました。

 

結果的に、振り続ける煎り器の中で豆がはぜるのを逐一確認するのは難しいため、煙、豆の色、においの変化などを伝えながら焙煎していきました。

 

 

浅く茶色になるまでは30センチぐらい火から離して中火でじっくり、その後は10センチほど火に近づけて、少し強火に。均一に火が入るように、10分以上振り続けます。

 

今回は200gをいちどに焙煎。結構腕が疲れるので、みんなで交代しながら煎っていきます。

 

 

お豆を500g用意していたので、1回目はフルシティローストまでしっかり焙煎し、2回目はハイローストぐらいで止めて、中煎りと深煎りを皆で飲み比べることにしました。

 

ラオスのお豆を中煎りで飲むのは初めての経験だったので、わたしもわくわくです。

 

いよいよドリップ 

 

煎り終わった後は先輩に交代!器具や挽き方、ドリップの仕方などを詳しく説明してもらいました。

 

ドリップの仕方は色々なやり方があって、コレという正解が無いだけにどれを伝えるか迷いましたが、最終的に自分たちが日本で働いていたカフェで教えてもらったやり方や分量に近いものに落ち着きました。

 

 

資料を作る段階で、ドリップの方法を調べているうちに、お湯に挽いたお豆を漬けてからそのまま全部ドリッパーで濾すという、浸漬式と濾過式の工程をどちらも行う面白いドリップ方法に出会いました。これなら時間と分量さえ守れば安定したドリップが淹れられるなと思い、隊員ドミトリーで前日に飲み比べ。

 

ドリップとフレンチプレスのちょうど間ぐらいの特徴で面白かったのですが、ラフに飲めるかと言われるとちょっと違う。フレンチプレスからザラザラ感を抜いたような味で、酸味はドリップに比べて強くなりました。最終的に、今回はまずスタンダードなところからということで、V60を使った一般的なドリップにしぼってやってみました。

 

 

まずはドリッパーにセットしたお豆を平らにならして、器具をしっかりあたためて、まずはお豆と同量のお湯を注いで蒸らして、そこから3回に分けてお湯を注いでー・・・と、先輩隊員のお手本を見たあと、ひとつひとつ皆で確認しながら、実際にドリップしてもらいました。

 

今回、パワポ8枚分(焙煎4枚、ドリップ4枚)を作って行きました。皆に配るためというよりも、情報を事前に整理して、それに必要な語彙を身に着けることが目的だったのですが、色んな人から色んな表現の仕方を教えてもらって頭がパーン!(笑)

 

なにも身につかないまま本番を迎えてしまいカンペを見ながら身振り手振り1割と顔9割で説明する私は、何も見ずにさらさら説明の言葉が出てくる先輩を見て「大迫半端ないって!!」な気分になりました。いやほんと、先輩半端ないって!!

 

 

煎りたての新鮮なお豆だからこその、香りと膨らみ方。蒸らしのときにぷくぷくに膨らむお豆の可愛さ、共感してもらえるようになったらうれしいなあ・・・。

 

煎っているときは、香ばしい香り。挽いてみると、フルーツのような甘みや、スパイスを感じさせる鮮やかな香り。そして淹れるときは、そのコーヒーが持っている個性を感じられる、繊細な香り。

 

コーヒーは、飲むときだけではなく、そこにいきつくまでのプロセスも、ぜんぶ楽しいのです。

 

 

ドリップしたらそれで終わり!ではなく、落とした後の豆かすをチェック。いい香りがたくさん残っていたら、蒸らし不足か落とすのが早すぎるかで抽出不足。すり鉢状にへこんだお豆に、きめ細かな泡が均等に残っていれば大成功!

 

いざ試飲!

 

煎りたて、淹れたてのコーヒー2種類。中煎り・深煎りをそれぞれみんなで試飲してみました。ワークショップの見学に来てくださっていた方たちにも飲んでいただいて、どっちが美味しかったか挙手してもらったところ、綺麗に半分ぐらいに分かれました!

 

ラオ人のみんなは浅く煎ったコーヒーを飲む習慣が無いので、3/4が深煎りに手を挙げましたが、中煎りには中煎りにしか感じられないお豆の個性があり、「すっぱい」で終わらせるのはもったいない!「おいしい酸味」について話せるようにまた自分自身もラオ語・コーヒーの知識・焙煎と抽出の技術を深めていきたいです。

 

ありがとうございました! 

 

ラオス語の手話で「I love you💛」のポーズで記念撮影し、無事に第1回ワークショップ終了!場所をお借りしたみんなのカフェさん&オーナーさん、スタッフさん、来てくださった皆様、ありがとうございました。

 

わたしもまだまだコーヒーが「すき」なだけで、知識も技術も人に伝えられるほどではないのですが、自分自身も勉強しながらみんなと楽しい時間と美味しいコーヒーが共有できてとても嬉しかったです。

  

 

自分自身、途上国で2年働いたなかでカフェの経営に関わったり、その後日本のカフェでバイトしたりして、小さな小さな「点」をつくってきたわけですが、それがじぶんのなかで線になって、色んな人と繋がるきっかけになっている実感があります。

 

日本のカフェで働いてコーヒーが好きになってからは家で、NTC(二本松訓練所)に入所してからは、班のなかでコーヒーメーカーと化しました。そしてラオスに来てからも、煎りたて淹れたてのコーヒーでほっこりする時間を共有できて、なんかもう、コーヒー最高です。

 

ずっと接客業ばかりやってきた経験から偉そうに言うと、数あるお店のなかからこの店を選んで来てくださるお客様に、最高の一杯を提供したい!!という気持ちがきっとコーヒーを美味しくするし、そのためにはコーヒーに対しての知識を深めることは不可欠だと思っています。学んだことを活かしたいと思うからこそまた、コーヒーが美味しくなっていく。そしてそのスキルやホスピタリティのすべてが、コーヒーだけでなくカフェの空間ぜんぶやコミュニケーションにも表れていくのではないかと。皆にとって、コーヒーを好きになることが、「もっと」と自分を高めるきっかけのひとつになればいいなあ。

 

 

私も、コーヒー、ラオ語共にピヨピヨのピヨなひよっこですが、こうやって楽しく学べる機会のおかげで「もっと」を得て、どちらも前向きに勉強していきたいという思いが強くなりました。

 

特にラオ語!このワークショップのあとに受けた語学フォローアップ訓練(赴任1年前後で受けられる訓練)で、「あ!この単語知ってる!!こないだ覚えたとこのやつや!!!!」という言葉にたくさん出会えて、コーヒーをきっかけに一歩進めたんだなあと実感できました。そして、パーサームー(手話)という新しいコミュニケーションの手段に触れ、自分の伝えたいことが伝わる嬉しさを久しぶりに感じました。もっとみんなと直接話ができるようになりたいなあ。

 

私はこのワークショップのためにコーヒーの知識を深め、それを正しく伝えるためにラオ語を勉強し、みんなはコーヒーを好きになってスキルを高め、1杯1杯気持ちを込めて淹れてくれたら、それだけで立派な「すわいかん(助け合い)」ですよね。これからも一緒に、楽しみながら勉強しましょう!

 

後日

 

みんなのカフェに再度お邪魔して、ワークショップ当日スタッフさんに代わってお店の事をされていたBさんと、ゆったりまったり復習会。お豆の選別からドリップまで、もう一度やってみることにしました。

 

 

焙煎は、チャフが舞うので外の机でやることに。

 

どの角度で振ったらどの筋肉に効くとか、理想の筋肉とか、普段はどんな筋トレしてるとか、そんな話で盛り上がりながらお豆をしゃかしゃか振っていると、近くの銀行にお勤めのラオ人の方々、在住外国人、観光客、赤ちゃんとお散歩中の近所のおばちゃん・・・色んな人たちが、「何してるの?」「良い香りだね」と足をとめてくださいました。

 

なんか、読んで字のごとく「みんなのカフェ」っぽくて、ええなあ。

 

 

ラオスのコーヒー栽培は、1915年の植民地時代にフランスから持ち込まれたところから始まりました。タイ・カンボジアとの国境を分かつチャンパサック県のボラベン高原を中心に現在も盛んに行われ、甘みがありエスプレッソに適したお豆は主に海外に輸出されているそうです。

 

だいたい深煎りの状態で売られていて、中煎り・浅煎りのものが飲める機会はあまり無いのですが、中煎りぐらいで飲んでみたら、合う、合う!!深煎りのとろりとした甘みも好きですが、中煎りでしか味わえないスパイシーさと、よく熟したフルーツみたいな甘みがたまりません!!

 

「フレンチプレスだったら何グラムの豆にどれだけお湯を注ぐの?」「中煎りと深煎りだったらどんなふうに味が違うの?」「日本人ってすっぱいコーヒーの方が好きなの?」と、ラオ人のお客様から質問攻めにあいながら、煎りたてのお豆を挽いてフレンチプレスに。

 

スマホにメモしてくださった方、動画を撮ってくださった方、「味見したい!!」と言ってくださった方。いろんな反応が見られて嬉しかったですし、私は「ラオ人はネルで濃く煮だして練乳のあまあまコーヒーを飲むのが好きなんだ!」と勝手に決めつけていましたが、ドリップやフレンチプレスの飲み方・淹れ方にも興味がある人もたくさん居ることが分かって嬉しかったです。自分の村の人たちの家に突撃お宅訪問してコーヒーセミナーやってみようかな。(笑)

 

次回に向けて

こんな素敵な場、1回きりにしてしまうのは勿体ないので、ぜひまた皆でわちゃわちゃコーヒーセミナーしたいなと・・・

 

まだ日も決まってませんが、資料作りを始めました!(笑)

 

 

今回のおさらいもして、新しいことも勉強して、次回はもっと良い時間にできたらいいなー。と、某隊員に仕入れてもらってきたケニアやエチオピアの生豆を見つめてにまにましながら色々企画中です。ああ~、エチオピアシダモグジがぷっくりぷくぷくでかわいいいいい・・・。

 

コーヒーは、ただの嗜好品にあらず!コーヒーになるまでのプロセス、ハンドピックやローストのゆったりした時間、その間のちょっとしたおしゃべり、淹れる時の香り、そしてコーヒーとスイーツの組み合わせ。みんなで時間を共有するためのツールとしての役割も果たしてくれます。一緒に楽しんでいただける方、ぜひワークショップ遊びにきてください!

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Lao Handicraft Festival 2019と、はじめのいっぽ。

さばいでぃー!

こんにちは、ラオスのラオ子です。

 

 

前回のブログで告知したLao Handicraft Festival 2019を終えて、任地に戻ってきました。(以下HCF)

 

「来年行ってみたい!!」と一人でも思っていただけるように、HCFの様子をお届け・・・できたらいですねえ。

 

Lao Handicraft Festival 2019

Lao Handicraft Festivalは年に1回、ラオス手工芸協会によって行われている大イベントです。ラオスで活動するコミュニティ開発隊員にとっても、このイベントは一年間で一番大きな行事。2年間の活動期間で参加するチャンスは2回だけ。7県で活動するコミュニティ開発隊員が、各々の県の特産品を持って首都に大集合です。

 

 

ITECCへは、バスで向かいます。ん?なんか懐かしいなと思われた方、こちら日本の無償資金協力で提供された元京都市バスです。ペイントもそのままで走っています。懐かしいバスに乗りたい方ぜひラオスへ!

 

 

今回私たちは3つのブースをお借りすることができました。

 

前日準備で初めてブースを見たときは、こんなかんじ。まだ、がらーんとしています。ここに、持ってきた備品や商品をどんどん搬入して、ブースを作っていきます。

 

 

こちら、私が配属されているビエンチャン県の展示スペース。

 

 

 

欲しいと思ってもなかなか手に入らない、ビエンチャン県のめちゃめちゃ山奥のシンも持ってきました。

 

 

そしてもちろん、先日商品開発のことを記事にしたこちらのクラッチバッグも!!

 

 

まわりのブースも見学します。こちらはフアパン県サムヌア地方のシンを扱うお店。浮き織りの細かさがもう、なに?どうすればいいの??

 

 

こちらは生地屋さん。見ているだけで楽しい!

 

 

ほかにも、モン族のスカートがあったり

 

 

鮮やかな色彩の織物があったり

 

 

私の村の生産者さんが薬草を持ってきていたり!

 

 

入り口のほうではデモンストレーションも。このブースでは繭を引いていました。中からコンニチハした蚕が袋に入って売られています。(写真右下)

 

 

これはサイニャブリ県タイル―族の刺繍。なんて素敵なんだろう・・・。

 

・・・と言う感じで、国内の至る所からハンディクラフト関係の生産者さんが集まるのがこのイベントの最大の魅力です。

 

ラオスの音

 

不定期で民族音楽も聞こえてくる館内をめぐりながら、ひとつひとつ手づくりされた味のある手工芸や機械織りにしか見えないような精巧なつくりの織りを眺める時間、最高だと思いませんか???

 

9日間も居ると、ブースをまわらせてもらう時間もちょくちょくできまして、色々まわって色々買ってしまいました。

 

 

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そして自分へのご褒美は、フアパン県サムヌア地方のシルクの織り!!今のところ一番好きなタイデーン族の模様です。

 

タイデーン族愛好家を名乗ろうかなと思うぐらい、この模様が好きです。一目ぼれして、値段聞いてびっくりして(思ってた価格の半分ぐらいだった)、即買いしてしまいました。最高!!

 

賞をいただきました

フアパンの織りがなんのご褒美だったかといいますと、

 

 

先日生産者さんと一緒につくった製品が、デザインのコンテストで賞を受賞しました!!!

 

こんな嬉しいこと、ありますか・・・。

 

8か月、ずっと泥のなかを歩いてきたみたいな気持ちでいました。ラオスは既に私のなかで大好きな国になっていて、こんな素敵なてしごとに触れられるだけでも十分に幸せを感じていますが、技術移転先でもある配属先の産業商業局には何も貢献できておらず、もうすぐ1年経つのに「何をしているか分からない日本人」のままな気がして、それにずっと苦しさを感じていました。(というか、今も感じています。)

 

それを少しだけ前に進めてくれたというか、自分がここに居て良い理由をやっと自分につくってあげられたというか、なんとなくそんな気持ちになりました。

 

自分だけのことだったら、「いやいや、言うてもそんなに・・・」となってしまうところですが、この賞をとった主役は生産者さん。だから 、私も声を大にして、自慢して、大喜びしよう!!と。

 

配属先の人たちが見てくれるように個人のFBに掲載し、JICAのオフィシャルページにもシェアしてもらって、その内容もまた自分でシェア(笑)

 

おかげで、任地に戻ってオフィスに行ったとき、「賞をもらったんだってね!!おめでとう!!」と同じ課の同僚から声をかけてもらえました。その日の活動は、2週間ぶりに戻ったらお腹がぱんぱんに大きくなっていた年下の同僚と胎動に癒されながらキンソム(おやつ)。頑張って局長に報告するためのレポートを作成しましたが、あとから殆ど直されて、まだまだやあなと改めて思いました。

 

コミュニティ開発の技術補完研修で習った「W型問題解決モデル」でいうと、時間的にはそろそろ半分(モデルについては分かり易い図があるので調べてみてください)。問題定義→探検→野外観察→発想と統合を終え、一度目のバスタブ曲線を乗り越えたあたりに・・・居たい。つもり。

 

ここから、決断→推論→実験準備→実験観察→検証、となるわけですが、ここからは思考と経験を1度行き来して終わるというよりは、ここからようやくサイクルを回していくようなイメージになかと思いますが、なんといっても任期は残り1年2か月。単発でやりっぱなしにしても、自分も生産者さんも成長に繋がらないので、大きいプロジェクトを動かすつもりでやっていきたいと思います。

 

・・・と、気持ちが前向きになると、調子に乗って、あれやりたい、これやりたいって色々書けるんですよね。8月、9月の沼からやっと抜け出せた気分でいるので、前向きに走りまくりたい時ほど気持ちを抑えて、安定した生活と活動ができるように自分のことをマネジメントしていきたいと思います。(これ大事やなって最近ようやく気が付きました。)

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商品開発第1弾『クラッチバッグ』のあれこれ。

さばいでぃー!

最近ずっと旅行のことばっかりで、活動について何も発信していませんでしたが、やっと一つ大きく動かせました。今日はその事について書いていきたいと思います。

 

 

ほんとはオークパンサーの事とか書きたかったんですけど、発信できるような情報量にならなかったので語学の鍛錬を積んで来年再チャレンジしたいと思います(笑)

 

「何を」作るか

日本では商品を売る立場で仕事をしてきて、目の前のものをお客様にどうやって販売するか、ということはたくさん考えてきましたが、商品開発に携わったのはカンボジアでの2年だけ。でもその間にお客様や会社から教わった事はとても多くて、今の私ではまだ全然消化しきれないような事ばかりです。

 

ラオスに来てからは、どこへ行ってもお土産屋さんを巡り、店内の商品を穴があくほど観察しました。「これだったらお金を出してでも買いたい」と、「私だったら買わないなぁ」は、ただ作って終わりにしないための、お客さん第1号となる自分の一番大切な声です。来た当初は殆どのものを見て後者だったのに、自分がものの無い環境に居るとハードルが低くなるのかなんなのか、あれも欲しいこれも欲しい、そして安いと思っていたものも「高い」と思うようになり、ターゲットとなるひと、もの、こと、それを判断していく自分をどこに置くかは難しいと感じています。

 

私には、表現者や作家として、それ自体に絶対的な価値を与えるようなものづくりができるような才能も知識もありません。デザインや縫製は私が教えてもらいたいぐらいだし、染色や織りについては、教えてもらうことすら大丈夫です、という感じです。布のことはどんどん好きになっていくけど、技術の面では全く明るくないのです。だから、そういうことは今まで何十年もやってきている村の人たちに任せることにしました。

 

だからこそ、「自分が使う側だったら」を考えて、何が欲しいか、どんなものだったら買いたいか、どんな人に贈りたいか、どんな物を貰ったら嬉しいか、たくさんシミュレーション。

 

そして「自分が売る側だったら」も考えて、どんな商品だったら、どんな価格だったら、どんな性質のものだったら、運びやすく、海外にも送りやすいか。そして、売りたい対象に、どんな風に説明できるものが売りやすいかも、考えて考えて、考えまくりました。

 

他方、生産者さんたちと関わるなかで、自分に手伝えることは何か、どんな商品作りの方法がこの村・この生産グループに合っているかというのも、単に「売れるモノをつくりたい」のとは違う、ODOP(一村一品)や地場産業そのものの発展のために、明確にしておくべき事項のひとつだと痛感したのです。

 

その中で、自分自身が感じた「あったらいいな」は次の3つでした。

 

ユニセックスな小物

圧倒的に足りないのはコレだと思いました。

 

ラオスの小物はどれも可愛い。アジアン雑貨好きの女子には間違いなくウケる。見てください、ウケすぎた結果の私の棚です。

 

ラオス小物でない貰い物が混ざってますが、それもあいまってカオス状態。

 

けれど、男性に贈るとなるとちょっと違う。可愛い刺繍、華やかな織り、意味の分からないぬいぐるみ、ピアス、ポーチ。私にとってはどれも宝物ですが、男性に贈るとなるとどれもピンとこない。男性向けのお土産もありますが、名刺入れやネクタイ、可愛いけれど、ビジネスユースには向かない。

 

それで思いついたのが、今回つくったクラッチバッグでした。クラッチバッグといっても、それだけを持ち歩くような類のものではなく、タブレットや書類、ステーショナリーなどをがさっと入れられるようなもの。これなら、布で、いける!

 

かさばらず、壊れない

ものの性質上、竹細工を外さざるをえず、まだまだ私のアイデア不足なのですが、布×竹は難しいし、竹オンリーになると更に難しい問題です。日本やタイの竹細工を見てしまうと、「私が旅行者だったらわざわざラオスで竹細工の既製品や竹かごのバッグを買うかなあ・・・。」と、現時点で自分の「ほしい」に繋げられません。(誰かアイデアくださーい!笑)

 

 

クラッチバッグはぺったんこ。バックパック背負って旅する人でも、安心して買えて、がさっとザックにつっこんでいけるもの。そんなイメージから、やっぱり竹は一旦おいといて布だけで商品を作ろうという考えに至りました。ただ、ビエンチャン県のODOPの生産者さんは竹細工だけで3グループ。いつか何か一緒にやりたいとはずっと思っています。・・・といいつつ現在、竹製のランチョンマットに自然のニスでコーティングしたものを作成依頼中。こちらも楽しみなんです。

 

さらに、日本からのEMSになにやらガムテープがしてあると思ったら、箱に穴を開けて中身を根こそぎ食わたところをしれっと隠蔽される、という途上国ならでは(?)の郵便事情を鑑みて、壊れやすくトラブルにつながりやすいものは極力避けたいと思いました。

 

村の伝統をデザインに

 

この村の生産者さんともそろそろ半年のお付き合い。村の伝統を、どうにかなんとかしたいという熱い気持ちをずっとそばで見てきました。お母さん(村の生産グループのリーダー)が一番大切にしたいという柄の布は、東南アジアに肥沃な大地をもたらすメコン川流域の「ナーガ信仰」からインスピレーションを受けたもの。

 

 

他にも、この村にしかない絣の模様や、バンビエンの紙布など、お母さんがかたちにしたい材料は山ほどありました。そしてお店には、以前訪れたメット郡のティンシン(裾布)の在庫もあり、うまく商品が売れれば、距離的に遠すぎて直接的な支援を諦めているメット郡とも連携していける。

 

www.laoko.net

 

そんなこんなで、ひとつの規格、製品を色んな布で使いまわせることも重要な条件のひとつとして考え、今回の商品開発に至りました。

 

縫製は、縫製が得意な人に

 

うちの生産者さんには、縫製が得意な人はいません。織りのプロばかりです。自分が作り方を覚えて誰かに教えて、作ってもらう・・・というのも考えましたが、それではあまりに遠回りで、きっと完成までにも時間がかかるし、品質を保つのにも相当の練習が要るだろうと思いました。

 

というわけで、お母さんの顔の広さと首都が近いという利点を大いに利用して、縫製は縫製のプロに任せることにしました。

 

完成まで何度かお願いしないといけないかなあ・・・と思いましたが、いっぱつでそれなりに良いものを仕上げてくれたので、任せて正解だったと思いました。

 

たくさん売れたら、良いミシン買って、良い縫子さん雇って、それで自社生産しようね。

 

お母さんの顔が光り輝いた

できあがった商品を見てすぐ、嬉々としてFBやTwitterにアップしました。

 

これは可愛いもんが出来上がったぞ、と。

 

 

「欲しい!」の声をたくさん頂いて、私はまた嬉しくなりました。男性からも要望をいただいて、「やった!!!!」とガッツポーズ。私自身、今はマネタイズできない立場ですし、『売れること(=お金が動くこと)』自体が嬉しいという感覚ではありません。どちらかといえば、自分たちが作ったものを通じてラオスのてしごとを発信できる事に対するものというか、私が志望理由書に書いた2年間の活動のテーマ「ラオスを世界へ」の第1歩を踏み出せるような気がする、そんな気持ちから湧いてくる嬉しさです。(今思ったらでかいこと書いたなぁオイ・・・。)

 

さらに、その中には「日本で置いてもらえる先があるので10個ほしい」というオーダーまで。ああ、ありがたや。皆さん本当にありがとうございます。同じ布で同じものを作り続けるのが難しい場所で、どんな風に今後売っていくかというのは大きな課題ですが、大量生産とは違う一点ものに「出会う」ことも含めて楽しんでいただけたらなあ・・・と思いながら、ここ最近で一番良質な睡眠を得ました。(笑)

 

翌日、朝いちばんに生産者さんのところを訪れて、追加のオーダーをお願いしてきました。

 

「お母さん、10個日本に送ってほしいって!ほかにも欲しいって言ってくれてる人が居るから、オーダーお願いできる?」

 

と私が伝えたときの彼女の眼の輝きは、今まで見た事がないものでした。JETROのカタログにも載り、日本国内でのギフトショーに出展したこともありますが、それでもお客さんを見つけるというのは簡単なことではありません。せめて誰か、日本語や英語でのやりとりができれば、と思いますが、この会社はそこまでにはまだ至っていません。「自分がここに居る間しかできないことをやるのは違う!」と、来た時は頑固おやじのように思っていましたが、自分が発信源になることで、ラオスのてしごとがここから広がっていくのであれば、この街に「外国人として」存在する意味になるのかなあと感じました。

 

お母さんは「売れたお金でミシン買ってうちで生産したいね!!」と言いましたが、「これ(首都でプロに縫ってもらったもの)と同じ品質じゃないと売れないよ!それは、ずっと先の話ね!モノ買うより先にトレーニングね!」と私もそこは譲らず。日本をはじめとする諸外国で研修を受けてきた彼女はすぐに納得してくれました。

 

こんなデザインも可愛いね、この布も使えないかな、なんて、今まで何にも加工されず眠っていた素敵な布がどんどん押し寄せてきて、それを「可愛いね」「いやコレは無いわ」と皆であれこれ話し合い、手引きのコットンを使った藍染の布や、この村の絣を使った、新しいデザインのポーチをまたいくつかお願いすることにしました。

 

合言葉は「ワイケーケー!」

使い心地も重視したいし、くたくたになるまで長く使ってもらいたい。だからこそ今こそ私たちに必要なのは日本の技術の結晶、それこそが富山が誇る日本の宝「YKK」のジップです。私が来るまでYKKを知らなかったお母さん、手工芸協会ネットワークで取り扱い元があっさり見つかり、すぐにワイケーケーを取り入れることになりました。

 

お隣ベトナムに工場がありますが、ラオス国内で使われているのを見ることは殆どありません。市内のお土産やさんですらほんの僅か。お母さん、時代はワイケーケーだよ、縫製技術とワイケーケーがあれば、クンナパープ(品質)ディー(良い)だよ。

 

「安かれ悪かれ」で薄利多売したくない。だからこそ原価を上げてでも「ໄວເກເກ」!このジップのことだけじゃなくて、それをアファメーションみたいに思って、「通常の10倍の価格のするジップをつける意味のあるもの」を作っていきたい。(これだと商品がYKKのバーターみたいだけど、それも、まあ、そうなの。)

 

早く売りたい

ただいま追加でオーダー中。デザイン、種類ともに、ちょっと増やしてみます。

 

大きさは以下の2種類。

 

1.A5が入るサイズ

 

2.A4の紙、タブレット・PCなどが入るサイズ

 

厚さは2種類。

 

1.布に裏地をあてただけのもの(本・ステーショナリー向け)

  B5ぴったりサイズ

 

2.布と裏地の間にスポンジを入れたもの(タブレット・PC向け)

 

柄は無限大。

 

1.紙布帯×コットン

 

 

2.ナーガ裾布×絣

 

 

3.ナーガ裾布×コットン

 

 

4.メット郡の裾布×絣

 

(これから首都に送って縫製してもらいます!!)

 

などなど…

 

各種類、色みも色々増えていく予定です!!

 

お楽しみに。

 

まだまだこれから。

https://www.instagram.com/p/B29lM5JpHFU/

#sunset#luangprabang #mekongriver

 

1年で自分が残せたものなんて本当に何もなくて、内容ぺらんぺらんの活動報告書や月イチで出してる配属先への報告書と、世界中で活躍する同期隊員や同国の先輩・後輩隊員の発信を見て、はぁぁああああああ・・・とため息つく日々ですが、

 

私、じぶんでFBで言ってました。

 

1年目でびたびたになるまで吸収して、

2年目でカスカスになるまで出し尽くして帰るぞ。

 

って。

 

だから、まだいいんや。焦ったらアカン。私は無給の活動やけど、相手は生活のかかった生産者さん。遊びじゃない。

 

と自分に言い聞かせて、頑張ります。

 

欲しい~!と言ってくださった方、本当に励みになってます、ありがとうございます!数が用意できましたらまた情報流していきますので、少々お待ちくださいっ。

 

直近で頑張ること

www.facebook.com

 

ラオスの首都ビエンチャンにて、手工芸品の国内最大規模の展示会が行われます。

 

私たち協力隊も3ブース借りて7県まとめて出店、デザイン隊員も配属先からブースを借りて出店予定です。ボリカムサイ、サイニャブリ、ウドムサイ、カムワン、ルアンパバーン、チャンパサック、ビエンチャン、そしてビエンチャン市のホアイホンセンター。各県から選りすぐった商品の数々、ぜひご覧ください!

 

私の県からは、クラッチバッグを一緒に作っている生産者さんの小物とシン、それから普段お目にかかることの少ない、地図にもちゃんと載ってないメット郡ナポー村、バイクで往復80キロの道のりを自分で選びに行ったポンホーン郡チェンサワン村、それぞれの「めちゃめちゃ綺麗な」布、持っていきます。

 

1年1回の大イベントなので、周辺国からも同期隊員が来てくれることになってます。同じ一村一品やマーケティング関係の隊員なので、情報交換ができるのも楽しみ。

 

日本に居てなかなか来れないという方、金曜日退勤したあとそのまま空港に向かって夜便で飛んで、土曜日の午後ITECCで買い漁って、日曜日の午後便で帰ったら、朝に日本に着いてそのままエクストリーム出社できますよ!!!もしくはバンコクに夜着けたら、寝台列車で寝てる間に国境に到着!あら、なんて簡単なんでしょう!!!

 

全世界からのお越しをお待ちしております!!!

 

ものつくり、たのしい、くるしい、でもやっぱりたのしい

 

 

ひとつ商品作ったぐらいで大げさだな、って思われるかもしれませんが、今の私にとっては大きな一歩。あーでもないこーでもない言って、やっと1本、道が見えてきたような気持ち。

 

デザインから製造、納品・販売までのオペレーション、きっとうまくいかないことも出てきます。でも、技術補完研修で講師の方がおっしゃっていた「コミュニティ開発に必要なのはしつこいぐらいのモニタリング」という言葉をしっかり噛みしめて、日々活動していきたいと思います。

 

調査と販売以外何も報告できていなかった配属先にも、やっとひとつ・・・ドヤ顔で報告できる任地での成果になるかな。

 

 

 

せっかく色んな県に同じ要請の隊員がいるんだから、色んな民族のいろんな布でやっていけたらと思っていて、どう水平展開していくかについても考えていきたい。ひとつのアイテムでSKUを増やしていくことで、手に取って下さる方の「選ぶ楽しさ」に繋げられますし、一つの商品に興味を持ってもらえたら色んな県の布でアソートにして納品できる&売るときも最小1列でディスプレイできる、と色々メリットがあると思うからです。

 

まだまだやりたい事がたくさんありますが、せっかくだから少しでも経験のある食品のパッケージ改善もやっていきたいので、こちらの「たのしい」を燃料にして、ハンディクラフトフェスティバルが終わった後は一次加工食品のブランディングも始めていきたいです。できるかな・・・、いや、やります!やるやる詐欺にならないように!!します!!!

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『Made in Laos 2019』に行ってきました

さばいでぃー!

こんにちは、ラオスのラオ子です。

 

「●●さんは元気にしてるの?」と、以前出張に同行してもらった同期についてカウンターパートが訪ねてきました。「楽しそうにカメムシ捕まえて食べてたよ、ホラ」と写真を見せると、「美味しそうね~!!ラオ子は食べたことある??ないなら、今度カメムシ持ってきて皆で食べましょうね!」と。

 

私、食虫は全然抵抗ありませんが、カメムシは素揚げがいい。ヂェオ(すりつぶしたペースト)は、無理かも・・・。「日本ではこの虫のこと『ヘコキ虫』とも言って、良い匂いじゃなくて臭く感じるんだよ~。だからジェオじゃなくて揚げカメムシでよろしく!」と言うと、「ラオスにも『ヘコキ虫』っていう名前の虫居るけど、別の種類だしめっちゃ危ないから絶対食べないよ」と上司。

 

調べても何も出てこないので、「臭い虫」で画像検索をかけて「この中に居る?」と聞いてみると、居ました居ました。ほんま便利な世の中やな。

 

どうやら『ゴミムシ』という虫のことをラオスではແມງ(虫)ຕົດ(おなら)というんだそうです。日本でもへっぴり虫って言ってたかな、そういえば。

 

この虫、見た事あっても特に気にとめたことは無かったのですが、どうやらカエルに丸飲みされたときに有毒かつ100度以上の高温のガスを噴射することで吐き出させて生き延びることができるというなかなか危ない虫らしく、いろんな虫を普通の食糧として考えているラオスの人も絶対に食べないみたい。いろんな虫を食べるけど、あらゆる虫を食べるわけではないんだな。奥が深い。

 

この虫の出すおならは「ກິ່ນ(臭い)」で、カメムシは「ຫອມ(いい香り)」、本当にわけがわからんな。ラオスおもしろーい!

 

 

そんな私は、日曜日にこの記事を書きながら、鈴鹿サーキットで行われた『鈴鹿8耐』という、読んで字のごとく8時間走り続けるバイクレースに夢中になっておりました。最後の数分で起きたトラブルの数々と、それによって1位独走だったKawasakiがリタイア扱いになるという暫定結果に微塵も納得がいかず、Instaのストーリーに恐ろしい量の殴り書きを投稿し、現地や中継でレースを見ていた兄妹、某バイク会社に勤める友人、南アに居るシニアボランティア隊員さんに悔しさをぶつけ、悶々。結局、翌日の公式の発表で暫定結果が覆ってKawasakiが一位になりましたが、・・・来年は頼むで!

 

その翌日の月曜日、なんとか2号計画書を出し終え、これからは自分の任地での活動と並行して次のイベントに向けて動き出します。ラオスはコミュニティ開発・デザイン隊員6名(+8月後半に任地に配属される新隊員2名)の大所帯で動くイベントが年に何回かあるので、8月は主にそちらのイベント準備をメインに活動することになるワケです。配属先の巻き込み方がわからないまま半年過ぎてしまってこのままだと完全に「何やってるか分からん人」になるので、Facebookでいっぱい繋がって活動のこと書いていくとか、ワツァップで課のグループ作って活動写真送りつけていくとか、ラオ人向け情報発信もがんばるぞー。

 

Made in Laos 2019

 

ラオスの食品や手工芸に関わる活動をしていくにあたって、情報収集というのはとても大切です。しかし、インターネットから得られる情報はあまりに少なく、何か調べたいことがあればFacebookで血眼になって探す日々。ですので、任地に居ても入ってこない商品がぎゅっと詰まっているエキシビジョンやイベントはとっても貴重な機会。

 

7月最初の総会の時は、たまたまビエンチャンカレッジという大学で行われたイベントに参加しました。このイベントでは、若いクリエイターさんやNGO・NPOが運営するクラフトショップの商品、クラフトビール、そして美味しいチーズの盛り合わせなどが並んでいました(後半関係ないけど幸せでしたありがとうございました)。

 

今回行ったのは『Made in Laos 2019』。首都ビエンチャンですと、こういった大きい展示会は「ITECC」という商業施設で開催されます。ラオス各地の布、手工芸品、食品、医薬品などを一度に見ることができます。生産者さんのFacebookでこのイベントのことを知って、行きたいと思っていたところ、ちょうど新規隊員さんの歓迎会と日が重なっていました!!ラッキー!!上京だ上京だ~~~!!!

 

自分の任地の商品に足りないものは何か、ラオス国内の企業がどのレベルのものを生産できているか、どの地方にどんな特産物があるか、どんなパッケージングを使っているかなど、色んなことを考えながらMR。MRという名の、お買い物。

 

 

こんな風に生産者さんがブースを出しています。

 

24日の生産者視察の後上京して、25日に先輩隊員と一緒にITECCへ。張り切って10時前に着いたら「10時までは入れないよ!」と。そして律義に10時まで待って入ってみると、中のブースは1/3ほどしか開いていませんでした。そういうとこや!!好きやラオス!!!!!

 

職種は全く違う先輩なのですが、ラオスのこと、布のこと、たくさん教えてもらえて、一人で行くより断然収穫が多い見学になりました。「この縦のラインに南部を感じるんだよなぁ・・」は名言だと思います。ありがとうございました!

 

そしてその日の晩イベントの事を話したら、たまたま上京していた同期が行ってみたいと言ってくれたので、翌日26日ももう1度行くことに。前日先輩に教えてもらったことをあたかも自分で勉強したかのようにドヤ顔で話しながらお買い物。

 

二日間でかなり使いましたが、「これは自己投資だ。他県の良い商品を購入して、自分自身で試して、活動に活かしていくんだ。」と言い聞かせました。

 

そんなわけで、ITECCで出会ったいくつかの商品をご紹介します。

 

 

こちら、私の配属先のビエンチャン県は『ケオウドム』という村のODOP商品生産者グループのブース。マルベリー(桑)の実を使った、ワインやシロップ、桑の葉のお茶などを生産しています。

 

写真左の小さいペットボトルがマルベリーのエキスなのですが、これ、ソーダで割って飲むと本当に美味しいんです!!

 

 

フルーツビネガーを想像していただくと味が分かり易いかと思いますが、そのまま原液で飲むと結構つーーーんとすっぱい!酸味に負けないぐらい甘みも強いので、私はマルベリーエキス薄めで、ライムをたっぷり絞ってソーダウォーターで割って飲むのが好きです。ライムのビタミンやクエン酸もたっぷり摂れて疲労回復!うだるような暑さの日にぐびぐび飲みたくなる味です。

 

マルベリーといえば、カリウムやビタミンCがとっても豊富です。この国の食べ物、基本的に味付けがとっても濃いので、カリウムたっぷりのマルベリーはとてもありがたい存在。亜鉛や鉄、抗酸化作用のあるポリフェノールも含まれていて、更にはアミノ酸組成のバランスも良いので、特に女性に嬉しい果物なんですよね。

 

桑の葉は、日本でも中国でも漢方として重宝されてきた生薬でもあります。日本薬局方(厚生労働省が、医薬品の品質や薬効を適正に確保するために定めた規格、基準)によると、日本では桑の根の部分の表皮を剥いだものが「桑白皮」という漢方薬として流通しているようで、抗菌作用が認められています。そのほかの実、枝、幹などは健康食品として売られているようです。血糖値や血圧を下げる効果もあり、生活習慣病の予防やダイエットの補助にもなるとのこと。

 

今度伝統療法士のおばあちゃんが事務所に来たらラオスではどういう風に処方されてるのか聞いてみよう。

 

 

 

他にも、値段を聞くことすら躊躇う『フアパン県サムヌア地方』のパービヤンやシンに大興奮したり(任地での1か月の生活費が余裕で飛びます)、

 

 

水道菅で作られた、民族楽器を吹く置物に愛着が涌いてみたり、

 

 

タイル―族のケミカルな織物に心奪われたり(何で買わなかったんだろう・・・)。

 

 

ラオスの南部はコーヒー栽培、北部ではお茶の栽培も盛んで、ボラベン高原のコーヒーやポンサリーのお茶なども並んでいました。

 

 

 

やってしまったのがここ。シンがたくさん並んでいるなかに、私の任地では見かけない可愛い模様を見つけてしまい、斜め前のポンサリーのお茶やさんのお母さんが「ええやんええやん!!」とちゃちゃを入れにきて、

 

 

えええ・・・・可愛い・・・・となった結果、

 

 

迷いに迷って1日目に1枚買って、

 

 

2日目におかわりしちゃいました(笑)結局どっちも買うんかーい。

  

なんてったってこれ、1枚2000円以下。裏地はもともとついているので、お仕立ては2着で900円ぐらいでした。いつも大家さんの親戚の仕立て屋さんに頼むのですが、最近とても安くしてくれます。でもものすごく丁寧に、そしてすぐに仕上げてくれるんです。ありがたい!

 

買った生地はせっかくなので、

 

 

 

1枚はシンに、

 

 

もう1枚はスカートにしました。

 

ちゃんと一番きれいなところがセンターに来るようにどちらも調節されています。お母さん・・・天才か?

 

 

ドミトリーに先輩が置いていってくださった藍染の絣布のスカートを持っていって、「これと同じ感じで、でも柄が切れないように長めに仕立てて!」とお願いしたのですが、言い忘れてたスリットを勝手に入れてくれるあたり、本当に天才か???

 

藍染のスカート、サイズはぴったりなんですが、大股の私には少し歩きにくかったので、スリットが入ってちょうどよくなりました(笑)

 

職場の同僚に聞いてみると、シェンクワンの低地ラオ族のものということには間違いなさそうなのですが、「ລາວພວນ族」「ໄທແດງ族」のどちらかだそうで、何族のものかは特定できずじまいでした。知ってる方、教えてください!どっちにせよ可愛すぎるわ。ベッドに広げて、一人でにんまり。幸せだー!

 

 

で、視察はと言いますと、いつも任地でお世話になってる生産者さんにも挨拶に行けたし、食品のパッケージングの参考になる会社も見つかったし、色々な県の布を使って商品を作っているラオス人のデザイナーさんにも出会えたし、なかなか収穫多き時間になりました。反省点があるとしたら、今度からはもう少し財布のお金を抜いていこうと思いました・・・。

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手工芸や伝統、そして活動のこと。

さばいでぃー!

https://www.instagram.com/p/ByH7JPiAKIJ/

 

みなさんこんにちは、ラオスのラオ子です。同僚んとこのコンキドゥー(いたずらっこ)がが可愛すぎます。お庭で太陽の光を浴びてほかほかぬくぬくのマンゴーやジャックフルーツをいただいて、たまにちょっとしたフルーツアレルギーを出しながら、彼に癒されまくってます。ほんとに可愛い。一人の時はめちゃめちゃお利口さんやのに従弟と一緒になるととんでもやんちゃ坊主。

 

 

同じ敷地にもおちゃめないたずらっこが数名おり、ギャン泣きしてたり、遊んでほしそうにもじもじこっちを見てたり、私の大切な手袋持ってったりして、飽きない毎日を送らせていただいています。感謝。

 

 

充電器を繋いでおくのも怖いぐらいの雷に窓のサッシが軋んだり、スコールの風向きによって家の特定の方角の床だけが水浸しになったりと、雨季に入ってからイベントが増えました。しかもサッシまわりの汚れが流れこんできたらしく泥水。・・・飽きない毎日を、送らせて、いただいて、います。感謝。

 

さて、ラオスにやってきてもうすぐ半年、任地で活動を始めてから5か月が経とうとしています。これから帰国までの1年半の活動の軸となる「活動計画」の提出が迫っています。自分の活動に於ける「定量的に観測できる目標設定」って一体なんだろう?と考え出すと、生活リズムが不規則になっていても入眠しやすい事に気が付きました。目標設定云々の難しい話は一旦バナナの葉に包んで蒸しておくとして、ここ4カ月生産者さんと関わりを持ち手工芸に触れるなかで感じた事をぽろぽろと書き留めておきたいと思います。

 

 

ラオスにおける「シン」の存在

 

こちら、私のカウンターパートの二人。左のVさんが着ているのは、ビエンチャン県の北東、シェンクワン県の布。細かい絣のプン・シン(スカート本体の布)と、プンシンに負けない鮮やかな色使いのティン・シン(裾布)。これだけ細かい仕事のものだから、安くなかったでしょう?と尋ねると、100ドル以上よ!と・・・。

 

 

右のSさんが着ているのは、一緒に視察に行ったMaed郡Napho村で買っていたシン。プン・シンは単色ですがよく見ると柄になっています。

 

金糸、銀糸をあしらった華やかなティン・シンがビエンチャン県のシンの特徴の一つでもあり、フォーマル、よそいき、大人の女性、公務員や大学の先生が着るようなものなのだそうです。確かにビエンチャン県のシンからは、「あたたかさ」を感じるハンドメイドとは違う、洗礼された雰囲気を感じます。

 

同僚、上司に直接お給料がいくらか聞くことはありませんが、おそらく1万円以上の布だと月収の1/2~1/4ぐらいの感覚ではないかと想定しています。2018年5月のジェトロさんの記事に「ラオスの最低賃金が14300円に引き上げられた」と書かれていましたので、安い買い物ではありません。それでも彼女たちは、シンにお金を掛けます。普段は動きやすい普通の服を着ていますが、仕事や儀式のときは、お気に入りのシンでバッチリきめてくる。それに、私が新しいシンを何も言わずに履いていくと、「どこで買ったの?いくら?」と、すぐに気がついてくれるし、私の任地(過疎地認定を頂きました笑)にも仕立て屋やシン屋さんは何軒もあり、ラオスの女性にとっての「シン」が、生活の真ん中にあることを教えてくれます。

 

 

5月末に視察させてもらったチェンサワン村の生産グループは「魚」をモチーフにした柄のついたシンをODOPに登録していますが、そこから200km以上も離れた山の中のナポー村でも同じ柄のものが織られていて、それがいつ、どこからどう伝わったものなのかという事にちょっと興味が湧き始めています。(でもナポー村にはなかなか行けないなあ・・・)

 

この魚のシンボルはビエンチャン県特有のものだそうですが、ビエンチャン県をはじめ、メコン川流域の様々な県で同じモチーフが使われていることもあります。それが「ナーガ」です。ラオスは、ラオ族をはじめ、モン族、カム族、ルー族など50以上の民族で構成された多民族国家ですが、どの民族も仏教、アニミズム、シャーマニズムを複合的に取り入れた独自の信仰を形成しており、それが思想、文化となり、その地固有のものとして未だに色濃く残っています。そしてそれが「シン」の模様にも反映され、土地土地によってそれぞれ特色のあるパターンが織られていくのです。

 

ナーガのように広い地域で織られているパターンがあるのは、ナーガ信仰がメコン川流域で広く民話として口伝されたり、お寺の壁に描かれたりしたからです。織り手の女性たちはそれにインスピレーションを受けてシンに物語を織り込み、ナーガのモチーフが民族や地域を越えて広まったそうです。

 

陰暦11月の十五夜の日にメコンに灯篭を流して雨の恵みに感謝したり、川を渡るときにナーガのたてがみと同じ赤をものを身に纏うのを避けたり、ナーガの火の玉をメコン川で見つけたらお供えを備えたり・・・など、土地によって儀式の方法は様々でも、メコン川流域の人たちは何かしらの形でナーガを信仰し、様々な表現方法でシンに織り込んできました。(まだまだ勉強不足なので、1年後には違うこと言ってるかもしれません。)

 

昔に織られた布は、歴史、文化、宗教など、たくさんのことを語ってくれますが、最近織られるシンはそうではなくなっています。そこには、織り手の技術が下がったことや、流行りのもの(=売れるもの)を織るというやり方に変わってきていること、若者のシン離れ(着る・織るどちらも)など、たくさんの原因が考えられます。

 

「シン」とどうかかわるか

 

 

着任後しばらくは、局で「一体何をしたらいいんだろう・・・」と、ポツンとしているだけの時間も多かったのですが、最近は、産業商業局に出向く時間が徐々に減り、近くの手工芸品を製造販売している会社に行く機会が増えました。バイク、強い。自分で自由に動けるって、最高だ。(安全上仕方ないことだと分かってはいますが、バイクが活動に必要だからバイクを貸与されているんだから、任地で2か月も待たずにもっと早く欲しかった・・・。)

 

 

どうしても欲しいデザインがあって、視察に行ったついでに購入したら、上のピアスとかんざしをおまけにくれました。どれも手作り。ああ、可愛い。ラオスらしさが伝わる手作り。とっても素敵。かんざしは、ラオスの機織り機で使われている「杼(ひ)」、別名シャトルを模したもの。この船のような形の道具に巻いた糸を入れて、柄によっては何種類もの杼を使い分け、手作業で経糸にシルクの糸をくくって模様をつくりながら、経糸の間を何千、何万と往復させ、1枚の布を仕上げていくのです。

 

さて突然ですが問題です。何故、かんざしもピアスも三角錐なのでしょうか。

 

ラオスに来られたことがある人は、もしかしたら食べたことがある・・・かも。

 

 

そうです、この、ばななの葉でもち米をくるんで蒸したお菓子。

 

名前~・・・なんだっけ。忘れました。ここまで話題にしといて肝心のラオ語が出てこない。いや、お恥ずかしい(笑)

 

 

で、まぁ、その、バナナの葉でくるんだもち米のお菓子に見立てた可愛いピアス、この模様の部分も、シルクなんです。結構分厚い生地なので、こんな細かい作業するのはなかなか大変です。ゴールドのパーツだったらもっと可愛いかなー。パッケージも改善したいなー。

 

 

こちらの写真、足元をご覧ください。KEENのサンダルしか履いてないからKEENの形のまま日焼けして・・・っていう話ではなく、お店の中を自由に撮影させてもらっていたら、仕立てられたあとのシンを見つけました。ちょっと短かったけど、裾布の柄がとっても綺麗で、絣の模様も控えめでとても素敵。

 

「サイズぴったりじゃない、そのまま履いて帰りなさい」

 

と、オーナー。

 

「私の娘が履いてたものなんだけど、もう着れなくなってしまったからあげるわ。あなたも私の娘だからね。」

 

ああ、嬉しいなあ・・・こういう温かい言葉が分かるようになって、嬉しい。そしてオーナーの気持ちが本当に嬉しい。

 

パービヤンという公式な場でつけるスカーフを巻いて写真を撮ってくれました。

 

 

お店の中には、サイニャブリ県という、ラオス北西部の町の布で織られたゾウさんも居ます。ビエンチャン県とは全く違う、コットンを藍で染めた優しい布。普段使い用のポーチや鞄などの小物にぴったりです。ラオスといえばゾウなイメージのうえに、ゾウ祭が開催される場所にぴったりのお土産もの、うらやましい・・・。ビエンチャン県も何か無いかな。まだまだ調査が必要です。

 

 

「これは、私が学生の頃に着ていたものよ」と見せてくれたシン。これは裾布の部分ですが、今の主流のものの半分ぐらいの幅です。シンにもその時のトレンドがあるらしい。当時のアルバムには今と変わらず美しいお母さんがこのシンを纏って学友と共に笑顔で写っている写真ばかり。

 

それにしても、この裾布、めちゃめちゃ可愛いじゃないですか・・・。

 

 

そして驚いたのがこちら。「私のお母さんのお母さんが若い時に着ていたシンよ」と見せてくれた、絣のシン。ところどころ解れや虫食い、大きな穴も開いていたけど、その綻びやあて布すら、大切に長く長く着られたものだということを教えてくれます。

 

ラオスのシルク100%で紡がれた糸は、繊細で、滑らかで、すこし触っただけで素人の私にも違いが分かります。撫でるとキメ細やか、手に持ってみるととても薄いのにパリッとハリがあって、素材の良さだけでなく、織り手さんも相当の技術を持っていたことが伺えます。

 

 

これが上の絣についている裾布の部分。この地に伝統的に伝わるモチーフですが、今はこういった模様を織ることも少なくなったと仰っていました。

 

今ビエンチャン県で織られている主流のきらびやかなものより、こっちのデザインのほうが個人的に好きです。

 

 

 シンに織られるモチーフはその地の伝統そのもの。民族性、地域性が年々希薄化していくなか、この店のオーナーは、このように伝統あるモチーフをシンの裾布やストールに織りこむことによって、繋ぎとめようとしています。

 

日本で着ものを着る機会が殆ど無くなってしまったように、シンもいつかそうなってしまうのかと思うと、悲しい。そうなればますます生産者さんの生活は圧迫され、消費者優位の市場の中で「売れるものをつくる」ことに拍車がかかり、地域の中で受け継がれてきた伝統が消えていくんだろうなあ・・・・。

 

 

日々の収入を得るためにと、海外の糸や化繊を混ぜたり、染色が簡単で発色も良い化学染料を使い、低品質な製品を量産してしまうことで、生産が需要を上回ってしまっている現実を、どの生産者さんと話していても実感した、生産者巡り。「これからどうしていきたいですか」と尋ねると、外国人の私に対しての答えはだいたい「日本(もしくは海外)へ輸出したい」でした。生産者さんだけでなく、産業商業局からも同じような意見がでます。この顕在的課題対しては一緒に活動しやすいけれど、今の買い手優位の市場のなかで、流行や量産化の波にのまれずその地域の伝統を「ブランド」にできる土台を作っていくというのが潜在的課題になるのではないかと仮定すると、派遣期間から逆算すると時間もスキルもぜんぜん足りない現実にぶち当たるような。そんな気持ち。でもまだ本質にぶち当たったような気は全然しなくて、あっちこっち迷子になりながら、私が目を向けたいところと、行政として目指す場所と、生産者さんたちが織物で生活していくための方法と、交差するはずの”どこか”を探したい。

 

世界各地で、その場所の伝統や手工芸を活かした製品作りをしている日本人が日々奮闘されている姿をSNSで拝見していると、私がこの2年で出来ること、なんてほんとに僅かなんだと実感します。増してや何かを残したいなんておこがましいんではないかとも考える。一人だと、かなり難しい。私には何の力もない。だから、一緒に頑張りたい。生産者さん、同期、先輩、配属先の皆と。

 

ラオ語が全然上達せず、これは間違い自分の努力不足だと認識しているけれど、相手の言っていることを推測できるだけの知識も全く無い事に気づき、学ぶことの大切さを実感している今日このごろ。知らない事が多すぎて、まだまだアウトプットできるものは無い。学ぼう。学びまくろう。無知は悪いことではないけど、知らないことを言い分けにするのはだめだ。泣いても笑っても、長くてあと1年半だもの。

 

ああ、もうすぐ、ここでの生活の1/4が終わってしまうんだな。

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視察②その4 ビエンカム周辺の生産者さんグループをめぐる

さばいでぃー!

さてさて、4日間の視察レポート最終回です。

 

5月28日

 

5月29日

 

5月29日ー5月30日

 

あちこち訪れてビエンチャン県のシン生産グループを見学する、なかなかハードなスケジュール。今日は30日の「バンビエンからビエンカム(任地)へ」、そして31日のPonhong郡の視察の様子を書いていきたいと思います。

 

 

5月30日 バンビエン市場

前回の記事に書いた「もりもりてんこもりバーガー」を食べた後、私たちはバンビエン郡の産業商業局へと向かい、局長と少しお話させていただきました。

 

そしてバンビエンで一番大きな市場に行き、ハンディクラフト製品やお土産の流通状況を調査。

 

こちらは「モン族」という山岳民族の刺繍です。(下の生地は機械織り)クロスステッチがあまりに細かくて「プリントしてあるんじゃないの?」と思ってしまいますが、全部手仕事です。

 

モン族の人たちの衣装も見つけました。綺麗な細工がついた帽子。この細工もどこかで手作りしているところがあるのかな。

 

 

この派手派手な帽子のクロスステッチも全部手縫い。もう、果てしないわ。本当に、すごいわ。

 

観光の中心部から若干外れるため、お土産物が置いてあるような雰囲気はなく、外国人観光客も見当たりませんでした。(午前中だから余計かもしれませんが)観光局にも話を聞いてみたいなあ。

 

帰り道に立ち寄った”魚の村”

ここはバンビエンとビエンカムの間にある「Taheua(タフア)」という村。大きなODOP商品生産グループがあり、この軒を連ねている店の殆どがODOP認証取得済みです。

 

ODOP商品としては、パデーク(魚醤のような、みそのようなもの)、ソムパー(魚のすっぱいハム)、干し魚や燻製、小魚を揚げたおやつなど、合計7種類が認証を受けています。

 

どのお店も同じように、干し魚・燻製が吊られ、発酵食品がテーブルに並んでいます。

 

「ジェオ」と呼ばれる調味料もたくさん種類がありました。ジェオは「辛み調味料」全般を指し、地域や家庭でそれぞれ色んな味があります。

 

タフアで見学させてもらって、このジャンルの食品に「外国人」が関わるのは、とても難しいと感じました。例えばこのソムパー、外国人向けにお土産にしてほしいと言われても、このままの状態では売ること自体が結構難しい。

 

現地の人向けに、といっても、例えば資材にお金をかけて見た目を綺麗にするにはコストがかかりますし、その「見た目」にコストがかかったものを、普段の食事として食べるラオスの人たちが選ぶのかどうか、と考えてしまいました。

 

食品、医薬品関係が多いビエンチャン県のODOP商品。バナナチップスやポテトチップスなどお土産にしやすいものもある一方で、本当に守っていきたい地域の味をODOP商品として出していくのはかなり難易度が高そうです。

 

この日はお昼すぎに私の家に着き、ほっと一息。往復500キロ弱の長旅は無事終了、翌日の近隣郡視察に向けて情報整理と、体力回復です。忘れないうちに、報告書も書き始めます。なんせたくさん回ったので、このテンションのまま書かないと中身が飛んでいきそう(笑)

 

5月31日 ポンホーン郡の生産者2グループをめぐる

まず初めに回ったのはチェンサワン村のシン生産グループ。約2800人の村人のうち160人がODOP認証を受けた織り手さんです。

 

こちらは3色とも自然の色。下から順に、藍、ラック、そして黄色いのは何かの木だと仰っていましたが、失念・・・。

ちょうど絣を織っている最中で、見せていただくことができました。

 

でました、手織りの絣です。この自然な艶感と柄、どれも手に取ると欲しくなってしまうものばかり。だめだだめだ。抑えろ抑えろ。

 

パービヤン(正装のときに身に付けるスカーフのようなもの)もこんなに鮮やか。金糸はどの村も輸入に頼っており、色は自然染めのものもあればきれいな色を出すために化学薬品をつかったものもあるそうです。

 

チェンサワン村では、村長さんとその奥様(シン生産グループを束ねている)、生産者さんなどたくさんのに招いていただいて、昼食をごちそうになりました。ラープもタケノコスープもポディー(丁度いい)な味加減で、もち米を蒸した主食「カオニャオ」がすすんですすんで・・・。ほんとにあぶない。

 

午後にお邪魔したチョンマニー村の生産グループは、「生産グループ」というよりもう、立派な立派な「会社」でした。織り場の中に所狭しと並べられた機織り機で織り上げられていくのは、金糸・銀糸をふんだんに使った、見たことも無いような美しい布ばかり。

 

織りの模様は今まで見た中で一番細かく、伝統衣装一式のセット(スカート、裾布、パービヤン、襟布)あわせて20万円を超えるものもあるんだそうです。それで買い手がつくほどの立派な会社、そして商品のクオリティ。すばらしいというか、すさまじいというか、とにかく普段見れない貴重なものを見せていただけました。視察というより、社会科見学でした。(笑)

 

ポンミー村の生産グループにもご挨拶

チョンマニーからの帰り、私はすでに何度か足を運んでいるポンミー村にも立ち寄りました。

 

いつお邪魔しても温かく迎えてくださるオーナーさんと、織り手さんたち。

 

私の配属先からも数キロで行けるところなので、活動先としては一番現実的。これから、モノづくりを楽しんでいけたらいいなー。

 

そしてこの日も、早めに夕食を終え、私は報告書や自分用のメモ、ブログの作成、そして同期隊員は商品作りで使うパーツをひたすら調べまくる、という有意義な時間を過ごしました。

 

まとめ:視察は同じ職種の人に同行してもらうの最高

そんなわけで、私たちの長い長い4日間の視察行脚、無事終了いたしました。その中で感じたのが、今後も視察はできれば同じような職種の人に同行してもらうのが良いということ。県や配属先は違っても、共通の課題や異なるバックグラウンドを持つJOCVの仲間に一緒に来てもらうことで、1回の視察で入ってくる情報量が2倍にも3倍にもなります。自分ひとりで訪問させてもらった第1回の視察よりも、圧倒的に有意義な時間でした。

 

 

今回同行願ったのは首都のホアイホンセンターに配属されている「デザイン」の職種の隊員ですが、私には無い視点からのフィードバックをこれでもかとくれました。

 

それに、レンタカー代や宿泊費も、1人増えたところで変わらないわけですし、そうであれば一緒に行かないと損だな、とも。

 

何より、自分は局の人や現地の人とのやりとりや調査票、撮影などのデータ集めに時間をつかってしまい、いっぱいいっぱいになる中、しっかりじっくり視察して情報を集め、アイデア出ししてもらえる存在が居るのは本当にありがたかったです。

 

遠いところありがとう!

 

そして翌日、小休憩 

その翌日の土曜日。隣の郡で活動している、唯一の同じ県の先輩隊員を尋ねました。同じナムグム川沿いですが私の任地よりも少し首都寄りで、乗り合いタクシーで行けば往復120円ぐらいで行けるところです。

 

こっちにきて何気に初めての「シンダート」をいただきました。空心菜、しそっぽい葉っぱ、名の知らぬハーブたちを鍋周辺の溝で茹でながら、真ん中の山になっている部分でお肉を焼いて食べるスタイルです。

 

カンボジアにも「カンボジアBBQ」と呼ばれる全く同じような食べ方の鍋料理がありますが、卵に絡めた肉をバターで焼いて食べてたイメージがあって、ラオスのシンダートのほうが「鍋」っぽいかも。こりこりとした食感の乳腺の部分が大変美味しく、付け合わせの軟骨の唐揚げもお持ち帰りしたいぐらい美味しかったです(笑)

 

こんだけ食べてひとり500円ぐらい。コスパ良すぎる~!バンクン、良き~~~~!

 

・・・と、病み上がりのアメーバアラサーは、視察と遊びで満喫し尽くした1週間を乗り越え、この翌日の日曜日は午前中泥のように眠り、その後鬼のように報告書を書いたのでした。

 

おまけ

今回の出張で私の家に連れて帰ってきた布たちをご紹介します。

 

青のシンに合わせて欲しいと思っていたパービヤン(スカーフ)。肩に斜めに掛けて使います。こちら初日に訪れたNapho村のもの。

 

同じNapho村のシン。柄が入っている部分が裾布、その上の赤い布が撒きスカートです。こういう暖色系がとにかく好きです、大好物です。これで4000円弱ぐらい。手縫いのシルクが、4000円弱です・・・。なんてこと。

 

そしてこちらはChensavang村のシン。普段履き用に。

 

日本に帰ったら着れなくなるから、今のうちに着たいもの買っていっぱい着るんだ~~~!!

 

って思ったあとに、日本でもラフに着れるデザインのシンを使った服を作れたら最高だなって思ったので、ホアイホンの同期に無茶ぶりしてみたいと思います。よろしく~!

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視察②その3 東南アジア最後の桃源郷バンビエンへ

さばいでぃー!

こんにちは、ラオスのラオ子です。

 

 

今日はこの記事の続きです。内容的に書けることが少ないので写真ばっかりになってしまいますが、ぼーっとスクロールして旅気分をお楽しみください!

 

 

さよならMaed郡

緑の外壁、赤い屋根と、ビビットOFビビットなゲストハウスを去り、我々ビエンチャン県ODOP探検隊一同はこれよりバンビエンへ向かいます。

 

 

GPSがちゃんと働かなかったので地図を見れず、BanTamからノーン郡までどっちの道で行ったか覚えていませんが、どっちかは大外れ(相当すごいみたい)で、どっちかは外れ(マシ)だそうです。カシ郡、ノーン郡、バンビエン郡を縦につっきっている道まで戻れば舗装されていますが、そこまでは車のサスも自分のサスもガタガタになって壊れるのではあるまいかというほどよく揺れ、よく跳ねます。

 

バンビエンはMaed郡に来る途中素通りしたところなので、一度通ったはずなんですが、やっぱりこの雄大な自然にはカメラを向けずにはいられません。

 

この切り立った山々、中国4000年の歴史感ある。中国行ったこと無いけど。

 

ハロン湾の山々にも似てますね!ハロン湾も行ったことないけど。

 

途中、賊に何度も囲まれながら、前日の大雨でぬかるんだ未舗装の道を50km引き返します。

 

神様や仙人が生活していても何ら違和感の無い、この大自然。自然と、「うわぁ~~~・・・」と声が出てしまいます。言葉にはならない。

 

「コミュニティ開発っていうぐらいだから、こういう山岳民族みたいな人たちと製品作りやるんだと思ってたわ~」と、モン族の村を抜けながら同期と話していましたが、こんなにも生活の難易度爆上がりしたら生きるのに精いっぱいで2年終わるわ、という結論に至りました。「大自然」のレベルが、私の知っているものではなかった・・・。

 

ラオスは内戦・ベトナム戦争などの被害を受けた歴史があり、その時にばら撒かれた不発弾処理に今もたくさんの方が尽力されている国です。それはつまり、未だその被害が起きているということ。早く100%クリーンな土地に戻りますようにと願いたい気持ちは変わりませんが、この山々を見てしまうと、それがどれほど果てしなく先の話なのかということを実感せざるを得ません。ラオスは8割が山。GoogleEarthで航空写真をご覧ください。本当に、国全体が、綺麗な緑色。

 

バンビエン着!

3時間以上がたがたと揺られ続け、ようやくたどり着きました!こちらがバンビエンです。さてこれから、その観光スポットを満喫すべくまずはレンタサイクルでブルーラグーンへ・・・!

 

というのは、観光で来たときの楽しみに取っておきます。4時前に到着したときにはひとつもテントが無かったのですが、少し部屋で休憩して外に出たら、夕方にはこの賑わい。

 

東南アジアを旅行されたことがある方はなんとなく既視感があるかもしれませんが、量産されているようなものはだいたい近隣国から入ってきている印象です。なにせラオスは、タイ、中国、ベトナム、カンボジア、ミャンマーの5か国に囲まれた内陸国。タイ、中国、ベトナムのように大量生産の基盤が整った国から流れてくるお土産はカンボジアでもラオスでもだいたい同じようなものになるんでしょうか。

 

せっかく素敵な手工芸が伝統として色濃く残っているのに、なんたる機会損失。と思ってしまいますが、大量生産すれば原価は安い。そして生活のためには稼がねばならぬ。

 

とはいっても、もっと”ラオス”のものが人の手で世界中を旅する未来があってほしいなあ。

 

写真がなんとも微妙ですが、こちらのカバンはラオスで手作りされたものだそうです。鞄じゃなくて、物入れにして部屋に置いておきたい。

 

ビンテージのシンを取り扱う布屋さんにもお話を伺うことが出来ました。外国人観光客向けのお土産を開発するのであれば、こういうお店の人からの情報はかなり大切です。

 

こちらはフアパン県サムヌア地方から来られた女性のお店。”サムヌア”はシンの一大生産地で、「織りといえば京都の西陣!」というぐらいのブランド力がある場所です。(いつか行ってみたい・・・)奥の方にかかっているのがサムヌアの織りです。綺麗すぎて触るのもためらう。

 

 

・・・という感じで、バンビエンのお土産屋さん巡りを終えました。(他にも色々まわりましたが割愛します。)

 

任地のハンディクラフト製品にはおしみなく生活費を使い還元しようと心に決め、Napho村ではお気に入りの色のシンを1枚購入したのですが、ここバンビエンでは素敵なシンに出会えなかったため、かわりにポーチを大量買いしてきました。

 

あら、ゆる~い刺繍でかわいい。

 

とかいうレベルじゃない、視点の定まらないネズミとがたがたな英語、

 

「I AM FAMOUS MANGO BOXER」と書かれたコンセプト不明のもの、

 

いや、オレンジじゃなくて桃やん、とつっこみたくなるハッピーな桃など、

 

たくさんのコンセプト迷子なゆるすぎポーチに出会ってしまい、ついつい8個も買ってしまいました。(同期も5個買った)

 

そして、重度のカフェイン中毒な私は、出張でコーヒーが飲めずカフェイン欠乏で頭痛がとまらなかったため、そのまま近くの病院(カフェ)へ。

 

ここで出てきたのが、普通の倍ぐらいあるんではないかと思われる大きなマグカップ!!同期は途中でギブ、私も1杯飲み切ったころには胃がムカムカ。ここに来る前に食べたロッティー(パンケーキみたいなもの)が胃に入っていなかったら、あやうく胃薬のお世話になるところでした。

 

ホテルに戻ったのが夜10時ごろ、そこから順番にシャワーを浴びて翌日の準備をして、日付が変わるころにはベッドに入ったのですが、二人ともカフェインで交感神経が刺激されつくしてハイになっていたため、全く眠れず。

 

買った商品や、視察で撮った写真を見返しながら、これからどんな形にしていくかのデザイン画を各々描いて見せあっているうちに、気づけば夜中2時。そこからは、なんとな~く浅い眠りにつけたような・・・ような。

 

5月30日朝 雨上がりのバンビエン

朝6時に起きてカフェ活しよう!と言っていたのですが、カーテンの向こうで雨がガラスにたたきつける音がしたのでそのまま二度寝。6時半ごろから国家やラジオ?が仰々しく鳴り始め、雨も小降りになってきたので、少し街中を散歩することに。

 

 

雨でしっとり濡れた橋の下には、昨晩より少し増水したナムソング川。

 

層雲に囲まれた山々とゆっくり流れるナムソング川、そして観光地と思えぬ静けさ。この独特の雰囲気、・・・大好物です。

 

この日は、郡の産業商業局局長へのご挨拶、タフア郡の魚製品生産グループ視察、グループ長への挨拶など、帰り道でいくつかの予定が入っていました。

 

腹が減っては戦は出来ぬ!と、30,000KIP(400円程度)のハンバーガーを朝から胃に叩き込むことに。

 

いやぁ・・・多すぎた・・・。完食も出来ませんでした。コーヒーは、近くのカフェでお持ち帰りしたのですが、ラオス南部のボラベン高原産のアラビカ種だそうです。ハンバーガーがきつすぎてコーヒーを味わう余裕はありませんでした(笑)

 

卵にパテにベーコンに、盛りだくさんのハンバーガー。バンビエンを訪れたら、朝食に是非お試しください!

 

続く

次回(で、まとまるかな・・・?)、バンビエンから任地への道中の視察レポートと、その翌日に行った近隣郡の生産者レポートをお送りします。