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『Made in Laos 2019』に行ってきました

さばいでぃー!

こんにちは、ラオスのラオ子です。

 

「●●さんは元気にしてるの?」と、以前出張に同行してもらった同期についてカウンターパートが訪ねてきました。「楽しそうにカメムシ捕まえて食べてたよ、ホラ」と写真を見せると、「美味しそうね~!!ラオ子は食べたことある??ないなら、今度カメムシ持ってきて皆で食べましょうね!」と。

 

私、食虫は全然抵抗ありませんが、カメムシは素揚げがいい。ヂェオ(すりつぶしたペースト)は、無理かも・・・。「日本ではこの虫のこと『ヘコキ虫』とも言って、良い匂いじゃなくて臭く感じるんだよ~。だからジェオじゃなくて揚げカメムシでよろしく!」と言うと、「ラオスにも『ヘコキ虫』っていう名前の虫居るけど、別の種類だしめっちゃ危ないから絶対食べないよ」と上司。

 

調べても何も出てこないので、「臭い虫」で画像検索をかけて「この中に居る?」と聞いてみると、居ました居ました。ほんま便利な世の中やな。

 

どうやら『ゴミムシ』という虫のことをラオスではແມງ(虫)ຕົດ(おなら)というんだそうです。日本でもへっぴり虫って言ってたかな、そういえば。

 

この虫、見た事あっても特に気にとめたことは無かったのですが、どうやらカエルに丸飲みされたときに有毒かつ100度以上の高温のガスを噴射することで吐き出させて生き延びることができるというなかなか危ない虫らしく、いろんな虫を普通の食糧として考えているラオスの人も絶対に食べないみたい。いろんな虫を食べるけど、あらゆる虫を食べるわけではないんだな。奥が深い。

 

この虫の出すおならは「ກິ່ນ(臭い)」で、カメムシは「ຫອມ(いい香り)」、本当にわけがわからんな。ラオスおもしろーい!

 

 

そんな私は、日曜日にこの記事を書きながら、鈴鹿サーキットで行われた『鈴鹿8耐』という、読んで字のごとく8時間走り続けるバイクレースに夢中になっておりました。最後の数分で起きたトラブルの数々と、それによって1位独走だったKawasakiがリタイア扱いになるという暫定結果に微塵も納得がいかず、Instaのストーリーに恐ろしい量の殴り書きを投稿し、現地や中継でレースを見ていた兄妹、某バイク会社に勤める友人、南アに居るシニアボランティア隊員さんに悔しさをぶつけ、悶々。結局、翌日の公式の発表で暫定結果が覆ってKawasakiが一位になりましたが、・・・来年は頼むで!

 

その翌日の月曜日、なんとか2号計画書を出し終え、これからは自分の任地での活動と並行して次のイベントに向けて動き出します。ラオスはコミュニティ開発・デザイン隊員6名(+8月後半に任地に配属される新隊員2名)の大所帯で動くイベントが年に何回かあるので、8月は主にそちらのイベント準備をメインに活動することになるワケです。配属先の巻き込み方がわからないまま半年過ぎてしまってこのままだと完全に「何やってるか分からん人」になるので、Facebookでいっぱい繋がって活動のこと書いていくとか、ワツァップで課のグループ作って活動写真送りつけていくとか、ラオ人向け情報発信もがんばるぞー。

 

Made in Laos 2019

 

ラオスの食品や手工芸に関わる活動をしていくにあたって、情報収集というのはとても大切です。しかし、インターネットから得られる情報はあまりに少なく、何か調べたいことがあればFacebookで血眼になって探す日々。ですので、任地に居ても入ってこない商品がぎゅっと詰まっているエキシビジョンやイベントはとっても貴重な機会。

 

7月最初の総会の時は、たまたまビエンチャンカレッジという大学で行われたイベントに参加しました。このイベントでは、若いクリエイターさんやNGO・NPOが運営するクラフトショップの商品、クラフトビール、そして美味しいチーズの盛り合わせなどが並んでいました(後半関係ないけど幸せでしたありがとうございました)。

 

今回行ったのは『Made in Laos 2019』。首都ビエンチャンですと、こういった大きい展示会は「ITECC」という商業施設で開催されます。ラオス各地の布、手工芸品、食品、医薬品などを一度に見ることができます。生産者さんのFacebookでこのイベントのことを知って、行きたいと思っていたところ、ちょうど新規隊員さんの歓迎会と日が重なっていました!!ラッキー!!上京だ上京だ~~~!!!

 

自分の任地の商品に足りないものは何か、ラオス国内の企業がどのレベルのものを生産できているか、どの地方にどんな特産物があるか、どんなパッケージングを使っているかなど、色んなことを考えながらMR。MRという名の、お買い物。

 

 

こんな風に生産者さんがブースを出しています。

 

24日の生産者視察の後上京して、25日に先輩隊員と一緒にITECCへ。張り切って10時前に着いたら「10時までは入れないよ!」と。そして律義に10時まで待って入ってみると、中のブースは1/3ほどしか開いていませんでした。そういうとこや!!好きやラオス!!!!!

 

職種は全く違う先輩なのですが、ラオスのこと、布のこと、たくさん教えてもらえて、一人で行くより断然収穫が多い見学になりました。「この縦のラインに南部を感じるんだよなぁ・・」は名言だと思います。ありがとうございました!

 

そしてその日の晩イベントの事を話したら、たまたま上京していた同期が行ってみたいと言ってくれたので、翌日26日ももう1度行くことに。前日先輩に教えてもらったことをあたかも自分で勉強したかのようにドヤ顔で話しながらお買い物。

 

二日間でかなり使いましたが、「これは自己投資だ。他県の良い商品を購入して、自分自身で試して、活動に活かしていくんだ。」と言い聞かせました。

 

そんなわけで、ITECCで出会ったいくつかの商品をご紹介します。

 

 

こちら、私の配属先のビエンチャン県は『ケオウドム』という村のODOP商品生産者グループのブース。マルベリー(桑)の実を使った、ワインやシロップ、桑の葉のお茶などを生産しています。

 

写真左の小さいペットボトルがマルベリーのエキスなのですが、これ、ソーダで割って飲むと本当に美味しいんです!!

 

 

フルーツビネガーを想像していただくと味が分かり易いかと思いますが、そのまま原液で飲むと結構つーーーんとすっぱい!酸味に負けないぐらい甘みも強いので、私はマルベリーエキス薄めで、ライムをたっぷり絞ってソーダウォーターで割って飲むのが好きです。ライムのビタミンやクエン酸もたっぷり摂れて疲労回復!うだるような暑さの日にぐびぐび飲みたくなる味です。

 

マルベリーといえば、カリウムやビタミンCがとっても豊富です。この国の食べ物、基本的に味付けがとっても濃いので、カリウムたっぷりのマルベリーはとてもありがたい存在。亜鉛や鉄、抗酸化作用のあるポリフェノールも含まれていて、更にはアミノ酸組成のバランスも良いので、特に女性に嬉しい果物なんですよね。

 

桑の葉は、日本でも中国でも漢方として重宝されてきた生薬でもあります。日本薬局方(厚生労働省が、医薬品の品質や薬効を適正に確保するために定めた規格、基準)によると、日本では桑の根の部分の表皮を剥いだものが「桑白皮」という漢方薬として流通しているようで、抗菌作用が認められています。そのほかの実、枝、幹などは健康食品として売られているようです。血糖値や血圧を下げる効果もあり、生活習慣病の予防やダイエットの補助にもなるとのこと。

 

今度伝統療法士のおばあちゃんが事務所に来たらラオスではどういう風に処方されてるのか聞いてみよう。

 

 

 

他にも、値段を聞くことすら躊躇う『フアパン県サムヌア地方』のパービヤンやシンに大興奮したり(任地での1か月の生活費が余裕で飛びます)、

 

 

水道菅で作られた、民族楽器を吹く置物に愛着が涌いてみたり、

 

 

タイル―族のケミカルな織物に心奪われたり(何で買わなかったんだろう・・・)。

 

 

ラオスの南部はコーヒー栽培、北部ではお茶の栽培も盛んで、ボラベン高原のコーヒーやポンサリーのお茶なども並んでいました。

 

 

 

やってしまったのがここ。シンがたくさん並んでいるなかに、私の任地では見かけない可愛い模様を見つけてしまい、斜め前のポンサリーのお茶やさんのお母さんが「ええやんええやん!!」とちゃちゃを入れにきて、

 

 

えええ・・・・可愛い・・・・となった結果、

 

 

迷いに迷って1日目に1枚買って、

 

 

2日目におかわりしちゃいました(笑)結局どっちも買うんかーい。

  

なんてったってこれ、1枚2000円以下。裏地はもともとついているので、お仕立ては2着で900円ぐらいでした。いつも大家さんの親戚の仕立て屋さんに頼むのですが、最近とても安くしてくれます。でもものすごく丁寧に、そしてすぐに仕上げてくれるんです。ありがたい!

 

買った生地はせっかくなので、

 

 

 

1枚はシンに、

 

 

もう1枚はスカートにしました。

 

ちゃんと一番きれいなところがセンターに来るようにどちらも調節されています。お母さん・・・天才か?

 

 

ドミトリーに先輩が置いていってくださった藍染の絣布のスカートを持っていって、「これと同じ感じで、でも柄が切れないように長めに仕立てて!」とお願いしたのですが、言い忘れてたスリットを勝手に入れてくれるあたり、本当に天才か???

 

藍染のスカート、サイズはぴったりなんですが、大股の私には少し歩きにくかったので、スリットが入ってちょうどよくなりました(笑)

 

職場の同僚に聞いてみると、シェンクワンの低地ラオ族のものということには間違いなさそうなのですが、「ລາວພວນ族」「ໄທແດງ族」のどちらかだそうで、何族のものかは特定できずじまいでした。知ってる方、教えてください!どっちにせよ可愛すぎるわ。ベッドに広げて、一人でにんまり。幸せだー!

 

 

で、視察はと言いますと、いつも任地でお世話になってる生産者さんにも挨拶に行けたし、食品のパッケージングの参考になる会社も見つかったし、色々な県の布を使って商品を作っているラオス人のデザイナーさんにも出会えたし、なかなか収穫多き時間になりました。反省点があるとしたら、今度からはもう少し財布のお金を抜いていこうと思いました・・・。

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泣いて笑って、よんぶんのいち

報告書、明日が提出期限だってよ。

JICA海外協力隊としてラオスに派遣されてから、任期の1/4終了。なんて早いんだろう。なんてあっという間なんだろう。着任後3か月の1号報告書を書いたのがつい最近だと思っていたら、もう明日が2号の提出期限。なんてこった。

 

活動を始める前は、報告書の書き方を聞いて「着任して半年で活動計画?半年も何もしないのありえる?!」って思っていましたが、あの頃の私に言いたい。ここで半年過ごしたあなたは、無い頭を捻り倒しても活動計画書が全然捗らなくて、書いてみたけど全然納得できなくて送る決心がつかなくて、気を紛らわせるためにネット配信で鈴鹿8耐(バイクが8時間耐久で鈴鹿サーキットを走り続ける、モータースポーツファンの夏の一大イベント)を応援しながらブログを書いてますよってこと。ほんと、詰んだわ。誰か助けてください。

 

過去記事で振り返る半年間

半年前の1月29日、10人の同期と共にここラオスにやってきて、ドミトリーで共同生活しながら約3週間、語学学校に通いました。 

 

 

首都で過ごした1カ月間、どんどんラオ語を吸収していく同期隊員を見てメンタルポキポキ野郎になった私は、日本での研修やその前後の旅行、フェスで使い切った後のお釣りみたいな資金のほとんどをオシャカフェ巡りとアコギ購入に溶かし、本人も驚きのお財布コンディションで任地に向かうことになりました。(楽器があるおかげで気分転換もできてるし、他の隊員と一緒に音楽できる時間にも恵まれて、結果的には大勝利でしたけどねっ!)   

 

 

任地に来て最初の1カ月はゲストハウス暮らしで、配属先までは同僚に送り迎えしてもらう生活。その同僚一家は私にとてもよくしてくれていて、先日も乗り合いバス降り場から家まで歩いていたら途中で拾ってくれたり、ごはんに招いてくれたり、カオパンサーにつれていってくれたり、本当にありがたい存在です。

 

子育て上手な彼女は私のカタコトのラオ語も息子を褒めるときと同じように褒めてくれて、おかげで配属先の人たちやご近所さん、市場のおばちゃんたちと話すのも楽しいと思えるようになりました。なお、土日に営業してくれるローカル食堂がほぼ無く、あったとしても同じ味のラオ料理ばかりで食欲がわかず、屋台の買い食いとフルーツだけで生活したため、二本松訓練所で蓄えたお肉をそぎ落とすことに成功しました。やった!!

 

 

そして日本の友人に「未だに読み返して笑っている」と好評のこちらの記事を書くことになったわけです。住み始めたばかりのころは「これがラオスのスタンダードなのだとしたら私は甘んじて受け入れるぞ!!」と思っていましたが、その後遊びに来たラオス人の友人に「子ども部屋みたいwww」と笑われたため、もうどうでもいいやと思っています。ピンクかわいい女子力ぶちあがる。(自己暗示)

 

任地で1か月を過ごしたころ、「キンビア(=飲み会)」という下戸にはただシンプルに苦痛な「飲め飲め文化」に潰され、このまま旧正月を過ごしたら臓器もメンタルももたないと判断した私は、みんなの誘いを断ってそのまま首都へ逃亡。あの時わたしの話を聞いて色々アドバイスをくださった先輩がた、そしてキンビア好きやのにお酒なしでご飯に付き合ってくれた同期にはありがとうしかありません。感謝永遠に。

 

4月後半には、先輩が企画されたイベントにも参加させてもらいました。自分自身原爆について学ぶ機会になっただけでなく、先輩がたがラオスの人たちとどんな風に関わっているかや、先輩隊員の本職である「先生」のプロフェッショナルな一面を見れた貴重な時間でもありました。 

 

 

その後、職場で活動がうまくいかず白旗を振って調整員さんに来てもらい、更にはバイクも手に入れて、よし!再スタートだ!!と気合を入れた瞬間に、思い出しただけで下腹部がシクシクする、人生2度目のアメーバ赤痢。しばらくじっとしとれ、落ち着け、っていう事やったんかもしれん。

 

一度アメーバにかかったら、人は2回苦しむ。1回目は発症した日。2回目は、ローカル病院での治治療。

 

・・・みなさん、ここテストに出ます。大事ですよ。赤線ひっぱっといてください!

 

そこからは体調を崩すことなく活動でき、ビエンチャン県11郡中6郡に視察に行き、17生産グループ中7グループに調査を実施しました。まだまだ全郡実施とはいきませんが、初代隊員としてはまず”知る”ことからだと思っているので、残りについても実施できたらなあと思っています。(残っているグループは近隣郡が多いので、きっとできる・・・はず!)

 

色々あったし、今からもっとある。

何で伝わらへんねん~~~~~~何言うてるかぜんっっっぜんわからへんしさあああああ~~~~~~ラオ語調べても全然でてけえへんし、教科書にも載ってへんし、イングリッシュOK!って言ってくれるけど全然伝わってる気しいひんし、生産者のおばあちゃんら何言うてるか全然聴き取れへんし、天井から水降ってくるし扇風機空中分解するしゴキブリに噛まれるし、なんやねんラオス、なんやねん~~~~~~~~~! と、思って過ごしていた毎日でしたが、ひとつだけたどり着けた答えは「相手のことがわからないのは、ラオスのことを知らなすぎるから」でした。

 

 

実は私、「音声反訳」をしていた時期がありました。いわゆる文字起こしというやつで、主に講演やセミナーの内容を聴いて、そのまま文字に起こしていくというものなのですが、これがまたとてもとても難しい。音楽、料理、生活など、馴染みのあるテーマのときは3回ぐらい通して聴けばその後倍速で流しながら入力してだいたい整えられるのですが、特殊な機械の使い方や、土木関係の工事の話、医療関係者の話など、踏み込んだ内容になるとさっぱり捗りません。自分が知らない世界の事、特に固有名詞は、曖昧にしか聞こえないときに「候補を絞り込む」こともできなければ、なんとなく次はこの単語がくるだろうという予想もできないので、スムーズに指が動かないのです。

 

私にとってのラオ語も同じ状態にあるとようやく気が付いたのは、わりと最近になってから。ラオ語自体の勉強をするのと同時に、ラオスのことをもっと知らないと、音だけ聴けても理解に繋がらない。自分の言いたい事だけ言えても、相手の伝えたい事が分からない。 で、結局「知識が増える」という事はそれに関連する語彙の候補をあげられるようになったり、分からない言葉を知識で補完したりできる、ということでして。そこから文献を読み漁る日々。ネットに落ちてる論文やJETROさん、JICA専門家さんの調査報告書、ラオスに関する本などなど・・・勢いで印刷した&買ったものがまだまだ自宅とドミトリーに積ん読されていますが、何回か目を通していると、あ、このこと言ってたのかな、とか、あの論文と繋がるな、とか、気づきがたくさんあって。

 

結果的に、普段話していても「あぁ、あのこと言ってんだな」ってなんとなく予想できたり、話が広げられたり、できるようになってきたワケですね。だからこそ、個人を、配属先を、ODOP認証制度を、ラオスのことを、もっともっと知らなければと思いました。日本に居るときにもっとやっておけばよかったと後悔したのはラオ語の勉強よりもこっちかもしれません。ラオ語は勉強のリソースがなさすぎて訓練所に入ってからじゃないと読み書きが難しいのですが、文献ひっぱったり本買ったりしてその国を知ることはできます。 とはいえまだまだ胸を張って「ラオ語話せます!」とも言えず、言いたいことも言えず、でも自分が正しく解釈して伝えられているという自信もなく、イライラ、モヤモヤ、ぐるぐるしたまま、己がびっくりするぐらい酷い顔で家に帰って狂ったようにドラゴンフルーツ食べる日々。

 

苦手な上司を唸らせるぐらいのラオ語が話せるようになりたいという、至極不純なモチベーションではありますが、ぼちぼち勉強を続けたいと思います。 

 

情報を発信すること

今はこのnoteとブログとSNSと、色んなとこでお騒がせしてますが、これはずっとずっと続けていきたいと思っています。むしろ、もっと前のめりにやっていきたい。 

 

 

 

ラオスの情報発信、というよりも、自分の感じたこととか、心が動いたときのことを書き留める場所がほしくて、noteをはじめてみたりもした。更新頻度は薄まるけど、アフェリをやっているわけでもないし、いらなかったら消すなりまとめるなりすればいっか、って思って書いてみたら、これが意外に使いやすくて。これぐらいシンプルなUIだと見やすいし綺麗にまとまるんだなと、ひとつ勉強。 

 

 

あっちでもこっちでも色々発信してうるせえやつだ、と思ってもらえてたらいいなって思って書いてます。それぐらい気に留めてもらえたら本望。写真付きで自分の活動やその時の気持ち、考えを振り返るためのポートフォリオ的役割を果たしてくれるものって、あとあと結構大切になったりするんです。

 

カンボジアから日本に戻ったあと、母校2校、母校の付属小学校、カンボジアに研修に来られていた学校と、小学校から大学まで4か所で講演させてもらったのですが、こうやって残していると、スライドすぐできちゃうんですよ。だから大切。ブログ読んで久しぶりに連絡くれる友人も居たりするし、そういう嬉しいフィードバックをモチベーションにしてどんどん書き溜めていきたいなって思ってます。そのために公開してます。 

 

私がラオスのラオ子になる前、カンボジアに住んでいたときは、「カンボジアのボジ子」を運営していました。移住前にくまなく読んでくださった方、「ボジ子に会いたいって言ってるインターンの子がいて~、」と紹介してくださったおかげで友達になれた人をはじめ、いろんな出会いに繋がった場所です。「ラオスのラオ子」も、JICA海外協力隊を目指したい人とか、ラオスに来てみたい人とか、とにかく色んな人に読んでもらえたらなあと思っています。 

 

嬉しい事を100倍喜んで生きようと思った 

 

 

任地ビエンチャン県にやってくる前に、同期隊員の配属先のホアイホンセンターを見学させてもらう機会がありました。そして、今月あった隊員総会の後、数か月ぶりに全員揃ったコミュニティ開発隊員でまたホアイホンセンターを訪れました。 私はその時、初めて自分自身が”すこし”成長できたなと感じることができました。 あの時聞けなかったことが聞けた。それだけなんですけど、でも、それだけのことを自分でちゃんと振り返れたのは、私にとって大きかったんです。

 

 

どこから来たの?一人で住んでるの?いま何歳?織りはどこで習ったの?家族も地元で織りをやっているの?自分の村の織りは、どこ産のどんな素材でやっているの?この柄は誰に教えてもらったの?この色は何の色?原材料はどこから来てるの?色は全部ここで染めたの?シルクの種類は?媒染もやってるの?どうやって媒染液を作ってるの?媒染液は鉄だけ?他の種類は無い?他の媒染液の作り方は知ってる?ラオスで金属媒染ってメジャーなの?あなたの出身の村ではこの染色方法知ってる人は居るの?

 

あの時疑問に思ったけど聞けなかったこと、あの時疑問にすら思わなかったことが、たくさん聴けた。それだけなんですけど、私にとってはめちゃめちゃ嬉しかったんです。 

 

任地に居ると特にそうなんですが、自分が全部悪いんだという一番お手軽な結論のもと考えることを放棄して、ネガティブ沼にずぶずぶ溺れがちです。「古都こと」というマンガのユキチくんみたいに論理的思考で人をぶん殴れるぐらいの人間になれたらと、だいすきな音楽に触れる気にもならずに部屋に引きこもってマンガ読んでただけの休日もありました。(いつも話聞いてくれる同期隊員たち、本当にありがとう・・・) だから、自分のことでも、人のことでも、めちゃめちゃ喜びたい。マイナスなことよりも、そういうことに敏感になれる人間になりたいな。・・・って思いました。そうやってちょっと考えるだけでも何か変わるかな。変われるかな。

 

同僚のシンが可愛い。蒸したてのカオニャオが美味しい。タマフンの辛さがちょうどいい。雨あがりで涼しい。近所の子どもが私の名前を憶えてくれた。なんか、そんなことでいいなって思いました。活動は難しいけど、毎日ちゃんと幸せだ。 

 

泣いても笑っても、あとよんぶんのさん

いつも全力で「売り切れだよ!!」って言ってくれる近所のカオピヤック屋のおっさん、毎日手を振ってくれる果物屋の子どもたち、ほどよい距離感で接してくれる大家のお父さんお母さん、お世話になりっぱなしの配属先、当たり前に会えることが当たり前じゃなくなる日がもうそこまできてるんだなって思うと、1日1日大切に丁寧に生きなきゃ。 ・・・と思うのですが、それは調子いい時の話で。

 

実際のところ「なんやねんコラァーーーーーーーー!!」と言いたくなるときも多々あって。(言いません!)泣きたくなるときもたまにあって。(泣いてません!)

 

 

 

でもそういう日も含めて、あと1年半なんですよね。どう過ごすかは私次第。ちょっとでも楽しく、健康に、そして何か一つでも残せるように活動にも力を入れて、やっていけたらなって思ってます。

というわけで、あと1年半、このうるさいブログとノートにもお付き合いください! 

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ビエンチャン県に、きゃんせ!

さばいでぃー。

「きゃんせ!」が分かった人は私と同郷(のはず)!!

 

滋賀の湖北のことばで「おいでよ!」という意味です。

 

トゥクトゥク走ってない、外国料理のレストランもない、中国・韓国語の看板すら見当たらない、乳製品売ってない、ないないない・・・と普段「任地ないないアピール」をしまくっている私ですが、ついに、いつもお世話になっている某OBの方に「今まで行ったなかで1、2を争う僻地」と太鼓判をいただきました。ありがとうございます、光栄です!!!

 

そんなことばっかり言っている私ですが、たまには趣向を変えて「ビエンチャン県楽しいですよ~~~💛」という意見も推してみたいと思います。

 

 

ビエンチャン県ってどこ。

首都「ビエンチャン特別市」と混同されがちなビエンチャン県は、首都の北に位置する県で、県都は私が居るビエンカム郡にあり、サイニャブリ県、ルアンパバン県、タイとの国境、シェンクワン県、ボリカムサイ県にかこまれています。

 

 

県の中央には大きな「ナムグム湖」そしてそこに作られた「ナムグムダム」があり、ラオスの人たちの観光地になっています。ダムの北がわには1度行きたいと思っている「ナムグムダムリゾート」、そこから更に北上するとエコツーリズムの拠点「バンビエン」。首都ビエンチャンと地方都市ルアンパバンを結ぶ国道13号線が縦に走っています。はい、早口言葉みたいですね。言ってみましょう、ナムグム湖ナムグムダムナムグムリゾート。

 

私の任地「ビエンカム」

 

こちらは、私の家から徒歩10分ぐらいの景色。ナムグム川のゆったりした流れを眺められるお気に入りポイントです。(ただし高所恐怖症には辛い、橋の上)

 

この上流にナムグムダムがあるのは知っていたのですが、まだ行ったことがなかったので、他県から遊びに来てくれたみなさまと共に初ビエンチャン県観光!なかなか行く機会がなかったバンクンの塩工場、そしてクマが二足歩行すると有名な動物園にも、足を運んでみました。

 

ナムグム湖・ナムグムダム

 

大きなナムグム湖の西側に面している「ケオウドム郡」、マルベリー(桑)を使った商品がODOP認証を受けている町です。桑があるということは、養蚕も行われているということ。ケオウドム郡は養蚕が盛んに行われており、ここで紡がれた糸は県内、県外のシン生産者グループに買われていき、鮮やかに染められて、美しい布へと姿を変えます。

 

 

このナムグムダム、実は日本と大きなつながりがあります。

1958年、ラオスを訪れた日本工営久保田豊スパーヌウォンと面会した際に電力不足について相談を受け、ラオスが地形に恵まれ水も豊富なことから水力発電を行なうことを提案した[1]。久保田は自らメコン川流域を調査し、1964年には久保田自ら世界銀行に乗り込んで融資交渉を行なった[1]。この際には計画が過大であるとして融資を拒否されたが、タイ政府との交渉で余剰電力をタイ国内に売電する合意を取り付ける[1]。再交渉も一旦は頓挫したものの、その後も交渉を継続してアメリカ合衆国のほか、日本・オーストラリア・カナダなどから資金援助を受けることで計画が進められることになった[1]

1968年に着工[1]。多数の日本企業がダム建設や送電網の建設などに関与した[1]ラオス内戦で建設中のダム周辺はラオス王国パテート・ラーオの勢力圏の境界となったが、スワンナ・プーマ首相により中立地帯に指定されて建設は続行された[1]。ダムは1971年12月に完成し、1972年から発電を開始[1]。当初は3万キロワットのタービン2基であったが、1975年には4万キロワットのタービン2基が追加され、1983年にも1基の追加が行われた[2]

ラオス国内での電力需要の増加により、2006年以降は発電する全量を首都圏に供給するようになっている[3]

ナムグムダム – Wikipediaより引用

 

ということで、「東南アジアのバッテリー」ともいわれるラオスでは次々と電源開発が行われていますが、このナムグム湖・ナムグムダムはラオスのなかでも古い歴史を持つ場所です。現在ラオスはたくさんの国の支援を受けてどんどんダムを建設していますが、このナムグムダムは、日本が支援し、そしてラオスに初めてできたダムだそうです。先人の方がた、おかげさまで、電気に困らない暮らしができています。本当にありがとうございます。

 

 

このダム湖で、クルージングしながらキンカオ(ごはんを食べること)が楽しめるということで、皆で行ってみることに!

 

 

食事を注文すると、お店の人たちが料理をつくってせっせとセッティングしてくれます。カオニャオ(蒸したもち米)のおかずになるようなラープ(肉や香草を混ぜたラオスの伝統料理)、空心菜炒め、大きな魚の塩焼き、チャーハン、そしてビアラオを積み込んで、いざ出発!

 

 

走り出すと、風がとっても気持ちいい。滋賀県民もびっくりのこの湖の大きさ、あとから調べてみたら福岡市と同じぐらいの面積がダム湖として使われているみたいです。

 

福岡市が340㎢、琵琶湖が670㎢。琵琶湖の半分の大きさを人工的に湖にするなんて、すごくないですか、滋賀のみなさん。

 

このダムに浮かぶ島の中には刑務所や麻薬中毒者の更生施設があります。皆が船の屋根の上から眺めを楽しんでいるあいだ、怖くて上まで行けなかった私は船を操縦してくれているおじさんに色々聞いてみました。

 

どの島が、悪い人が居る島なの?←「刑務所」がわからない

 

あれだよ!(指をさす)

 

え!めっちゃ近い!!!見学とかできないのかな??

 

悪いことしたら行けるよ。(笑)

 

おっちゃんは行ったことある?

 

行ってたらここに居ないよ(笑)

 

ですよね(笑) 陸と、あんまり遠くないね、大丈夫なの?

 

大丈夫、大丈夫。雨季になったらもっと水が増えるから!

 

そんな感じでいらぬ話をしてたらあっという間に陸に戻っちゃいました。にしても、観光地になっているところから本当に近かった。あんなに近くて大丈夫なのか。雨季になったらっていってたけど、乾季あるやん。乾季。そのゆるさが、・・・好き・・・。

 

 

ナムグムダムの放水は、この時期水量が足りず見れませんでしたが、かわりにこの長い管をつかって魚にエサやりしているところが見られました。近くの売店で売っているエサを、展望台に設置されているパイプに流し込むと、ナムグム川の大きな魚たちがばくばく。魚の名前、何と言ったかなあ。鯉みたいな大きい鱗の「ぱーぱー」と、黒いボロ布みたいな・・・やつがいました。(もう名前が出てこない)

 

 

この水が、冒頭の写真の私の任地までやってきて(といっても十数キロですが)、そしてメコン川へと流れていくんですねえ。

 

ナムグム湖の水かさが一番増すのは9月、10月。操縦士のおっちゃんもその時期がベストシーズンだと教えてくれました。ビエンチャン県観光をお考えの方、是非その時期にお越しください! 

 

ビエンチャン動物園 

 

水上船でランチを食べた後、先輩の配属先見学を経て、動物園へ! 

 

なんと、県都ビエンカムとビエンチャン特別市の間にある「トゥラコム郡」には、ラオスで唯一の動物園があるのです。

 

入場料は、大人(ラオ人)10,000KIP、そして大人(ラオ人)15,000KIP。

 

うん、よくあるやつやけど、なんか悔しい!笑

 

 

さっそくチケットを買って、中へ!

 

 

日本のように「動物を間近で見る」タイプとは違い、広大な敷地で放し飼いにされている動物たちを遠くから眺めるような、ゆるっとした雰囲気。自由に、のほほんと暮らしている感じが良いです。狭い檻に居るより幸せそう。

 

 

ああ・・望遠レンズが必要だったなこれは・・・と思うほど、広い!今度はぜったい望遠持っていくぞと心に誓いながらシャッターを切りました。

 

ちゃんとエサあげてるのかな?そのへんの草食んでるだけでは・・・と思うぐらい自然にあふれた、「森」です。

 

 

色鮮やかなクジャクさんも居たりですとか。

 

 

ワニは、餌やりが楽しいらしいのですが、残念ながら売り切れていました。そうなると彼らは全く動きません。また次回のお楽しみに取っておこう。

 

 

動物さんたちから伝わるでしょうか、なんともいえない「ゆるっと」感。

 

一日中視線を浴び続けることもなければ、「おーい」と話しかけられたりもしなさそうな、森の中での暮らし。私も、動物園に来たというより、森林浴でもしにきたかのような感覚でした。

 

 

そしてこちら、二足歩行で立ち歩くと話題の熊さん。脱走しても誰も気づかなそうな広大な敷地に普通に張られただけのフェンス。その向こう側には、強い日差しに項垂れるやる気のなさそうな熊さんたちが、今にも溶けそうな感じでぐでんぐでんになっていました。

 

大人数名が「おおおーーーい!!」「歩いてーーー!!」「くまさーん!!」と必死になってるのがシュールでめちゃめちゃ面白かったです。

 

そして、「しゃーないな・・・ちょっとだけやで」という感じで、むくっと立ち上がってくれたのが彼。でも、歩いてはくれませんでした。 

 

 

そしてこちら、せっかくここまで来てみんなで必死に応援(?)したのに、熊さんたちに総無視をくらって意気消沈した私たち。

 

 

バンクンの塩工場

 

「ビエンチャン県配属です」と言うとだいたい「塩工場」「動物園」が話題にのぼるのですが、なかなか機会が行く機会がありませんでした。今日はその両方に一気に訪問!というわけで、動物園の次は、念願の塩工場!

 

 

窓の向こうには純白の塩がどっさり積まれています。

 

後日配属先で「あの塩はODOP商品にならないの?」と尋ねましたが、申請さえすればODOP商品にするのは可能とのこと。え、ODOP商品にしようよ!!ねぇねぇ!!!なんでしないの!!!!!

 

 

天然塩というと広大な敷地の塩田を想像したくなりますが、こちらの工場は「平釜」という製法で精製しています。屋根の下に行くと、ぐつぐつと煮える海水からたちのぼる蒸気でもわっとしています。

 

ところで、ラオスは、ミャンマー、中国、ベトナム、カンボジア、タイに囲まれた海ナシ国です。何故「塩工場」がラオスにあるんでしょうか。

 

 

それは、昔むかしにラオスが海の底だったことが関係しています。

 

そのおかげで、このあたりの地下水は塩分を含んでいます。それをくみ上げて火にかけぐつぐつ煮込むことで、塩が出来るというわけ。

 

ということは、いつか枯渇するのかな??

 

試食させてもらうと、持った感じはふわっとしていて、しょりしょりした感じ。未精製のため、最初にしょっぱさがガツンとくる感じは無く、むしろ甘さや、まろやかさがふわっと広がります。

 

 

結晶化した塩はこのようにザルにあげて乾かしたあと別の部屋に運ばれ、乾燥させて、商品として売られていきます。

 

 

この1つのかごに80キロの塩が入っています。竹の棒を通して肩に担ぎ、別の部屋へと移動させて乾燥させます。前を担いでいるのはなんと女性。「手伝いましょうか」と言ったら「重いから無理だよ」と言われました。そうかも、確かにこれは無理かも。でもやってみたかったかも。次回。

 

 

ふわふわの塩。かわいい。

 

任地で自炊をはじめるとき、市場で探してこのバンクンのお塩を買いました。日本でもゲランドやアンデスの未精製塩を愛用していましたが、その理由は「ミネラルを多く含んでいるから」。私の持論ですが、「減塩」をするよりも、「良質な塩」を摂るようにするほうが体に優しいのではないかと思っています。量産されたようなお味噌で作った減塩味噌汁よりも、天日や平釜で作られたミネラル豊富なお塩を。外食やスナック菓子で質の悪い精製塩を摂らず、自炊して、味をつけたいものには味をつけて、しっかり塩分を摂る。それが体に良いと信じて生きてます。どうだろ。

 

ラオスには7社(?)の塩工場があるそうで、天日干しのところもあれば、このバンクンの塩工場のように平釜で精製しているところもあります。食べ比べ・・・してみたいなあ。塩にぎりにして、利き塩大会。やりませんか、誰か(笑)

 

ナムグム川を眺めながらシンダート

 

 

日が傾きかけたころ、川底から砂を採掘してる・・・というのはおいといて、夕日が綺麗なナムグム川の涼しい風に吹かれながら鍋パーティー。ホスピタリティ精神が爆発したシンダート屋のおばちゃんたちのおかげで最後まで楽しめました。おばちゃん・・・いえ、おねえさん!いつもありがとう!!!

 

ビエンチャン県の観光スポットまとめ

ということで、ナムグム湖、動物園、塩工場の3本立てでお送りしました。

朝に首都を出れば日帰りで3か所まわって帰れます!現地の交通事情がアレなので、ここまで乗り合いバンで来ると移動が困難なので、タクシーをチャーターして首都からくるのが一番良いと思います。日帰り社会科見学気分で、いかがでしょうか~!

 

 

「あ、バンビエンもビエンチャン県なんだ~!」と言われることが多いのですが、このラオスの有名観光地バンビエンも!!ビエンチャン県ですので!!!お忘れなく!!!!!!

 

私の任地ビエンカムもこういう記事が書ける観光資源があると信じて・・・任地生活を謳歌したいと思います。あってくれ~~!