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新婚旅行に行ってきました【タイ編】

さばいでぃー!

ラオスのラオ子です!

・・・ってめちゃめちゃ久しぶりにこの書き出しで文章を書いております。

わたくしごとですが、昨年12月10日に挙式披露宴を行い、1月27日から2月9日まで新婚旅行に行ってきました。

といっても、私にとっては半分「帰省」のようなもので、12泊14日のうち半分以上は言葉が通じる国で過ごし、私がどんなところに住み、どんなものを食べ、どんな人たちと過ごしてきたのかを夫に知ってもらうような、そんな旅になりました。

というわけで、まずは14日間のざっくりとした日程から。
1月27日 夕方に日本発→28日夜中バンコク着
28日 アユタヤ観光
29日 メークロン市場観光
30日 バンコク市内観光、寝台特急でノーンカーイへ
31日 朝6時ノーンカーイ着、鉄道でメコン川を渡りラオスへ
2月1日 ビエンチャン市内観光
2日 村で結婚式
3日 配属先やカウンターパートをまわりビエンチャンへ
4日 ラオス中国鉄道でルアンパバーンへ
5日 ルアンパバーン市内観光
6日 飛行機でハノイへ
7日 ハノイ市内観光
8日 ハノイ市内観光、深夜便で日本へ
9日 朝に日本着

色々欲張ってお互いのやりたいことをぎゅーぎゅーに詰め込んだ結果、なんとも初心者バックパッカーのような旅程になりました。夫は3か国とも初めてということもあり多少緊張していたようですが、私にとっては中盤のラオスはホームのようなもので、渡航にあたって入念に調べたのは各国の出入国のコロナ対策と電車の時刻、ハノイでの過ごし方ぐらい。タイ滞在にいたっては、東京外大のタイ語講座で少しかじったこともあって、どれだけ通じるようになったか試せるワクワク感が大きかったように思います。

タイ1日目:アユタヤ

さて、1月28日の深夜にバンコクのスワンナプーム国際空港に到着したわけですが、前々回のタイ入国で散々な目にあったために(マレーシア経由の安い便をとったら友人・私の荷物が華麗にロスバゲしました)、ちゃんと荷物が届いていただけでこの旅行はうまくいったと思いました。直行便なので届いていて当たり前なのですが、それぐらい例のロスバゲはトラウマだったのです…。(かくかくしかじかで無事受け取ることはできたのですが、このことを書き出すと色々止まらなくなるのでまたいつか)

翌日は朝6時にホテルを出発予定だったため、割高覚悟で空港で両替とSIMカード購入を済ませました。本当に割高になって悔しかったので、やはりタイでの両替はSuper Rich一択だと思いました。

そして到着したのがこちらのクルンテープアピワット駅(バンスー中央駅)です。

バンコクからアユタヤまでは2020年に協力隊同期との任国外旅行で行っているから楽勝楽勝と思っていたのに、なんで今やねんと泣きたくなるような絶妙なタイミングでフアランポーン駅からクルンテープアピワット中央駅に機能が移転。それも普通電車はフアランポーン発着で、特急や寝台だけがクルンテープアピワットへ。

とにかくスケールの大きな空港で、カウンターもこのようにたくさんありましたが、空いているのは端の3か所だけでした。12番は車いす専用カウンターになっており、1段低くつくられています。

私たちが購入したのは、この日向かう予定のアユタヤまでの片道切符と、30日夜にラオスの首都ビエンチャンに向かうための寝台特急。

カウンターでチケットを購入したあと、改札などは無くそのまま駅構内に入っていくスタイルはフアランポーン駅と変わらずですが、ホーム階へ向かうエレベーター/エスカレーターは出発30分程前までパーテーションで封鎖されています。時間になったら係の人が切符をチェックしながら乗客を通していきます。

アユタヤへの道のりは半分ぐらい高架になっていて、前に比べて乗り心地が快適になったような気がしないでもない一方で、タイの人びとの暮らしを感じられた車窓の風景がなくなってしまったのは少し寂しいような気持ちになりました。(翌日メークロン市場からの帰りの電車でばっちり見ることができたので、この気持ちは回収されました。)

アユタヤの街に出る前に帰りの電車の切符を購入し、船で川を渡り、自転車を借り、ようやく観光スタートです。

アユタヤといえばこのガジュマルに埋まった仏様と大きな涅槃ですが、アユタヤの楽しみは遺跡見物だけではないと思っています。観光客を乗せた像が列をなしてゆっくりゆっくり歩いている後ろをついていったり、「ここからあっちまで全部遺跡なんかー」と遺跡の大きさを体感したりと、壊れかけのぼろい自転車でぬるい風を切りながら、街全体の雰囲気を感じるのがなんともいえず良いのです。

あとはおいしいものを食べれば完璧!ということで、朝はローカルガパオ、そのあとSUMMER COFFEEというオシャレなカフェで一休み、最後は川沿いの有名店でエビをいただいて、アユタヤ観光はあっというまに終了しました。

帰りももちろん電車でしたが、直角シートが気にならないぐらい爆睡して、気が付けばバンスーまで戻ってきていました。次にアユタヤに行くときは、木のシートのちょっと良い席に座ってみたいです。(今回も良い席に座りたかったのですが、うまく伝えられませんでした。)

バンコクに戻ったら、そのままトンローに向かい、55ポーチャナーのオースワンで〆。ふわっふわのカキオムレツなのですが、これがまーーーーー旨い!こういうジャンキーなローカル飯が大好きです。

相変わらず酒が全く飲めないので、夜は100万ドルの夜景を見ながらワッフルを食べました。Duvelの生ビールがアジアで唯一飲めるルーフトップバーらしく、夫は楽しそうでした。

タイ2日目:メークロン市場

2日目は、バンコクから南部に85キロほどのところにあるメークロン市場に行くことに。メークロン市場までは、チャトゥチャックからの乗り合いバス、タクシー、電車などいくつかの手段がありますが、体力を温存したい、ゆっくり寝ておきたいということもありタクシーで行くことに。それでも3000円程度をGrabで支払って、プラス50バーツほどを高速料金として手渡ししたぐらいの金額で連れていってもらえました。

メークロン市場の見どころといえば、やはりこの「市場の中を走る電車」ですね。11時ごろに市場に到着してから、私たちが帰るまでに3本通ったのですが、1本目は魚のすり身やさんの前で立ち見スタイル、2本目は線路沿いのカフェでマンゴーシェイクを飲みながら目の前を通過、3本目はメークロン駅で、とそれぞれ違う場所から見ました。日本では絶対にありえない場所から走っている電車を見られるのは、スリリングで楽しかったですが、本当に目の前ぎりぎりを通るのである程度足場を確保していないと危ないように感じました。

メークロン市場からの帰りは、いったんバンレームまでのチケットを買い(着いたときに買おうと思ったのですが、発車20分前でないと買えないと言われました)、バンレームから船で川を渡って反対側のマハチャイ駅からバンコク市内のヴォンビエン ヤイ駅までと、電車の乗り換えの間に船に乗るのですが、バンレーム着からマハチャイ発までは1時間5分の余裕があるので、市場周辺や駅に停車している電車なんかも楽しみながら過ごすことができました。

・・・メークロンからヴォンビエン ヤイまで、ひたすら警笛を鳴らしながら進むので、ゆっくり休みたい方は後ろのほうに乗ることをおすすめします。

そして夜は、かの有名なソンブーンシーフードへ。

ハタの丸揚げ、プーパッポンカレー、カニのナンプラー漬け、えびの黒コショウ炒め、どれもとっても美味しかったです。お高いお店でプーパッポンカレーを食べたのは実は初めてで、その上品な味に衝撃を受けました。ラオスのバンビエンという観光地で食べられる、沢蟹のプーパッポンカレーの野性味溢れる風味が自分の中でスタンダードになっていたのですが、私はどちらも大好きです。

一番美味しかったのはナンプラー漬け。カニってこんなに甘くなるんや?!と感動してしまうぐらいに甘みが強くなったカニと、ヒーヒーしーしー言ってしまうピリからのタレが絶妙です。食べた後の指までおいしかったです。

そして夜はまた100万ドルの夜景を見ながら、ジンジャーエール。出国のタイミングで日本は大寒波に見舞われていて、やっと寒さから逃れられると思っていたのに、日本が寒いときはバンコクもちょっと寒い。ルーフトップはもっと寒い。1杯だけ楽しんですぐに帰りました。

バンコク3日目:市内観光

3日目は市内でゆっくり休憩。というのも、この日の晩にラオスに向けて出発予定だったので、ここで一旦疲れを取っておきたかったのです。

午前中は、ゆるゆる荷物を詰めて、ワットプラケオに行くでもなく、ワットポーに行くでもなく、すっかり人のいなくなったファランポーン駅へ。もしかしたらこの旅が見納めになったりするのか…?と思うと少し寂しいですね。鉄道好き夫にこのドーム型のホームのなんとも表現できない美しさや、ターミナル駅に漂うしめっぽくてレトロな雰囲気を感じてもらいたくて、ファラポーンに立ち寄りました。夜行列車に乗る前のにぎやかさはもうここにはありませんが、がらんどうになった待合や、出発時刻を過ぎてから走ってくる乗客を乗せて静かに走っていく列車は、とてもかっこよく見えました。

そんなファラポーンのかっこよさに痺れたあとは、初タイ夫に食べてもらいたかったマッサマンカレーを食べにタリンプリンへ。接客があったかくて丁寧で、とても良いお店でした。マッサマンカレーを食べたのは何回目かなので、どれぐらいおいしいか分からなかったけど、タリンプリンのマッサマンカレーはとてもおいしかったです。攻撃的なグリーンカレーも大好きですが、マッサマンカレーの深いスパイスの風味も大好きなので、もっと美味しいマッサマンカレーに出会いたいです。

そのあとは、セントラルやBIG Cをうろうろしてお土産を買い回りました。大好きなPlaymoreや揚げた海苔、タイ紅茶、ドライフルーツなどなど。ただ、このあとの行程でルアンパバーンからハノイまでのエアが20㎏制限ということもあって、自分の商品の買い付けを考えるとあまり荷物は増やせないので、必要なものを最低限だけ。そのかわり、ハノイから日本が40㎏×2個という無双状態なので、ルアンパバーンで20㎏ぱんぱんにして飛んで、ハノイで+20kgをどこまでいけるかチャレンジ、という作戦です。

最後にピンクの看板の有名店でカオマンガイを食べ、ホテルに荷物を取りに戻って、スーツケースのカギをホテルのベンチにちゃんと忘れて(あと1個別のところに入れていたので助かりました…)、いざバンスーへ。なんかタイ旅行、毎日電車ばっかりだったな・・・。

すでにベッドメイクされた寝台車は、窓付きの下の段と上の段で値段が違います。上の段は圧迫感もあるし上り下りも面倒なので、並びで下の段を取りました。トイレは綺麗ですし、小さい水も1本もらえて、車内食のサービスもあります。枕元にはコンセントとライト、綺麗なタオルケットと枕もついています。とにかく最高なんよ。フルフラットに敷かれたマットレスの下にはスーツケースも楽々収納できますし、カーテンを閉めればプライバシーも十分確保されます。とっても快適。

どの移動手段もそうですが、車内の暑い・寒いが極端なので、私はウルトラライトダウンとゴアテックスを持ち込みました。これがまあ正解。明け方は寒さに震えて何度か目が覚めました。

タイに着いて久々に味わった感覚があります。それは、「文字が読める」という感動。大学を出てカンボジアに住んだとき、わたしはカンボジア語の読み書きができないまま2年間働きました。「識字」ができないことがどういうことか、身をもって体験したのはそのときです。看板になんて書いてあるのかわからない。スタッフたちの名前も読めない。ローカル屋台のメニューも読めない。大家さんが「契約書だからサインして」と差し出した、カンボジア語の書類ももちろん読めない。「もしこれが自分にとってとんでもなく不利な内容だったらどうしよう」という不安は今でも覚えています。今はグーグル翻訳もずいぶん性能があがりましたが、当時はまだそれほどでもなかったように思うので、自分の伝えたいことを日本語で打ち込んで見せても「?」というリアクションをされ、逆にクメール語で何か話してもらっても自分で調べる手段もありません。しかし、「住んだらそのうち読めるようになる」というミラクルは起きることもなく、私は耳と口が3%、残りの97%を顔とリアクションでなんとかして過ごしていました。

そのあと、JICA青年海外協力隊としてラオスに派遣してもらえることになったときは、日本で70日間の訓練を受けました。ラオ語は表音文字といって、日本語と違って規則とアルファベットさえ覚えれば「意味はわからなくても発音ができる」言語です。70日の訓練では、時間がかかるけれど音読ができる、単語はまだまだ覚えていないけれど最低限の日常会話ぐらいならできる、という程度でした。それでも、空港に着いたとき、「Arrival」の上に大きく書かれたラオス語の「出口」が読めたときの感動は忘れられません。義務教育もとっくに終わった大人が、文字が読めるということをあんなに感動するなんて思いもよりませんでしたが、私にとってはそれほど大きな、自分自身の”できること”が増えたと感じられた瞬間でした。

タイは、久しぶりにその感覚を思い出させてくれました。去年の3月に隊員としての活動を終えて本帰国してすぐ、4月から15週にわたり、東京外国語大学の公開講座で半年間勉強できたおかげです。読み書きもまともにできないのに背伸びして中級講座を選んでしまい、ついていくのがしんどくて何度も心が折れそうになりましたが、諦めずに最後までやってよかったなあとしみじみ思いました。とはいえまだまだ「なんだこれ」となることは多々あるので、この感動を燃料にもう一度勉強を始めようと思います。

さて、これでタイ編は終了。つぎはラオスです。濃くてなかなかまとめられそうにありません。