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ビエンチャン観光!ブッダパークとタートルアンに行ってきました。

さばいでぃー!

時系列が前後しますが、

ビエンチャンに来て2回目の休日のお話です。

 

地方の病院で頑張るパニャバン(看護師)隊員と共に

首都ビエンチャン郊外にあるブッダパークと

タートルアンに行ってきました。

 

ブッダパークの行き方

 

ブッダパークへは、首都ビエンチャンの街の中心部

タラートサオ(サオ市場)横のバスターミナルから

バス1本で行くことができます。

京都市バスのおさがりに乗って、いざ出発!

 

 

 

他の方のブログで「14番」のバスとお見掛けしましたが

私たちが乗ったバスは171番でした。

バス停に居るスタッフさんに「ブッダパーク!」と言ったら

何番か教えてくれるのでそれに従えば大丈夫そうです。

 

 

バスに乗っていたらお姉さんが運賃を回収しに来てくれました。

ブッダパーク(現地ではワットシェンクワンと言います)までは

8000LAK、おおよそ100円ぐらいです。

 

 

この看板が見えるところで降りれば、

目の前がブッダパークです。171番のバス、さようならー。

 

 

写真左がわに見えるシカの像が既に意味わからないのですが、

 

 

もう何がスゴいって、ブッダの数がとにかくすごい。

地図を見ただけでも分かる、ブッダまみれ。

これはベトナムのお気に入りスポット、

世界3大珍公園の異名を持つスイティエン公園にならぶかもしれません。

 

いざ、ブッダの世界へ。

 

入ってすぐ右手に見えるこのパンチの効いた巨大な建物。

これがブッダの一体何なんだと軽くつっこみを入れながら

近づいてみると・・・

 

 

 

いやいや、もう少し大きい入り口つくれへんかったんかーい。

と突っ込みたくなるほどの狭い入り口。

 

 

見てるだけで気持ちが不安定になりそうな階段とか、

 

 

薄すぎて上るのも躊躇するような階段をなんとか上ったら、

 

 

こういう景色が見えるんですけれども、

 

 

わたくし根っからの高所恐怖症でして、

 

 

屋上に立つことなく写真だけ撮ってそそくさと退散しました。

 

 

なんでも、ここブッダパークは

1950年代にタイのノーンカーイ(メコン川の対岸の街)生まれの

宗教家ブンルア・スリーラット氏によって作られた公園だそうで、

 

 

各地から集めてきた像を展示してあるわけではなく、

ブンルア・スリーラット氏が近くのセメント工場から安く仕入れた

コンクリートで作ったものだそうです。

 

 

あ、これ、イッテQでイモトがいじってたやつですね。

 

 

仏教とヒンドゥー教を融合した独自の世界観で

この200体以上の銅像を作り上げましたが、

その宗教観を危険視する人も少なくなかったようです。

 

 

にしても、アレやな。

 

 

 

 

そろそろ、

 

 

しんどいな。

 

 

 

というわけで、帰りのバスは時間が分からないので

しばらく待ちぼうけです。

 

 

あ、奥のほうからバスが来ました。

 

郊外で流しのトゥクトゥクにはなかなか出会えないので、

帰りが不安な人は市内から往復でトゥクトゥクに乗るのが

いいかもしれません。

 

タートルアンへ

 

タラートサオから歩ける距離でもう1か所行きたかったのが、

このタートルアン。

建てられた時期は諸説ありますが、

ラーンサーン王国時代(16世紀)に改修。

ブッダの胸骨が残る寺院と言われています。

 

 

ラオス仏教で最も位の高い寺院であり、ラオスの象徴ともいえます。

 

 

中には入ることができず、観光客は外から拝観するだけですが、

夕日が差し込んで黄金色に輝くタートルアンを見れて感動でした。

 

 

国章にも描かれている、ラオスのシンボル。

タート(寺院)ルアン(巨大)とだけあって、

45メートルの黄金の塔は塀の外からでもかなり存在感があります。

 

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紀元前3世紀にインドの僧によって建築された後

13世紀にクメール様式に建て替えられたという

このタートルアン。

360度ぐるっと回って拝観したあとは、

ビルマの侵略により不遇の死を遂げた

セーターティラート王の銅像や

周辺に建てられている寺院もセットでお楽しみください!

 

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ベトナム北部の美味しいつけ麺「ブンチャー」の店 Pho & Bhun Cha Hanoi

さばいでぃー!!

朝から雷がドーーーーン!!と鳴ったと思ったら

トタンが剥がれそうなほどの雨。

今日は涼しくなるかなー。嬉しいなー。

 

首都ビエンチャンに来て色々な料理を食べました。

ラオス料理に始まり、日本料理、ピザ、ハンバーガー、

ラオス料理、ラオス料理、ラオス料理、ラオス料理・・・

ラオス料理・・・。

 

美味しいんですけど、

少し違ったテイストが欲しくなるのが人間じゃないですか。

 

そう思い始めたころに見つけて心のよりどころになったお店、

「Pho & Bhun Cha Hanoi」。

 

ここ1か月で、もうかれこれ3,4回?は行きました。

ラオスに来てちょっと箸休めしたくなったら

是非食べていただきたい。

 

ブンチャーってなんだ

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これはベトナムのホーチミンにあるブンチャー屋さんのブンチャー。

カンボジアに住んでいたときに

ベトナム在住の大学時代の友達を何度か尋ねたのですが、

その時におススメしてくれたのがこの麺料理でした。

 

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ラオスの首都ビエンチャンでも食べられる、

お隣ベトナムの北部ハノイ名物「ブンチャー」のお店は

タラートサオのすぐ近く。この黄色い看板が目印です。

 

オープンエアーですが建屋はしっかりしてて、

ローカル麺屋とそこまで値段は変わらないけど

落ち着いてご飯が食べられます。

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麺は3つの大きさから選べます。

Sはおやつ、Mは女性のお昼ご飯、Lはがっつりいきたい男性向け。

Mを頼んで25000KIPでした。

 

春巻きもめちゃめちゃ美味しかったのですが、

2回目以降は振られ続けています。

いつでも置いといてほしい・・・悔しい・・・食べたい・・・。

 

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ブンチャーはこのように麺とスープが出てくるので、

麺を少しずつスープに移して食べます。

 

甘酸っぱいスープにカリッと焼かれた肉団子と豚バラが入っていて

見た目よりもずっと食べ応えがあります。

 

あとですね、

このブンチャーは初めて行ったときの写真なのですが、

上のほうに写っている香草の量を覚えておいてください。

 

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この肉団子、「かりっ!じゅわっ!」って感じで

しっかりお肉の味が楽しめます。肉っけのある肉団子。

 

そしてピリッと甘酸っぱいスープ。

疲れた日本人に嬉しい「甘酸っぱさ」、

まだラオス料理では出会っていません。

あればぜひ教えていただきたいっ。

 

麺はつるつるっと食べられる細目の米麺。

素麺よりも軽い食感です。

 

そしてですね、疲れた日本人のテンションを爆上げして

翼を授けてくれる”例の”ハーブ・・・・・

 

『紫蘇』を出してくれるんです!!!!!

 

 

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この記事にも書きましたが、

 

「刻み柚子」「刻み青じそ」は 前回行くときはおそらく無かったのでは??と思うのですが あったら絶対買っていたであろう「日本の美味しい風味」 であることには間違いないので即買い。 七味2種類は、どちらも有名な七味屋さんのものです。 食材は日本で何とかするしかないからこそ、 こういう「日本にしかない風味」というものが めちゃめちゃありがたい。

出発前前前夜。食品の買い出しに行ってきました。 – ラオスのラオ子。

美味しいお肉、刺身、豆腐、もちろん食べたいんですが、

この「風味」っていうのが大事なんですよね。 

 

インドネシア暮らしの経験がある隊員と

カンボジアに住んでいた私、

市場で菜の花や菊菜といった

東南アジアに無いと思っていた美味しい葉野菜を見て

大喜びしていましたが、

ここにきてまさか「紫蘇」に出会えるなんて。

 

カンボジア在住中の一時帰国で大分に行って

「紫蘇ジェノベーゼ」を買って帰った私にとっては

スタンディングオベーション級の出会いでした。

 

これラオ語で何ていうの?!

スペルは?!

市場で売ってる?!

 

と、お店のお姉ちゃんに聞きまくり、

 

次に行ったときには「紫蘇いっぱいで!!」とお願いした結果、

3回目に行ったときには

 

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こうなりました(笑)

 

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メインより紫蘇のほうが多いです。

ウアイ(お姉さん)いつもありがとう!!!

 

Pho & Bhun Cha Hanoiの場所

 

余談・・・。

この記事を書いてたらまた食べたくなったので

首都に居るうちに・・・と、食べおさめに行ってきました。

美味しかったー。

食べ収め、美味しかったー。

 

 そして今日、2回目の揚げ春巻き、食べられました~~~!!

ここ2回ほど「無い」と言われて悲しい気持ちになっていたので

テンションあがりまくりでした。

お姉さん、お願い!いつでも置いといてー!!

 

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Houey Hong職業訓練センター

サバイディー!

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みんなは任地に旅立ったけど

まだ首都ビエンチャンに居ます、

2018年度3次隊のラオスのラオ子です。

 

 

2月28日、朝から同期隊員が旅立つのを見送って

悲しみのブログを更新したあと、

首都ビエンチャンで活動する同期隊員に同行して

Houey Hong(ホアイホン)職業訓練センターを

視察させていただきました。

 

Houey Hong職業訓練センターとは

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首都ビエンチャンの市内から、北へ車で20分程の場所にある

Houey Hong職業訓練センターは、

ASCW(女性とラオスの子ども支援会)と

APJW(ラオス女性のための雇用協会)の支援を受け、

1998年に創立された施設です。

1999年から2001年にはJICAが助成金を提供しましたが、

協力隊が派遣されるのは今回初めてとのこと。

私は地方隊員ですが、ここで活動する同期隊員とは

デザインの助言などで2年間お世話になるので

創始者のChanthasoneさんへのご挨拶も兼ねて

センター内を見学させていただきました。

 

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赤土の道をがたがたと暫く走ると、森の中に拓けた場所が。

奥のほうからトントンと聞こえてくる機織りの心地いい音に

胸が高鳴りました。

 

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実際にホアイホンで作られた布の展示販売スペースがあります。

どうですか、この美しい色。そして柄。

もーーーーーーーーー本当に素敵!!

いつか、絹織りのシンを誂えたいです。

私の語彙力とカメラの技術では伝えきれないので

ぜひ実物を見て頂きたいです。

自然のもので染めた手織りの布って

こんなにも優しい風合いになるんですね。

ずっと見ていたくなる素敵なシンばかりでした。

 

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日本では明治時代にインディゴの輸入に頼るようになり

天然の藍染の技術が途絶えかけましたが、

今ではいくつかの県で無形文化財に指定されその伝統を守っています。

 

ここホアイホンにあるのも、もちろん天然の藍。

敷地内で取れるタデを丁寧に世話して

このような染液を作るそうです。

幼いころ京都で一度藍染の見学をさせていただいたときは

もっと独特の発酵臭がしたように思いましたが

この染液はそれほど匂いはしません。

原材料、作り方、何か違いがあるんでしょうか。

まだまだ勉強が必要です。

 

 

 

ラック、マリーゴールド、紅の木、ジャックフルーツ、黒檀、

マホガニー、玉ねぎ、マンゴスチンなどなど、

自然由来の染料はたくさんあります。

 

大好きな赤は”ラックカイガラムシ”から。

なんと、私が赴任するビエンチャン県から買い付けているそうです。

ますます胸が高鳴る。

 

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右が、ラックカイガラムシで作られた染液。

まるで鮮血のような鮮やかな赤。 

左はマリーゴールド。美しいアイボリーに染まります。

 

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染めあげた糸は職人さんの手で1本1本経糸に通され、

1枚の布になっていきます。

刺繍がしてあるように見える柄は、

1本緯糸を通すたびに手で括っています。

気の遠くなるような作業をひたすら繰り返し

美しいシンが生まれるのです。

このパターンだと1日に織れるのは20cm。

それでも価格は、数千~数万円です。

こっちの物価に慣れてしまうと高く感じますが

手作業で織られた布がこの価格で買えるのは

まだまだ物価・人件費が安いラオスだからこそですね。

 

ちなみにこの織り手さんはフアパン県のご出身。

フアパン県サムヌアの織物は、市場でも高い値が付きます。

それほど細かく美しいパターンが織られているということ。

私もいつかサムヌアに行ってお気に入りの1枚を見つけたいです。

 

f:id:candyman0618:20190228161557j:plainこちらは経糸に糸を括るだけでなく

緯糸自体に絣の模様が入ったシンです。

緯糸が少しでもずれてしまったら絣の柄は出ません。

絣は地方によって入っていたり、いなかったり。

ボリカムサイの先輩隊員が履いているシンの絣がとても綺麗で

いつも可愛いな~~~と思いながら眺めてます。

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ラックの赤をベースに織られたシンがこちら。

だいたいのシンは、裾の部分にこういったパターンがくるように織られます。

ひっかけてしまうと括った糸が出てしまうので、

本当に良いシンは着ずに飾るんだと語学の先生が仰っていました。

私だったらこんなきれいなシンは着れないなあ・・・。

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学校に通う子供たちの制服から、銀行員さん、先生、結婚式の衣装まで、

シンはラオスの伝統衣装であり、普段着でもあり、そして正装でもあります。

地方によって柄も織り方も異なるこの不思議で魅力的な布、

ぜひラオスに来たらタラート(市場)で手に取っていただきたいです。

 

 

ホアイホン職業訓練センターはもともと

女性の経済的自立を援助するために作られた施設ではありますが、

国の文化や伝統を守り受け継ぐことにも繋がっている

とても素敵な場所でした。 

これから2年間お世話になります。

よろしくお願いいたします!

 

Houey Hong職業訓練センター

www.houeyhongvientiane.com

 

 

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現地語学訓練終了。スタートラインに立ちました。

語学訓練終了しました。

長いようで短かった、

1か月間のドミトリー生活が終わろうとしています。

最初の一週間はブリーフィング、

その後は11人が2つのクラスに分かれて、

とっても個性的であったかくて面白い

現地のラオ語の先生からラオ語を教えてもらいながら

共同生活を送りました。

 

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間には2泊3日のホームステイがあったり、

最後にはテストとプレゼンテーションがあったりと、

とにかくコンテンツ盛りだくさんな日々。

 

ぐんぐん語彙力を伸ばして先生の言葉を理解する

同期隊員たちに、焦りを感じながら過ごした1か月。

読んで字のごとく寝食を共にした皆とは、

二本松での訓練とはまた違った濃い時間を共有できました。

 

語学学校でお世話になったLJIの職員さんと

「ラオスの母だと思ってね」と言ってくれた先生、

いつもクラスを笑いで包んでくれた先生、

毎日送り迎えしてくれたドライバーさん、

みなさん本当にありがとうございました。

 

そして、ドミで過ごした同期10人の皆、

楽しくて濃い時間を本当にありがとう。

 

いま、私が立った場所から見える景色は。

二本松訓練所を出てからもう2か月。

そのあいだに同じ時間を共にした人たちが

それぞれの想いをもって世界のあちこちへ赴きました。

 

ときおりアフリカに行った隊員たちから届く

スパイシーな情報の数々を見ては、

異世界だなあ、楽しそうだなあ、いいなあ、

アフリカに行っていたら、こことは全然違う

経験ができていただろうなあ、と思います。

 

とはいえ、第一志望のラオスで

一村一品に関われる事は本当に幸せ。

 

まだ来て1か月ですが、

豊かな自然から生み出される

ラオスのひとたちの美しい手しごとに触れるたび、

この魅力を一人でもいいから誰かに伝えられたらと

どきどきしている自分が居ます。

街を歩く女性のシン(巻きスカート)があまりに綺麗で

「どこの布ですか?」と声をかけるぐらい

ラオスを好きになり始めていることに気が付きました。

 

早くシンの括り手に会ってみたい。

どんな染め方をしているのか、見てみたい。

どんな風にあの美しい柄を織っているのか、知りたい。

 

カオニャオ(蒸したもち米)を入れる竹細工の入れ物も

村の人たちが手作りしているもの。

他にどんなものがあるだろう。

これから、どんなことができるだろう。

1/11のバイク隊員として、

真っ黒になるまでラオスの大地を走り回って

ラオスの手仕事の魅力を一つでも多く見つけたい。 

そんな気持ちが日に日に大きくなっていく語学訓練期間でした。

 

そして、みんなの旅立ち前日、

JICAオフィスでのブリーフィングの最後に、

ひとり数分ずつ決意表明をする時間がありました。

始まるまでは「そういうの苦手なんだよなあ…」

と言っていましたが、いざ始まってみたら

なんやかんや皆アツく語って、

出会って5か月経つのに知らなかったことを

たくさん聴くことができました。

 

わたし含め11人、それぞれがそれぞれの想いを持って

ここにやってきたわけですが、

どの職種に携わる人も結果的に同じところに繋がります。

 

医療の現場を良くすることも。

子どもたちへの教育の質を向上させることも。

健康や衛生環境を守ることも。

芸術を通して情操を育むことも、

体を動かすことで心身ともに健康にすることも。

その土地の伝統や文化を形にすることも。

ぜんぶが、大切な”点”なんだなと気づかせてもらいました。

収入が上がって家計が楽になったら

子どもたちが学校で学ぶ機会や

必要なときに病院に行ける機会が増えるかもしれない。

子どもたちが、学ぶ事や芸術に楽しさを感じてくれたら

将来の家族の収入があがっているかもしれない。

 

今までラオスに派遣された累計1000人の先輩たちの点、

今から私たちがラオス各地に作っていく点、

点と点を結んで線になって、-・・・とは、

わたしが大好きなIKTTクメール伝統織物研究所の森本さんの言葉。

 

 

去年の2月に合格発表が出てからもう1年以上。

ようやくその”点”を打つための

スタートラインに立つことができます。

私はコミュニティ開発隊員のイベントがあるため

首都にあと数日残りますが、

他の隊員はみんな28日付で各地へ赴任。

好きにも嫌いにもメーター振り切って活動して

最後の最後に大好きになって帰りましょうよ。

 

わたしも3月4日に地方に向けて旅立ちます。

みんなとのしばしのお別れは寂しいけど、

少数派民族が多く暮らし

5つの国に囲まれた内陸国だからこその地域性の濃さを

みんなでシェアして楽しみたいです。

次の総会で集まるときには皆、

地方の訛りがめちゃめちゃ酷くなってたら面白いな。

 

 

今日出発のみんな、行ってらっしゃい。

今日までありがとう。

そんで、これからもよろしく!

 

みんなのリンク

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COPEビジターセンターで学ぶラオスの昔と今

さばいでぃー!

みなさんこんにちは。

語学研修があまりにハードで毎日燃えカスになってます、

ラオスのラオ子です。

 

ラオスの首都ヴィエンチャンでの研修が始まってから

はや2週間が経ちました。

語学研修が始まるまでは、ブリーフィングや各種手続き、

大使館の表敬訪問と、コンテンツ盛りだくさんで過ごしました。

その最終日に行ったのが「コープビジターセンター」です。

 

コープビジターセンターとは

私は、

かつてラオスに大量の不発弾がばら撒かれたことを、

それが一体何故なのかを、

そして今も安全な生活を送れない人が居ることを、

 

 

恥ずかしながら

 

www.laoko.net

この本を読んでラオスの近代史に触れるまで

ほとんど知りませんでした。

 

ラオスは、ミャンマー、カンボジア、タイ、中国、

そしてベトナムの5か国に囲まれた内陸国です。

1953年にフランスからの独立を果たしたラオスでは、

国内で王国派と共産主義派の対立による内戦が勃発し、

時を同じくして隣国で起こっていたベトナム戦争と

それに介入していたアメリカとの間で

以下のような構図が出来上がりました。

 

<ラオス>

・国内で『パテトラオ(愛国戦線)=共産主義』と『王国派』が対立

・アメリカが王国派を支援しパテトラオに圧力をかける

 

<ベトナム>

・北ベトナム軍と南ベトナム軍が対立

・北ベトナム軍がパテトラオ(共産主義派)を支援

・アメリカが南ベトナム軍を支援

 

つまり、かなりざっくりまとめると、

 

パテトラオ・北ベトナム軍

VS

王国派・南ベトナム軍・アメリカ

 

という構図で、戦争が繰り広げられていたわけです。

(解釈が間違ってたら・・・すいません。自分で調べてください笑)

 

当時、北ベトナムと南ベトナムは、

フエのDMZ(非武装地帯)によって分断されていました。

「北緯17度線」とも呼ばれるこの場所は

22年ものあいだDMZとして激しい戦火に晒されてきました。

 

北ベトナム軍は、ベトナム戦争で

最も戦火の激しい非武装地帯を避けて

南ベトナム軍領地に物資を支援するため、

ラオス南部に「ホーチミンルート」をつくり、

それまでラオスの山岳地帯で対北ベトナム軍にそなえて

ゲリラ訓練を実施していたアメリカは、

このホーチミンルートを断つことを目的に

ラオスへの空爆を開始しました。

 

ラオスはタイとベトナムの間に位置しているために、

タイに基地を設けていたアメリカ軍に

ベトナムを空爆したあと余った爆弾を

投棄するための投棄地として使われ、

それがラオス南部に大量の不発弾(UXO)を残した

大きな原因となったとも言われています。

 

隣国カンボジアは「地雷の博物館」とも呼ばれ

埋設数世界一を誇ると言われていますが、

ここラオスは空爆数が世界一。

一つの爆弾から数十、数百の小爆弾が飛び散る「クラスター弾」は、

推定2億8千万もばら撒かれ、

同時期に投下された7500万もの不発弾と共に

その30%が本土に残っているといわれています。

18ある県のうち10県が不発弾に汚染されており、

その土地に住まう人たちを常に脅かし続けているのです。

 

数ヶ月前には、シェムリアップの郊外にある世界遺産のロリュオス遺跡群近くの 公立小学校横の森で、爆発事件がありました。 子どもたちが鉄くずを売ろうと不発弾を触ったところ爆発してしまい、 4人が酷い裂傷で病院に運ばれたそうです。 (ニュースで見た時は亡くなったという情報はありませんでした) また、牛を2匹繋いだ牛車に子ども二人を乗せて走っていた男性が 対戦車用地雷を踏んで吹き飛び、みんな亡くなってしまったという 痛ましい事故も、私がここに来てからのこと。 地雷撤去が終わる=”100%安全な土地”になったというわけではありません。 雨季の激しい雨で地雷を覆っていた土が流れてしまうため、 地中深くに眠っていて探知機に反応しなかった地雷が 出てくることもあるのだそうです。 「何個撤去したかではなく、国土の何パーセントが安全な土地になったかが重要」と 以前とある方から伺いましたが、こういうニュースを目にするたびに 本当にその通りだなと思います。

カンボジアの国境の町”ポイペト”ってどんなとこ?前編 – カンボジアのボジ子。

 

過去の自分の記事を引用しましたが、

地雷、不発弾などの共通の問題として、

”現在進行形”で人の命が脅かされていることがあげられます。

 

不幸にも、ラオスで人気の”ペタンク”というスポーツで使う鉄球に

大きさが似ていることから、

子どもが怪我をしたり、命を落としたりすることもあるそうです。

 

不発弾は、インフラの整備が遅れる大きな要因となるだけでなく、

UXO脅威から身を護るための教育を受けていない子供たちや

危険性を分かっていてもそこで暮らす以外

方法の無い農業従事者の生活を40年以上も脅かし続けているのです。

 

ラオスに来て、病院で活動する看護師の先輩隊員から

ラオスの医療の現状を教えてもらいました。

 

私はバイク隊員なので、現地に行ったら

タイカブに乗ることになります。

怪我をしたときに自分が運ばれることを考えながら話を聞くと

背筋が凍るような話ばかり。

自分が安全に運転しているつもりでも

100%安全ではないと肝に銘じて活動しようと心に誓いました。

 

 

もしも、先進国のような医療技術が国のあちこちにあれば。

もしも 、その医療をすぐに受けられるだけの収入があれば。

 

被害に遭っても、障がいはもっと軽くて済んだかもしれない。

生きられた命もあったかもしれない。

 

じゃあ、命が助かったとして、

その後の一生を誰が支えるんだろう。

機械に繋がれた命や障がいの残った体に

かけられるお金を持つ人が、いったいどれぐらい居るんだろう??

 

と、たらればで色々考えながら展示物やショートムービーを見て、

「残虐性、残存性、無差別性」という

不発弾や地雷の説明によく使われる言葉が

いかに人々の生活を脅かしているかということを考えました。

 

1964年以降、クラスター弾の被害に遭った人の数は5万人と言われています。

そのうち2万9千人は亡くなり、2万1千人が負傷。

そういった人たちを支援するためのNGOやNPOが

ラオスには多数存在しており、このCOPEビジターセンターでも、

義肢装具の無料提供やリハビリテーション、

外科手術や理学療法・作業療法などの医療などの

無償提供が行われています。

 

支援は1度で終わるものではありません。

体の形の変化や義肢装具自体の摩耗・破損など、

その時のニーズに合わせた義肢の提供、

また長期的な治療やリハビリテーションが必要になります。

 

 ショートムービーを見るなかで、

被害に遭った人の”自立支援”というものが

いかに大変で、そしていかに必要とされているかを知りました。

日本と同程度の国土面積をもつこの国が、

3割以上がいまだにUXOに汚染されている中で、

人口増加に伴って相対的に被害者が増えている現状をケアするだけの

インフラストラクチャは整っておらず、

ハード面・ソフト面共に問題を抱えていることは

言うまでもありません。

それらの受け皿に乗る機会に恵まれなかった被害者は、

仕事も出来なくなって家族に負担をかけることになり、

体の自由を奪われるだけでなく尊厳まで奪われることになります。

 

いつもこういう場所に来ると色々考えますが、

この問題に対して自分が直接できるとが何かというよりは、

自分が今から2年間お世話になる国が

どんな歴史のうえにあるかを知るために、

はじめのうちに行っておけてよかったと思います。

 

COPEビジターセンター公式ウェブサイト

COPE Laos – Provider of prosthetic, orthotic and rehabilitation services in Laos

 

 

新しいリンク追加しました!

www.laoko.net

 

「赤道直下 新天地」と隊歌「若い力の歌」の歌詞にもあるように

基本的に任地は暑い国が多いのですが、

マイナス数十度のモンゴルで活動する隊員も居ます。

異世界感あふれる投稿楽しみにしてます!

 

・・・

 

戦争博物館など、他にも勉強になる場所がいくつかありそうです。

任地での生活が始まったらこういう場所にもなかなか行きにくくなります。

語学研修中ではありますが、首都ヴィエンチャンに居るうちに

色々行っておきたいです。