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『モン族たちの葬列』再読、虐殺をかんがえる。

さばいでぃー!

この大雪の中、荷物がちゃんと空港に届くのか、

自分がちゃんと東京にたどり着けるのかとひやひやしながら

日本での平成最後の週末を過ごしています。

昨日は電車が止まってしまうことを恐れて

約束していた友人にも会いにいけず、

荷物整理もある程度終わっているので

(結局数キロオーバーしていますが諦めました。)、

ふて寝して、ぼちぼち部屋の掃除をして、

雪がしんしんと降るのを眺めながら

以前1度読んだラオスが舞台のノンフィクション小説を

読み直すことに。

 

『モン族たちの小説』 宮川 隆

ざっくりした内容は帯にある通りです。

仏印、アヘン、大東亜共栄圏、ベトナム戦争・・・

歴史が大の苦手な私には、

歴史の授業を無理やり思い出そうとして

脳みそのへんなところが痛くなるような

キーワードが盛りだくさん。

 

なぜ少数派民族が多数存在するラオスで

モン族だけが民族浄化や迫害の対象になったのか、

なぜラオス北部で阿片栽培が広まったのか、

5つの国に囲まれた内陸国ラオスが

周辺国とどのような関係にあったのか、

 

訓練に参加する前にこの本を手に取り 

色々疑問に思いながら読み進めましたが、

1度読むだけでは情報量too muchで

時系列も相関図もワケワカランままに終わりました。

 

ですが、派遣前訓練を終えてからあらためて再読すると、

語学の授業で習ったラオスの伝統儀式や

10人の同期隊員が派遣される予定の場所が多数出てきて、

1度目に読んだときよりも色や温度を感じながら

読み進めることができました。

 

結末はもちろん読んでのお楽しみですが、

読んでいる最中の赤黒い血の中に居るような感覚が

すーーーーっとなくなっていくような、

そんな読後感でした。

 

きっと、任期が終わってもう1度読み返すときには

もっともっと鮮明に色んな景色を思い浮かべながら

読めるようになっていると思います。楽しみだ。

 

本を読んで”暗い歴史”についてかんがえた

ウクライナ、ルワンダ、アルメニア、ドイツ・・・

挙げだしたらキリがないほど、

この百年あまりのあいだに世界中で行われた大虐殺。

わたしが住んでいたカンボジアでも、

ポルポト率いるクメールルージュにより

多くの国民が非人道的な方法で命を奪われました。

 

今年の6月、JOCVの2次面接の待機室で隣の席になった隊員同期2人と、

バンコク→ポイペト→シェムリアップ→シハヌークビル→プノンペンを

12日間かけてぐるっとまわる旅をしました。

いよいよ明日帰国、という日に、

2013年にカンボジアに移住したときから

いつか訪問したいと思いつつ勇気が無くてずっと避けていた

チュンエク(キリングフィールド)と

S21(トゥールスレン/虐殺犯罪博物館)へ、

ようやく行くことができました。

 

チュンエクもS21も、在住の先輩たちから聞いていた通りで、

日本の博物館、記念館のように、見終わった後に前向きな気持ちで

「平和とは何か」を考えさせられるような場所とは違っていました。

そこかしこに当時のまま放置された拷問器具や頭蓋骨は、

カンボジアという国の影の部分に自分から足を踏み入れるような感覚で、

これが「貧困」というかたちになってまだ続いているんだと思わされる、

たいへん”しんどい”場所でした。 

 

『死体を同じ場所に大量に埋めたために

ガスが発生して地面が割れたようになっていた、

キリングツリーに子どもを叩きつけて殺したため

木の幹には血や毛髪、脳みそがへばりついていました。』

 

いっけん普通の空き地のようにも思える

プノンペンのはずれの静かな場所で、

日本語の音声案内が淡々と話すクメール・ルージュの残虐な行為を数々を

わたしは全部聴くことができませんでした。

 

そのままトゥールスレンまで移動して、

また音声案内を聴きながら館内をまわりました。

木やレンガで仕切られた独居房の黴っぽいにおいや、

がらんとした部屋の真ん中に置かれた拷問具とその下に溜まった血痕に、

文献だけでは到底知り得なかった、

五感すべてから流れ込んでくる恐怖を感じました。

 

2年9か月のあいだにここに収容されたのは14000人から2万人と言われています。

そして自分の足でそこから出られたのは7名(8名?とも)。

収容された1000人ほどの犠牲者の顔写真が公開されており、

公開された当時は生き別れた家族や友人を探しに

たくさんのカンボジアの人たちがここを訪れたそうです。

 

歴史に触れるたび思うこと

どれが史実で、どれが虚像か。

その虚像は、人々の恐怖の記憶が作り上げたものなのか、

それとも、それを含めてすべてが私腹を肥やすために描かれた

プロパガンダなのか・・・。

 

まだ家族の行方が知れない人や障がいを負った人からすれば

内戦やジェノサイドは”過去のできごと”にはなりませんし、

内戦の後に生まれた子どもたちの足元では

未だに不発弾や地雷がいつでも命を奪う準備をしています。

 

『モン族たちの葬列』のなかで

何度かカンボジアのことに触れていたように、

周辺国との関係や隣国での戦争の影響、

その国の舵を取ってきた国王や政権の思想など、

いろんな要素が複雑に絡み合っていて、

ひとつの事を学ぶだけでも芋づる式に出てくる問題を

深く考察するには、私の知識はあまりに乏しく、

ただ渡された情報を鵜呑みにするだけで

うまく紐づけできていけていないのが現状です。

でもそれを少しでも理解していることは

全く異なる文化や歴史をもつ国で生きてきた外国人として

現地の人たちと関わる上では

無駄にならない・・・と、思いたいです。

 

 

チュンエクで遺骨が展示されたクリアケースの上に

後から出てきた遺骨がそのまま雨ざらしにされていて、

内戦からずっと続いているこの国の貧困問題を

象徴しているかのようでした。

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