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新婚旅行に行ってきました【ラオス編】

さばいでぃー!

みなさんこんにちは、ラオスのラオ子です。

前回の記事に引き続きまして、今日は新婚旅行ラオス編を書いていきたいと思います。

タイ編(済)
1月27日 夕方に日本発→28日夜中バンコク着
28日 アユタヤ観光
29日 メークロン市場観光
30日 バンコク市内観光、寝台特急でノーンカーイへ

ラオス編(この記事)
31日 朝6時ノーンカーイ着、鉄道でメコン川を渡りラオスへ
2月1日 ビエンチャン市内観光
2日 村で結婚式
3日 配属先やカウンターパートをまわりビエンチャンへ
4日 ラオス中国鉄道でルアンパバーンへ
5日 ルアンパバーン市内観光
6日 飛行機でハノイへ

ベトナム編(多分写真貼って終わる)
7日 ハノイ市内観光
8日 ハノイ市内観光、深夜便で日本へ
9日 朝に日本着

こんな感じでお届けしていく予定です。ラオスはJICA青年海外協力隊として活動した場所で、この3か国の中でも特別思い入れがあり、そして現地の人たちや現地で頑張っている隊員さんやOVたちと、濃い~~~時間を過ごしてきました。そんなところも書いていけたらと思います。

では、どうぞ!

ラオス1日目:陸路で入国、市内観光

前日の夜8時半ごろ、バンコクのクルンテープアピワット中央駅から寝台特急に乗りこみ、真っ白でシワのないシーツが敷かれたフルフラットの席に気持ちよく寝転がりました。発車後しばらくは、タイ撮影分のデータのバックアップを取って過ごそうと、久しぶりにPCを開きましたが、如何せん電波が悪くずっと3G。それでいてぶつぶつ切れてしまい、Lightroomもまともに使えなかっために、特にすることがなくなってしまいました。Spotifyも使えなくなるし、、、なんでもオンラインやクラウドで済ませるのも考え物ですね。

あー退屈だなあとスマホを触ろうにも電波がない。スマホに入っている書籍は読み飽きた。ギガめちゃめちゃ余ってるのにバックアップできひんの勿体ないなー…そういえば、タイ語の教科書、行きの飛行機以来1回も開かんかった…なあ….. なんて思っているうちに、いつしか眠りについていました。ありがたいことに、周りの乗客も静かだったため、蒸気でホットアイマスクを出すまでもなく爆睡です。

「Miss, 起きて」とやさしくカーテンを揺らされて起きると、まわりの乗客のフラットシートはすでに畳まれ、丸まったシーツと枕がそこらに転がっていました。

まだノンカイまでは時間がありそうだったので、眠い目を擦りながら最低限の化粧をして、最後のタイの景色を楽しみます。

約10時間の電車の旅は本当に快適でした。体が痛くなることもなく、トイレもわりかし綺麗なほうで、この値段でこのクオリティならケチのつけようがありません。ちなみにバンコクからノーンカーイまでは、寝台車の下のほうの席でひとり999B。1バーツは3.9円前後なので、タイバーツは4をかけたら日本円になります。

さて、ノーンカーイ到着後は、早朝の寒さに震えながらラオス側に渡る電車を待ちます。「7時にイミグレが開くからもう少しここで待っていなさい」と駅員さんが教えてくれました。しばらくすると、開いたのはラオスからのアライバル側のイミグレ。しかしそこに居るのはラオスに向かう人のみ。大切なのはパスポートにスタンプをもらう事だからね、どっちのカウンターを使うかなんてどうだっていいよね。マイペンライ(タイ語で「大丈夫」)でボーペンニャン(ラオス語で「大丈夫」)なこのゆるゆる感がなんともいえず。

「なんで日本人なのにラオ語を喋るんだ?」「なんで日本人なのにイサーン語(タイ北部の、ラオ族の人たちが話す方言)をしゃべるんだ?」と言われるのも、おそらくこのイミグレが最後です。タイの人たち、私のほぼラオ語のナンチャッテてへぺろ残念タイ語を聞きとってくれてありがとうございました。いつかは「タイ語が上手だね」って言ってもらえるように頑張ります。

そうそう。アユタヤについた時、トイレットペーパーを買っておこうと思って商店に行き、店のおじさんに「チアアナマイ、ミーマイカ?」と聞いてみたのですが、「わからん」「なんのことや」という顔のあと、生理用品を持ってきてくれるということがありました。先に画像を見せたらよかったのですがもう一押し試みて、「ティッス↑ゥ↓ホンナム」でようやく伝わり、それでもロールタイプでなく箱型のものを持ってきてくれたので、最終的に画像を見せてロールタイプを持ってきてもらいました。

タイ語でトイレットペーパーは「クロダ チャムラ」。チャムラはあとから調べたら「支払う、綺麗にする」とか色々な意味があります。タイ語やラオ語は共通して、被修飾語が先に来るという性質があります。「クロダ」が「紙」という意味ですので、「綺麗にする紙」で「トイレットペーパー」になるのです。

わたしはこの「クロダ」に聞き覚えがありました。10年前に住んでいたカンボジアで同じ単語が使われていたからです。「プカークロダ」は、「プカー(花)」+「クロダ(紙)」で「紙の花」、ブーゲンビリアのことを指します。動詞などの基本的な1音節語だけで見るとカンボジア語とタイ語は遠い親戚、タイ語とラオ語は兄弟みたいな距離感かなと感じていますが、サンスクリット語からきている言葉は割と共通している部分が多いので、カンボジア語の習得にもじりじり近づいていけると信じてタイ語の勉強をしてみたいと思います。

話が逸れましたが、無事にノーンカーイを出発した電車は、静かに静かにまっすぐな線路をすすみ、メコン川を渡りました。橋を渡っている途中、タイの国旗が等間隔にたてられているのですが、それが1本だけ黄色い旗になり、そのあとラオスの旗に変わります。それが国境を越えた証。赤白青、同じ配色で作られた国旗ですが、それがラオスの国旗になった瞬間、「ただいま」と胸が高鳴ります。

ラオスに!10か月ぶりに!かえってキターーーーー!

ラオス!ラオス!ラオス!ラオス!!!

ラオス側のターナレーン駅から首都ビエンチャンの中心部までは、乗り合いバンで向かいます。しかし、乗り合いバンに乗り合ってくれる外国人が一人もいなかったため、全額わたしたちで負担することに。その額600バーツ。正直「高い!!」と思ったのですが、この場に一人しか居ないドライバーの言い値に高いだのなんだのケチをつけるのも野暮だと思い、交渉は特にせずバンに乗り込みます。聞けば、ラオスのガソリンは今や20000KIP越え。わたしが居たころ10000KIP前後だったことを思い出し戦慄しました。レートで見ても、生活費をドル支給してもらっていた隊員時代は1ドル=9000キープを超えたらうきうきしながら多めに現地通貨に変えていましたが、私が知るなかでは、再赴任されたころの街中両替所で1ドル=17500キープまであがっていました。

そりゃ物価もあがるわけだし、この人だって600B欲しいに決まってる。私だったら700バーツ欲しい。

その後私たちは、タートダム近くのおいしいカオピヤックを食べ、大使館近くのおいしい日本食レストランで久しぶりの日本の味に昇天し、タートルアンでお参り・・・と、THE☆観光客なコースでビエンチャン市内を散策しました。

昼から、ずっといきたかった「Lily Spa」にハーバルボールマッサージを受けに行ってきたのですが、お値段は他に比べれば高いものの、その期待値をはるかに超えてくる素晴らしいサービスと技術でした。タイでは連日、重いリュックを担いで歩きっぱなし。実は、タイを去る日にも街中スパでハーバルボールを受けてきたのですが、ダチョウ倶楽部かよっていうぐらい「あちあちあちあち!!!」とリアクションさせられ、リラックスどころではありませんでした。ガーゼに薬草をパンッパンに包んで蒸したものを体にじんわりと押し当てるのですが、びちゃびちゃのハーバルボールから熱湯がジュワッとあふれ出してくるのです。がんもを直置きされている感じです。私は膝裏を見事に負傷し、あせものようなブツブツが大量にできてしまいました。平たく言うと火傷です。そんな平均以下の施術の翌日ということもあったせいか、余計にクオリティが高く感じられました。ああー、幸せだったなあ。とろけるような1時間半でした。これからは、他の費用をケチッてでも、ラオス行くたびに行くと思います。

夜は、ずっと会いたかった現役隊員さんとナダオでフレンチ。私が10か月前ラオスを去るときに、活動が軌道に乗り始めていた彼女は、ゴールを目前に最後のラオス生活を噛みしめているところでした。貴重な残りのラオス時間で会ってくれてありがとう!

まだまだがらんとしたビエンチャンですが、それでも渦中だったあのころと比べればずいぶんと活気が戻りました。1年前のビエンチャンは、ワットインペン前のバス通りを夜一人で歩くのも怖いぐらいでしたが、川沿いのナイトマーケットも再開され、Angoさんの前の通りは端から端まで屋台が並ぶ歩行者天国、おかず横丁も人でにぎわっていて、アフターコロナの中でふんばっている様子が垣間見えました。

ラオス2日目:結婚式後撮り、市内観光

ラオス2日目、午前中は結婚式の後撮り。ラオスの民族衣装を着ての撮影で、ヘアメイク+衣装+撮影1,000,000KIPでした。8000円弱でこんな体験ができるなんて、ラオス最高。

このときでないと絶対に着れない色がいい!という強い思いがあったので、金色を選びました。以前参加したラオス人の友人の結婚式で、花婿と花嫁が全身金色の衣装を着ていたからです。

夫は出演NGなのでソロショットを…。着つけてくれたお姉さんによると、このシンはアルアンパバーンスタイルだそうで、織りの上に立体的な刺繍が施されています。実物を見るととても高価に見えます。

印刷は要らないからデータだけちょうだいと伝えると、それならもう取りに来てもらう必要もないから、Whatsappだけ教えて~と言われて連絡先を交換。夕方ごろに「できたよ~」というメッセージと共にGoogle Driveの共有リンクが届きました。なんという簡単受け取り。開いてみると80枚の写真が。

日本人は良い人多いから撮影楽しいわ~といいながら色んなポーズを指示してくれたクールなお兄さん、「じゃあ最後にフリーポーズで」と言ってくれたので夫が持っていた短剣を鞘から抜き、上段の構えで夫に切りかかるポーズを撮ったのですが、その時ばかりはケラケラ笑っていました。うけてよかった。

すっかりお腹がすいた私たちはJICA事務所近くのおいしいカオマンガイを食べ、ビエンチャンで一番渋くて好きな寺「ワットシーサケ」、バーシーしている様子が見られる「ワットシームアン」、そしてコロナのせいで数年間「カミングスーン」だった待望のスターバックス1号店へとひたすら歩きました。

スターバックスでデミタスカップとベアリスタを買う予定だったのですが、デミタスカップが売り切れで普通のマグに。か、かさばるー!ですが、接客はさすがといったところで、タイで数年OJT受けてきたかな?と思うぐらいスムーズなオペレーションでした。7か月だけ働いたナンチャッテスタババイトの私など足元にも及びません。

その後は、お土産屋さんやショッピングモールをだらだらとまわりながら、煙がのぼりはじめたおかず横丁で焼き鳥をつまんで夕飯へ。以前、ラオス料理に精通している方に連れていっていただいた「スックヴィマーンレストラン」で、現役隊員さんたちとキンカオ。村で食べ慣れたラオス料理とは違う上品なお味。清潔なレストランでおいしいラオス料理が食べられるので、初めてラオスに行く人を連れていくのにちょうど良いお店です。

ラオス3日目:村で結婚式

ラオス入国3日目は、わたしが活動していた村への移動日です。いま一緒にブランドの製品開発を頑張っているお母さん(ブランドのロゴの女性です)の村へは、お母さんの車で移動しました。わざわざ首都まで迎えにきてくれた妹は、車の中で藤井風の音源をかけ、「この歌の意味何なん?」と聞いてきます。よく売れているアーティストだということは知っていましたが、藤井風をちゃんと聴いたのはこの日が初めて。「死ぬのがいいわ」をラオス語で説明しろというのは、まだまだラオ語ビギナーの私には難しすぎました。ざっくり意味を説明したら「え、危ない歌やなw」と笑っていました。多分伝え間違っている、ごめん。

村について、しばらく近所をぶらぶらしました。よく買い物にきていた市場には、色とりどりの野菜、川魚、しめたてのお肉がずらりと並んでいます。そのなかに、日本では絶対見ないであろうアリのタマゴが。私は食べなれたものですが、夫はもちろん初めまして。見ているだけで体がかゆくなりそうです。

その後私たちは、村の美容室でメイクをしてもらい、生産者さんが用意してくれた民族衣装に着替えました。ハネムーンでラオスを訪れたわたしたちに、生産者さんと家族親戚、村の人たちがバーシースークワンという儀式をしてくれたのです。

バーシースークワンとは、バーシー(吉祥のお供え物)をクワン(魂)へ、という意味であり(スー=~へ)、人の体に宿る32個の魂を体につなぎ留めておくための儀式で、それらの魂が出ていってしまうのが人生の節目だと言われています。そのためバーシースークワンは、旧正月のようなラオスの人たちにとっての大切な行事の際にはもちろん、出産、上棟式、留学、協力隊でいえば活動を終えて日本に帰るときなどに、このバーシースークワンが開かれます。

祭壇の中央から伸びた白い糸は「ຝ້າຍຜູກແຂນ ファーイプックケーン」、腕に巻く綿の糸という意味です。ラオ族の人たちは、白色は純粋さ、新鮮さ、無垢さを表すと考えており、バーシースークワンの際はこの真っ白な綿糸が用意されます。

お正月の場合は、祭壇から伸びるファーイプックケーンを参加者皆で持ってご祈祷が始まりましたが、今回は私たちがお祝いをしていただく立場だったため、ファーイプックケーンは私と夫に一本ずつ結ばれました。

バーシーに来てくださった方は、着席の際や儀式中に、祭壇のマリーゴールドの間にお金を挟んでくださいます。活動期間中お世話になった方からも、この日のために来賓として来てくださった方からもいただきました。ガソリン5リッター分。決して安い金額ではありません。ありがたいことです…。

儀式を執り行うのは「ໝໍ­ພອນ / モーポーン」と呼ばれる祈祷師で、辞書で見てみるとこのバーシースークワンで祈りを捧げる方のことを指すのだそうで、広義のシャーマンには別の言い方がありそうです。​モーポーンが祈りを捧げてくださっているあいだ、私たちはこの祭壇に手を添え、私たちの後ろに座っている参列者の方々は私たちに手を添えて、皆でお祈りをします。モーポーンが何を話しているのかは私にはわかりません。こちらも後で調べてみると、仏教と「ສາ­ສະ­ໜາ​ພາມ / サーサナーパーム」、パーム教という宗教の混ざったものだという風にラオ語のウィキには書かれていました。サンスクリットとパーリということなのでしょうか?サーサナーパームが気になって夜も眠れません…。

ちなみに「モーポーン」は、「モー / 医師、祈祷師など」と「ポーン / 祝福」を組み合わせた言葉です。人の人生の節目を祝福する祈祷師…、なんだか名前だけでもありがたい感じがします。

さて、20分以上にわたるお祈りの間、たまに参加者で「あーーー」と声を上げる場面があったり、後ろのほうからマリーゴールドの花びらが飛んできたり、マリーゴールドを酒に浸して手のひらを清められたり、最後は固めの杯といいますか、シャーマンが最初にショットグラスでお酒をぐいっと飲み、そして夫へ妻へとグラスが渡っていきます。

今回、私たちはお土産に日本酒を2本持って行ったので、日本酒を注いでくれました。(ラオスのお酒は度数が高く下戸には辛いので、ありがたいです)

それが終わったあとは、モーポーンから順に、私たちの手首にひもを結んでくださいます。モーポーンは、黄色とオレンジの色付きのファイプックケーン。そのあとは白のファイプックケーンを、みんな代わる代わる両手首に結んでお祈りをしてくれます。

また来てくれてありがとう。結婚おめでとう。悪い魂が出て行って、良い魂が入ってきますように。健康な子供がたくさんできますように。互いに永遠の愛で結ばれますように。お金に困らず暮らせますように。この旅が良いものになりますように。無事に日本に帰れますように。

皆の気持ちが、私たちの両手首に結ばれていきます。その間、私たちのてのひらには、茹でた丸鶏がのせられています。場合によって、ゆでたまごだったり、お米だったり、お金だったり、お菓子だったり、いろんなものを握らせてもらいましたが、活動を終えて本帰国するときに開いてもらった3回のバーシーはどれも同じように茹でた丸鶏でした。主賓は鶏、とか決まりがあるのでしょうか。

マリーゴールドがたくさん飾られた祭壇は「ພາ ຂວັນ / パー クワン」と呼ばれています。クワンは魂ですが、被修飾語の「パー」は何でしょうか。辞書で引いてみると、「ピラミッド型の祭壇」とでてきたので、このまま固有名詞として受け取ってもよいのでしょうが、動詞だと「導く、連れていく」という意味を持ち、名詞になると「お皿」、パーリ語由来の言葉としてみると「太陽、光線」といった意味も出てきました。どの言葉もこの儀式にぴったりなものだと思いました。明るい未来へ導いてくれるような儀式だと思うし、1本の糸で繋がったみんなの想いが集まる受け皿のような役割をこの祭壇が担っているような気もするし、幸せを願って糸を結び合うあの空間は陽だまりのような温かさを感じるし….。

手首に紐を結んでもらうのがひと段落ついたとき、入口のほうから男性が5人ぞろぞろと入ってこられるのが見えました。額装された賞状を持った方は、私が隊員だったころに2度ほどお会いした副県知事。日本に留学されていたことがあり、流ちょうな日本語で話しかけてくださったので今でもはっきりと覚えていました。活動に対する「表彰状」と、表彰状授与にあたって行政内でやりとりされた許可証のようなもの(ラオスっぽい!)、カゴに盛られたたくさんのODOP(一村一品)商品をいただいたのですが、急なことでびっくりして終始ポカンとしてしまいました。村の人たちにバーシースークワンをしていただいただけで胸いっぱいだったのに、10か月ごしにこんなご褒美までいただいて、幸せがキャパオーバーして処理が追いつきません。

この表彰状をいただくために、JICAラオスに派遣期間についての問い合わせがあったり、いつも多忙なカウンターパートが書類作成してくれたりと、色んな方が動いてくれていたことを後から知りました。そして、表彰を受けるきっかけになったのは、県知事がとある調印で生産グループを訪れた際に私も同席しており、その時に活動の話や日本に帰ってからも自分のライフワークとして活動を続けていきたいことなどをお話させていただいたことだったそうです。あの時のちょっとした会話を覚えていてもらえただけでも光栄です。

そんなこんなで、バーシースークワンが終わった後は、皆でおいしいラオス料理を囲って食事会がはじまりました。食事中に新しいゲストがお祝いにきてくださったら夫婦で祭壇の前に移動して紐を結んでもらい、祝福の言葉を受ける。以後繰り返し・・・というのがしばらく続きました。大好きな村の人たちや、すでにどこかの会食でできあがってきた同僚たち、元上司、配属先の他の課の人たち… たくさんの、本当にたくさんの人たちがお祝いしにきてくれました。

夫はひたすらビアラオとラオカオ(ラオスのお米でつくられた蒸留酒)をちゃんぽん、私は日本から持ってきたサケをついでまわり、アラシックス世代の方が集まってくださったにもかかわらず4合瓶2本があっというまにカラになりました。隊員時代、80歳を超える生産者さんが昼間の儀式でハイネケンをキメていたのを二度見したのを覚えていますが、今回もみんなすごい。

日本のパデーク研究家を唸らせた、村のパデーク名人のゲーンノーマイ(たけのこスープ)、牛のラープ、ナマズの丸焼き、ドークゲー(何かの花)とコブミカンの葉の揚げ物、サラダ… 他にもたくさんの食事が並びました。主食はもちろんカオニャオ(蒸したもち米)。私は、茹で鶏のつけダレだけでカオニャオ3合いけるぞってなもんで、ブライダルダイエットで6㎏落としたのはここで何の憂いもなく満腹太郎になるためだったんだと信じて疑いませんでした。

夜は近くのゲストハウスに泊まりましたが、この旅最安の1泊250,000KIP。せっかくの新婚旅行だからと、ホテルステイする時間が少ないにもかかわらず夫はラグジュアリーなホテルばかり選んでくれていましたが、村にはそういう場所もありません。ちゃんと休んでもらえるかなあと少々不安でしたが、はち切れんばかりに食べ、サケとラオカオとビアラオをちゃんぽんした夫には関係なかったようでした。あっぱれ、村の人たち。

ラオス4日目:元同僚たちとキンカオ、キンビア

翌日は、村から少し離れたナムグムダムとダム湖に連れていってもらい、しばしこの景色を楽しんでから、元配属先である県庁機関へ。各部屋を回って挨拶し、「ハネムーンに来たら旦那さんをつれてくるのよ!!」と帰国前に何度も何度も何度も言われた約束を果たしました。

そのあとは、私が住んでいた家の隣にある大家さんちを尋ねました。私の話をするたびに涙ぐむという、隣の仕立て屋さんも呼んでもらい、みんなにお土産を渡して、今回は滞在時間が短くて村に滞在できなくてごめんね、今度また来たときは皆でごはん食べようね、と約束。そのあとは私が「お姉さん」と呼ぶ隊員時代のカウンターパートの家で昼食をいただきました。焼いた豚肉にピア(胆汁)のディップ、ピアのスープ、ラープと、本格的なラオスの家庭料理。10か月前はこの家でトカゲと蟻の卵のラープをいただきましたが、その前も山間部の出張帰りにでっかいトカゲのようなイグアナのようなものを買っていたり、この家にお邪魔させてもらうと、「そろそろラオス料理も慣れてきたなー」っていう自分が外国人だったことを思い出させてくれる料理が出てきます。大好き。

「庭の景色、たくさん写真に撮っておくのよ。そしたら私と家族のことが恋しくなっても写真を見て村を思い出せるでしょ」というお姉さん。当たり前のように愛してくれて、私も同じように愛していると信じてくれている、そんな言葉に感じられました。つらくてしんどくて何度も自分の無力さを悲観した隊員時代、あなたの優しい言葉になんどもなんども支えられたよ。本当にありがとう。

そのあと夫はお姉さんの息子と汗だくになりながらサッカーをし、くたびれたKEENのサンダルが壊れるのを恐れた私は撮影係を理由に見守りました。そのあと子どもは水浴びへ、私が帰国したあとに生まれた娘ちゃんはカオニャオとかぼちゃの離乳食を食べ、あれこれ用事を終えてから、同じ課で働いていた職員の弟の家の上棟式へ。飲む、食べる、踊る、飲む、食べる、踊る。隊員時代は辛さすら感じていた「キンビア(飲み会)」がこれほどいとおしく思ったことはありません。

カウンターパートに、生産者さんの家まで送ってもらい、そこで仕事の話や頼んでいた商品の検品、日本での販売実績や商品のフィードバックなど仕事の話をちゃちゃっと済ませて、私たちはまた妹の車で首都のホテルまで送ってもらいました。

今回1泊あたりの値段が一番高かった「ダバラブティックホテル」の最上階のスイートルーム。最上階は1部屋しかありません。玄関を入ってすぐ大きなキッチンが目に飛び込んできます。

3部屋あり、キングベッドの寝室ーリビングーキングベッドの寝室と繋がっています。なんて豪華…。7時前にチェックインして、翌日もゆっくりできないなんて勿体なすぎる。

そのあとは隊員時代に大変お世話になった2人と合流して、鍋と焼き肉のハイブリット「シンダード」で満腹に。なんかこの日の写真少ないなあと自分で写真を見返しながら思ったのですが、旅も折り返し地点を超えて相当疲れていたのか、ラオスが「日常」に戻ってきて「ふつう」にカメラをむける機会が減ったのかはわかりません。多分、どっちもです。

ラオス5日目:初ラオス中国鉄道!ルアンパバーンへ

この日はルアンパバーンへの移動日でしたが、ルアンパバーンへの電車は午後の便。午前中はホテルでゆっくり充電して、パトゥーサイに出かけました。その前に、パトゥーサイの近くの釣具屋さんへ。釣り好きな方へのお土産に「ASHINO」のリールと、夫はバレットシンカーを購入。

バレットシンカーの棚にはキリが置いてあって、自分で穴があいているか確認するスタイル。可能な限りの不純物を混ぜに混ぜたような、柔らかくしっとりとした質感のバレットシンカーたち。そりゃ日本のタングステン製に比べれば10分の1ほどで買えるかもしれませんが、何に使うの…。

DAIWAのクルセイダーが420バーツで売られていたのは、、、何事!ほんまもんなんですかねえ。この価格ですしそうであってほしいですけど。

そういえば!円安で日本経済が大打撃を受けているのと同じように、ラオスキープも一時に比べれば落ち着きはしましたがまだまだキープ安。この店、前に訪れたときはキープで言ってくれていたような気がしますが、店頭表示がバーツに変わっていたのが気になりました。ホテルも、レストランも。ドルやバーツで提示があって、「ラオスキープならいくら」と聞いてはじめて自国通貨が提示される状態。金融素人にもラオス経済の大変さが伝わってきました。頑張ってくれラオス…!

そのあとはパトゥーサイを見学して、町をぶらぶら、ラオス南部の名物「カオピヤックパー」を首都で食べてみたり、スムージー飲んだり、スーパーでお土産買ったりしてビエンチャンでの時間は終了。

このパトゥーサイの真下から覗き込んだ写真、行くたびに撮っている気がします。絵になるなあ。綺麗だなあ。美しいなあ。

さて、ここからいよいよ、ラオスでのバーシーに次ぐイベント、「ラオス中国鉄道でルアンパバーンに行く!」です。

開通当初、買い占めや転売が横行して全くチケットが買えなかった時期がありました。(私のFacebookでも何度もチケットの写真を見ました)今はそれは無くなったようですが、決められた場所に並びに行かないと買えなかったり、外国人はパスポートの提示が必要らしかったり、なんだか煩雑そうです。アプリも一応できたみたいですが、日本からは購入できず、現地に行ってからできるかどうかも怪しかったので、今回は現地の旅行会社に頼みました。ラオス国立大学内のLJIで1か月だけラオ語を勉強したときに、ホームステイ先の人に連れて行ってもらった出家式で同じ席にいたお姉さんの旅行会社です。向こうが覚えてくれているかも定かではありませんが、Whatsappでやりとり→BCELoneで振込という手順で何度か航空券を頼んだことがありました。「〇月〇日からのスペシャルプロモーション!!」とラオス航空が告知したときも、「あれ取れたら取っといて~」でちゃんと用意してくれていたので、私はこの会社をめちゃめちゃ信頼しています(笑)

10か月前の帰国の際、隊員は銀行口座を閉じなければならない規則になっていて、今回はBCELoneが使えませんでした。現金手渡しするから、ホテルまでチケット持ってきて~とロケーションを送っておいたら、当日朝にきちんとホテルまでデリバリーしてくれました。毎度お世話になります。

ちなみに発券手数料は、1枚あたり150,000KIPでした。それでチケットを取ってホテルまでデリバリーしてくれるなら安いものです。

ダバラブティックホテルからタラートサオ横の中央バスターミナルまでトゥクトゥクで移動し、そこからバスで駅まで行こうと思っていたのですが、どうやら私がネットで見つけた情報が古かったらしく、「その時間のバスはないよー」と言われてしまいました。流しのトゥクトゥクを捕まえたら100,000KIPで行ってくれるというので、最後はLoca(ラオスのタクシー配車アプリ)を使わずトゥクトゥクでビエンチャンの風を切って駅まで向かうことに。

注意書きや案内に英語が見当たらなかったところに、なんともいえない中国資本感を感じました。

入口でパスポートとチケットチェック、そのあと荷物のX線検査と、厳重な警備のもと中へ。特に時間をつぶせるような場所があるわけではないですし、座席も指定席なので、張りきって早めに行く必要はなかったかもしれません。

発車時間の少し前まで、ホームへのゲートは閉まったままになっていますが、ゲートが開く少し前から長蛇の列ができました。お坊さんや、特別なサポートが必要な乗客とその家族が先に通され、ついに私たちの番です。

ホームに出て見渡してみると、ルアンパバーンに向かうこの電車は16両編成で、日本の新幹線より少し短いぐらい。コンコースに居た人たちを見渡して「こんなたくさんの人みんな入れるんかな」と思っていたのですが、なるほどこれなら。

座駅は指定で、2席ー通路ー3席。座席は回転させたりできないので、車両の中央あたりに謎のテーブル席があって、そのテーブルに向って両側から座席が向いています。

Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ Ⅼ テーブル 」」」」」」」」」」」」」」」」」 こんな感じ。

車両の半分の人は進行方向と逆側を向くことになります。

ラオスの原風景ともいえる、こんな素敵な景色を見ながら過ごす2時間弱。単線のため、反対側からくる電車の通過待ちなどで途中の駅で待機する時間も何度かありましたが、足元広々、コンセントもついていて、快適に過ごすことができました。倍ほどの値段になりますが、次はフルフラットのビジネスシートに乗ってみたいです。

そんなわけでルアンパバーン駅に到着。駅を出ると乗り合いバンが所狭しと並んでいます。しかし聞いてみると、ここに並んでいるバンはすべて北部の地方に行くもので、ルアンパバン市街地には行かないとのこと。駅の出口を出たところは地上階から1段あがっているのですが、この階はすべてそういうバンが停まっているよーと駅員さんが教えてくれました。

地上階に降りるエレベーターかその隣の階段で地上階に行き、テントで市街地行きのチケット(35000KIP)を購入すると、その奥にとまっているラオス中国鉄道カラーのバンのおじさんたちが声をかけてくれました。

このロットゥでホテルまで送ってもらいます。後部座席もあいているのに、なぜか運転席横のシートを案内された私たち。ま、景色が見れてありがたいからいいやーと思って乗りこむと、市街地へ向かいながら「明日の予定は決まってるんか?」と。なるほどそういうことか。「日本人やろ?JICAか?おっちゃん昔、JICAに月給もろて運転手してたことあんねん」「私もJICAのボランティアやってん」ということでおっちゃんを簡単に信頼し、旅程を伝えてソンテウドライバーの弟さんを紹介してもらいました。街についてから良さげなドライバー探しする時間が短縮できて助かりました。

夕飯は、隊員時代の戦友(?)たちとピザ!旅が始まってから初めてのピザでおいしさは10万倍、当時の懐かしい話に花が咲きました。

ラオス6日目:ゾウで森散歩、市内観光

この日、朝6時ごろに目が覚めたので、カメラを持ってルアンパバーンの街散歩に出かけました。お目当てはもちろん托鉢。ルアンパバーンは4回目ですが、まだこの風景を見たことがなかったので、ちょっと感動。明日は自分も托鉢させてもらうぞーとわくわくしながら、街中をぶらぶらします。

日中のうだるような暑さからは想像できない澄んだ空気に、輪郭が揺れているように見える、ラオスの朝夕のとくべつな時間が大好きです。ルアンパバーン、バンビエン、ビエンチャン県の自分の村も。ボリカムサイで見たメコン川の夕日も忘れられないなあ。パクセーの夕焼けもでかくてとっても素敵だった。ラオスも日本のように縦に長い国なので、北と南で景色も植物も野良犬の足の長さの平均値(当社調べ)も違っています。

あと2日しか見られないこの景色をかみしめて、Saffron Coffeeで朝カフェ。アーモンドプードルが贅沢に使われているであろう、しっとりどっしりとしたレモンケーキがあって、ここに来るたびに食べています。唾液が少ない日本人が美味しく食べられるしっとり生地、そしてアイシングがこれほどたっぷりかかっていてもなお丁度良い甘さ。これになかなか出会えないんですよねー。

そして私たちは、前日に予約したソンテウのお兄ちゃんに迎えにきてもらってルアンパバーン観光へ。まずはゾウ乗りです。

ひとり2000円ほどで30分間、ルアンパバーンの森の中をひたすら散歩してくれます。「川には入らへんの?」と聞くと「この時期は寒いから無理なんよな~」とのこと。この像さんは40歳ぐらいだそうで、お腹がすいたのか好奇心旺盛なのか、時折草むらに頭をつっこんでバキバキと音をたてていました。

受付のお兄ちゃんにスマホを渡し、動画と写真適当に撮って~と頼んだのですが、いろんなアングルからあの手この手で、つきっきりで撮影してくれました。

撮影してくれたお兄さんにはお礼のチップを、乗せてくれたゾウにもお礼の餌を・・ということで、サトウキビやカボチャ、バナナがてんこもり入ったかごを50000KIPで買い、小屋のゾウさんたちにエサやり体験をしました。動物が大好きな甥姪とLINEでテレビ電話を繋いで、いまゾウさんにごはんあげてるよ~なんて話をしながら、メスが4頭、オスが2頭の合計6頭にえさやりしました。

そのあとはクアンシーの滝へ。何度来てもいいですね。泳ぐこともできますが、私たちは水辺のアクティビティは釣り以外あまり興味がないので、魚見つけては魚種がどうとか、こないだ食べた魚の稚魚じゃないのかとかそんなことばっかり話していました。

日本には生えていない植物、日本では聞こえない鳥や虫の声、五感で楽しみながら森の中を歩いて、滝をぼーっと見て、飽きたらだらだら引き返してごはん。川のそばで、昼間っからビアラオ頼んで、ハーブたっぷりのルアンパバーンソーセージと、レモングラスの束にひき肉をつけて焼いたやつ(名前忘れました)をキメる。私はソーダウォーターで十分。

そのあとはバッファローファームで水牛アイスを食べ、街に戻ってスーパーで買い物して、ソンテウのお兄さんに支払ったのは60万キープでした。指定時間には待っててくれてて、おだやかで、嫌な顔せず待ってくれて、とても心地いい人だったので、翌日の空港送迎もお願いしました。

ちなみにスーパーで買ったのは、タイコスメ(タイで買え)、カピ(タイで買え)、ビアラオのルアンパバーンバージョンなどなど。

そのあとは市内でラオス料理を食べ、ナイトマーケットを回りました。ナイトマーケットは、以前よりお店の数は減っていたものの、ルアンパバーンらしいナイトマーケットといいますか、めっちゃゆるい刺繍小物や年間100日ぐらい着たくなるTシャツ、ご先祖のデフォルメ神様「ぷにゅにゃにゅ」の置物など、ここでしか買えないお土産がたくさんあって目移りしてしまいました。

ラオス7日目:托鉢、カオソーイ、そしてハノイへ

朝いちばんは托鉢。5時40分にティップカオ(もち米が入った竹かご)をホテルで受け取り、ホテル前に準備されている茣蓙に座って、お坊さんが托鉢に来られるのを待ちました。私はラオスの民族衣装の正装、夫も結婚式でもらった肩掛け布を巻いて待機です。隣にいらっしゃった老夫婦が話しかけてくださると、数十年アメリカに住んでいるとのことで英語ぺらぺら。英語で話してくださるのですが、寝起きの頭で英語スイッチが入らず(入ったとて残念なレベル)結局ラオ語に戻る、というのを繰り返しました(笑)「もうすぐ回ってくるから」「お寺は10あるからね、お坊さんの行列も10個通るから調節しなさいね」と色々教えてくれました。また、JICA隊員あるあるだと思うのですが、「〇十年前に〇〇に配属されていた〇〇さんは元気なの?」と知らない先輩隊員のお名前が。こういう会話になるたびに、わたしもそうやって、何十年先にふと思い出してもらえるぐらい関係を深められていたらいいなあと思います。

托鉢が終わったら、二度寝、朝カフェを済ませて、荷物をまとめてチェックアウト。飛行機の時間まで町ぶらです。

世界遺産の街ルアンパバーンの、ナムカーン川とメコン川の半島の丁度先端あたりに位置する、ワットシェントーン。何度行ってもこの外観の美しさ、とりわけ屋根の渋さにはぐっときますね。一枚上の写真が本堂の中の様子なのですが、細部にも装飾が施されていて本当に綺麗です。

お昼ご飯はルアンパバーン名物の「カオソーイ」。ぴり辛トマト肉みそ麺です。肉のダシ感ががつんと効いたスープに平たい麺がよく合います。ルアンパバーンに来たらこれを食べないと始まらないし、終われないですね。

ルアンパバーンは、ハーブたっぷりのソーセージ「サイウア」や、川海苔の味付け海苔「カイペーン」など、私の好みのものが多くて魅力的です。前日の晩にちょっとお高めのラオス料理レストランで食べた「オ」という料理も、うまく言語化できないのですがビエンチャンの「オ」と違っていて、香り豊かでとてもおいしかったです。(オとオラームが違う食べ物なのか、大きく分けると何種類ぐらいのオがラオスに存在するのかとか気になり出してしまいました…ラオス行かなくては笑)

町の中心部にある市場。これはフアパン県サムヌア地方の本気のシンだと思いますが、この色とりどりの細かい織り、浮き織りや絣を駆使した唯一無二の美しさ、もし私がお金もちだったら「ここからここまで」って全部買い占めているところですが、そうではないので今回は何も買わずに帰りました。私のブランドtheobaanは、ブランドストーリーに「暮らしに寄り添う」という言葉を使っていて、がしがし洗って着てもらえるような布地を選んでいますが、もう少し在庫を持てる力がついてきたら、こういう布も扱っていきたいなあと思っています。

そのあとは、私の次の隊次でやってきた協力隊員たちが立ち上げたお店「LuLaLao」さんを訪ねました。突然の一時帰国やコロナ禍での活動、色々な困難を乗り越えてまたラオスに自分たちの力で戻ってきた、バイタリティーあふれる二人とは、話がとまらん!そしてコーヒーが美味しすぎる!ラオスのコーヒー豆のポテンシャルって、やりようによってはこんなに高まるんだなあと感動しました。またコーヒー飲みにいくね~。

つづく

は~~~これでようやくラオス編が終わりました。滞在が長く内容も濃かったので、書くのになかなか時間がかかりました。1月27日に日本を発ってここまでで11日!ラオスでの一週間は、隊員に戻ったときのような「村のキンビア」もあり、首都と村とルアンパバーンそれぞれの雰囲気も楽しんでもらいつつ、精神的に満たされた時間になりました。

さて、ここからまだハノイ編が続きます。最後までお付き合いいただけますと幸いです!

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商品開発第1弾『クラッチバッグ』のあれこれ。

さばいでぃー!

最近ずっと旅行のことばっかりで、活動について何も発信していませんでしたが、やっと一つ大きく動かせました。今日はその事について書いていきたいと思います。

 

 

ほんとはオークパンサーの事とか書きたかったんですけど、発信できるような情報量にならなかったので語学の鍛錬を積んで来年再チャレンジしたいと思います(笑)

 

「何を」作るか

日本では商品を売る立場で仕事をしてきて、目の前のものをお客様にどうやって販売するか、ということはたくさん考えてきましたが、商品開発に携わったのはカンボジアでの2年だけ。でもその間にお客様や会社から教わった事はとても多くて、今の私ではまだ全然消化しきれないような事ばかりです。

 

ラオスに来てからは、どこへ行ってもお土産屋さんを巡り、店内の商品を穴があくほど観察しました。「これだったらお金を出してでも買いたい」と、「私だったら買わないなぁ」は、ただ作って終わりにしないための、お客さん第1号となる自分の一番大切な声です。来た当初は殆どのものを見て後者だったのに、自分がものの無い環境に居るとハードルが低くなるのかなんなのか、あれも欲しいこれも欲しい、そして安いと思っていたものも「高い」と思うようになり、ターゲットとなるひと、もの、こと、それを判断していく自分をどこに置くかは難しいと感じています。

 

私には、表現者や作家として、それ自体に絶対的な価値を与えるようなものづくりができるような才能も知識もありません。デザインや縫製は私が教えてもらいたいぐらいだし、染色や織りについては、教えてもらうことすら大丈夫です、という感じです。布のことはどんどん好きになっていくけど、技術の面では全く明るくないのです。だから、そういうことは今まで何十年もやってきている村の人たちに任せることにしました。

 

だからこそ、「自分が使う側だったら」を考えて、何が欲しいか、どんなものだったら買いたいか、どんな人に贈りたいか、どんな物を貰ったら嬉しいか、たくさんシミュレーション。

 

そして「自分が売る側だったら」も考えて、どんな商品だったら、どんな価格だったら、どんな性質のものだったら、運びやすく、海外にも送りやすいか。そして、売りたい対象に、どんな風に説明できるものが売りやすいかも、考えて考えて、考えまくりました。

 

他方、生産者さんたちと関わるなかで、自分に手伝えることは何か、どんな商品作りの方法がこの村・この生産グループに合っているかというのも、単に「売れるモノをつくりたい」のとは違う、ODOP(一村一品)や地場産業そのものの発展のために、明確にしておくべき事項のひとつだと痛感したのです。

 

その中で、自分自身が感じた「あったらいいな」は次の3つでした。

 

ユニセックスな小物

圧倒的に足りないのはコレだと思いました。

 

ラオスの小物はどれも可愛い。アジアン雑貨好きの女子には間違いなくウケる。見てください、ウケすぎた結果の私の棚です。

 

ラオス小物でない貰い物が混ざってますが、それもあいまってカオス状態。

 

けれど、男性に贈るとなるとちょっと違う。可愛い刺繍、華やかな織り、意味の分からないぬいぐるみ、ピアス、ポーチ。私にとってはどれも宝物ですが、男性に贈るとなるとどれもピンとこない。男性向けのお土産もありますが、名刺入れやネクタイ、可愛いけれど、ビジネスユースには向かない。

 

それで思いついたのが、今回つくったクラッチバッグでした。クラッチバッグといっても、それだけを持ち歩くような類のものではなく、タブレットや書類、ステーショナリーなどをがさっと入れられるようなもの。これなら、布で、いける!

 

かさばらず、壊れない

ものの性質上、竹細工を外さざるをえず、まだまだ私のアイデア不足なのですが、布×竹は難しいし、竹オンリーになると更に難しい問題です。日本やタイの竹細工を見てしまうと、「私が旅行者だったらわざわざラオスで竹細工の既製品や竹かごのバッグを買うかなあ・・・。」と、現時点で自分の「ほしい」に繋げられません。(誰かアイデアくださーい!笑)

 

 

クラッチバッグはぺったんこ。バックパック背負って旅する人でも、安心して買えて、がさっとザックにつっこんでいけるもの。そんなイメージから、やっぱり竹は一旦おいといて布だけで商品を作ろうという考えに至りました。ただ、ビエンチャン県のODOPの生産者さんは竹細工だけで3グループ。いつか何か一緒にやりたいとはずっと思っています。・・・といいつつ現在、竹製のランチョンマットに自然のニスでコーティングしたものを作成依頼中。こちらも楽しみなんです。

 

さらに、日本からのEMSになにやらガムテープがしてあると思ったら、箱に穴を開けて中身を根こそぎ食わたところをしれっと隠蔽される、という途上国ならでは(?)の郵便事情を鑑みて、壊れやすくトラブルにつながりやすいものは極力避けたいと思いました。

 

村の伝統をデザインに

 

この村の生産者さんともそろそろ半年のお付き合い。村の伝統を、どうにかなんとかしたいという熱い気持ちをずっとそばで見てきました。お母さん(村の生産グループのリーダー)が一番大切にしたいという柄の布は、東南アジアに肥沃な大地をもたらすメコン川流域の「ナーガ信仰」からインスピレーションを受けたもの。

 

 

他にも、この村にしかない絣の模様や、バンビエンの紙布など、お母さんがかたちにしたい材料は山ほどありました。そしてお店には、以前訪れたメット郡のティンシン(裾布)の在庫もあり、うまく商品が売れれば、距離的に遠すぎて直接的な支援を諦めているメット郡とも連携していける。

 

www.laoko.net

 

そんなこんなで、ひとつの規格、製品を色んな布で使いまわせることも重要な条件のひとつとして考え、今回の商品開発に至りました。

 

縫製は、縫製が得意な人に

 

うちの生産者さんには、縫製が得意な人はいません。織りのプロばかりです。自分が作り方を覚えて誰かに教えて、作ってもらう・・・というのも考えましたが、それではあまりに遠回りで、きっと完成までにも時間がかかるし、品質を保つのにも相当の練習が要るだろうと思いました。

 

というわけで、お母さんの顔の広さと首都が近いという利点を大いに利用して、縫製は縫製のプロに任せることにしました。

 

完成まで何度かお願いしないといけないかなあ・・・と思いましたが、いっぱつでそれなりに良いものを仕上げてくれたので、任せて正解だったと思いました。

 

たくさん売れたら、良いミシン買って、良い縫子さん雇って、それで自社生産しようね。

 

お母さんの顔が光り輝いた

できあがった商品を見てすぐ、嬉々としてFBやTwitterにアップしました。

 

これは可愛いもんが出来上がったぞ、と。

 

 

「欲しい!」の声をたくさん頂いて、私はまた嬉しくなりました。男性からも要望をいただいて、「やった!!!!」とガッツポーズ。私自身、今はマネタイズできない立場ですし、『売れること(=お金が動くこと)』自体が嬉しいという感覚ではありません。どちらかといえば、自分たちが作ったものを通じてラオスのてしごとを発信できる事に対するものというか、私が志望理由書に書いた2年間の活動のテーマ「ラオスを世界へ」の第1歩を踏み出せるような気がする、そんな気持ちから湧いてくる嬉しさです。(今思ったらでかいこと書いたなぁオイ・・・。)

 

さらに、その中には「日本で置いてもらえる先があるので10個ほしい」というオーダーまで。ああ、ありがたや。皆さん本当にありがとうございます。同じ布で同じものを作り続けるのが難しい場所で、どんな風に今後売っていくかというのは大きな課題ですが、大量生産とは違う一点ものに「出会う」ことも含めて楽しんでいただけたらなあ・・・と思いながら、ここ最近で一番良質な睡眠を得ました。(笑)

 

翌日、朝いちばんに生産者さんのところを訪れて、追加のオーダーをお願いしてきました。

 

「お母さん、10個日本に送ってほしいって!ほかにも欲しいって言ってくれてる人が居るから、オーダーお願いできる?」

 

と私が伝えたときの彼女の眼の輝きは、今まで見た事がないものでした。JETROのカタログにも載り、日本国内でのギフトショーに出展したこともありますが、それでもお客さんを見つけるというのは簡単なことではありません。せめて誰か、日本語や英語でのやりとりができれば、と思いますが、この会社はそこまでにはまだ至っていません。「自分がここに居る間しかできないことをやるのは違う!」と、来た時は頑固おやじのように思っていましたが、自分が発信源になることで、ラオスのてしごとがここから広がっていくのであれば、この街に「外国人として」存在する意味になるのかなあと感じました。

 

お母さんは「売れたお金でミシン買ってうちで生産したいね!!」と言いましたが、「これ(首都でプロに縫ってもらったもの)と同じ品質じゃないと売れないよ!それは、ずっと先の話ね!モノ買うより先にトレーニングね!」と私もそこは譲らず。日本をはじめとする諸外国で研修を受けてきた彼女はすぐに納得してくれました。

 

こんなデザインも可愛いね、この布も使えないかな、なんて、今まで何にも加工されず眠っていた素敵な布がどんどん押し寄せてきて、それを「可愛いね」「いやコレは無いわ」と皆であれこれ話し合い、手引きのコットンを使った藍染の布や、この村の絣を使った、新しいデザインのポーチをまたいくつかお願いすることにしました。

 

合言葉は「ワイケーケー!」

使い心地も重視したいし、くたくたになるまで長く使ってもらいたい。だからこそ今こそ私たちに必要なのは日本の技術の結晶、それこそが富山が誇る日本の宝「YKK」のジップです。私が来るまでYKKを知らなかったお母さん、手工芸協会ネットワークで取り扱い元があっさり見つかり、すぐにワイケーケーを取り入れることになりました。

 

お隣ベトナムに工場がありますが、ラオス国内で使われているのを見ることは殆どありません。市内のお土産やさんですらほんの僅か。お母さん、時代はワイケーケーだよ、縫製技術とワイケーケーがあれば、クンナパープ(品質)ディー(良い)だよ。

 

「安かれ悪かれ」で薄利多売したくない。だからこそ原価を上げてでも「ໄວເກເກ」!このジップのことだけじゃなくて、それをアファメーションみたいに思って、「通常の10倍の価格のするジップをつける意味のあるもの」を作っていきたい。(これだと商品がYKKのバーターみたいだけど、それも、まあ、そうなの。)

 

早く売りたい

ただいま追加でオーダー中。デザイン、種類ともに、ちょっと増やしてみます。

 

大きさは以下の2種類。

 

1.A5が入るサイズ

 

2.A4の紙、タブレット・PCなどが入るサイズ

 

厚さは2種類。

 

1.布に裏地をあてただけのもの(本・ステーショナリー向け)

  B5ぴったりサイズ

 

2.布と裏地の間にスポンジを入れたもの(タブレット・PC向け)

 

柄は無限大。

 

1.紙布帯×コットン

 

 

2.ナーガ裾布×絣

 

 

3.ナーガ裾布×コットン

 

 

4.メット郡の裾布×絣

 

(これから首都に送って縫製してもらいます!!)

 

などなど…

 

各種類、色みも色々増えていく予定です!!

 

お楽しみに。

 

まだまだこれから。

https://www.instagram.com/p/B29lM5JpHFU/

#sunset#luangprabang #mekongriver

 

1年で自分が残せたものなんて本当に何もなくて、内容ぺらんぺらんの活動報告書や月イチで出してる配属先への報告書と、世界中で活躍する同期隊員や同国の先輩・後輩隊員の発信を見て、はぁぁああああああ・・・とため息つく日々ですが、

 

私、じぶんでFBで言ってました。

 

1年目でびたびたになるまで吸収して、

2年目でカスカスになるまで出し尽くして帰るぞ。

 

って。

 

だから、まだいいんや。焦ったらアカン。私は無給の活動やけど、相手は生活のかかった生産者さん。遊びじゃない。

 

と自分に言い聞かせて、頑張ります。

 

欲しい~!と言ってくださった方、本当に励みになってます、ありがとうございます!数が用意できましたらまた情報流していきますので、少々お待ちくださいっ。

 

直近で頑張ること

www.facebook.com

 

ラオスの首都ビエンチャンにて、手工芸品の国内最大規模の展示会が行われます。

 

私たち協力隊も3ブース借りて7県まとめて出店、デザイン隊員も配属先からブースを借りて出店予定です。ボリカムサイ、サイニャブリ、ウドムサイ、カムワン、ルアンパバーン、チャンパサック、ビエンチャン、そしてビエンチャン市のホアイホンセンター。各県から選りすぐった商品の数々、ぜひご覧ください!

 

私の県からは、クラッチバッグを一緒に作っている生産者さんの小物とシン、それから普段お目にかかることの少ない、地図にもちゃんと載ってないメット郡ナポー村、バイクで往復80キロの道のりを自分で選びに行ったポンホーン郡チェンサワン村、それぞれの「めちゃめちゃ綺麗な」布、持っていきます。

 

1年1回の大イベントなので、周辺国からも同期隊員が来てくれることになってます。同じ一村一品やマーケティング関係の隊員なので、情報交換ができるのも楽しみ。

 

日本に居てなかなか来れないという方、金曜日退勤したあとそのまま空港に向かって夜便で飛んで、土曜日の午後ITECCで買い漁って、日曜日の午後便で帰ったら、朝に日本に着いてそのままエクストリーム出社できますよ!!!もしくはバンコクに夜着けたら、寝台列車で寝てる間に国境に到着!あら、なんて簡単なんでしょう!!!

 

全世界からのお越しをお待ちしております!!!

 

ものつくり、たのしい、くるしい、でもやっぱりたのしい

 

 

ひとつ商品作ったぐらいで大げさだな、って思われるかもしれませんが、今の私にとっては大きな一歩。あーでもないこーでもない言って、やっと1本、道が見えてきたような気持ち。

 

デザインから製造、納品・販売までのオペレーション、きっとうまくいかないことも出てきます。でも、技術補完研修で講師の方がおっしゃっていた「コミュニティ開発に必要なのはしつこいぐらいのモニタリング」という言葉をしっかり噛みしめて、日々活動していきたいと思います。

 

調査と販売以外何も報告できていなかった配属先にも、やっとひとつ・・・ドヤ顔で報告できる任地での成果になるかな。

 

 

 

せっかく色んな県に同じ要請の隊員がいるんだから、色んな民族のいろんな布でやっていけたらと思っていて、どう水平展開していくかについても考えていきたい。ひとつのアイテムでSKUを増やしていくことで、手に取って下さる方の「選ぶ楽しさ」に繋げられますし、一つの商品に興味を持ってもらえたら色んな県の布でアソートにして納品できる&売るときも最小1列でディスプレイできる、と色々メリットがあると思うからです。

 

まだまだやりたい事がたくさんありますが、せっかくだから少しでも経験のある食品のパッケージ改善もやっていきたいので、こちらの「たのしい」を燃料にして、ハンディクラフトフェスティバルが終わった後は一次加工食品のブランディングも始めていきたいです。できるかな・・・、いや、やります!やるやる詐欺にならないように!!します!!!

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『Made in Laos 2019』に行ってきました

さばいでぃー!

こんにちは、ラオスのラオ子です。

 

「●●さんは元気にしてるの?」と、以前出張に同行してもらった同期についてカウンターパートが訪ねてきました。「楽しそうにカメムシ捕まえて食べてたよ、ホラ」と写真を見せると、「美味しそうね~!!ラオ子は食べたことある??ないなら、今度カメムシ持ってきて皆で食べましょうね!」と。

 

私、食虫は全然抵抗ありませんが、カメムシは素揚げがいい。ヂェオ(すりつぶしたペースト)は、無理かも・・・。「日本ではこの虫のこと『ヘコキ虫』とも言って、良い匂いじゃなくて臭く感じるんだよ~。だからジェオじゃなくて揚げカメムシでよろしく!」と言うと、「ラオスにも『ヘコキ虫』っていう名前の虫居るけど、別の種類だしめっちゃ危ないから絶対食べないよ」と上司。

 

調べても何も出てこないので、「臭い虫」で画像検索をかけて「この中に居る?」と聞いてみると、居ました居ました。ほんま便利な世の中やな。

 

どうやら『ゴミムシ』という虫のことをラオスではແມງ(虫)ຕົດ(おなら)というんだそうです。日本でもへっぴり虫って言ってたかな、そういえば。

 

この虫、見た事あっても特に気にとめたことは無かったのですが、どうやらカエルに丸飲みされたときに有毒かつ100度以上の高温のガスを噴射することで吐き出させて生き延びることができるというなかなか危ない虫らしく、いろんな虫を普通の食糧として考えているラオスの人も絶対に食べないみたい。いろんな虫を食べるけど、あらゆる虫を食べるわけではないんだな。奥が深い。

 

この虫の出すおならは「ກິ່ນ(臭い)」で、カメムシは「ຫອມ(いい香り)」、本当にわけがわからんな。ラオスおもしろーい!

 

 

そんな私は、日曜日にこの記事を書きながら、鈴鹿サーキットで行われた『鈴鹿8耐』という、読んで字のごとく8時間走り続けるバイクレースに夢中になっておりました。最後の数分で起きたトラブルの数々と、それによって1位独走だったKawasakiがリタイア扱いになるという暫定結果に微塵も納得がいかず、Instaのストーリーに恐ろしい量の殴り書きを投稿し、現地や中継でレースを見ていた兄妹、某バイク会社に勤める友人、南アに居るシニアボランティア隊員さんに悔しさをぶつけ、悶々。結局、翌日の公式の発表で暫定結果が覆ってKawasakiが一位になりましたが、・・・来年は頼むで!

 

その翌日の月曜日、なんとか2号計画書を出し終え、これからは自分の任地での活動と並行して次のイベントに向けて動き出します。ラオスはコミュニティ開発・デザイン隊員6名(+8月後半に任地に配属される新隊員2名)の大所帯で動くイベントが年に何回かあるので、8月は主にそちらのイベント準備をメインに活動することになるワケです。配属先の巻き込み方がわからないまま半年過ぎてしまってこのままだと完全に「何やってるか分からん人」になるので、Facebookでいっぱい繋がって活動のこと書いていくとか、ワツァップで課のグループ作って活動写真送りつけていくとか、ラオ人向け情報発信もがんばるぞー。

 

Made in Laos 2019

 

ラオスの食品や手工芸に関わる活動をしていくにあたって、情報収集というのはとても大切です。しかし、インターネットから得られる情報はあまりに少なく、何か調べたいことがあればFacebookで血眼になって探す日々。ですので、任地に居ても入ってこない商品がぎゅっと詰まっているエキシビジョンやイベントはとっても貴重な機会。

 

7月最初の総会の時は、たまたまビエンチャンカレッジという大学で行われたイベントに参加しました。このイベントでは、若いクリエイターさんやNGO・NPOが運営するクラフトショップの商品、クラフトビール、そして美味しいチーズの盛り合わせなどが並んでいました(後半関係ないけど幸せでしたありがとうございました)。

 

今回行ったのは『Made in Laos 2019』。首都ビエンチャンですと、こういった大きい展示会は「ITECC」という商業施設で開催されます。ラオス各地の布、手工芸品、食品、医薬品などを一度に見ることができます。生産者さんのFacebookでこのイベントのことを知って、行きたいと思っていたところ、ちょうど新規隊員さんの歓迎会と日が重なっていました!!ラッキー!!上京だ上京だ~~~!!!

 

自分の任地の商品に足りないものは何か、ラオス国内の企業がどのレベルのものを生産できているか、どの地方にどんな特産物があるか、どんなパッケージングを使っているかなど、色んなことを考えながらMR。MRという名の、お買い物。

 

 

こんな風に生産者さんがブースを出しています。

 

24日の生産者視察の後上京して、25日に先輩隊員と一緒にITECCへ。張り切って10時前に着いたら「10時までは入れないよ!」と。そして律義に10時まで待って入ってみると、中のブースは1/3ほどしか開いていませんでした。そういうとこや!!好きやラオス!!!!!

 

職種は全く違う先輩なのですが、ラオスのこと、布のこと、たくさん教えてもらえて、一人で行くより断然収穫が多い見学になりました。「この縦のラインに南部を感じるんだよなぁ・・」は名言だと思います。ありがとうございました!

 

そしてその日の晩イベントの事を話したら、たまたま上京していた同期が行ってみたいと言ってくれたので、翌日26日ももう1度行くことに。前日先輩に教えてもらったことをあたかも自分で勉強したかのようにドヤ顔で話しながらお買い物。

 

二日間でかなり使いましたが、「これは自己投資だ。他県の良い商品を購入して、自分自身で試して、活動に活かしていくんだ。」と言い聞かせました。

 

そんなわけで、ITECCで出会ったいくつかの商品をご紹介します。

 

 

こちら、私の配属先のビエンチャン県は『ケオウドム』という村のODOP商品生産者グループのブース。マルベリー(桑)の実を使った、ワインやシロップ、桑の葉のお茶などを生産しています。

 

写真左の小さいペットボトルがマルベリーのエキスなのですが、これ、ソーダで割って飲むと本当に美味しいんです!!

 

 

フルーツビネガーを想像していただくと味が分かり易いかと思いますが、そのまま原液で飲むと結構つーーーんとすっぱい!酸味に負けないぐらい甘みも強いので、私はマルベリーエキス薄めで、ライムをたっぷり絞ってソーダウォーターで割って飲むのが好きです。ライムのビタミンやクエン酸もたっぷり摂れて疲労回復!うだるような暑さの日にぐびぐび飲みたくなる味です。

 

マルベリーといえば、カリウムやビタミンCがとっても豊富です。この国の食べ物、基本的に味付けがとっても濃いので、カリウムたっぷりのマルベリーはとてもありがたい存在。亜鉛や鉄、抗酸化作用のあるポリフェノールも含まれていて、更にはアミノ酸組成のバランスも良いので、特に女性に嬉しい果物なんですよね。

 

桑の葉は、日本でも中国でも漢方として重宝されてきた生薬でもあります。日本薬局方(厚生労働省が、医薬品の品質や薬効を適正に確保するために定めた規格、基準)によると、日本では桑の根の部分の表皮を剥いだものが「桑白皮」という漢方薬として流通しているようで、抗菌作用が認められています。そのほかの実、枝、幹などは健康食品として売られているようです。血糖値や血圧を下げる効果もあり、生活習慣病の予防やダイエットの補助にもなるとのこと。

 

今度伝統療法士のおばあちゃんが事務所に来たらラオスではどういう風に処方されてるのか聞いてみよう。

 

 

 

他にも、値段を聞くことすら躊躇う『フアパン県サムヌア地方』のパービヤンやシンに大興奮したり(任地での1か月の生活費が余裕で飛びます)、

 

 

水道菅で作られた、民族楽器を吹く置物に愛着が涌いてみたり、

 

 

タイル―族のケミカルな織物に心奪われたり(何で買わなかったんだろう・・・)。

 

 

ラオスの南部はコーヒー栽培、北部ではお茶の栽培も盛んで、ボラベン高原のコーヒーやポンサリーのお茶なども並んでいました。

 

 

 

やってしまったのがここ。シンがたくさん並んでいるなかに、私の任地では見かけない可愛い模様を見つけてしまい、斜め前のポンサリーのお茶やさんのお母さんが「ええやんええやん!!」とちゃちゃを入れにきて、

 

 

えええ・・・・可愛い・・・・となった結果、

 

 

迷いに迷って1日目に1枚買って、

 

 

2日目におかわりしちゃいました(笑)結局どっちも買うんかーい。

  

なんてったってこれ、1枚2000円以下。裏地はもともとついているので、お仕立ては2着で900円ぐらいでした。いつも大家さんの親戚の仕立て屋さんに頼むのですが、最近とても安くしてくれます。でもものすごく丁寧に、そしてすぐに仕上げてくれるんです。ありがたい!

 

買った生地はせっかくなので、

 

 

 

1枚はシンに、

 

 

もう1枚はスカートにしました。

 

ちゃんと一番きれいなところがセンターに来るようにどちらも調節されています。お母さん・・・天才か?

 

 

ドミトリーに先輩が置いていってくださった藍染の絣布のスカートを持っていって、「これと同じ感じで、でも柄が切れないように長めに仕立てて!」とお願いしたのですが、言い忘れてたスリットを勝手に入れてくれるあたり、本当に天才か???

 

藍染のスカート、サイズはぴったりなんですが、大股の私には少し歩きにくかったので、スリットが入ってちょうどよくなりました(笑)

 

職場の同僚に聞いてみると、シェンクワンの低地ラオ族のものということには間違いなさそうなのですが、「ລາວພວນ族」「ໄທແດງ族」のどちらかだそうで、何族のものかは特定できずじまいでした。知ってる方、教えてください!どっちにせよ可愛すぎるわ。ベッドに広げて、一人でにんまり。幸せだー!

 

 

で、視察はと言いますと、いつも任地でお世話になってる生産者さんにも挨拶に行けたし、食品のパッケージングの参考になる会社も見つかったし、色々な県の布を使って商品を作っているラオス人のデザイナーさんにも出会えたし、なかなか収穫多き時間になりました。反省点があるとしたら、今度からはもう少し財布のお金を抜いていこうと思いました・・・。

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手工芸や伝統、そして活動のこと。

さばいでぃー!

https://www.instagram.com/p/ByH7JPiAKIJ/

 

みなさんこんにちは、ラオスのラオ子です。同僚んとこのコンキドゥー(いたずらっこ)がが可愛すぎます。お庭で太陽の光を浴びてほかほかぬくぬくのマンゴーやジャックフルーツをいただいて、たまにちょっとしたフルーツアレルギーを出しながら、彼に癒されまくってます。ほんとに可愛い。一人の時はめちゃめちゃお利口さんやのに従弟と一緒になるととんでもやんちゃ坊主。

 

 

同じ敷地にもおちゃめないたずらっこが数名おり、ギャン泣きしてたり、遊んでほしそうにもじもじこっちを見てたり、私の大切な手袋持ってったりして、飽きない毎日を送らせていただいています。感謝。

 

 

充電器を繋いでおくのも怖いぐらいの雷に窓のサッシが軋んだり、スコールの風向きによって家の特定の方角の床だけが水浸しになったりと、雨季に入ってからイベントが増えました。しかもサッシまわりの汚れが流れこんできたらしく泥水。・・・飽きない毎日を、送らせて、いただいて、います。感謝。

 

さて、ラオスにやってきてもうすぐ半年、任地で活動を始めてから5か月が経とうとしています。これから帰国までの1年半の活動の軸となる「活動計画」の提出が迫っています。自分の活動に於ける「定量的に観測できる目標設定」って一体なんだろう?と考え出すと、生活リズムが不規則になっていても入眠しやすい事に気が付きました。目標設定云々の難しい話は一旦バナナの葉に包んで蒸しておくとして、ここ4カ月生産者さんと関わりを持ち手工芸に触れるなかで感じた事をぽろぽろと書き留めておきたいと思います。

 

 

ラオスにおける「シン」の存在

 

こちら、私のカウンターパートの二人。左のVさんが着ているのは、ビエンチャン県の北東、シェンクワン県の布。細かい絣のプン・シン(スカート本体の布)と、プンシンに負けない鮮やかな色使いのティン・シン(裾布)。これだけ細かい仕事のものだから、安くなかったでしょう?と尋ねると、100ドル以上よ!と・・・。

 

 

右のSさんが着ているのは、一緒に視察に行ったMaed郡Napho村で買っていたシン。プン・シンは単色ですがよく見ると柄になっています。

 

金糸、銀糸をあしらった華やかなティン・シンがビエンチャン県のシンの特徴の一つでもあり、フォーマル、よそいき、大人の女性、公務員や大学の先生が着るようなものなのだそうです。確かにビエンチャン県のシンからは、「あたたかさ」を感じるハンドメイドとは違う、洗礼された雰囲気を感じます。

 

同僚、上司に直接お給料がいくらか聞くことはありませんが、おそらく1万円以上の布だと月収の1/2~1/4ぐらいの感覚ではないかと想定しています。2018年5月のジェトロさんの記事に「ラオスの最低賃金が14300円に引き上げられた」と書かれていましたので、安い買い物ではありません。それでも彼女たちは、シンにお金を掛けます。普段は動きやすい普通の服を着ていますが、仕事や儀式のときは、お気に入りのシンでバッチリきめてくる。それに、私が新しいシンを何も言わずに履いていくと、「どこで買ったの?いくら?」と、すぐに気がついてくれるし、私の任地(過疎地認定を頂きました笑)にも仕立て屋やシン屋さんは何軒もあり、ラオスの女性にとっての「シン」が、生活の真ん中にあることを教えてくれます。

 

 

5月末に視察させてもらったチェンサワン村の生産グループは「魚」をモチーフにした柄のついたシンをODOPに登録していますが、そこから200km以上も離れた山の中のナポー村でも同じ柄のものが織られていて、それがいつ、どこからどう伝わったものなのかという事にちょっと興味が湧き始めています。(でもナポー村にはなかなか行けないなあ・・・)

 

この魚のシンボルはビエンチャン県特有のものだそうですが、ビエンチャン県をはじめ、メコン川流域の様々な県で同じモチーフが使われていることもあります。それが「ナーガ」です。ラオスは、ラオ族をはじめ、モン族、カム族、ルー族など50以上の民族で構成された多民族国家ですが、どの民族も仏教、アニミズム、シャーマニズムを複合的に取り入れた独自の信仰を形成しており、それが思想、文化となり、その地固有のものとして未だに色濃く残っています。そしてそれが「シン」の模様にも反映され、土地土地によってそれぞれ特色のあるパターンが織られていくのです。

 

ナーガのように広い地域で織られているパターンがあるのは、ナーガ信仰がメコン川流域で広く民話として口伝されたり、お寺の壁に描かれたりしたからです。織り手の女性たちはそれにインスピレーションを受けてシンに物語を織り込み、ナーガのモチーフが民族や地域を越えて広まったそうです。

 

陰暦11月の十五夜の日にメコンに灯篭を流して雨の恵みに感謝したり、川を渡るときにナーガのたてがみと同じ赤をものを身に纏うのを避けたり、ナーガの火の玉をメコン川で見つけたらお供えを備えたり・・・など、土地によって儀式の方法は様々でも、メコン川流域の人たちは何かしらの形でナーガを信仰し、様々な表現方法でシンに織り込んできました。(まだまだ勉強不足なので、1年後には違うこと言ってるかもしれません。)

 

昔に織られた布は、歴史、文化、宗教など、たくさんのことを語ってくれますが、最近織られるシンはそうではなくなっています。そこには、織り手の技術が下がったことや、流行りのもの(=売れるもの)を織るというやり方に変わってきていること、若者のシン離れ(着る・織るどちらも)など、たくさんの原因が考えられます。

 

「シン」とどうかかわるか

 

 

着任後しばらくは、局で「一体何をしたらいいんだろう・・・」と、ポツンとしているだけの時間も多かったのですが、最近は、産業商業局に出向く時間が徐々に減り、近くの手工芸品を製造販売している会社に行く機会が増えました。バイク、強い。自分で自由に動けるって、最高だ。(安全上仕方ないことだと分かってはいますが、バイクが活動に必要だからバイクを貸与されているんだから、任地で2か月も待たずにもっと早く欲しかった・・・。)

 

 

どうしても欲しいデザインがあって、視察に行ったついでに購入したら、上のピアスとかんざしをおまけにくれました。どれも手作り。ああ、可愛い。ラオスらしさが伝わる手作り。とっても素敵。かんざしは、ラオスの機織り機で使われている「杼(ひ)」、別名シャトルを模したもの。この船のような形の道具に巻いた糸を入れて、柄によっては何種類もの杼を使い分け、手作業で経糸にシルクの糸をくくって模様をつくりながら、経糸の間を何千、何万と往復させ、1枚の布を仕上げていくのです。

 

さて突然ですが問題です。何故、かんざしもピアスも三角錐なのでしょうか。

 

ラオスに来られたことがある人は、もしかしたら食べたことがある・・・かも。

 

 

そうです、この、ばななの葉でもち米をくるんで蒸したお菓子。

 

名前~・・・なんだっけ。忘れました。ここまで話題にしといて肝心のラオ語が出てこない。いや、お恥ずかしい(笑)

 

 

で、まぁ、その、バナナの葉でくるんだもち米のお菓子に見立てた可愛いピアス、この模様の部分も、シルクなんです。結構分厚い生地なので、こんな細かい作業するのはなかなか大変です。ゴールドのパーツだったらもっと可愛いかなー。パッケージも改善したいなー。

 

 

こちらの写真、足元をご覧ください。KEENのサンダルしか履いてないからKEENの形のまま日焼けして・・・っていう話ではなく、お店の中を自由に撮影させてもらっていたら、仕立てられたあとのシンを見つけました。ちょっと短かったけど、裾布の柄がとっても綺麗で、絣の模様も控えめでとても素敵。

 

「サイズぴったりじゃない、そのまま履いて帰りなさい」

 

と、オーナー。

 

「私の娘が履いてたものなんだけど、もう着れなくなってしまったからあげるわ。あなたも私の娘だからね。」

 

ああ、嬉しいなあ・・・こういう温かい言葉が分かるようになって、嬉しい。そしてオーナーの気持ちが本当に嬉しい。

 

パービヤンという公式な場でつけるスカーフを巻いて写真を撮ってくれました。

 

 

お店の中には、サイニャブリ県という、ラオス北西部の町の布で織られたゾウさんも居ます。ビエンチャン県とは全く違う、コットンを藍で染めた優しい布。普段使い用のポーチや鞄などの小物にぴったりです。ラオスといえばゾウなイメージのうえに、ゾウ祭が開催される場所にぴったりのお土産もの、うらやましい・・・。ビエンチャン県も何か無いかな。まだまだ調査が必要です。

 

 

「これは、私が学生の頃に着ていたものよ」と見せてくれたシン。これは裾布の部分ですが、今の主流のものの半分ぐらいの幅です。シンにもその時のトレンドがあるらしい。当時のアルバムには今と変わらず美しいお母さんがこのシンを纏って学友と共に笑顔で写っている写真ばかり。

 

それにしても、この裾布、めちゃめちゃ可愛いじゃないですか・・・。

 

 

そして驚いたのがこちら。「私のお母さんのお母さんが若い時に着ていたシンよ」と見せてくれた、絣のシン。ところどころ解れや虫食い、大きな穴も開いていたけど、その綻びやあて布すら、大切に長く長く着られたものだということを教えてくれます。

 

ラオスのシルク100%で紡がれた糸は、繊細で、滑らかで、すこし触っただけで素人の私にも違いが分かります。撫でるとキメ細やか、手に持ってみるととても薄いのにパリッとハリがあって、素材の良さだけでなく、織り手さんも相当の技術を持っていたことが伺えます。

 

 

これが上の絣についている裾布の部分。この地に伝統的に伝わるモチーフですが、今はこういった模様を織ることも少なくなったと仰っていました。

 

今ビエンチャン県で織られている主流のきらびやかなものより、こっちのデザインのほうが個人的に好きです。

 

 

 シンに織られるモチーフはその地の伝統そのもの。民族性、地域性が年々希薄化していくなか、この店のオーナーは、このように伝統あるモチーフをシンの裾布やストールに織りこむことによって、繋ぎとめようとしています。

 

日本で着ものを着る機会が殆ど無くなってしまったように、シンもいつかそうなってしまうのかと思うと、悲しい。そうなればますます生産者さんの生活は圧迫され、消費者優位の市場の中で「売れるものをつくる」ことに拍車がかかり、地域の中で受け継がれてきた伝統が消えていくんだろうなあ・・・・。

 

 

日々の収入を得るためにと、海外の糸や化繊を混ぜたり、染色が簡単で発色も良い化学染料を使い、低品質な製品を量産してしまうことで、生産が需要を上回ってしまっている現実を、どの生産者さんと話していても実感した、生産者巡り。「これからどうしていきたいですか」と尋ねると、外国人の私に対しての答えはだいたい「日本(もしくは海外)へ輸出したい」でした。生産者さんだけでなく、産業商業局からも同じような意見がでます。この顕在的課題対しては一緒に活動しやすいけれど、今の買い手優位の市場のなかで、流行や量産化の波にのまれずその地域の伝統を「ブランド」にできる土台を作っていくというのが潜在的課題になるのではないかと仮定すると、派遣期間から逆算すると時間もスキルもぜんぜん足りない現実にぶち当たるような。そんな気持ち。でもまだ本質にぶち当たったような気は全然しなくて、あっちこっち迷子になりながら、私が目を向けたいところと、行政として目指す場所と、生産者さんたちが織物で生活していくための方法と、交差するはずの”どこか”を探したい。

 

世界各地で、その場所の伝統や手工芸を活かした製品作りをしている日本人が日々奮闘されている姿をSNSで拝見していると、私がこの2年で出来ること、なんてほんとに僅かなんだと実感します。増してや何かを残したいなんておこがましいんではないかとも考える。一人だと、かなり難しい。私には何の力もない。だから、一緒に頑張りたい。生産者さん、同期、先輩、配属先の皆と。

 

ラオ語が全然上達せず、これは間違い自分の努力不足だと認識しているけれど、相手の言っていることを推測できるだけの知識も全く無い事に気づき、学ぶことの大切さを実感している今日このごろ。知らない事が多すぎて、まだまだアウトプットできるものは無い。学ぼう。学びまくろう。無知は悪いことではないけど、知らないことを言い分けにするのはだめだ。泣いても笑っても、長くてあと1年半だもの。

 

ああ、もうすぐ、ここでの生活の1/4が終わってしまうんだな。

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視察②その4 ビエンカム周辺の生産者さんグループをめぐる

さばいでぃー!

さてさて、4日間の視察レポート最終回です。

 

5月28日

 

5月29日

 

5月29日ー5月30日

 

あちこち訪れてビエンチャン県のシン生産グループを見学する、なかなかハードなスケジュール。今日は30日の「バンビエンからビエンカム(任地)へ」、そして31日のPonhong郡の視察の様子を書いていきたいと思います。

 

 

5月30日 バンビエン市場

前回の記事に書いた「もりもりてんこもりバーガー」を食べた後、私たちはバンビエン郡の産業商業局へと向かい、局長と少しお話させていただきました。

 

そしてバンビエンで一番大きな市場に行き、ハンディクラフト製品やお土産の流通状況を調査。

 

こちらは「モン族」という山岳民族の刺繍です。(下の生地は機械織り)クロスステッチがあまりに細かくて「プリントしてあるんじゃないの?」と思ってしまいますが、全部手仕事です。

 

モン族の人たちの衣装も見つけました。綺麗な細工がついた帽子。この細工もどこかで手作りしているところがあるのかな。

 

 

この派手派手な帽子のクロスステッチも全部手縫い。もう、果てしないわ。本当に、すごいわ。

 

観光の中心部から若干外れるため、お土産物が置いてあるような雰囲気はなく、外国人観光客も見当たりませんでした。(午前中だから余計かもしれませんが)観光局にも話を聞いてみたいなあ。

 

帰り道に立ち寄った”魚の村”

ここはバンビエンとビエンカムの間にある「Taheua(タフア)」という村。大きなODOP商品生産グループがあり、この軒を連ねている店の殆どがODOP認証取得済みです。

 

ODOP商品としては、パデーク(魚醤のような、みそのようなもの)、ソムパー(魚のすっぱいハム)、干し魚や燻製、小魚を揚げたおやつなど、合計7種類が認証を受けています。

 

どのお店も同じように、干し魚・燻製が吊られ、発酵食品がテーブルに並んでいます。

 

「ジェオ」と呼ばれる調味料もたくさん種類がありました。ジェオは「辛み調味料」全般を指し、地域や家庭でそれぞれ色んな味があります。

 

タフアで見学させてもらって、このジャンルの食品に「外国人」が関わるのは、とても難しいと感じました。例えばこのソムパー、外国人向けにお土産にしてほしいと言われても、このままの状態では売ること自体が結構難しい。

 

現地の人向けに、といっても、例えば資材にお金をかけて見た目を綺麗にするにはコストがかかりますし、その「見た目」にコストがかかったものを、普段の食事として食べるラオスの人たちが選ぶのかどうか、と考えてしまいました。

 

食品、医薬品関係が多いビエンチャン県のODOP商品。バナナチップスやポテトチップスなどお土産にしやすいものもある一方で、本当に守っていきたい地域の味をODOP商品として出していくのはかなり難易度が高そうです。

 

この日はお昼すぎに私の家に着き、ほっと一息。往復500キロ弱の長旅は無事終了、翌日の近隣郡視察に向けて情報整理と、体力回復です。忘れないうちに、報告書も書き始めます。なんせたくさん回ったので、このテンションのまま書かないと中身が飛んでいきそう(笑)

 

5月31日 ポンホーン郡の生産者2グループをめぐる

まず初めに回ったのはチェンサワン村のシン生産グループ。約2800人の村人のうち160人がODOP認証を受けた織り手さんです。

 

こちらは3色とも自然の色。下から順に、藍、ラック、そして黄色いのは何かの木だと仰っていましたが、失念・・・。

ちょうど絣を織っている最中で、見せていただくことができました。

 

でました、手織りの絣です。この自然な艶感と柄、どれも手に取ると欲しくなってしまうものばかり。だめだだめだ。抑えろ抑えろ。

 

パービヤン(正装のときに身に付けるスカーフのようなもの)もこんなに鮮やか。金糸はどの村も輸入に頼っており、色は自然染めのものもあればきれいな色を出すために化学薬品をつかったものもあるそうです。

 

チェンサワン村では、村長さんとその奥様(シン生産グループを束ねている)、生産者さんなどたくさんのに招いていただいて、昼食をごちそうになりました。ラープもタケノコスープもポディー(丁度いい)な味加減で、もち米を蒸した主食「カオニャオ」がすすんですすんで・・・。ほんとにあぶない。

 

午後にお邪魔したチョンマニー村の生産グループは、「生産グループ」というよりもう、立派な立派な「会社」でした。織り場の中に所狭しと並べられた機織り機で織り上げられていくのは、金糸・銀糸をふんだんに使った、見たことも無いような美しい布ばかり。

 

織りの模様は今まで見た中で一番細かく、伝統衣装一式のセット(スカート、裾布、パービヤン、襟布)あわせて20万円を超えるものもあるんだそうです。それで買い手がつくほどの立派な会社、そして商品のクオリティ。すばらしいというか、すさまじいというか、とにかく普段見れない貴重なものを見せていただけました。視察というより、社会科見学でした。(笑)

 

ポンミー村の生産グループにもご挨拶

チョンマニーからの帰り、私はすでに何度か足を運んでいるポンミー村にも立ち寄りました。

 

いつお邪魔しても温かく迎えてくださるオーナーさんと、織り手さんたち。

 

私の配属先からも数キロで行けるところなので、活動先としては一番現実的。これから、モノづくりを楽しんでいけたらいいなー。

 

そしてこの日も、早めに夕食を終え、私は報告書や自分用のメモ、ブログの作成、そして同期隊員は商品作りで使うパーツをひたすら調べまくる、という有意義な時間を過ごしました。

 

まとめ:視察は同じ職種の人に同行してもらうの最高

そんなわけで、私たちの長い長い4日間の視察行脚、無事終了いたしました。その中で感じたのが、今後も視察はできれば同じような職種の人に同行してもらうのが良いということ。県や配属先は違っても、共通の課題や異なるバックグラウンドを持つJOCVの仲間に一緒に来てもらうことで、1回の視察で入ってくる情報量が2倍にも3倍にもなります。自分ひとりで訪問させてもらった第1回の視察よりも、圧倒的に有意義な時間でした。

 

 

今回同行願ったのは首都のホアイホンセンターに配属されている「デザイン」の職種の隊員ですが、私には無い視点からのフィードバックをこれでもかとくれました。

 

それに、レンタカー代や宿泊費も、1人増えたところで変わらないわけですし、そうであれば一緒に行かないと損だな、とも。

 

何より、自分は局の人や現地の人とのやりとりや調査票、撮影などのデータ集めに時間をつかってしまい、いっぱいいっぱいになる中、しっかりじっくり視察して情報を集め、アイデア出ししてもらえる存在が居るのは本当にありがたかったです。

 

遠いところありがとう!

 

そして翌日、小休憩 

その翌日の土曜日。隣の郡で活動している、唯一の同じ県の先輩隊員を尋ねました。同じナムグム川沿いですが私の任地よりも少し首都寄りで、乗り合いタクシーで行けば往復120円ぐらいで行けるところです。

 

こっちにきて何気に初めての「シンダート」をいただきました。空心菜、しそっぽい葉っぱ、名の知らぬハーブたちを鍋周辺の溝で茹でながら、真ん中の山になっている部分でお肉を焼いて食べるスタイルです。

 

カンボジアにも「カンボジアBBQ」と呼ばれる全く同じような食べ方の鍋料理がありますが、卵に絡めた肉をバターで焼いて食べてたイメージがあって、ラオスのシンダートのほうが「鍋」っぽいかも。こりこりとした食感の乳腺の部分が大変美味しく、付け合わせの軟骨の唐揚げもお持ち帰りしたいぐらい美味しかったです(笑)

 

こんだけ食べてひとり500円ぐらい。コスパ良すぎる~!バンクン、良き~~~~!

 

・・・と、病み上がりのアメーバアラサーは、視察と遊びで満喫し尽くした1週間を乗り越え、この翌日の日曜日は午前中泥のように眠り、その後鬼のように報告書を書いたのでした。

 

おまけ

今回の出張で私の家に連れて帰ってきた布たちをご紹介します。

 

青のシンに合わせて欲しいと思っていたパービヤン(スカーフ)。肩に斜めに掛けて使います。こちら初日に訪れたNapho村のもの。

 

同じNapho村のシン。柄が入っている部分が裾布、その上の赤い布が撒きスカートです。こういう暖色系がとにかく好きです、大好物です。これで4000円弱ぐらい。手縫いのシルクが、4000円弱です・・・。なんてこと。

 

そしてこちらはChensavang村のシン。普段履き用に。

 

日本に帰ったら着れなくなるから、今のうちに着たいもの買っていっぱい着るんだ~~~!!

 

って思ったあとに、日本でもラフに着れるデザインのシンを使った服を作れたら最高だなって思ったので、ホアイホンの同期に無茶ぶりしてみたいと思います。よろしく~!

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視察②その3 東南アジア最後の桃源郷バンビエンへ

さばいでぃー!

こんにちは、ラオスのラオ子です。

 

 

今日はこの記事の続きです。内容的に書けることが少ないので写真ばっかりになってしまいますが、ぼーっとスクロールして旅気分をお楽しみください!

 

 

さよならMaed郡

緑の外壁、赤い屋根と、ビビットOFビビットなゲストハウスを去り、我々ビエンチャン県ODOP探検隊一同はこれよりバンビエンへ向かいます。

 

 

GPSがちゃんと働かなかったので地図を見れず、BanTamからノーン郡までどっちの道で行ったか覚えていませんが、どっちかは大外れ(相当すごいみたい)で、どっちかは外れ(マシ)だそうです。カシ郡、ノーン郡、バンビエン郡を縦につっきっている道まで戻れば舗装されていますが、そこまでは車のサスも自分のサスもガタガタになって壊れるのではあるまいかというほどよく揺れ、よく跳ねます。

 

バンビエンはMaed郡に来る途中素通りしたところなので、一度通ったはずなんですが、やっぱりこの雄大な自然にはカメラを向けずにはいられません。

 

この切り立った山々、中国4000年の歴史感ある。中国行ったこと無いけど。

 

ハロン湾の山々にも似てますね!ハロン湾も行ったことないけど。

 

途中、賊に何度も囲まれながら、前日の大雨でぬかるんだ未舗装の道を50km引き返します。

 

神様や仙人が生活していても何ら違和感の無い、この大自然。自然と、「うわぁ~~~・・・」と声が出てしまいます。言葉にはならない。

 

「コミュニティ開発っていうぐらいだから、こういう山岳民族みたいな人たちと製品作りやるんだと思ってたわ~」と、モン族の村を抜けながら同期と話していましたが、こんなにも生活の難易度爆上がりしたら生きるのに精いっぱいで2年終わるわ、という結論に至りました。「大自然」のレベルが、私の知っているものではなかった・・・。

 

ラオスは内戦・ベトナム戦争などの被害を受けた歴史があり、その時にばら撒かれた不発弾処理に今もたくさんの方が尽力されている国です。それはつまり、未だその被害が起きているということ。早く100%クリーンな土地に戻りますようにと願いたい気持ちは変わりませんが、この山々を見てしまうと、それがどれほど果てしなく先の話なのかということを実感せざるを得ません。ラオスは8割が山。GoogleEarthで航空写真をご覧ください。本当に、国全体が、綺麗な緑色。

 

バンビエン着!

3時間以上がたがたと揺られ続け、ようやくたどり着きました!こちらがバンビエンです。さてこれから、その観光スポットを満喫すべくまずはレンタサイクルでブルーラグーンへ・・・!

 

というのは、観光で来たときの楽しみに取っておきます。4時前に到着したときにはひとつもテントが無かったのですが、少し部屋で休憩して外に出たら、夕方にはこの賑わい。

 

東南アジアを旅行されたことがある方はなんとなく既視感があるかもしれませんが、量産されているようなものはだいたい近隣国から入ってきている印象です。なにせラオスは、タイ、中国、ベトナム、カンボジア、ミャンマーの5か国に囲まれた内陸国。タイ、中国、ベトナムのように大量生産の基盤が整った国から流れてくるお土産はカンボジアでもラオスでもだいたい同じようなものになるんでしょうか。

 

せっかく素敵な手工芸が伝統として色濃く残っているのに、なんたる機会損失。と思ってしまいますが、大量生産すれば原価は安い。そして生活のためには稼がねばならぬ。

 

とはいっても、もっと”ラオス”のものが人の手で世界中を旅する未来があってほしいなあ。

 

写真がなんとも微妙ですが、こちらのカバンはラオスで手作りされたものだそうです。鞄じゃなくて、物入れにして部屋に置いておきたい。

 

ビンテージのシンを取り扱う布屋さんにもお話を伺うことが出来ました。外国人観光客向けのお土産を開発するのであれば、こういうお店の人からの情報はかなり大切です。

 

こちらはフアパン県サムヌア地方から来られた女性のお店。”サムヌア”はシンの一大生産地で、「織りといえば京都の西陣!」というぐらいのブランド力がある場所です。(いつか行ってみたい・・・)奥の方にかかっているのがサムヌアの織りです。綺麗すぎて触るのもためらう。

 

 

・・・という感じで、バンビエンのお土産屋さん巡りを終えました。(他にも色々まわりましたが割愛します。)

 

任地のハンディクラフト製品にはおしみなく生活費を使い還元しようと心に決め、Napho村ではお気に入りの色のシンを1枚購入したのですが、ここバンビエンでは素敵なシンに出会えなかったため、かわりにポーチを大量買いしてきました。

 

あら、ゆる~い刺繍でかわいい。

 

とかいうレベルじゃない、視点の定まらないネズミとがたがたな英語、

 

「I AM FAMOUS MANGO BOXER」と書かれたコンセプト不明のもの、

 

いや、オレンジじゃなくて桃やん、とつっこみたくなるハッピーな桃など、

 

たくさんのコンセプト迷子なゆるすぎポーチに出会ってしまい、ついつい8個も買ってしまいました。(同期も5個買った)

 

そして、重度のカフェイン中毒な私は、出張でコーヒーが飲めずカフェイン欠乏で頭痛がとまらなかったため、そのまま近くの病院(カフェ)へ。

 

ここで出てきたのが、普通の倍ぐらいあるんではないかと思われる大きなマグカップ!!同期は途中でギブ、私も1杯飲み切ったころには胃がムカムカ。ここに来る前に食べたロッティー(パンケーキみたいなもの)が胃に入っていなかったら、あやうく胃薬のお世話になるところでした。

 

ホテルに戻ったのが夜10時ごろ、そこから順番にシャワーを浴びて翌日の準備をして、日付が変わるころにはベッドに入ったのですが、二人ともカフェインで交感神経が刺激されつくしてハイになっていたため、全く眠れず。

 

買った商品や、視察で撮った写真を見返しながら、これからどんな形にしていくかのデザイン画を各々描いて見せあっているうちに、気づけば夜中2時。そこからは、なんとな~く浅い眠りにつけたような・・・ような。

 

5月30日朝 雨上がりのバンビエン

朝6時に起きてカフェ活しよう!と言っていたのですが、カーテンの向こうで雨がガラスにたたきつける音がしたのでそのまま二度寝。6時半ごろから国家やラジオ?が仰々しく鳴り始め、雨も小降りになってきたので、少し街中を散歩することに。

 

 

雨でしっとり濡れた橋の下には、昨晩より少し増水したナムソング川。

 

層雲に囲まれた山々とゆっくり流れるナムソング川、そして観光地と思えぬ静けさ。この独特の雰囲気、・・・大好物です。

 

この日は、郡の産業商業局局長へのご挨拶、タフア郡の魚製品生産グループ視察、グループ長への挨拶など、帰り道でいくつかの予定が入っていました。

 

腹が減っては戦は出来ぬ!と、30,000KIP(400円程度)のハンバーガーを朝から胃に叩き込むことに。

 

いやぁ・・・多すぎた・・・。完食も出来ませんでした。コーヒーは、近くのカフェでお持ち帰りしたのですが、ラオス南部のボラベン高原産のアラビカ種だそうです。ハンバーガーがきつすぎてコーヒーを味わう余裕はありませんでした(笑)

 

卵にパテにベーコンに、盛りだくさんのハンバーガー。バンビエンを訪れたら、朝食に是非お試しください!

 

続く

次回(で、まとまるかな・・・?)、バンビエンから任地への道中の視察レポートと、その翌日に行った近隣郡の生産者レポートをお送りします。

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視察②その2 Maed郡シン生産者グループ

さばいでぃー!

こんにちは!ラオスのラオ子です。

今日は、前回書いたこちらの記事の続きです!出張1日目(5月28日)はビエンチャン県いちの田舎だと言われているMaed郡(ラオ語ではແມດ郡と書きます)産業商業課を訪問、2日目(5月29日)はMaed郡のシン生産グループの視察に行ってきました。

 

 

Maed郡へのアクセス

Vientiane県Maed郡へは、今回はレンタカーを借りて行きました。首都からロットゥーが走っているようです・・・が、道中かなりの危険が伴うため、おすすめしません。

ちょうどMaed郡に滞在中に大使館から頂いた注意喚起のメールに「雨季は危険が伴うため陸路移動を避けてください」と書かれていたのですが、まさにその地域です。

 

こちらバンビエン郡内にある大きなセメント工場のひとつ。バンビエンから更に北上していく道までずっと、中国が現在建設している鉄道のすぐ近くなので、道幅に合っていないトラックがばんばん通ります。危ない!!!とひやひやしながら山を越えていきます。

 

私の任地ビエンカムから3時間ほど走りバンビエンでいったん休憩。切り立つ山々が「The ラオス」って感じがして胸が躍ります。

 

川沿いのこんな長閑な景色の中、お昼を頂きました。お昼に食べたのは、カウンターパートが持ってきてくれた、自分の家で育てたもち米のカオニャオと、お店で頼んだ卵焼き、焼き魚、豚肉などなど。これから更にハードになる長旅に向けてしっかりお腹を膨らませます。(後部座席でうとうとするだけですが・・・・。)

 

バンビエンからさらに北へ向かい、ノーン郡というところから目的地のMaed郡へは、未舗装の道のりを約50キロ。木の橋を越え、大きな水たまりを越えて、ひたすら南下します。

 

切り立つ山々に、「ビエンチャン県で一番の田舎よ!」と言われていた意味が徐々に分かってきました。

 

電波もなければ、舗装された道も商店も店も無い道を、ただひたすら真っ直ぐに進んでいくこと3時間。ようやくMaed郡に到着しました。

 

ゲストハウスに着いたのが16時ごろだったので、その日は郡の産業商業局の局長に挨拶し、少しお話を伺うことに。

 

場所が場所なだけに産業や観光業からの税収は無いに等しく、手工芸も織物のみ、というのがMaed郡の現状のようでした。

 

Maed郡での食事

その日の晩は郡の販売促進課の方と一緒に夕飯を頂きました。「ベー」の肉が美味しいお店につれて行ってくれました。

 

これは「ベー」の「ピア」です。これに「ベー」をディップしていただきます。

 

そしてこちらが「ベー」。

 

「ベー」はラオ語で山羊、そして「ピア」は胆汁のことを言います。つまり、最初の深緑色のスープは、山羊の胆汁を使ったつけ汁・・・。腸内に残っていた胆汁まで食材に!最初に牛のピアを食べるときはさすがに抵抗がありましたが、2回、3回と場数を踏んで(?)いくにつれ、抵抗というものも徐々に無くなっていきます。慣れってすごい!

 

外国人観光客向けのホテルというものはもちろん無いので、この日のお宿は平屋建てのゲストハウス。電力はかなり不安定でしたが、停電・断水なく過ごせました。

 

Napho村シン生産グループ

さて、2日目はいよいよNapho村のシン生産グループの視察です。泊まったゲストハウスから1キロほどの場所まで歩いていくとグループをとりまとめている方の家があるのですが、そこにたどり着くまでにも機織り機が置いてある家庭がありました。

 

これはラオスの巻きスカート「シン」の「裾」になる部分で、「ティンシン」と呼ばれています。暖色でまとまっていてとっても私好み・・・。

 

この小道を抜けた先にシンの生産グループの作業場があります。切り取りたい景色が多すぎる・・・。

 

こちらが、Napho村の生産者さんたちが機織りをしている作業場。ご覧の通り自然に囲まれています。鶏があちこちで鳴いていたり、子どもたちの声が聴こえたり。そして作業場からは「トントン」と布を織る音が聴こえたり。耳に優しい世界。

 

中に入るとお母さんがた3人が撒きスカートの本体部分「プンシン」を織っている最中でした。

 

裏面なのが残念ですが、ご覧ください、この細かな仕事。

 

何度見ても、何をしているのかさっぱりわかりません。私と同期隊員も1往復だけ織りを体験させてもらいましたが、経糸を分けるための板の重いこと!緯糸を1往復させるたびに、この板の場所を変えるのですが、前かがみでやるにはかなり重労働。軽々やっているように見えて、機織りは集中力と共に体力も要する作業だということを、身をもって学びました。

 

養蚕しているところが見たいとお願いしましたが、村の中心部ではなくもっともっと田舎のほうで育てているから連れていけないとのこと。カンボジアのIKTTでも、香水や香りのきつい柔軟剤を使っていないかの確認が事前にありましたが、「音」も蚕にとってはストレスになるので、できるだけ田舎のほうで育てるんだそうです。蚕さん、とってもデリケート。

 

これがNapho村で養蚕して紡がれている糸を自然の色で染めたもの。自然の色で染めると、こんなにも自然な色になる。 日本で暮らしていて、どれだけこんな自然な色の布に触れる機会があったかなと、ふと考えました。

 

織り手さんたちはみんな子どもを立派に育て上げたお母さん世代。

 

この技術と伝統を次に繋ぐには。そのために自分には何ができるか。

 

2年の間に答えが出る気がしない・・・。

 

金糸は中国からの輸入だそうですが、こちらは認証要件を満たしたODOP商品たち。

 

あまりの美しさに、つい1枚・・・買ってしまいました。パービヤン(スカーフ)もセットで欲しかったけど、べらぼうに高い。(といっても、首都で買うよりもかなりお得に買える。)

 

首都に持っていく布たちも見せてもらいました。魚をモチーフにしたビエンチャン県のシンボルマークが織り込まれた美しい布たち。同期隊員はこちらでめちゃめちゃ素敵な布に出会い、お持ち帰りされました。

 

この日実施できたこと

・Maed郡産業商業局の局長への挨拶

・Napho村シン生産グループ視察およびグループ長へのアンケート実施

 

局長とのお話やアンケートの内容は、生産グループでヒアリングした内容も含めてこれからまとめていきます。

 

そしてバンビエンへ

視察が終わったあとは、村の近くのフォー屋さんで軽く昼食をとり、バンビエンへ!

50キロ以上の未舗装の道をとんぼ返り。途中ぬかるみにはまって抜けられなくなるという絵に描いたようなハプニングを経て、野を越え山越え、ついでにこんな川も越えて向かいます!強いぞランクル!さすがだトヨタ!!!

 

にしても、確かにこれ、雨季になったら危ないわ。大使館情報、命を守るためにしっかり読もう・・・。

 

 

その3に続く。

 

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視察②その1 生産グループ出張に行ってきます!

さばいでぃー!

みなさんこんにちは、ラオスのラオ子です。5月27日から6月1日まで、首都の同期隊員が任地ビエンカムを訪れてくれています。目的は、タイトル通り生産者さんの視察とお土産屋さん調査です。

 

 

実をいうと、アメーバにかかってから1週間以上経ってもまだ胃腸は本調子ではなく、胃がむかむかする感じが残ったままだったのですが(数日絶食状態だったから、そりゃそうか・・・)、早く活動したい気持ちが圧勝して計画通りすすめてしまいました。本当に、ヤツ、なかなか強敵です。ずっと引きずります。気を付けましょう。気を付けようがないけど。

 

視察のスケジュール

5月28日 ビエンカムからMaed郡に移動、郡内視察(Maed郡泊)

5月29日 Maed郡Napho村織物生産グループ訪問、バンビエンに移動(バンビエン泊)

5月30日 バンビエンのお土産屋さん視察、ビエンカムへ

5月31日 ポンホーン郡内の織物生産グループ2グループを視察

 

というスケジュールですが、多分このブログを読んで下さっている方のほとんどが「どこ?」という感じだと思うので、地図で示してみました。

 

 

青いピンが3本立っている少し下についている◎が首都ビエンチャンです。

 

上のピンの一番下、Toulakhomという場所の近くが私の活動場所で、初日に行くMaed郡Napho村は地図左上のピンのあたり(らしいけど、本当かなあ・・・)、そしてバンビエンは右上のピンのあたりです。Phonhong郡は、私の任地の左上なので、日帰りで2か所見学に行きます。

 

旅行が好きな方は「バックパッカーの聖地」としても知られるバンビエンのことはご存知かもしれません。私の任地からNapho村へは約230km、Napho村からバンビエンへは130m、そして任地へ100kmと、往復460kmの道のりです。

視察の目的

今回の視察の目的はただひとつ、「シン(ラオススカート)」の生産者さんに会い、情報収集を行うことです。本来であれば自分で一度足を運んで情報収集した上で同期隊員に来てもらうのが正攻法かなと思ったのですが、あまりに遠く費用も掛かる場所なので、初視察に同行してもらうことになりました。

自分だけだと調査票の質問をして見学をして、と色々する余裕が無いので、デザインや作業工程を見てくれる人がもう一人居てくれると、1回の見学で得られる情報量が増えて助かります。本当にありがてぇ・・・。

 

視察の準備

先輩隊員の質問シートや過去の専門家さんの報告書を参考に、どんな情報を蓄積すれば後々の活動に役立てられるか考えて質問シートver.1を作り、いざ!

 

・・・というわけにはいかず、まず費用を配属先・JICAがどれだけ負担するかという話し合いに始まり、スケジュールの確定、企画書、申請・・・と、配属先にもJICAにもいろいろな書類作成が必要となります。

そして、私が配属されている「ビエンチャン県産業商業局」から、各郡の役所に訪問のレターを出してもらい、郡職員にも同行してもらうため、カウンターパートの助けがなければとてもじゃありませんが行けません。自分の企業向け研修の準備もありかなり大変な中、ありがとう、Sさん。どうやってお返しすればよいか。

 

いってきます!

というわけで、まずは明日から2泊3日で、Napho村とバンビエンに行って参ります。良いレポートが出来るように情報収集に励みます。

 

最近書いたノート

ぶつぶつつぶやいてます。

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視察①ポンホーンの竹細工の生産者さんとシン屋やさん

さばいでぃー!

 自転車を買うため、活動先の2人が隣町まで連れて行ってくれました。

 

 

ポンホーンは私の街から15kmぐらいの所にある町です。

13号線をこのまま北上していくと、

ラオスの元(?)バックパッカーの聖地「バンビエン」、

その先をゆくと街全体が世界遺産に登録されている「ルアンパバーン」。

 

私の居るビエンカムやその北のポンホーンは

首都とバンビエンのちょうど間あたりにあります。

 

 

わたしの住んでいるビエンカムとは、店の量が全然違う。

ビエンカムにはほぼ無い中国語・韓国語の看板もちらほら。

 

 

この街もビエンカム同様観光資源に恵まれているわけではないため

首都に比べたら外資系のお店はほぼありません。

ほぼありません、というか、たぶんありません。笑

 

少し都会な田舎、という印象。

 

 

当面の移動に必要な自転車を購入し、

職員のお姉さんおすすめのフォー屋さんへ。

 

 

確かに、美味しい!

しっかりお肉の味がするのに全然ケモノっぽくない、

美味しいお出汁でした。

 

 

ラオスでフォーを頼むとこのゴマ味噌のようなものが付いてきます。

これを入れて、唐辛子の辛さを足すと、まるで担々麺のような濃厚スープに。

こういった、小皿に盛られたペーストは「ジェオ」と呼ばれ

トマト風味や魚醤のガツンと効いたもの、激辛のものなどいろいろですが

フォーについてくる「ジェオスキ」は辛さはありません。

野菜につけてもよし、カオニャオ(蒸したもち米)につけてもよし、

日本人にはとてもなじみやすい味だと思います。

 

任地に来てから、食べるのは麺類ばかり。

あっさりしていて夕方にはお腹がちゃんと空くぐらいの

ほどよい低カロリーなうえに

もやしやサラダ菜をもりもりに入れて野菜も摂れて

最近体が軽いように感じます。

こちらに来てすぐに作ったシンも、

少し余るようになってきました。嬉しい。

この食生活を維持して、NTCに入所してから増えに増えた体重を

戻していきたい今日このごろです・・・。

 

いざ、視察!その①竹細工

ポンホーンに行った一番の目的は自転車を購入することですが、

その途中にあった生産者さんの所に行って

仕事風景を見学させてもらうことができました。

 

 

私の要請内容はざっくり言うと「ODOPの普及や販売促進」です。

大分県で1960年代に始まった「一村一品運動」がさきがけとなり、

のちにJICAのプロジェクトなどを通じて

アジア地域周辺の途上国を中心に広まったのが

ODOP(One District One Product)。

 

私の活動先であるビエンチャン県には

約60のODOP認証商品があり、

生産者のグループが違うだけで同じ商品が登録されていることもあるものの

食品、竹細工、布など、たくさんの開発資源があります。

 

 

これはそのうちの一つ、竹細工のちゃぶ台、

軽くて、丈夫で、とても使いやすそうです。

これでも日本円にしたらだいたい1700円しないぐらい。

涼し気で、良いですよね。

 

 

道端のガレージで作っているおばちゃんたちの

作業風景を見学させていただきました。

 

魚を捕るための道具や、蒸したもち米を入れる竹製のお櫃、家具、

なんでも竹で器用に作ってしまう、竹細工のスペシャリストです。

 

 

下のほうに少しだけ映っている黒い洗面桶に水が入っています。

編むところに水分を含ませてやわらかくすることで、

薄く裂いた竹でも折れることなく編み込めるんだそう。

 

 

 
 
 
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このように、おばちゃんたちの手によって1本ずつ割かれた竹が

ラオスの人たちの生活必需品へと姿をかえていきます。

 

 

「ここが一番難しいんだから!撮って!!撮って!!!!!」

とポーズをきめてくれたおばちゃん。

大きいナタを器用に使って、1mほどの長さの竹を

薄すぎず、厚すぎない、絶妙な厚さに割いていくのです。

 

 

現在編んでいるのは、特大サイズのティップカオ(おひつ)。

ラオスの人たちは、カオニャオという蒸したもち米を日常的に食べますが、

それを保存するのに欠かせないのがこのティップカオです。

 

 
 
 
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このお櫃に入れると、丁度良く水分が抜け、丁度良く保たれ、

水滴でベタつくことも表面がパサつくこともない

美味しいカオニャオが保てるのです。

(ティップカオを開けたままにしていると、

空気に触れている部分がすぐにパサパサになります)

 

これから、できるだけたくさんの生産者グループをまわり

良いパートナーを見つけたいと思いますが、

ポンホーンは局から通いやすいところなので

何かをお願いする機会も増えそう。

これからもよろしくお願いします!

 

視察その②ポンホーンのシン屋さん

 

www.laoko.net

 前回記事の冒頭でお話した「シンが買えなかった話」を聞いて、

ODOPの視察がもちろんメインですが(笑)、

連れて行ってくれました!

市場ではない、きっちりお店を構えたシン屋さん。

 

迷いに迷って買った2着がこちら。

 

 

まずは、「サイニャブリ」という、先輩隊員が居る街の布。

日本でも着れそうなデザインなので、大切に着たいと思います。

手織りの藍染の浮き織りなんて、何て贅沢なんでしょうか・・・。

 

 

こちらは、私の活動地であるビエンチャン県の、

ODOP認証を受けたシン。

全体的に、きらびやかで、裾部分が豪華な印象です。

 

シンはいくつかのパーツによって構成されていて、

着方もTPOによって様々です。

腰布の「フア・シン」は使う機会はめったに無く、

「パービアン」という肩掛けの布は、

サイバーッ(托鉢僧に喜捨すること)や

正式な行事のときに着用します。

 

通常「シン」は巻きスカートのことを指しますが、

「プン・シン」は腰布、「ティーン・シン」は裾布と

パーツによって2つの呼び方があります。

絣や浮彫が全体に入ったプン・シンのみのシンもあれば、

プン・シンはほぼ無地のシンプルな生地で

ティーン・シンの部分に豪華な装飾が施されたものもあります。

 

 

このシンは、プン・シンとティーン・シンが縫い付けられて

1枚のシンになったものです。

甲乙つけがたいものばかりだったので、

一緒に買いに行ったお姉さんに選んでもらいました。

 

あまりに細かく織られているので機械織りかなと思いましたが、

よくよく考えたらODOPの認定基準は

「人の手で作られていること」。

 

ということは、これもすべて手織りです。

凄すぎて意味がわからないよ・・・。

 

 

このシン屋さんのお店の裏には織り機が大小合わせて10台以上並んでいて、

そのうち数台が稼働していました。

こちらの織り機は、布を織りながら竹を編み込んだタペストリーを作っている最中。

涼しげでとても素敵でした。

 

おまけ

ちゃんと組み立てられておらず

サドルの首がぐらんぐらん(サドルの角度が定まらない)の

危険な自転車でヘトヘトになりながら帰宅し、

 

さて、いつものお散歩、と思ったら、

 

 

隣のデスクのお姉さんの家族・親戚一同に呼び止められました。

悪い予感がする。

 

 

「これは何て言うの?」

 

「イモ」

 

「イモぉおおおおおwwwwwwwwwwww」

 

「??」

 

「いえぇええええカンパ~~~イ!!!」

 

と謎に大盛り上がり。

どうやらこちらの女性の名前と同じ発音のようです。

 

「ねぇ、イモ食べる?」

 

「食べる!」

 

「「いぇえええええええwwwwwイッキ!イッキ!」」

 

「や、イッキ無理!無理!」

 

「じゃあ半分イッキ!!!!」

 

と、ラオスのキンビア(飲み会)文化の洗礼を受けました。

 

 

大量の生唐辛子を投入された激辛のジェオには、

生のエビ、というか解凍されたタイ産エビがたっぷり。

アタることへの不安と、生の魚介が食べたいという欲が3秒ぐらい闘い、

欲が圧勝したため美味しくいただきました。

辛い物を無理やり食べ、それを流し込むためにビールを飲んで期待に応える、

なかなか ハードで楽しい時間。

 

翌日の二日酔いと、胃痛といったらもう・・・。

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突撃コミュニティ開発①スペシャルワンオペばあちゃん

さばいでぃー!

 

普段使いできるシンが2枚しかないので、

シン屋さんに行きました。

美しいサムヌアのシンに心がときめきましたが

420,000KIP(=約5500円)と言われて断念。

 

のちに職場でその話をしたら

「サムヌアのシンはもともと高級だけど、42万は高すぎる!

日本人だから高く言われてるのよ!

今度一緒にシン見に行きましょうね」と。

近々職場の人たちと、ビエンチャン県のシンとサムヌアのシンを

探す旅に出たいと思います。ヤッター!

その言葉待ってたー!笑

 

 

そのお店には色んな種類・価格帯のシンがあり、

機械織りと思われるシンの中に、

ハイブランド感漂うものも見つけました。

伝統はこういう感じで進化していくんですね。

 

突撃コミュニティ開発

 

がっつり活動を始められるのはもう少し先になりそう。

JICAの規定で、バイクに乗れるのは認知の交通事情に慣れてからなので

まだ自分であちこち行くことができません。

あと2か月半・・・長いな~。

 

毎日職場に行って色んな人と話して、

ODOP商品の情報を仕入れたり、

どんな風にODOPを認知しているのかを探りつつ、

誰がどんなことを助けてくれるかも様子見つつ、

何かしたそうにもぞもぞするのが

今の自分の主な仕事(だと思っています)。 

 

とはいえ、何かしたくてうずうずしているのも確か。

市場に行って端から端まで見て回りたい。

いろんな市場や生産者さんのところに行きたい。

 

そういう気持ちも少しずつ色んな人に話していって

「それは〇〇さんに言えばいいよー!」

「今度連れてってあげるよー!」

の言葉が聴けるようになってきた。

焦らない、焦らない!

 

 

 

と・・・いいつつ、

私のお散歩コースの途中にあるずっと近所のシンプルな機織り機が

ずっと気になっていて

前を通るたびにチラチラ・・・チラチラ・・・。

 

 

 

いつも機織り機には布がかかっていて、

おばあちゃんが作業している所は何回かしか見たことがありません。

 

機織りの作業をしているときは、

とても緻密な作業だし話しかけられたら嫌かな~と思って

躊躇してしまいなかなか機会を得られず。

 

今日は機織り機の手前で糸巻きの作業中。

よし!生産者さん視察のつもりで行ってやれ!と

コミュニティ開発という名の突撃お宅訪問してきました。

 

スペシャルワンオペばあちゃん 

 

 

おばあちゃんがゆっくりゆっくり引いているのは

自分で育てた蚕を自分で染めたという糸。

 

藍って何て言うんだっけ・・・。

 

藍、出てこないなぁ・・・。

 

苦し紛れに「自然の色ですか?」と聞いて

 

「もちろんそうだよ」と答えがかえってきました。

 

 

本来人の手で作られていたものが

機械に委ねられるようになったことすら

すっかり忘れてしまうような、美しくて緻密な模様。

 

これはシンの裾の部分です。

この上に同じような色の無地の布を継ぎ足してシンになるものもあれば、

もっともっと広い機織り機で全部一緒に織られることもあります。 

 

 

シンは地方によって織り方や模様も様々。

 

「シン・コー」はこのような「浮織」のことを言います。

一見刺繍のようにも見えますが、これは全く別物。

緯糸を一本一本通すたびに、経糸に色とりどりのシルクの糸や金糸を

くくりつけて出来る模様なのです。

 

「シン・ミー」という別の織りかたは、

日本語では「絣」と言われています。

「シン・ムック」は紋織。

まだまだ知らない種類もありそうです。

 

この地域ではシン・ミーではなくシン・コーが盛んなようです。

 

 

 

「どれぐらいで1枚出来るの?」

 

「急いだら5日ぐらい。でも急いでないから少しずつやってるよ」

 

「いつから機織りやってるの?」

 

「さぁ・・・忘れちゃった!」

 

二人でアハハと笑ったけど、 

 いつ機織りを始めたか覚えていなくても、

この職人の手はこの素敵なシンの織り方を一生忘れない。

蚕を育てて、糸にして、自然の藍で染めて、

模様をひとつひとつ括っていくことを

きっと遺伝子レベルで覚えているんだろうなあ。

 

 

ワンオペでここまでやってしまうばあちゃん。

最後に、「どうやってそんなに細かい仕事ずっと続けられるの?」

と質問してみました。

 

答えは「ゆっくり、ちょっとずつ、やりたいときにやるんだよ」

 

私もその気持ちをお手本に、2年間を、ゆっくり、ちょっとずつ、

丁寧に過ごしたいと思いました。

おばあちゃん、ありがとうございました。お邪魔しました!

 

おまけ

 

www.laoko.net

 

どこもお店が閉まっていて食糧難を迎えていたラオ子でしたが、

3連休が明けて市場にいつもの活気が戻っていて

とてもとても幸せな気持ちになりました。

 

 

おやつ屋のおばちゃんに

「3連休おやつ食べられなくて寂しかったよ」って言ったら

揚げたてのタロイモのフライをトングでつまんでひとつくれました。

 

あのさ、おばちゃん、あつい。あっっっつい。

熱すぎて写真撮るのも忘れました。

 

 

 

その後、甘いもの屋のおばちゃんに

「ビエンチャン県で採れるいちごだよ!」と言われて

10000KIP(=130円ぐらい)で購入。

 

日本のものより種の主張が強いけれど、甘みが強くて美味しい。

自然のいちご は

 

小粒で、不揃いで、色もいろいろ、

それで全然「ぼーぺんにゃん(大丈夫)」なんだよな。

日本の、化粧箱に美しく並べられたイチゴは美味しいけど

この野性味あふれる無骨なイチゴたちも全然負けてない。

 

 

カオチーパテー(サンドイッチ)屋のおばちゃんに

1つ頂戴!って言ったら

「今日はパンが無くなっちゃった!ごめんね!」と

蒸し器からひょいっと摘まんだ肉まんを

私の手のひらに乗せてくれた。

 

だから、あの、熱い・・・熱いんや・・・

今日はそういう日なんでしょうか。

 

 

1つ1000KIP(=13円)と書いてあったので

「美味しかったからもう一つください!」と2000KIP札を出しました。

そうしたら、「最初の1つはお金いらないよ!」と

さらに2つくれました。

おばちゃん、こーぷちゃいらいらーい!(ありがとう !!)