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中国のコスパ最強食べるラー油”ラオガンマ”にドはまりした話。

さばいでぃー!

こんにちは、ラオスのラオ子です。日本はゴールデンウィーク10連休だそうですね。誰か来てくれてもよかったんちゃうんか?とプチ憤慨しつつ日々の活動に勤しんでいます、ラオスのラオ子です。

 

 

ビエンカムに来て2カ月が経ちました。このへんのブログを読み返して、なんてこった、あの頃のフレッシュな気持ちを返してくれ、と言いたくなるぐらい、任地に慣れてのんびり生活中です。任地に居る隊員は私ひとりだけ。外国人定住者は、話によるとあと2人~3人いる??らしいのですが、日本人は居ないみたいです。ビエンカムで検索してもらったらSEO対策ばっちりだぜイェーイ!と思ったのですが、ビエンカムって色んな場所にある地名で、しかもそっちのほうが有名みたいで、全然でした。残念無念・・・。

 

ラオガンマにハマりました。

首都に行けば日本の食材はある程度手に入りますが、なんせ割高。だばだば使えるものではありません。そこで私は、食べるラー油を自作して、せっせと野菜やご飯を食べるつもりでいました。そんな折に、訓練所で同じ生活班だった東ティモール隊員が、とってもナイスすぎるタイミングで教えてくれた「ラオガンマ」なる調味料。

 

 

bci.hatenablog.com

 

Twitterで流れてきたこちらのブログに詳しく書かれすぎているので、私からの説明は何も要らない・・・とにかく食べてみてください!!と言いたいぐらいの美味しさなんですが、せっかくなので少しだけ。(買うときめちゃめちゃ参考にさせていただきました!ありがとうございます。そしてこれからもお世話になります。)

 

ラオスのラオガンマ売り場

 

首都ビエンチャンのホームアイディアールのことはこれから「ラオガンマ売り場」と呼ぼうかなあと思っております。

中国のコスパ最強食べるラー油「ラオガンマ」は、ホームアイディアールの中華食材売り場のコーナーに、ぜいたくにフェイスを使って並べられています。 

 

 

リンクを貼らせていただいたページほどの種類は無いのですが、4種類ぐらい置いてあったように思います。

 

 

その中で私がチョイスしたのはこの2つ。

 

大瓶(左) 牛肉豆鼓辣油辣三丁油辣椒(三種ミックス辣油)

15000KIP(=192円)

小瓶(右) 油辣椒・牛肉豆鼓辣油

13000KIP (=166円)

 

え・・・安い。

 

大丈夫か?

 

と少し心配になりましたが、HACCP、ISO14001、緑色食品(中国の品質証明)取得済みなので、安心して食べられそうです。

 

特に途上国において、食品にハサップとISOがついてる安心感・・・すさまじい。すさまじい・・・!!「緑色食品」というのは初めて聞いたのですが、中国で生まれた品質証明商標で、今は日本をはじめ8つの国と地域で商標化されているみたいです。知らなんだ!!

 

ちなみに、パッケージの上からラオ語で貼られている小さな紙は「唐辛子の調味料(マックペット=唐辛子、ジェオ=つけダレのような調味料)」と書かれています。そうだよな、中国語のみのパッケージ、説明なかったらわからんわな。(私もわからん)・・・って、どっちも同じこと書いてるから結局違いは分からないんですけど(笑)

 

 

 

 

ちなみに、この、一見おっちゃんかと思ってしまう絵は、創始者の女性だそうです。

 

自分の名前が書けなかったという創始者の陶華碧さんが、田舎の町のさらに田舎で細々と始めた麺屋で提供していた自家製ラー油が美味しいと人気を呼び、ラー油工場を作るに至って、2018年の営業収入はなんと720億円。どういうこと。

 

”ケニアのHUAWEI食堂にもラオガンマが…”と書いてる記事を見つけたので、もしかしたらアフリカの隊員にもワンチャンある話かもしれません。あったらいいな。あったら、幸せになるよ。探してみてね。

 

さぁてさぁて。食べましょうかね。

 

牛肉豆鼓辣油辣三丁油辣椒(三種ミックス辣油)

 

 

ではまず、大瓶のほうから。

 

蓋を開けると、ザーサイの独特の香りが広がります。そして、かりかりした豆腐と、落花生が、これでもかとてんこ盛りに。

 

 

もっとオイリーなのかと思っていましたが、めちゃめちゃ具沢山です。

 

 

ご飯にのっけるとこんなかんじ。

 

ザーサイが好きな人はきっとドはまりすると思います!落花生だけぽりぽり食べるもよし、ご飯にかけるもよし、生野菜と和えるもよし。見た目ほど辛くないので、ばくばくいけちゃいます。やばいなこりゃ。

 

続きまして。

 

油辣椒・牛肉豆鼓辣油

 

おお、こっちはオイリー。

 

 

スプーンですくい上げると、こんな感じ。肉と味噌が、超こってり。こちらはごろごろの具材は入っていません。

 

 

ご飯に載せたところ。山椒の風味が華やかで、先に紹介したものよりもピリ辛です。とにかくご飯によく合う。めちゃめちゃ危険。これでカオニャオ(蒸したもち米)なんてあったら、もう、めっちゃめちゃ危険。永遠に食べちゃう。

 

活用方法

 

手始めに、たたきキュウリと和えてみました。こっちの太いキュウリ、ばんっと勢いよく叩いたら中から種が飛んで行って絶望しながら片付けたので、今度から気を付けようと思います・・・。でも包丁で切ってしまうとうまく絡まないから、たたきキュウリ推奨。

写真のものは具沢山のほうでやったものですが、どっちでやっても美味しかったです。軽く塩を振って揉んでから、かたく絞ってやると、水っぽくならず、ラオガンマも薄まらず、食べられます。これ、一生食べていられます。エターナルおやつ。

 

チャーハンにしたら美味しいという記事を見つけたので、それもやってみました。

 

 

あ、あァ、・・・・ (言葉を忘れた人)

 

このためだけに、チャーハン用にお米炊いちゃいましたよ。こっちのお米の、ハズレだったやつですが(笑)みりんとお塩とごま油ほんの少し入れて。離れもよくなるし、ごはんの味も多少よくなる。

具材はシンプルに卵のみ、味付けはもちろんラオガンマのみ。辛さだけだと思うなかれ、しっかり具材のコクが感じられます。卵とラオガンマのみで十分。他には、何も、いらない。これザーサイ入ってるほうでやっても絶対美味しいな。

 

 

そして調子に乗った私は、餃子につけても美味しいかな??と思いつき、それもやってみました。

 

 

皮から手づくり(売ってないから)。紫蘇がもっさもさで1束30円ぐらいだったので、これでもかと入れてみました。西日照り付けるトタン屋根の素敵なキッチンで、天井雨漏りしてる??ってぐらい汗ぼったぼたに垂らしながら、無心で2時間かかって包みましたよ。達成感だけで既に美味しいわ。

 

具材は、豚肉、紫蘇、玉葱、ひき肉、しょうが、大蒜、 貝柱スープ、創味シャンタン、塩、醤油、 砂糖、ごま油。

皮は、中力粉230g、餅粉20g、ぬるま湯160g、塩小さじ1ぐらいでやってみました。ひたすらこねるだけ。

麺棒無いので、ミニソーで買ったタンブラー使って生地を伸ばしたのですが、1枚伸ばしては包んで、とやっていたので結構時間がかかってしまいました。生地が乾燥する&具材が危ないので、次回はこの点を改善していきたいと思います。PDCAサイクル、回します。

 

こんがり焼けましたので、いざ!実食!

 

 

ウワアアアアアアアアアア!!!

 

いや、ほんとに美味しいです。やばい。紫蘇たっぷりの爽やかな具材ともっちもちの皮に、ぴりっとコクがあって山椒の華やかな香りが広がるラオガンマが、合う!!!!全世界の皆さん!餃子には!ラオガンマです!!!!!!!

 

残念だったのは、これがこっちの豚肉の限界なのか、結構混ぜたつもりだったのに具材が硬かったです。(脂身少ないところ選んだのが余計だったかな・・・。)次回は買った後自分でもう一回叩いてみようかな。そして、乾季の一番暑い時期の一番暑い時間に一人でやることではないです。苦行以外の何物でもありませんでした。

 

でも、それを上回る幸福を得られたのでヨシとします。

 

ということで

ラオガンマの良いところは、とにかく安くて、美味くて、汎用性が高いところです。これで肉焼いても美味しそう。テラピアにつけて食べてもよさそう。カオニャオにも合うし、生野菜もチャーハンも簡単に美味しくなるし、手間もかからんし・・・。ラオ子はこれから、ラオガンマ生活に突入します。今度首都に上がったら別のラオガンマも買いたいと思います。

 

2018-3次隊、ラオガンマ隊員 ラオスのラオ子がお送りしました。

 

ちょっと悔しいこと

 

なんとなく平成のうちにあげたくて4月30日に滑り込みセーフしたんですが、令和前夜で大盛り上がりとかいう事情を全く把握していなくて、思っていたほどアクセスが伸びませんでした・・・(悲)

自分が主張したいことはガンガンしていくスタンスで生きてるので、この食べ物記事に釣られてリンク踏んだ方にも是非読んで頂ければと思います。

 

そしてなんとなくで始めたみんなのリンク集も良い感じに数が増えて楽しくなってきました。世界中の隊員、海外在住さんのブログばかり集めているので、ぜひこちらもアクセスしてみてください。いや~~~・・・、みんな、みんな癖が強い!癖が強いんや!癖しか無いんや!!(褒めてます)

 

https://www.instagram.com/p/Bw7TNbmlQaY/

 

それから最近、お絵かきにはまりました。画材は、ノート、シャーペン、トイレットペーパーです(笑)

大家の孫ちゃん描いて、こないだこの写真見せたら「ちょっと母さん!ラオ子が描いたんだって!ちょっとちょっと!!」「なになに!まぁぁ~~~可愛い!!ワツァップに送って!!」と大喜びしてくれました。嬉。画用紙に描いて渡したいけど画用紙売ってない。ラオガンマと一緒に都会で仕入れなければ!

 

追記:

ラオガンマシリーズ(笑)

 

卵に混ぜて、豚の角煮で作った焼き飯くるんでみた。うまい。

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第1号活動報告書と蕁麻疹を出しました。

さばいでぃー!

みなさんこんにちは。ラオスのラオ子です。

 

 

首都で過ごした4月の旧正月明け、21日にすぐ首都にとんぼ返りして、第3回目の自動二輪教習&テスト、その翌日は第2回原爆展の準備と打ち合わせ、24日に原爆展本番、25日に帰任・・・のはずが、ちょっと体調を崩しまして。

 

蕁麻疹、でたー!

23日の夜中に、原因不明の蕁麻疹で腕と内ももと背中が地図状に腫れてしまい、喉の奥も痒みと腫れが出てちょっとゼェゼェなってしまったので、25日は都内のフレンチクリニックで診てもらって、26日に任地へと戻りました。

 

こんな事初めてだったのでびっくりしたのですが、異常な痒みで目が覚めて、また蚊かよ・・・とイライラしながら電気をつけてみたら、既に寝ながら掻きむしった爪跡が描画症のように腫れていました。なんてこった。しかも、左右対称。これはもう、まごうこと無きアレルギーです。

痒すぎて眠れないので、ステロイドを薄く塗って、普段持ち歩いている薬ポーチの中から、第1世代の抗ヒスタミンを探して即座に飲む・・・。副作用の口渇半端ないけど、もうひとつの副作用の眠気のおかげかそのあとは寝たり起きたり、痒みもなんとなく収まったような、収まってないような。 

そして腫れ自体は翌日午前中にはだいたい収まったのですが、夕方ちょっと昼寝したらまた首周りと背中が地図状に腫れて、結局翌朝までぽりぽり。ぼりぼり。痒いだけだったら良いのですが、喉の奥にまで症状が出ると少し怖い。そして、任地でひどくなったらヤバいということで、受診させてもらいました。首都には日本人の先生が常駐しておられる病院があるので、細かいことまで聞けて安心。任地だとそうはいきません・・・。

 

 

同期隊員には散々「OTC薬をナメちゃいかん、任地では常備薬が大切だ、セルフメディケーションが健康の要だ」と偉そうに言っておきながら、首都にあがる時のポーチにたいした薬が入っていなかった点を猛省。枕みたいな量の薬を持ってきても(笑)、欲しい時に無かったら何の役にも立たない・・・。自分自身も気を付けます・・・。

 

今は病院でもらったセチリジン飲んで落ち着いてます。あれだけオリエンテーションで言われていた「経過観察のために目に見える症状が出たら写真を撮るように」という指示も頭からぽーんと抜けてしまっていたので、自分自身リマインドする良い機会になりました。

 

あ、原因は分からないままですが、今はすっかり元気です!

 

そして第1号活動報告書も出しました。

わたしたち青年海外協力隊の隊員は、報告書の提出が義務付けられています。

  • 第1号報告書 赴任後3か月
  • 第2号報告書 赴任後6か月
  • 第3号報告書 赴任後12か月
  • 第4号報告書 赴任後18か月
  • 第5号報告書 赴任後24か月

第1号は配属先の情報やニーズなど、これから必要となる基本情報の整理がメインで、その後は実際の活動報告や社会格差に対する所見、受け入れ国の人々の変化について等、どんどん内容が深まっていきます。

 

第1号報告書の提出は赴任後3か月といっても、最初の1か月は語学訓練で首都に滞在しているため、実質本赴任してから2か月経過時点で報告書を書くことになります。

 

「新規」と「交替」

協力隊の受け入れ先の形態は「新規」「交替」の2種類があります。要請が出されて初めて協力隊を受け入れるのが「新規」、既に先輩隊員が活動していた配属先は「交替」。それぞれに、それぞれの、やりがいや苦労があるかと思いますが、私の場合は「新規」の案件なので、私が何をしに来た、どこの誰だか、ほぼ誰も知らないところからのスタートでした。

 

新規案件はとにかく何もかもが”真っ白”で、真っ白なキャンパスに色を塗っていくというよりは、キャンパスどこ?絵具どこ?というところからのスタートな気がします。一方、交替案件で活動されていた方のお話を聞いたときに、「”前任”という亡霊との闘いの日々だった」と仰っていたのが印象に残っているのですが、引継ぎ期間が現地で設けられていない中で前任者と比較されるのは確かに辛そうです。現地の人に残っているのは”2年住んだあとの前任者”の記憶、そして自分は”これから2年住む新任”、異文化理解や言語の習熟度に差があって当然なのですが、誰かとの比較というのはときに辛い障壁になってしまうこともありそうです。しかし、引継ぎがしっかりなされていれば、イチからPDCAを回すのではなく、今まで積み上げてこられたものに「+α」して活動していけるという利点もあります。

 

 

「新規」、好きやな

 

50人以上も居る大所帯の局で、実際同じ課に居て毎日顔を合わせるのはそのうち5人だけ。赴任した日は「え?!2年も居るの?!」と驚かれ、未だに他の課の人たちから「何しにきたの?」と言われることもあります。日本のようなホウレンソウ文化は無いので、私はひたすら、選挙カーのように挨拶と自己紹介をしながら局内を徘徊する日々。小腹がすいたら局内をうろついて、「キンソム」という、すっぱい果物やパパイヤサラダを食べるおやつ文化をコミュニケーションツールにしつつ、私のことを知ってもらったり、色々教えてもらったりしています。

 

市場のどの店の肉が新鮮かとか、野菜、果物、肉、それぞれどれぐらいの値段で買えるかとか、シンの仕立てはどこのテイラーさんが上手いとか、生活情報もキンソムの時間にだいたい仕入れることができます。そしていつも少し払おうとしたら「いいのいいの!」と受け取ってもらえず、ご相伴にあずかる日々。

 

ODOPの事、県のこと、少しずつ分かってきたようなそうでないような、その中で未だに答えが出せず迷っているのは、時間という有限なリソースをどこまで「調査」に使うかということ。自分が着手しやすく、近くに生産者さんが居るという事を考えると、近隣の手工芸の生産グループと一緒に活動していくのが手っ取り早いのですが、60品目あるODOP商品の全てに手をかけることは無理でも、一度は生産者さんのところに足を運んで、「機会」を作りたい。特に、ポンホーン以北の山間部は政府により貧困地域に指定されている場所も多いので、いろんな声を聴いて、自分の活動に意味を持たせていきたい。という思いもあり。

 

じゃあ、生産者さんを訪ねて、何を聞く?ただ行くだけではもちろんダメで、後で見返せるような形に残していきたいんだけれども、どんなデータを蓄積したらこの後の活動の有益な財産となる?後任に引き継ぎやすくなる??と考えだしたら沼にはまってしまい、ひたすら石橋を叩いて叩いて、叩きまくって、橋の手前で立ち尽くしている、そんな状況です。こういうときにサクサクッとPDM/PCMが作れる人間に、次回はなりたい。

 

 

ただ、私は新規案件でこの地に来て、未だに砂漠の真ん中にぽつんと立ってるような気持ちで居ますが(笑)、コンパスになりうるものはいくつかあるのに使い方が分からず、どっちが北か分からないような状態だということも自覚しています。とりあえず動いてみたらいいのに、こういうときだけやけにビビる。時間はないし、既にカウントダウンは始まってるんだから、同期、先輩、他県・他国での実績、今市場に出回っている商品、色んな方向にアンテナ立てまくって、全力で駆け抜けねば。

 

と、大きいことを言いすぎると、活動が行き詰ったときに自分の首を絞めまくるので、このへんにしよう(笑 

 

 

活動報告書、2号以降は日本語だけではないらしい

日本語+英語もしくは現地語で同じものを書いて活動先の人たちと情報共有をしていくこととなります。しかし、ラオ語はシステムに登録する際に文字化けが起きてしまうらしく、英語での提出が必要です。つまり、現地の人が英語苦手だったら、3言語・・・??と思って震えていますが、どうなんでしょうか。

 

無理やりラオ語ねじ込んだら英語もクメール語もはるか彼方に飛んでいってしまったので、余裕を持って、明後日ぐらいから報告書の作成に取り掛かる予定です・・・。嘘です。(笑) 

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ラオ子の旧正月休み。

さばいでぃー!

皆さんこんにちは、ラオスのラオ子です。旧正月シリーズ最終回です。

 

 

職場での正月祭が終わり、キンビアに恐れおののいた私は、しっぽ巻いて逃げるように首都へと移動しました。4月13日ー17日が正月休み、18日、19日と出勤して、また20、21日が休みのため、18日、19日は事務所がほぼほぼからっぽ。オカンたちとのキンソム(おやつタイム)も無く、事務所にぽつんと一人で活動報告書を作成。寂しいなあ。

 

13日 上京 

 

私の任地から首都までは、順調にいったら1時間半ほど。そこからドミトリーまでの30分の徒歩移動、この時期にバックパック背負ってやると暑くて火が出そうになります。よって朝いちばんの移動に限ります。乗り合いバンは家から1.5kmほど先のバン乗り場から出ていて朝6時ごろから人が集まり次第発車するので、陽がのぼったら、涼しいうちに出発!

 

橋で黄昏る笑顔が素敵なにーちゃんと、どこ行くの?ピーマイ何するの?とお互いに話をしていたら、ショルダーバッグがゴソゴソゴソッと急に動き出してびっくり。よく見たら鶏さんが首と足だけ出してます。なんだこれ、めちゃめちゃ可愛いやないか!この後友達の村に持って行って、みんなで食べるそうです。なまんだぶ。

 

 

 

午前中にドミトリーに到着し、先輩隊員と朝ごはん。いつもラオ人がたくさん居て気になっていたお店に行ってきました。ホームアイディールというスーパーの目の前のお店です。

 

 

 

カオプン(ラオス風混ぜ麺)と、揚げ春巻き。どちらも美味です。カオプンは甘酸っぱいタレが一緒に入っていて、麺をほぐしながら食べるのですが、砕いたピーナッツの香ばしさとタレの甘さと、なんともいえないバランスでとても美味しいです。揚げ春巻きは、野菜や春巻きの皮に包んでいただきます。こちらも揚げたてカリカリでたまらん!!

 

 

 

そのあと合流した同期と、早めの夕飯でずっと気になっていたインド料理屋さんへ。店の前では子どもたちが旧正月の予行演習中。水鉄砲、ホース、水風船、あらゆるものを使って水遊び中。

 

 

 

尻が出るほど夢中です。

 

 

 

田舎で食べるのが難しい「大きい鶏肉」が食べたくて、タンドリーチキンとチキンカレーを注文。これにソーダウォーターをつけて二人でシェアして、合計750円以下です。なんなん?神なん?

 

 

 

トリップアドバイザーなどでも上位にあがってくるお店で、なおかつローカル価格で食べられるとのことでずっとずっと行きたかったんです。正月前の水かけ祭に向けて、自分の村でなかなかとれないタンパク質とやらをしっかり補給せねば。

 

タンドリーチキンは辛さがほどよく、 結構な量でしたがぺろりとたいらげました。

 

 

 

カレーもシンプルで美味しくて。最高でした。お店のおじさんもめちゃめちゃ感じが良いので、リピ決定ですねこれは。何人かで来てシェアしたら割安でいろいろ食べれそう。また来ようぜ~~~!

 

Jamil Zahid Indian and Pakistani Food

 

その後メコン川沿いをぶらぶらしていると、

 

 

 

見るからにパリピ仕様な正月特設ステージが設営されていました。

 

14日 出陣

 

お気に入りのパン屋さんが正月休みで閉まっていたので、別のお店へ。クロワッサンにうるさい私たちの求めているものではありませんでした・・・。無念。

 

 

 

そのあと周辺をぶらぶらして、お昼ご飯。やっぱりタンパク質が食べたい私は、コリアンレストランでプルコギとギンパを注文。

 

 

韓国料理の良いところは、ナムルがたくさん出てくるところですね!久々に食べたキムチ、美味しい。白米との組み合わせ、ヤバい。

 

 

 

そして大晦日のパーティー会場へ!ただのテントと思うなかれ、骨組みはスプリンクラーになっていて、心地良い霧雨のような・・・ではなく、大粒の雨のようなぬるめの水が、ばたばた、ばたばたと落ちてくる仕様です(しかも突然降ってくる)。

 

 

 

メコン川の河原におりてみると、普段はただの砂地になっている場所にこんな立派なステージが。ステージ両脇には先ほどと同じような骨組みがあり、先ほどと同じようにばたばたと大粒の水が落ちてきます。

 

 

 

ちょっとわかりにくいかもしれませんが、写真右手の白い線、放水車から本気の放水中(笑)かわるがわる色んなアーティストがステージに立ち、爆音に揺られながら冷たいビールを飲んで、水を浴び、ときに水鉄砲での銃撃戦になり。夏フェス大好きっ子には大変心地いい時間でした。

 

 

 

そして昨日の朝行ったのと同じお店で、また揚げ春巻きタイム。おやつにちょうど良いんですよね。肉団子のようなものも頼みました。これも美味しい!

 

 

腹ごしらえが済んだら、街に繰り出してひたすら銃撃戦。私は水鉄砲を持っていたのですぐ標的にされました。ミニオンの水タンクを背中に背負って、ホースの先の水鉄砲で撃ちまくれるタイプのなかなか合理的な水鉄砲。500円ぐらいで買ったのですが、あれだけ楽しめれば良い買い物です。

 

アッパーで氷水を顔面にいただき、背中からも氷水を流し込まれ、両頬にベビーパウダーと口紅をぬりたくられる。もう、絵に描いたようなやりたい放題です。

 

 

 

そして夜はカノム(お菓子全般をさします)食べ比べ、プラスチック容器の蓋がわに乗った2つはフライドガーリックが入っていて「お菓子」というカテゴリーに含めてよいのか議論が必要ですが、基本的にカオニャオ(餅米)は間違いなく美味しいという結論に至りました。

 

15日 元旦

 

ラオスは今が1年で一番暑い時期。昨日はかんかん照りの日差しの中あちこち歩き回ったせいで、朝は私も同期もぐっすり。夏フェス翌日のような体の重さをほんの少し感じつつ、昼前までぐだぐだしました。

そしてお腹が空いたとの単純な理由でようやく昼前に動き出し、28000KIP(360円)」でランチが食べられるコスパ最強レストランへ。

 

 

ワットインペンというお寺の裏にある「ヴァンドーム」というお店ですが、28000KIPでスープと1プレートのランチがいただけます。内容は日替わりで、入り口の看板にフランス語で書かれています。もちろんフランス語は分かりませんのでお店の人に聞きますが、このお店の人は前回来た時同様親切でにこやかな印象。店内に可愛いにゃんこが居るのもポイント高いです。

 

 

前回はモロヘイヤのスープとパスタ、そしてめっちゃ大きいチキンフライ。今回はかぼちゃスープとパスタ、チキンソテーでした。ちょっとばかし味濃いめですが、このめちゃめちゃ暑い時期には丁度良く感じられます。

 

 

 

そしてこの日もメコン川沿いの会場へ!元旦ということもあり昨日よりすごい人、すごい盛り上がり。しばらくここに居たら「タマフン(ラオスのパパイヤサラダ)」が食べたくなり、近くの美味しいラオ料理レストランへ。いつも「キンソム(おやつ)」でタマフンが出てくるときは「ほかにレパートリーないんかい」と思うのですが、無いと無いで口が寂しくなる。まだラオスに来て3か月目ですが、我々もしっかりラオスに染まり始めている模様。

 

 

 

そして私たちはお寺へ。配属先の別の課にお勤めのお姉さんが、親戚と一緒にお寺の前で聖水のようなものを売っていたのでしばらくお話して、そのお水も背中にざぶっとかけてもらって、お寺の中へ。いつもはがらんとしているお寺ですが、この日は老若男女問わずたくさんの参拝者が。日本で言うところの初詣でしょうか。

 

 

 

 

オレンジの袈裟、真っ青な祭壇、緑のスケルトンの仏像・・・仏教という大きなくくりは同じでも、日本のものとは色彩が全然違っていて、とても面白いです。

 

 

 

お寺の入り口にはお坊さんがたくさん居て、水をかけてくれました。門を通る人にぱしゃぱしゃと控えめにかけているのですが、私が手を合わせて頭を下げながら近づくと、首のあたりからバケツ1杯分ざばーーー!っと(笑) ありがとうございますとお礼を言って、また通りに出て銃撃戦。

 

 

 

夜はまたメコン川沿いをぶらぶら。移動遊園地が来ていて、よくある「めっちゃ速い観覧車」にちょっと惹かれましたが・・・

 

万一のことを考えて見るだけにしました。

 

16日 任地へ

 

 

街中のお店は休みのところが多く、食べたかったピザも食べられず、カオマンガイを食べて任地へと戻りました。

 

JICAのドミトリーからバスステーション、乗り合いバンの終着点から家までは、バックパックを背負っての徒歩移動。「かけないでよ、お願い、かけないでよ」という顔をしつつ、この日も水遊びに精を出す街の人たちと距離を置きながら歩きましたが、無事何度かかけられて都会で購入した物資も家についたころにはふにゃふにゃになっていました。ひどいや・・・。

 

バンでの移動中も、おかまいなくバンのフロントガラスに水をバチャッ!途中でバンを止めて、運転手にビール渡して。いつも爆音で歌ったり踊ったりのレストランの前は泡だらけになっているし。田舎のほうもなかなかの盛り上がりを見せていました。

 

私の正月休み終了

18日、19日はみんな出勤かと思いきや、その翌日からまた土日で休みになるので、遠方に実家がある人たちは皆連休をとって帰省している模様。遊びすぎて体調を崩したという人も何人か聞きましたが、とにかく局の中はほぼ空っぽでした(笑)

 

私は活動報告書の作成や過去の専門家の方の報告書を読む時間にあてさせてもらい、ゆっくり過ごしました。そしてまた、土曜日1日休んで、日曜日から木曜日まで上京です。3度目の二輪車研修と、第2回原爆展の参加のため、任地での活動をお休みしての首都滞在。また毎日外食か~~~まいったな~~~。限られた回数のご飯、どこで食べようか計画を練りたいと思います。

 

そんなわけで、任期中2回限定のラオスでの旧正月はビエンチャンで過ごしたわけですが、首都でのラオスの旧正月は、どんちゃん騒ぎが好きな人にはたまらないと思います!お酒飲むのが好きな人、水ぶっかけられるのが好きな人、ぜひ来年の旧正月期間はビエンチャンでお過ごしください💛

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ときに「異文化理解」という言葉は凶器となる?

さばいでぃー!

皆さんこんにちは、ラオスのラオ子です。

旧正月に向けてお仕事モードからゆるゆると正月モードに入ったラオスは、新年を迎えると同時にブチ上がり、都会も田舎も関係なくそこかしこが爆音&ダンス&水かけ祭の会場と化しました。そして三が日が開けると、しーん・・・として街全体がお休みモードになり、この週末が明けたらいつものラオスに戻り始める・・・のかな?という感じです。

 

いつもラオス最高ー!ラオス楽しいー!という話ばかりしているので、たまには趣向を変えて、今までで一番悩み、落ち込んだことを、色々やんわりぼかしながら書いていきたいと思います。

 

 

ラオ子は酒が飲めない

 

本題の前に。前提条件として、私は酒が飲めません。もともと弱い体質なのだと思います。飲んだらすぐに頭が痛くなり、眠気に襲われ、そこで寝てしまうと夜中にとつぜん吐き気に襲われます。寝なかったら、ひたすら笑うか泣くかを繰り返すらしく、人としての尊厳を失い、まわりに迷惑をかけます。飲み会も全く好きではありません、安い席はご飯美味しくないしうるさいし、そうでなくても煙草くさい。それで、安くても3000円、多いと5000円、ポンと飛んでしまう。3000円あったらスイーツセットのハシゴ行けるし、5000円あるならファイブスターのランチかデザートバイキングにでも行きたい。

あ、味が好きだから辛いと思うときもあります。友人や彼氏とベルギービールウィークエンドに行っても、私だけ貰ったコインのほとんどを割高なツマミに費やする。みんなは色んなビールを楽しんでいるのに、私は一口飲んで限界を迎えたところでビールをあげてひたすらフレンチフライを食べる。食べ終わった後物足りなくて、ほろ酔いの友人たちをステラおばさんのクッキー食べ放題の店に連行する。(理解のある友人たちで本当に助かる)

小さいころ、じいちゃんが石油ストーブで酒粕を焼いておやつがわりに食べていたのをつまんでたから酒粕の味は好きだけど、未だにちょっと食べたら顔が真っ赤になって目がちかちか。日本酒やワインの味は好きだし、料理に合わせたら美味しいのも分かっているけど、たくさんは飲めない。夏フェスで背伸びしてビール買ってみても、にわか雨が降ったらコップから薄くなったビールがコップのふちから溢れてくる。ワイナリーで試飲させてもらったら、その後ワインを買ったことを覚えていない。オールで飲んだ帰りにセブンで烏龍茶6リットル買って帰ったことも覚えていない。

 

1本、2本とビールをがぶがぶ飲める人が心底うらやましい。きっとラオスも、カンボジアと同じようにお酒飲め飲め文化なんだろう。カンボジアでは逃げ続けていたけど、今回は最後のチャンスだと思って、その文化に揉まれて、私もお酒が飲めるようになって日本に帰ろう!!!

 

・・・って思っていたのですが、そもそも本当にそう思っているならカンボジアに2年住んだ時点で出来ているわけで。さっそくラオスでもその壁にぶち当たることになりました。

 

ちなみに、この写真のときも、ちびちび、ちびちびと飲んで、半分でギブアップ。でもこの時は「青春ごっこ」の名のもとにメコン川の向こうのタイの灯りを肴に訓練生活を語ることが目的だったので、雰囲気が味わえればそれでよいのです・・・。

 

ラオスの「キンビア」って何

「キン(食べる)ビア(ビール)」でキンビア、つまりビールを飲むこと、飲み会、のこと。

 

ラオスのキンビアは、本当にすさまじい。

 

始まったが最後、というか、終わらない。いつになったら終わるんだろう??と聞きたくなるぐらい、終わらないんです。それはもう、田舎も都会も関係ありません。何かのセレモニーの後、黄色いケースがドンと積まれたかと思うと、中のビール瓶が次々空になっていく。いつ休んでるの?と言いたくなるぐらい、飲み続ける。爆音で音楽を鳴らし、会話にならない会話をしながら、ひたすら飲み続ける。

 

ピーマイ(旧正月)などの行事になるとそれがエスカレートし、夕方になると「え、これ、何人で空けたんですか・・・?」と聞きたくなる量のビール瓶が転がっている。それでもペースが落ちない。

 

そしてだいたいのキンビアで、盛り上がるにつれて「イッキ」コールが始まり、激化していきます。・・・・悪夢が、始まって、しまうのです。

 

おもてなし文化の温かさの裏側に

先に誤解の無いように言っておきますと、私はこの記事を通じて「ラオ人はアルハラだ!」とか、「ラオ人との飲み会には気を付けろ!」とか、そういう事が言いたいわけではありません。(いや、実際、私のように体質的に飲めない人は本当に気を付けたほうがいいかもしれませんが・・笑)

ラオ人にはラオ人の楽しみ方があります。キンビアして、ラオミュージック&タイミュージックをかけて皆で踊って、辛い物、美味しい物いっぱい食べて、いっぱい話していっぱい笑って。すごく楽しそうなのです。シラフの私には入れない話のループができあがって、途中からずっと同じ話をして笑ってます。たぶんこのあたりは日本でも同じです。

 

そしてもちろん、ありがたいことに、同席する私にもお酒が振舞われます。ラオスの温かいおもてなし文化。「これは今朝うちで採れた野菜で作ったのよ!美味しいからいっぱい食べて!」「これは〇〇出身の私の義母が作ったの!食べてみて!!」と、お母さんたちは、おかずや、焼き立て・揚げたてのお肉や魚をたくさんすすめてくれます。どれも美味しい。「日本人でも食べれる?」と聞かれ「美味しいよ!」と答えると、「もっと食べてくれていいからね!!」と笑顔で返してくれます。これがまた本当に美味しい。最近は、ローカルレストランには並ばない「家庭の味」というものに魅力を感じています。だから、こういう場所に混ぜてもらえると、色々食べられて嬉しい。この暑さの中、ちょっとだけ飲むビアラオも、美味しいです。ビアラオは今まで飲んだビールの中で一番飲みやすい。苦くないし、つんとしないし。氷たくさん入れてキンキンに冷やした薄いビアラオでいいんです。ちびちび、ちびちび飲みたい。

 

しかし、「イッキ」が始まると、そういったものを楽しむ余裕がなくなります。

 

「ラオ子!イッキ!」

「ごめん、飲めないの。お酒弱いし、体調悪くて。」

「なんで!イッキ!」

「いやいや、ほんとに飲めないから。ごめん、ほんとに飲めないの。」

「じゃあ、半分!」

「いや、ほんとに無理だって。体調悪いんだって。」

「なんで!半分!半分!」

「できない、できない。ごめんね。」

「じゃあコップの柄のとこまで!第一関節分!!」

 

ずっとこのループが続きます。一人が何度も来ます。そして酔っ払いは大勢居ます。みんなと順番にこのやりとりをすることになり、2巡目がまわってきて、3巡目、4巡目・・・。断るのが苦手な日本人。私もできれば、断りたくありません。でも、飲めないものは、飲めない。体が受け付けないと言っている。1杯飲んで済むものではないのも、分かっている。「ちょっとだけ」が通用しないのも、もう、わかっている。(来てすぐに潰れるまで飲んでます・・・。氷入りで、コップ3杯。)

 

コップにしばらく口を付けて、飲まずにテーブルの上に置いても、横目でそれを見ていて、また「飲んでない!イッキ!」が始まります。 

 

そしてエスカレートしていくと、肩を組んでの飲ませ合いや、口にビンやコップをつっこんで無理やり飲ませるなんて光景も。本当に、すごい。それでも楽しく飲み続けるラオ人のキンビア、すさまじい。「ちょっとだけ」がききません。こちらがコップ一杯でやめたいと思っても関係なし。うまく断る術もなければ、強く断るメンタルも無い私は、まったく飲まずに場をシラけさせることに耐えるか、言われるがままに飲み続けるかの2択です。

 

私にとどめを刺した一言

活動先から帰る途中、レストランで顔見知りに来い来いと手を引かれて座ったキンビアの席。最初はわいわいやっていたのですが、どんどん「飲め飲め」が激しくなり、威圧的に、怒鳴るように言われても、コップを口に無理やりつけられても、水を飲んでいたコップの中身を捨てられてビールを注がれても、私はかたくなに断り続けました。ずっと飲んでいる薬との相性が良くないので、飲まないように日本の医者から言われている、だからお酒は殆ど飲んだことが無いし、弱いし、翌日の活動に響くから、とも言いました。

 

そして言われた、辛~~~~い一言。

 

「ラオスに住んでおきながら、ラオスの文化を理解しようともしないのか。」

 

「ラオ子が酒を飲まないから私たちは全然楽しくない」 

 

この言葉に、それまで頑なに断り続けたことや、自分が飲めないことでみんなの雰囲気をつまらなくしていないかと葛藤したこと、それを案じて1度無理やり飲んでみたけどすぐダメになったこと、翌日活動先でも気分悪くて1日ポンコツになったこと、それでも「もっと飲んだら強くなるから!」と言われて「飲めない体質だとは誰も理解してくれないんだな・・・」とストレスになっていた事などが、自分の中で溢れ返ってきました。溜めに溜めていた心のダムが決壊してしまったような気持ちになり、そして何も言えなくなり、黙り続けました。その後私は、皆が違う事に気をとられているうちに、すぅぅぅーーーーっっっっっ・・・とフェードアウトするように帰ったのでした。

 

― きっとあの人は私に言った事なんて覚えていないだろう。覚えていても、悪気もなかったかもしれない。いや、いっそ、いやがらせしようとして言ってもらったほうが、もう近づかなくていいからマシだ。でも、どっちにしても、どこの国の人とか関係なく、こんなこと言われたら辛い。

 

―でも今まで蓄積されていたものが今ちょっとダメになっただけで、全部あの人が悪いわけではない。失礼だし謝ったほうがいいのかな。 せっかく混ぜてくれたのに申し訳なかったな。とはいってもあの「飲め」の言い方は怖かったし、戻りたくはないな。

 

帰る途中、色んな気持ちが頭の中をかけめぐります。

 

ー なんで私はお酒が飲めないんだろう。それがそもそもいけないのか。私がお酒飲めたらこんな気持ちにならなかったのか。じゃあ飲んでやろう。飲めるようになるまで毎晩飲んでやろう。ドチクショー!

 

悔しさをどうにかする方法が分からなくなった私は、「じゃあ飲めるようになったるわ!!ヤケクソや!!」という、いたって短絡的な思考のもと、アルコール度数4.5%のアップルサイダーを買い、半べそかきながら家に帰ったのでした。

 

「異文化体験」は選べない?

ラオスに派遣が決まってから、ラオスを知らなかった私はたくさんの事を学ぼうとしました。ラオスの本を読んで、絶版しているものは図書館をはしごして探して。初めてラオ語を見たときは「なんだこれは、本当に文字なのか。」そう思いながら2か月半でラオ語の読み書きを覚え、皆に比べれば語彙も表現も少ないけれど現地に来てからも毎日勉強しました。同期隊員に比べたらまだまだ努力も語彙も足りないけれど、近づきたくて必死でした。

任地では毎日いろんな産地の巻きスカートを履いて働いて。日本では食べないものだって憶することなく食べたり飲んだり。そんな風に、私は、自分の中にある「ラオスを知りたい」という気持ちに正直に、文化に溶け込もうとしてきたつもりでした。

 

―でも目の前の人を不快な気持ちにしてしまった。溶け込もうとする姿勢があったら出来ないことがあっても相手にも理解してもらえるというのは私の勝手な思い込みだ。自分が興味あることだけを選択的に体験して分かった気になっていても、結局相手のコミュニティに溶け込む力がなかったら、理解してないのと同じことなのかも。

 

―そもそも私がカンボジアで2年楽しく過ごせたのは、他の日本人が社内外問わず築いてきた関係に便乗していたからで、そこには自分自身でいちから作った関係なんか無かったし、それを勘違いして驕っていた自分が恥ずかしい。

 

と、キンビアを断って言われた一言で色々考え始めたら、止まらなくなってしまって。

 

その後は、家や飲み会に誘ってもらっても、「ごめんね、体調が悪くて。」「今からテレビ電話で他の国の隊員と会議やから・・・。」と、せっかくのお誘いを受けても逃げるようになってしまいました。特に職場の人の場合、関係を崩したくないこともあり、断りまくるようになってしまいました。

 

そして、お正月目前になってもうまく整理できず、「うちでパーティーやるけど来る?」「家族で滝に遊びに行くけど一緒にどう?」「子どもたちが一緒に水遊びしたいって!」と、活動先のいろんな人が声を掛けてくれたにも関わらず、その先にキンビアがあるかと思うと怖くなり、家族の楽しい時間に水を差してしまうのではないかという気持ちも強まって、「ごめん、首都で隊員と遊ぶんだ!」と断っている自分が居ました。

 

水遊びしたかったな。お正月どんなご飯食べるのか気になるな。綺麗な滝も見に行きたかったな。雨ごいのロケット祭も、本当に、本当に行きたかった。でも、自分がやりたいと思ったことだけやるのは、アカンのかな。キンビアもできないと無理なんかな。首都行ってもやることないな、隊員誰か暇かな・・・。

 

自分から選んだ場所なのに、自分から人と関わることから遠ざかってる。日本では「ノミュニケーションなんて必要ない」と強く思っていたけど、こっちでは日本に居る以上に、「楽しい時間を一緒に過ごして親睦を深めるため」のツールとして必要なものかもしれない。

うまく躱す術も、アルコール耐性も身に付かず、ただただ相手の好意を無下にして自分のわがままを押し通そうとしている。こんなんじゃだめなのにな。どうしよう。どうしたらいいんやろう。

 

と、うじうじ、うじうじうじうじ、悩んだ結果、実際これで任地の家に籠って寝正月したらいよいよ本当に取り返しがつかないぐらい落ち込みそうだったので、何もプランを立てずにとりあえず上京する事に決めて、事務手続きをしたのでした。

 

そしてどうにもならないこの気持ちを誰かに聞いてほしくて、連絡を取ったり、インスタでみんなに意見を聞いてみたり、ここでやっと人に話を聞いてもらうという行動が取れたのでした。あの時悩んでいた私に温かい言葉をかけてくれたみんな、本当にありがとう・・・。

 

この件で学んだこと

キンビアに悩みはじめたのは3月初めの赴任後すぐですが、本当にダメになったのは4月に入ったぐらいのことでした。1か月半の自分の行動とキンビアとの関わり方を振り返って、いくつか気が付いたことがあります。

もちろん、分かってくれる人も居る

この件があった数日後の、職場の「ブンピーマイ(旧正月祭)」が私には苦痛で仕方ありませんでした。8歳の友達以外、全員敵だと思って臨む予定でした。(友達にも「どうしてラオ子はキンビアしないの?大人でしょ?」って言われたけど・・・。)

 

バーシーには行きたい。でも、みんなが1年で1番楽しいときに、自分がお酒を頑なに断ることで「楽しくない」と思わせたらどうしよう。でも飲めないし、飲み会は昼から夜までずっとだし、憂鬱だ・・・と思っていました。

 

しかし、バーシーの準備中にオカンたちと色々話をしているとき、自分が本当にお酒を飲めないと悩みを打ち明けると、「じゃあこの後のキンビアは私たちのテーブルに来なさい!」「水だけ飲んでればいいから!」と言ってくれて、実際その後の飲み会でオカンたちからお酒をすすめられることはありませんでした。もちろん、他の席から乾杯しにきた人たちにはすすめられましたが、この席の人たちは私が飲めなくても良いと思ってくれている、と逃げ場がひとつあるだけで、私の気持ちはずいぶん楽になりました。それに、手首を見たら皆からお願い事をしてもらったたくさんの糸。私の幸せを願ってくれる人が居ることを思い出してあったかい気持ちで乗り越えられました。

 

酔っ払いは万国共通

 

「ラオスのキンビア文化怖い・・・」と、あやうく一括りにしてしまうところでした。先週この内容を更新していたら、おそらくこの記事も「ラオスのキンビア文化なんて滅びろ!」というキャッチーなタイトルになっていたかと思います。

でも、よくよく考えたら日本人だって欧米人だって関係なく、酩酊した人とはまともに話は出来ません。日本だって、飲めなくても楽しめる席もあれば、そうでない場所もあり、年末年始なんて駅周辺吐しゃ物まみれで、その上に寝っ転がっている人も。そもそもお酒の強要をする人がいなければ「アルハラ」なんて言葉は生まれていないはず。

「酔っ払い」にまともに話して分かってもらおうとしていたのが間違いだったんだと思います。そして、飲めないなら飲めないで、(いろいろな機会や広がりを逃すことはあったとしても)飲み会自体断ったって活動に支障が出るわけではないので、飲まされること自体が苦痛なのに交流をはかりたいという使命感で積極的に飛び込んでいく場所ではなかったかなと。実際、子どもたちと遊んだり、おばあちゃんたちと話しているほうが、100倍楽しい。そして、国籍関係なく、べろべろに酔った人、酔って他人に迷惑をかける人が、本当に苦手です。(私もたくさん飲んだらもれなくそうなります。)

 

来月には必ずぶつかる課題だった

私は活動上、バイクの使用を許可されている隊員です。来週には3回目の教習と試験、来月にはタイカブが届きます。そうなると、今までのように配属先の人たちの送り迎えではなく、バイクでの活動が多くなります。

飲酒運転はもちろんできません。現地の人たちにはそれを言っても「関係ないよ」と言われるかもしれませんが、私は下戸だし、「公人」です。バイクを運転するなら酒は飲まない。法律が、JICAがそういっているなら、私はそれに従います。

よって酒は飲みません。コップを無理やり口につけられても、楽しくない・文化を理解する気が無い、と言われても、だめなものはだめ。無理なものは無理。そう強く言い続けるしかありません。バイクに乗っている時は、何を言われても公人としての義務を果たすべきです。

それに、酔ったらすぐ寝るか、楽しくなって記憶がどこかに行ってしまうような人間が、「外国人女性」として見られる場所で酩酊すること自体が、安全上よろしくなさすぎます。そう、私は、外国人なのです。そしてここは途上国。急性アルコール中毒になったり、酩酊して怪我したりしても、救急車を呼んでもらえるかわからないし、病院に行っても日本と同じような治療を受けられるとも限りません。自分の身は自分で守る。ひとりで任地に住んでいる隊員として大切な大前提を、あやうく忘れるところでした。

 

相談することは大切

キンビアのことを相談した他の国の隊員から「自分も同じ状況」と教えてもらって、私の気持ちはずいぶん軽くなりました。また、「お酒以外のラオス文化に博識となり、積極的に披露する」「任務で信頼を得る」といった、自分自身の努力が足りないこと、「ラオ子という人間を理解してもらうのは時間がかかる」という大先輩からの言葉に、背筋が伸びたのも事実でした。

言葉を覚えて自分の気持ちを一方的に伝えられるようになることと、本質的に分かってもらうのとは全く別のことで、それを考えずに「何で分かってくれないんだよ」とヤケのようになっていたことには、大反省会(キンビア無し)です。

 

見習いたい”共感力”の高さ

正直、「隣の国に2年居たし大丈夫~」って余裕ぶっこいていたので、彼の一言でここまで落ち込むとは当人も思っていませんでした。ですが、私がインスタで白旗を振ったとき、そこにコメントをしてくれた人も、直接連絡をくれた人も、どちらも私のなかに鉛のように溜まっていたものをすっと溶かしてくれました。私はそんな風に人の力になれているだろうかと考えると、足元にも及ばないなと。

青年海外協力隊という同じ括りの中で活動している人、数年、数十年かけてコミュニティの中に溶け込んだ人、色んな人が居て、いろんな方面から話を聞いてくれて、いろんなアドバイスをくれて。みんなきっと、多かれ少なかれ、活動自体にも、インフラにも、「お金ちょうだい問題」、「シノワ問題」などにも、国や地域によって違いはあるにせよ今まで感じたことのなかったストレスを抱えて活動しているわけで。自分で選んで飛び込んだ世界だとしても、どうにもならないぐらい辛くなるときは当然あると思います。そういう時に自分も「ラオ子~!話きいてくれ~!」って思ってもらえるような人になりたいです。

 

自分も無意識にやってしまっていないだろうか

カンボジア人、トルコ人、スコットランド人。今まで私の家に遊びに来た人たちです。そして、日本国内で「大人数の日本人の中に外国人が一人もしくは数人」というコミュニティにも居合わせたことも何度もあります。英会話カフェ、ゲストハウス、職場、などなど・・・。その中で、相手が出来ないことを「文化だから」と無理やりやらせていたことがもしあったら、と、考えました。こちらは楽しんでほしくて精いっぱいもてなしているつもりでも、相手からしたらやりたくない事で、文化だと言われるから無理に合わせていただけ、なんてことがあったら・・・、どっちも得しません。無意識に、悪意なくやってしまうことほど相手を傷つけることはない。自分もこれから気を付けようと思いました。

それから、「文化」という大きな概念を理解する前に、目の前に居る相手を理解する必要があるし、それは自分がマジョリティでもマイノリティでも関係ないのかもしれない、という事を、今まであまり考えたことがなかったなと。目の前で起きたことがその「文化」のすべてではないことが大前提、捉え方も表現も伝え方も何もかもが人それぞれで、自分が経験した事だけで100を理解した気持ちになるのは本当に危険。実際に同じラオスの他の隊員からは「そんなに強要する人も居るんだ」と驚かれましたし、「あるある。辛いよね。」という言葉をくれた人もいます。集団の中の一人であることに変わりは無いとしても、それがすべてに当てはまると考えてしまうことは避けたいです。

 

発信するという行為に対する責任

これはカンボジアから帰って小学校、高校、大学と色々なところで講演させてもらったときにも思ったことですが、自分が「これがラオスの文化」だと捉えて発信することで、ラオスの間違ったイメージを与えることにも繋がってしまう危険性があるんだということを忘れてはいけないなと。

特に、今私は「青年海外協力隊」として「ラオス」で活動している人間です。その「ラオ子」が、ブログやSNSで発信することで、国際協力に興味がある人の手助けになったり、ラオスに来たい人の情報源になれば嬉しいし、自分がどっぷり漬かっているラオスという異国の面白さ、すばらしさを伝えていけたらという思いで書いています。しかし、私という一人の人間のバイアスがかかることで、捻じ曲げて発信してしまうという危険性があることを十分に考えて発信していく必要があります。

 

「したい」と「させられる」

まとまらないまとめです。

その後の首都滞在で、同期隊員と一緒に、路地裏にテントをたててキンビアしていたおじさんたち(多分そこそこ偉い人)に混ぜてもらいました。ゆるーく踊ったり、写真とったり、「〇〇君(JOCVの先輩)を知っているよ!彼にはお世話になったから君たちがもし旅行に行くなら僕の車で連れてってあげるよ!」なんて嬉しいことを言ってもらったり。

それ以外にも、旧正月で同じく上京中の同期隊員たちから「昼から飲む」という未踏の飲み方を経験させてもらったり、夜ドミに戻ってからも寝る前にビン1本飲んでみたり。「ちょっと飲んでみる?」「大丈夫?」「無理してない?」と、練習に付き合ってくれて心配もしてくれて。

お互いの任地での生活や活動の話なんかをしながら、メコン川沿いでゆっくり飲むビアラオ、うめぇ。ちょっと飲んだら眠くなるけど、昼間のうだるような暑さの中飲むビアラオも、うめぇ。

 

結局のところ、私が今回ここまで拒絶反応を示したのは、

①「文化だからと断りにくい環境を作り、何度もイッキを強要される」という事自体に強いアレルギー反応を起こしキンビア自体受け付けなくなっている(7割)

②「ラオスを理解しようとしていない、楽しくない」と否定されたことに純粋にショックを受けた(2割)

③無理やりやれと言われたことをやりたくない意地(1割)

かなあ、と、首都滞在を終えて思ったのでした。

 

自分の習慣に無いものを強要されるというのは結構苦痛ですが、もし逆の立場でそうなった場合に拒絶反応を示してしまうというのは、きっとラオスの人も同じこと。活動の上で自分がそうしないように、自分が28年間でつくってきた「普通」は一旦捨てて、時間がかかるとしてもひとつひとつの事を丁寧に確認しながら活動していきたいと思いました。

 

ちなみに、ヤケ買いしたアルコール入りのアップルサイダー

 

 

キンキンに冷えてます。だって1本もよう飲まんもん・・・。

隣の醤油のほうがよっぽど美味しそうや。

 

余談。

自分の時間がたくさん持てて、読書や情報発信に時間をつくりやすい今の生活。せっかくなら読書と文章づくりの質をあげる練習をしてみようと、「東大読書」「東大作文」なる本を買ってみました。いつもはだいたい2000文字ぐらいで力尽きるのですが、1万文字ぐらいのボリュームで書いたらどれぐらいの内容になるんだろうというちょっとした好奇心で、旧正月最終日を使って、写真少な目・文多めの1万文字記事を書いてみました。結構文章書くのって体力が要るんですけれども、写真に頼ってばかりではいつまで経っても文章が書けるようにならないので、今後も不定期でやっていく予定です。大した内容ではありませんが、また次回もお付き合いください。

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ラオス旧正月!バーシースークワン初体験で、ちょっと泣いた話。

さばいでぃー!

 

さばいでぃーぴーまい!(あけましておめでとうございます!)

皆さんこんにちは、ラオスのラオ子です。

1月1日のインターナショナルニューイヤー、2月の中国旧正月に続き、4月15日、ラオスは今年3回目の新年を迎えました。私の活動先である産業商業局は、11日が新年のパーティー。12日は後片付けや余韻(皆あちこちで飲んでいて働くモードはどこへやら)で、私も局には行かなくて良いと言われたので家でたまっている報告書の作成や料理にあてました。

そして13日から17日まで5連休。活動先によってはもっと長期休暇のところもあるそう。逆に1月1日のインターナショナルニューイヤーは元旦だけが休みで2日からは普通に仕事なんだとか。いかにラオスで旧正月が大切にされているかが伺えます。

 

旧正月、どんなかんじ。

 

メコン流域の国々、本当に面白い。文化や宗教、言語など、過去の歴史の中で深いつながりがあったことを感じさせてくれます。4月になると、タイは「ソンクラン」、ミャンマーは「ティンジャン」、カンボジアは「チョール チュナム トメイ」と、周辺国は旧正月を迎えます。(ベトナムのテトだけが、ちょっと特殊かも。)

ここラオスも、ほぼ同じタイミングで「ピーマイ(ピー=年、マイ=新しい)」があり、今年は4月13日から17日までは旧正月の大型連休(当局の場合)。

正月1週間ほど前から事務所に来る人が少なくなり、各々買い物や、産業商業局とつながりのある省庁・企業などのパーティーに出席し、千鳥足で昼過ぎごろに局にやってきました。

それが正月に近づくにつれエスカレートし、水でびしょぬれ、ベビーパウダーで粉まみれのおじさんたち(といっても局の中では課長、部長クラスの方たち)が、私のデスクの前にあるソファにドンと腰かけてゆらゆら。

「ビール飲んできたの?」「うん」「どこで飲んでたの?」「〇〇局に呼ばれて」「いっぱい飲んだんでしょ」「うん」「クーラーあたって寝てて」「うん」「水飲む?」「いらない、ビール飲む」「無いよw」「買ってきて、お金あげないけど」「嫌だよwwww」と、私は千鳥足のおじさんたちとどうしようもない会話をして過ごしました。

そんな感じで、お正月が近づいてくると、家も会社も関係なく色んなところにぽつぽつとテントが張られ、爆音でラオミュージックが流れるなか、皆ゆる~く飲んだり食べたり踊ったりするようです。

 

産業商業局の正月祭で「バーシースークワン」初体験

 

 

4月10日夕方、いつも閉まっている「ほーん ぱすむ(会議室)」が珍しく開いていて、中から人の笑い声が。さっき水びたし&粉まみれですれ違った、完全に出来上がった課長が入っていくのが見えたので、私は見なかったことにして事務所へとこっそり戻りました。

 

 

その後、他の局員さんから「ラオ子!おいで!」と呼ばれたので、「キンビア(飲み会)やったら地獄やなあ・・・」と思いながら恐る恐る部屋を覗くと、コンクリの打ちっぱなしの床に茣蓙が敷かれて、翌日の「バーシースークワン」の準備をしている最中でした。

冗談なのか意味があるのかは定かではありませんが、ひょろひょろぐにゃぐにゃの長いロウソクを頭に巻かれ、顔の長さを測るかのように頭のてっぺんから顎までべたっと押し付けられ顔面をばしばし叩かれました。

 

 

それを、ロウソクを束にしてしめ縄のようになった塊に合体。「何したの?」って聞いたら「ぼーぺんにゃん!(大丈夫!)」と言われたので、大丈夫なんだと思います。

 

 

そして翌日、お酒が飲めない私には悲しいぐらい憂鬱な「大晦日前日」の11日、この日は産業商業局の仕事は1日中お休みで、息もしたくないような暑さの中、「ぶん ぴーまい(ぶん=祭)」つまり、お正月のパーティーが開かれました。

 

 

朝から皆せっせと「バーシースークワン」というラオスに伝わる儀の準備。家族が大きな病気をしたあと、新年、家族が留学や仕事で遠いところに行く前などに、幸せを願って行われるそうです。私は今回バーシースークワン初参加。派遣前訓練中に、ラオ人の先生が作ってくれたミサンガで隊員同士でバーシーの練習をしたことを思い出し、板書を見て何を言ったらいいのか復習。

 

 

家族だけで行うこともあるそうですが、お正月のバーシーは特別。お坊さん4人に来てもらい盛大に儀式が行われました。

 

 

運ばれてきたタライにはたくさんのピンカイ(焼き鳥)が入っていて、お姉さんたちが中華包丁を使って次々叩き切りしていきます。

 

 

 

そしていよいよ、儀式が始まりました。

各々持ってきた仏具(?)にロウソクを立てて黄色いお花を入れ、手を合わせてお坊さんのお経を聴きます。

 

 

田舎のお寺の保育園で育ててもらった私にはなじみ深い「ブッダンサラナンガッチャーミー」。カンボジアで初めて聴いたときは「本当に言うんやああ!!!」とものすごく感動しましたが、同じ上座部仏教のラオスでも同じお経を聴くことができました。その後には「ダルマンサラナンガッチャーミー、サンガンサラナンガッチャーミー」と続きます。「三帰依文」というもので、「ブッダ(仏)、ダルマ(法)、サンガ(僧)」に帰依するという意味だそう。

その後は「ドゥティヤンピ(ふたたび)」「タティヤンピ(三度)」を頭に付けてまた同じ言葉を繰り返します。

 

 

そして時折、水でふやかったもち米や、キャンディー、お花、小さく折られたお金などが飛んできました。

 

 

「よかったね、ラオ子!幸せがやってきたね」

 

なるほど、そういう意味なのね。

 

お坊さんが錫の器に入った聖水を、葉がたくさんついた木の枝をつかって全員にかけてまわり、またお米があちこちから飛んできて。結構、びちゃびちゃ。後半になると、床も、体も、頭も、米まみれ。もち米が撒かれるたび、「わぁ~~!!」と歓声があがります。

 

 

そして、結構長かったお経が終わり、お坊さんはこちらで用意したご飯を食べます。

 

お経を唱えている間火柱をあげていたロウソクと、残った水。このお水を体につけたり、ペットボトルに入れて持ち帰ったり。日本でいう、お寺に行ったときにお線香の煙を浴びるようなものでしょうか。

 

 

 

そしてお坊さんたちがお帰りになり、バーシーが始まりました。

「ラオ子、あなたは初めてだから一番前よ!」「でも写真撮りたくて・・・失礼じゃないかな」「大丈夫!手を合わせてる間は皆と一緒にお祈りしてね」と言ってもらえたので、一番前でバーシー式を体験させていただくことに。

 

 

真ん中に置いた祭壇のようなものから伸びる糸を皆で持ち、進行役の一人が何かをずっと唱えています。その村の長など、位のある人が、が口伝された祝詞のようなものを唱えるようです。(語学力の限界・・・。)

そして時折みんな「サーーー!」とこたえる。このタイミング覚えたいなあ。

 

 

終わったら、みんなで祭壇のオレンジや白の糸を分け合って、手首に結びます。卵や鶏肉を握らせて結ぶ人、お金を握らせてお願い事をする人、いろいろ。

 

私も上司・同じ課の人のところに結びに行きたいな、と、必死で覚えた言葉を思い出そうとしていたところ、「ラオ子!ラオ子!」とみんなが私のところに結びにきてくれました。

 

 

ビエンカムにきてくれてありがとう。

 

あなたと一緒に仕事ができて嬉しい。

 

2年間、健康で過ごせますように。

 

2年間、ここでの生活が安全でありますように。

 

たくさんのラオ人の友達ができますように。

 

ここが第2の故郷になりますように。

 

ビエンチャン県のODOP商品を、協力してたくさん売っていけますように。

 

あなたが笑顔で頑張れますように。

 

あなたと、日本にいるあなたの恋人や家族が健康でありますように。

 

2年後にはもっともっとラオ語でたくさん話ができますように。

 

日本とラオスがもっといい関係になれますように。

 

多分、もっとたくさんのことを言ってくれていたのですが、今の私に聴き取れるのはこれぐらいでした。

 

でも、十分でした。私の手を取り、ゆで卵やお金を手のひらに乗せて、私の目を見て、とびきりの笑顔で、私の2年間の活動や、ここでの生活が豊かになることを祈ってくれた。

もっと聴き取れたら、と、悔しい気持ちになりながらも、みんなの温かさに胸がいっぱいになって、喉の奥がぐっとなりました。こらえきれず涙が出てしまい、「どうして泣いてるの」と聞かれ、「嬉しいからだよ」と答えると、「その気持ちで、これから頑張ろうね」と。

 

 

こんな風に、温かい気持ちと真っ直ぐな言葉でお互いの幸せを願う儀式が、職場や家庭で当たり前のように行われる。なんて素敵な文化なんだろうと思いました。

日本に居たときは、「仕事は仕事」「プライベートはプライベート」と完全に分けた働き方しかした事がなかったし、それが当たり前で、普通なのだと思っていました。でもラオスは違っていて、もっともっと距離が近くて、皆がみんな親戚のような感じ。だからこそ理解し合えること、助け合えることもたくさんあるんだろうなと、ここに居た1か月半みんなの働き方を見て感じました。

 

 

この後引き続き行われた「ぶんぴーまい」の飲み会は、お酒が飲めない自分にとって結構辛いものでしたが(これはまた後日)、バーシーの儀式は「心があったかくなる素敵な時間」であるということを知った素敵なお正月となりました。

今度のバーシーでは、私がみんなの幸せを願って糸を結べるようになりたい。このモチベーションを語学の勉強にあてたいと思います。

 

 

ネットで調べると諸説あるのですが、結んでもらったバーシーの糸は3日~2週間ぐらい置いあと切るそうです。それまでにも結び目の甘いものが自然と取れていきましたが、糸がたくさんついていると炊事や入浴のあと重さを感じるぐらい水を含みます(笑)

 

取れてしまったものは家の鍵に結んで、残っているものはこのままにします。見るたびに皆に貰った温かい言葉を思い出せます。皆、ありがとう。

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肉塊を手に入れて、豚の角煮を作ってみました。

さばいでぃー!

みなさんこんにちは。青年海外協力隊2018年度3次隊コミュニティ開発隊員の、ラオスのラオ子です。何度でも言いますが暑いです。もうこの暑さは十分、今週末に控えたピーマイラオ、いわゆる旧正月仕様。そりゃこんな暑さが毎日続いたら、メコン一帯で「水かけ祭」なる文化が生まれるわけですわ・・・(たぶん違う)。

 

www.laoko.net

 

おかげさまで皆様から大好評のこの家に引っ越して、もう1週間が経ちました。ここ一週間は、掃除、掃除、掃除に明け暮れた日々。すべては、今から2年間、自分が快適に住む場所を確保するため。心を無にして、鬼にして、この乾季のピーマイ前の一番暑い時期に、大掃除しました。それでもまだまだ目につくところはありますが、おいおい・・・気が向いたら・・・やっていきます。たぶん。

そして、ぺっかぺかに磨いた床には翌朝たくさんのヤモリの糞。いたちごっこ。このやろー!でも、いいんです。あの子たちは可愛いから。夜中にエヘエヘエヘエヘッ!!って鳴く可愛いペット。だから、私のラブリーなベッドに糞が落ちてても、壁にくっついてても、朝起きたらスマホの上に3個転がってても、仏の心で許します。だから、横向きに寝かせてたスーツケースの下からぺしゃんこになったヤモリが出てきても、仏の心で許してほしい。

 

 活動終わりにふらっと立ち寄れる青空マーケット

 

産業商業局の隣の広場にできる、夕方限定の市場。その日のうちに採れた野菜や、まわりの沼やナムグム川で獲れたタウナギ、ナマズ、テラピアっぽい魚、そして屠殺したで新鮮と噂のお肉も、ここで買うことができます。

いろんな国が陸続きなので、産地がどこなのかは結構気になるところ。実際、不自然につやつやぺかぺかの外国産の果物もあったりして。ですが、「どこで育った野菜なの?」と尋ねると、だいたい返ってくるのは「すぐ近くの村だよ」「隣の郡だよ」という答え。そういえば、野菜はどれも、虫食いだらけ。すぐに痛むし、形もばらばら。でも、それが本当の「安心」なのかもしれません。祖父母が畑で育てていた野菜もこうだったなあ。実家のご近所さんからのおすそ分けもそう。「無農薬」「オーガニック」って良いことだけど、それに付加価値がつかないほど、このマーケットに並ぶのは「自然のもの」ばかり。「こんな重労働の野良仕事して穴ぼこのサツマイモ育ててんと、近所の八百屋で買ったらいいやん」と思っていた小学生の私よ、謝りなさい。

 

 

さて、お肉はこのように売られています。「薄切り」や「ミンチ」という概念は・・・ありません。(あったとしても、常温放置の断面多いお肉は危なくて買えませんが)この豚肉屋さんは、骨付きの豚肉で1kg35000KIP、骨なしの部位だと38000KIP。450円~490円ぐらいです。脂身たっぷりのほろほろの角煮はそこらで食べられるので、家ではあっさり食べられる角煮が食べたい。そんなわけで、骨無しの脂身が少ない部位を1キロ頼んで、いざ。

 

豚の角煮を作る。

 

 

まずはお肉の下処理から。15%の食塩水に生肉を浸すことで殺菌できるということを教えていただいたので、さっそくやってみることに。1kgの豚肉の肉塊をドンッと鍋に入れて、15%になるように塩と水を入れてよく溶かし、よ~~~く揉み洗いしました。

 

 

次に、油をひいた中華鍋で、表面を焼いていきます。脂身ほぼ無しの部位を買ってきたので、全然肉汁が出ません。めちゃめちゃ、くっつきます。余談ですが、中華鍋って炒めるときにすごい美味しい音がしますよね。

 

 

そして肉を食べやすい大きさに切り分け、1リットルの水、皮をむいた生姜2片と共に火にかけます。アクが大量に出てきますので、時折世話をしながら中火でことこと茹でること30分。脂身が多い部位の場合は、このまま放置して粗熱を取り、冷蔵庫で一旦冷やします。そうするとラードがスケートリンクのように表面を覆うので、それを全部剥がしてもう1度火にかけます。こうすることで、余分な油分を取ることができます。今日は全然脂が浮いていないので、アクだけ取ってそのまま調理を続けていきます。

 

 

 

醤油150cc、みりん100cc、砂糖100gを入れて、蓋をして中火で煮込んでいきます。煮汁がこれぐらいまで減ったらできあがり。

 

 

 

角煮、完成!いえーい!肉の形がいまいちすぎますが、味は美味しいです。

 

 

 

本当は生肉のまま冷凍できると良いんですけども、なかなかそうもいかないので、こうやって一度熱を通してアレンジ効きやすい味付けにしてから冷凍する訳です。手間暇かけて何か作った後にくる長期停電ほど悔しいものは無いので、停電しない事を祈って・・・。

ひとつはそのうち茹で卵と一緒に煮直して残った汁はスープと空心菜炒めに、もうひとつは炊き込みご飯かおこわになる予定です。楽しみ。

 

 

 

そしてお鍋に残った分で、肉じゃが風に。ごま油で玉ねぎ、じゃがいも、ササゲの順に炒めて、煮汁と角煮3個を入れ、材料がかぶるぐらいのお水を入れて煮てみました。

 

 

 

臭み消しに入れた生姜の味が強くて「肉じゃが」とはちょっと違う味がしますが、じゃがいもの甘みが強くて、ほくほくで、美味しい!じゃがいも3個で60円、ササゲ1束40円、玉ねぎ3個で60円。野菜安くて、栄養もばっちりとれて、いう事なしです。

 

 

 

肉じゃがの汁と、じゃがいも以外の具で、炊き込みご飯も作ってみました。煮汁の量が少なかったので、お出汁と醤油少しずつ足して味を調整。

 

 

 

テフロン加工じゃないから洗うの大変だけど、おこげいっぱい~~~!最高か~~~!!

 

 

 

3合炊いて、冷凍冷凍~!

 

自炊、楽しい~

ここ1か月分のカロリーを取り戻すかのように自炊しています。(体重戻る前になんとか手を打たねば、と、思ってはいる。)でも、やっぱり自炊は楽しいです。めっちゃ辛いラオス料理がずっと続いていて胃が疲れていたようです。体が喜んでいるのがよくわかる。

これから隊員になる方、もしこのブログを見ていただいていたら、現地調達できるものは最低限にして、日本の味がつくれる調味料を持っていくことを強く強くお勧めします・・・・!

www.laoko.net

↑私が買った調味料一覧。

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任地にあるものでシリーズ。例のアレでキャラメル作ってみた。

さばいでぃー!

こんにちは、ラオスのラオ子です。

暑いです。36度。蒸し暑い。とにかく、蒸し暑いです。

 

真冬の二本松訓練所で風呂上りから就寝まで

半そで半ズボンだった暑がりには耐えがたい暑さです。

代謝の良さが裏目に出ています。

 

でも、甘いものがあるから!

どんな暑い日も、

甘いものを食べて美味しいコーヒー飲んで一息ついたら

なんとなくチャラになるんですよね。人間って不思議。

 

 

パンを焼いてもつけるものがなかったら味気ない。

市場に行って練乳を買ってきました。

ひとつ6000KIP、日本円にすると80円弱です。

このままパンにつけてもいいんですが、ちょっとひと手間。

 

 

煮ます!!!

このときまだ鍋を買っていなかったので、中華鍋で。

なんと効率の悪い。

 

本当はかぶるぐらいの水の中でぐらぐらさせるんですが、

取っ手の付け根と中華鍋に隙間があり

そこから水がちょろちょろと漏れることが分かったので浅めに。

気付かず揚げ物したらとんでもないことになるところでした。

 

 

 

2時間ほど煮込んだら、そのまま室温で完全に冷めるまで待ちます。

コンデンスミルクが熱で膨張しているまま開けてしまうと

激熱キャラメルが飛び出すので注意。

あつあつ餡掛け対決どころの話では済みません。

 

 

 

2時間茹でたものがこちら。

もう少し煮ればよかったのですが、あまりに暑くて火を止めちゃいました(笑)

 

キャラメルというより、ミルクジャム、に近いかも。

これはこれで、フルーツにかけたり、パンに塗ったり、

パンを作るときの乳脂肪分+砂糖がわりに使ったり、

いろいろ使い道があるのでこのまま大切にとっておくとして。

 

 

 

 

鍋を手に入れたあと、リベンジ!

かぶるぐらいの高さまで水を張れる鍋でしっかりぐらぐら茹でること3時間。

黄金色のキャラメルが出来上がりました~~~!

 

 

 

あと1時間ぐらいいってもよかったかもしれない。

次は4時間でやってみます。

普通の練乳に比べるとぷるんとしてて、

食べた感じもちょっと大人な感じ。

甘めの生キャラメルに近いです。

 

 

 

さっそく試食。

先日のシナモンロールを冷凍保存していたものが残っていたので、

できたてキャラメルソースをたっぷり塗っていただきました。

 

あーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

幸せ・・・。

 

シナモンロール作ったときに、発酵時間が短かったので、

もっとパサパサになるかなあと思っていたのですが、

すぐ冷凍したからかふわふわのまま。

フライパンで温めたら外かり中ふわで最高でした。

 

キャラメルは、重めのドリップコーヒーに溶いたら、

カフェに行かなくても牛乳が手に入らなくても

キャラメルマキアート風のコーヒーが楽しめます。

これもたまらなく美味しい。

1缶6000KIPで手に入る幸せ。最高だ~。

 

踏んだり蹴ったり日曜日

 

そんな幸せな朝を過ごしたあとの話。

 

朝から暑かったので、ここぞとばかりに洗濯。

これでそろそろ引越しの大掃除も落ち着くと思ったら

最終日にメインディッシュを見つけてしまいました。

洗濯機のフィルターにかちかちにこびりついたヘドロを

2時間洗い続け、汚すぎて何も考えられなくなった結果、

たらいの水をそのまま洗面台に流してしまい

見事にヘドロが詰まって全く流れなくなり。

近所の商店にトイレのキュッポンを買いに行って

洗面台を無心でキュッポンし続け。

洗濯機をクリーニングモードで洗って。

朝洗って一度干した洗濯物と、

洗ってベッドにセットし直したラブリーなシーツ一式を

全部洗い直し、今に至ります。

要らない手間を自分で増やして、ほんと間抜け(笑)

 

その後一息ついていたら同期隊員から連絡が。

出張でうちから15キロほど北の街に来ているみたいなのですが

足がないため会いにいくこともできず。

そろそろ夕飯と思ったけど、色々触った手で料理する気にもならず。

日曜日だから店もやってないし。

 

 

 

どっと疲れた休日の夕飯は、

アボカドをぱかっと半分に割ったもののみでした(笑)

 

連休最終日にして、ちょっと心が折れた。

そんな日曜日でした。

 

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今日のラオ子ベーカリー。米粉のふわふわスフレパンケーキ

さばいでぃー!

今日は土曜日ですので産業商業局はお休み。

 

涼しいうちに、大家さんにおすそわけするパンを仕込もうかな~

何にしようかな~と、

ラブリーなベッドでぐだぐだ考えていたら、大家さんから電話。

 

「直ってない自転車持ってポンホーン郡いくから!取りにいくよ!」

「えっ、今から?」

「30分後!!」

 

えっ!!(笑)

 

「私も行っていい?」

「いいよ!じゃあ30分後ね!」

 

 

車の荷台に私の自転車を積み込んで、

札束で遊ぶ可愛いお孫さん、ノッちゃんと共に出発。

 

 

 

買ったときに気が付けなかった私のミスなのですが、

ペダルの根っこ部分に片方だけ何もついてなくて

漕ぐたびにペダルの軸がガタガタと揺れる謎仕様・・・。

もう片方にはちゃんとパッキンみたいなのはまってるのに。

 

お父さん、そこバイク屋だし、同じ規格の部品なんて手に入らないだろうし、

いったいどうするの??

 

絶縁テープぐるぐる巻きぐらいしか思いつかない私。

 

 

サイズも測らず奥の方に消えてったバイク修理屋のおっちゃん。

どこから持ってきたかよくわからない

切り口ジャミジャミの謎の輪っかを、

ガンガンガン!!!ぐりぐりぐりぐりぐりぐり!!

とはめ込んで、「はい!直った!!」

 

いやいや結局ペダルの根っこ部分むき出しやし、

嘘やろ~と思って試しに乗ってみたら、

さっきまでの不快なガタつきが無くなっておりました。

どゆこと???

ついでにハンドルのゆがみも見てもらって、帰宅。

大家さん、ありがと~!

 

そして我、ご機嫌で夕飯を作る

お昼ご飯に近所のカオピヤックを食べたのですが、

え?!どうした?!?!って言いたくなるほど味が濃くて。

いつも美味しいのに、なんで?!?!って思うほど濃くて。

食べたら分かる、塩分過多。

唇がひりひりするぐらいの塩辛さ。

 

だったので。

 

その足で市場にお買い物に出かけ、

いろいろ調達してさっそく調理開始。

 

荷物の重量制限があるから最後の最後まで持ってくるか悩みましたが、

最低限の調理器具はやはり持ってきて正解でした!!

はかり、計量カップ、軽量スプーン、泡だて器、スパチュラ、

ドレッジ、シルパッド。

こんだけあったら、作れるものの幅が広がる~!

 

 

 

卵黄 3個分
ミルクジャム 30g

(なければ、砂糖10g 牛乳20gとか、練乳とかで適当に代用)

 

を混ぜ混ぜ。

 

 

米粉 40g

を入れてさらに混ぜ混ぜ。

 

小麦粉しかなかったら30gぐらいでいいかも。

強力粉だともちもち、薄力粉だとしゅわしゅわになります。

 

小麦粉は値段もカロリーも高いので米粉で作ってます。

もち米の粉ではなく、普通の米粉。

 

 

卵白3個分

を、油分・水分の無い清潔なボウルに入れてほぐします。

 

卵黄の世話をしている間、ボウルごと冷蔵庫に放り込んでおくと

泡立ちがよくなります。

 

 

 

塩、ひとつまみ

を入れてメレンゲを作ります。ひたすら混ぜ混ぜ。

しっかり角が立つまで混ぜたら、

大きく全体をゆっくり混ぜて泡のきめを整えます。

泡立てすぎると分離するので注意。

 

 

 

卵白1/3を卵黄のほうに入れて、生地をゆるくします。

底のほうからしっかり混ぜてあげましょう。

 

 

 

それを卵白のほうに静かに流し入れて、

底の方からすくい上げるように、泡を消さないように、

手早く混ぜます。

 

 

 

油をなじませたフライパンに流し入れて、蓋をして

ごく弱火でじっくり火を入れます。

お腹に自信がある人は、このまま半分にぺたんと折ってスフレ風に。

 

私は念のため、裏返して両面しっかり火を通しました。

(卵黄と卵白を分けるときに、卵の殻を使ってしまったので・・・笑)

 

できました。

 

 

もらいものの採れたて完熟マンゴーと

ミルクジャムを添えて!

(パン切り包丁が無いから断面がざくざくだ~)

 

 

 

きめ細かいしゅわしゅわのスフレパンケーキになりました!

米粉を使っているので食べた感じも軽くて、

1枚ぺろっと頂いてしまいました。

米粉使ったら何でも0キロカロリー!!

 

コーヒーを一緒に楽しみたかったのに、

作る前に2杯分飲んでしまったために手がガタガタ震えて断念。

次はちゃんとするぞ!!(?)

 

これなら大家さん喜んでくれるかな~。

明日は朝からパンケーキマシンのごとく焼きまくる予定です。

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ついに引越し!コンセプト不明の大きなお家に引っ越しました。

さばいでぃー!

 

みなさんこんんちは。ラオスのラオ子です。

ついに1か月過ごしたゲストハウスとお別れし、

約2年間お世話になる家に引っ越してきました。

 

やっと定住や。

9月後半からここまで、

荷物作って、広げて、しばらく住んではまた荷物まとめて、

という事を延々繰り返してきました。

 

9月21日~25日 技術補完研修/東京

9月26日~10月2日 旅行/長崎、関東、あちこち

10月3日~12月12日 二輪研修&派遣前訓練/関東、福島

12月13日~1月28日 実家/滋賀、大阪、あちこち

1月29日~3月3日 現地語学訓練/ビエンチャン特別市

3月4日~4月4日 任地のゲストハウス/ビエンカム郡

 

あっちへこっちへ、いったりきたり、

「定住」という言葉から遠ざかりつつあった半年間でしたが、

これから1年10か月お世話になる(あくまで予定)家に

ようやく引っ越すことができました~~~!

もう引っ越さないぞ~~~~!!!(あくまで予定)

 

ラオスのインフラ事情

カンボジアのシェムリアップに住んでいたとき、

「インターネットあるの?」「電気・水道あるの?」

とよく聞かれましたが、全部あります!(ただし都市部に限る)

ここ10年以内に石炭火力や水力による発電所ができ、

消費電力は増加傾向にあるもののその増加分は輸入に頼らず

賄えている模様。

停電断水は首都田舎関係なくありますが、

インターネットがさくさく使えてどこもWi-Fi天国なので、

長期停電・断水したときはジェネレーター(自家発電)がある

ホテルを探して心のオアシスにしつつ

そこまでストレスをためずに生活できました。(ただし都市部に限る)

 

ラオスの生活は、今のところとても快適。

シェムリアップより停電・断水の頻度も少ない気がします。

・・・今のところ。ね。

 

首都で2泊3日のホームステイをしたときは

計画停電で半日停電、断水も1日数時間ありましたが、

任地のゲストハウスでは雷で停電してもすぐに戻るし

断水もここ1か月で1度だけでした。とても平和!!

新しい家もそうであることを願うばかりです。

 

協力隊ってどんな家に住むの???

「協力隊」というと、

赤土でガッタガタの道を進んだところにある大草原のど真ん中に

打ちっぱなしの箱みたいな家を借りて

井戸水のみのサバイバル生活・・・

というイメージを持たれることが非常に多かったです。 

 

実際、私も自分が途上国に住むまでは

そういうイメージを持っていました。

 

そして、実際、イメージそのまんまの場所に住んでいる

同期隊員も居ます。

 

 

 

家や風呂場の写真が送られてきたとき

「古墳やんwwwwwww」と

思いっきり草生やしてしまったことは

仲たがいが起きるまえに謝ったほうが良いでしょうか??

ごめんなさい。本当にごめんなさい。

これからもスパイシーなアフリカ情報待ってます。

 

さて、各国のJICAによって順序は様々ですが、

ラオスの場合は任地に派遣されたら一旦ゲストハウスに入り

活動をしながら家を探します。

私の場合は課長が候補をいくつか見つけてくれていたので、

その数件を内見させてもらって決めました。

住みたい家が見つかったら、諸々の手続きをして、

安全確認が取れたらその家に引っ越すことができます。

塀の高さや種類、鍵の数、窓の鉄格子の有無、立地など、

かなり細かく規定されていて、

それをクリアしていないと住むことはできません。

ここまで大げさにやらなくてもいいのでは??と思うのは

きっと私がラオスの隊員だからです。

首都では最近ひったくりが多発しているようですが、

凶悪な犯罪や強盗といった被害はあまり聞きません。

バイク隊員の私からすれば

交通事故発生率が日本の6倍という事実のほうがよっぽど怖い。

とはいえ、どこの国に居ても同じことですが

いつなんどき何があるかは分からないので、

就寝前は施錠を2周確認しました。

 

支給される家賃は国によって異なり、その国の中でも地方によって様々。

首都はもちろんですが、外国人が多く住んでいる地方都市や観光都市は、

その他の地域に比べて高めの設定になります。

私のところはもちろんどれにも該当しないので一番低い家賃設定。

それでも、細かく定められたセキュリティの条件を

クリアできる家となると、結構、ご立派。

 

我が家をご紹介します。

さてさて、ここからは、私が住んでいる家の内部です。

 

 

 

まず玄関入ってすぐ広がるこの景色。

え、何?舞踏会?

と言いたくなるような広さ。とにかく、だだっ広い。

何する?サークルモッシュ?ズンバ?体力テスト??

 

 

 

右奥に写っているリビングの壁面は1面ぜんぶ収納。

ただし、全部中身丸見えの。

一番目立つ、というか、テレビを置く場所を

菊松君入れにしました。

 

そして内見のときにあった「最後の晩餐」が出来そうな

拭くのも嫌になるぐらいの大きな机は

「こんなんあっても邪魔やろ」という至極真っ当な理由により

撤去されていました。

  

 

 

そのかわりと言ってはなんですが、すっからかんだった空き部屋は

「応接室か」とつっこみたくなるような部屋に様変わり。

 

どこ拭いても黄色くなるしべとべとしてるし、

ガラスも全部曇っているから

きっと今まで住んでいたどなたかは喫煙者だったのでしょう・・・。

もう掃除が大変。セスキシートが一瞬でなくなりました。

倍ぐらい買っておけばよかった。

 

まだまだ掃除終わりません、キッチン。

 

 

キッチンにもこんな立派な机が。あざす。

キッチン全体、とにかくデカい。何する?炊き出し?エアロビ?

西日があたる方向なので夕方は暑すぎてテンキンボダイ(料理できひん)

 

 

 

もともと別の国のボランティア関係の方が住んでいた家なので、

最初から冷蔵庫、電子レンジつきです。ありがたい。

大家さんが1升炊きの炊飯器もくれました。本当にありがたい!

 

ただしこの写真に写ってない壁一面の棚は悲惨で、

ザルやボウルと一緒にトイレのキュッポンとブラシが入っていたので

そっ閉じしました。たぶん2度と開けません。

 

 

 

前の住人が出てからしばらく経っていたようですが

冷蔵庫はずっと稼働したままになっていて、

庫内はこぼれた色々&ニオイ&カビでものすごいことに。

プラグ抜いて開けっ放しにして外せるものは全部外して洗い、

薄めた中性洗剤でごしごししてから水拭き→セスキ、

パッキンはアルコール消毒・・・とフルコースでお掃除。

これだけで半日終わってしまいました。

今は臭いが取れそうなコーヒーの豆かすやライムの皮を入れて

更に脱臭を試みているところです。

まだまだ時間がかかりそう。

 

1回冷蔵庫をからっからに乾燥させてカビとさよならしたいので

しばらくはこのまま冷蔵庫無し生活続行です。

 

寝室の破壊力。

 

 

そして寝室は、2部屋ございます。

うち一部屋はバスルームつき。

シャワーは冷水のみです。でも夕方に水を出すと結構熱い!

自然のエネルギーで温かいシャワーにするなんて素敵!

 

ちなみにFB・インスタグラムではすでにお披露目済みですが、

大家さんのベッドカバーのチョイスがとんでもなくイケてます。

 

 

表側も地獄。

 

 

 

裏側はもっと地獄。

 

 

 

心が温かくなりすぎて泣きそうになるほど

ピースフルかつハートフル。

大家さんのチョイスが流石すぎて言葉になりません。

 

 

 

あー悔しい・・・ちょっと笑ってもた・・・。

笑ったあとイラっとした・・・。

 

 

もう一部屋がこちら。

お客様用です。いつでも遊びにきてください。

 

 

 

サンタさんと雪だるまが、

 

 

 

全力であなたをお迎えいたします!!!!!!!!!!!!!!!!

 

もうほんと、SNSにあげたらあっちでもこっちでも草生やされて

嬉し悔しい限りなんですが、

アラサー女子として言わせてもらいますけど、

私だって選べるならアマンサラみたいな

大人カジュアルかつシックなベッドシーツがよかったわ!!

まあ、アマン行ったことないけどな!!!!!!!!!!!!!

 

バスルーム

 

 

取り乱しました。すいません。

こちらお風呂兼トイレ兼洗濯機です。

シャワーはなぜか2つついてて、

ひとつは水道水がそのまま、もう一つは温シャワーが出ます。

温シャワーは一度止めるとヒューズを入れ直さないといけない仕組みで

ON/OFFするたび火花が飛び散ってとても楽しいし

温度調節がよくわからなくてめちゃめちゃ熱いので、

大きい桶に溜めてちょっと冷ましてから使っています。

 

ちなみに洗濯機から出てる排水ホースは根本から千切れていて、

そのまま洗濯機の裏から排水じゃじゃ流し。

トイレまわりの床をきれいに掃除して

とびっきりの良い香りを漂わせながら

排水溝へと流れてくれます!こーぷちゃいらいらい!!

(洗濯したあとトイレまわりがつるつるで本当に危ない。)

 

もう終わりにしよう。

 

 

ということで、私の家の紹介でした。

お気に入りのリビングは、夜はこんな感じで、

軽めの化け物ぐらいなら召喚できそうな

不思議空間へと様変わり。

 

隣は笑福亭笑瓶似の大家さん宅、

裏も笑福亭笑瓶似の大家さん家族宅、

道を挟んだ斜め前の商店も

笑福亭笑瓶似の大家さんのお子さんの店なので、

とってもセキュア。ありがとう。

 

家はツッコミどころ満載で面白おかしく書きましたが、

大家さんも奥さんも、とてもよくしてくださっています。

これからもお世話になります!よろしくお願いいたします。

 

掃除嫌いにはつらい。

ご覧の通り、家、とんでもなく大きいです。

手軽に掃除できない。体育館用のモップ欲しい。

首都で買ったクイックルワイパーが霞む。

ほんまに要らんかった。

このクイックルワイパーが使えるのは寝室だけでしょう。

そう思うぐらいの大きさです。

 

とはいえせっかく広い家を貸してもらえたのですから

是非たくさんの人に来ていただければと思う次第です。

本当に、シンプルに、何もない所ですが、

ラオスの皆様、日本から来てくれる皆様、

お待ちしております~~~!!

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活動先で、突然生産者のおばあちゃんによる指圧マッサージが始まった話。

さばいでぃー!

任地に来て3週間が経ちました。ラオスのラオ子です。

最近パソコンで蟻を飼い始めました。

電源を入れると蟻がわらわら出てきます。

噛むタイプの蟻じゃないので、

PC壊さなかったら居てくれてもかまわないのですが、

潰すと蟻酸臭いのがちょっと難点です。

お願いだからPC内で蟻酸出さないでよね。

 

それはいいとして、最近、

色んなデータの翻訳作業や、それに伴う文献調査で

肩こりと目の疲れが限界に達していました。

肩が凝るといつも左肩がジンジンと痛くなって、

耳の後ろから肩甲骨あたりまで変なツッパリ感があるんですが、

今回はそれに加えて、左手の甲がずーっとぴりぴりと

変な痺れを起こしていました。

おそらくラオ文字を読むことに慣れておらず

書類やPCに顔を近づけすぎていることが原因かと思われます。

 

アジアあるあるですが、とにかくベッドが大きいので、

寝る前はこれでもかとストレッチしています。

しかし、部屋に机と椅子が無いこともあり、

ずっとベッドでごろごろ読書、スマホ、PCな日々では

それも相殺されるどころかマイナスです。

 

そして今日も私は、疲れた目をかっぴらき、

「目、大きくしたいの?」と言われながら

作業をしていました。

 

初めまして!の生産者さん

そこへやってきたのは、初めてお目にかかる

ODOP製品の生産者さん。

どこで、何を作っておられるのか伺って、

今度見学させて頂きたいというお話もして、

その後私は自分の作業に戻りました。

 

すると突然、事務所のソファーからすっと立ち上がって

私のデスクの前で手を合わせ、

「少しこちらに来てもらえますか。」

と、ソファーを案内されました。

 

何かお話があるのかと思い、スマホ、紙、ペンを持って腰かけると、

私の背後に立ってそこから動こうとしません。

 

なんだなんだ??

 

と思ってちらっと後ろを見ると、

手を合わせてなにかぶつぶつと言ったあと

私の背中を擦り始めました。

 

これはまさか、疲れていたのではなく

憑かれていたのか・・・?!

この人はシャーマンだったのか・・・・?!!?!?!?

 

と色々考えていると、突然マッサージが始まりました。

 

マッサージというよりも、これはもはや「指圧」。

街中にある「気持ちいい」マッサージではなく、完全なる治療。

 

「そこ自分で押さえても死ぬほど痛いんですよ」

という場所だけを、伝えてもいないのに(伝える語彙もない)

恐ろしいほどクリティカルに攻めるおばあちゃん。

私は全身の毛穴が開くのを感じました。

痛い。引くほど痛い。

 

その施術が10分弱続いている間、

おばあちゃんはODOP認証商品について

局員さんとずっとお話していました。

 

痛すぎてちょっと涙が出ました。

 

こんな小柄なかわいらしいおばあちゃんのどこに

この握力があるのだろうと不思議に思うぐらいの力強い指圧。

 

最終的におばあちゃんは腰から頭のてっぺんまで

くまなくマッサージして、私の前で手を合わせて

「ありがとう。終わりよ。仕事を続けてね」と。

 

あれ。

 

 

私の後に課のねーさんの施術が始まり、

いや本当に何だったんだコレは、と思い暫く作業していると

左手の甲の変なぴりぴり感が無くなっていることに気が付きました。

 

おばあちゃん。あの。あのですね。

 

痺れ無くなってます!!笑

 

びっくりした私はおばあちゃんに

「痛くなくなりました!!!ありがとうございます!」と言うと

ニコッと笑って「メルシーボークー。」

何もなかったかのように施術を続けています。

元フランス領だったラオスやカンボジアのお年寄りの中には

フランス語を話せる方もいらっしゃいますが、

何故私にフランス語で返してくださったのは謎です(笑

でも、プロ指圧師のおばあちゃんの突然のメルシーに

なんだか痺れました。おばあちゃんかっこいい!!

 

どういうことだ。なんてこった。

本当に本当に、背中が軽い。

 

そうこうしているうちに、次の局員さんに交代し、

いつもどっしり構えたオカン的な局員さんが

「痛い!痛い!!」とめちゃめちゃ可愛い声で泣きそうになっていて

私は少しキュンとしました。

 

彼女の職業は。

何を作っているのかをお伺いして、

てっきり生産者さんは生産者さんだと思っていたのですが、

その後よくよく聞いてみると彼女の職業は

「モー ヤー プンムアン」というもの。

ラオ語では「ໝໍ ຢາ ພື້ນເມີອງ」と書きます。

 

モー = お医者さん 

ヤー = 薬

プンムアン = ネイティブの

 

つまり、「伝統療法士」が彼女の職業だったのです。

 

このおばあちゃんは伝統療法士が本職で、

その知識を活かして自然のものからオーガニックの医薬品を作り、

ODOPの認証を受けていたのでした。

 

マッサージも1時間50000kip(=645円)で

受けてくださるそうなので、早速今度行ってみたいと思います。

前職が登録販売者だったこともあり、

薬の成分や製造工程には私も興味津々。

薬を作るところも見せていただけるとの事でしたので

早速今度お邪魔する予定です。

 

ああ~!面白い!まだまだ知らないことだらけ。

飽きたなんて言う日は来ないまま2年間が終わりそうです。

(ただし生活圏内の食事にはもう飽きました。)